第33話:狂気の亡霊
結論から言おう。
あの後、俺は血相を変えて駆け寄ってきたノエルとセスカにしこたま怒られた。
それはいい。予想していたことだから。
だが、誤算だったのは──
「…………」
「…………」
「……………………」
俺たちの間には気まずい沈黙が流れている。
それもそのはず。
全てを溶かす猛毒の酸の胃袋の中にいた俺は、当然全てが溶けていた。
無論、服も。
誰が喜ぶんだという話である。
ノエルたちはバッチリ見てしまったのだ、全裸の俺を。
真っ青な顔が真っ赤になり、素っ頓狂な悲鳴を上げて顔を背ける様は少し面白かった。いや笑いごとじゃないが。
だが少し待ってほしい。
今回の件、被害者は全面的に俺だ。
何度でも言うが、あの作戦が一番確実だったのは疑いようのない事実。
俺の行動は彼女たちを守るために取ったものであり、服は必要な犠牲だったのだ。
そして敢えて言おう。
せめて新しい服に着替える時間くらいは欲しかった、と。
遠目にだって見えてはしまうだろうという指摘はごもっとも。
しかし、わざわざ近づいてきたのはノエルたちである。
……いや、そりゃあ俺だって彼女たちの心配を無碍にする気はないが。
──なんていう現実逃避は置いておいて。
「…………」
ノエルのおかげで、無事にこの層を覆っていた結界は破壊された。
これで、今度こそ次の層に行く階段を見つけることができる。
だがその前に至急解決しなければならない問題が一つ浮き彫りになる。
あの謎の足跡の問題だ。
そう、俺たち以外にもう一つ足跡があった件である。
「で、そこにいるんだろ? いい加減出てきたらどうだ」
俺の声に、ノエルたちが「何を言いだすんだろう」という顔で見てくる。
当然、俺が話しかけたのは彼女たちではない。
その後ろにいる存在。
──正確には、ノエルの真後ろにいる存在に向けてだ。
ぱち、ぱちと拍手の音が聞こえてくる。
「お見事、気付いてたのか」
「……お前は」
そしてすぅっと現れたのは、前に見たことがある男だった。
「え…………嘘────マルクスさん?」
そう、その男の名はマルクス。
かつてノエルを追い出したパーティのリーダーだった男だ。
奴の体は透けており、向こうの景色が見える。
つまるところ──亡霊。
「っ──誰!?」
マルクスに反応したセスカが、腰の細剣に手を掛ける。
しかしその様子を見て、マルクスは腹に手を当てて大笑いした。
「別にそんな警戒しなくたって何もできやしないさ、少なくとも今はな」
「……いつから憑いてきてやがったんだ」
「へぇ。俺を殺しやがったあのバケモノを倒したアンタでも、気付いてなかったんだな」
マルクスは見下したような笑みを浮かべながら俺に目を向ける。
「ずっとだよ、お前らがルナリーたちを消したあの時、あの場所からな」
「………………」
ノエルの顔色が悪い。
「いやぁ、あいつらは本当に馬鹿だった! 亡霊になってからも、その前も!」
何が可笑しいのか、マルクスは独りで高嗤いする。
仮にも仲間だった奴らを貶すとは、やはり屑はどこまでいっても屑といったところか。
「本当に、消してくれてせいせいしたよ。お前たちには感謝してる。やっぱり無能はどこまでいっても無能なんだな」
そう吐き捨てたマルクスは、スッとノエルに目を向けた。
しかしその視線は妙に粘っこい。瞳の奥には狂気が見える。
「その点、ノエル……お前は凄いよ。大した奴だ。まさか、あれから才能を開花させてそこまで一流の魔法士になるなんてな」
「っ!」
「……下衆が。ノエルから離れなさい」
彼女を庇うように、セスカが一歩前に出てノエルの体をマルクスの視線から隠した。
「離れる? おいおい無茶を言うなぁ。だって俺はそいつにずっと憑いてるんだぜ? 今更離れるなんて、できっこないだろう」
マルクスは嘲るように鼻で笑い、一歩ノエルに近づいた。
「でも悲しいなぁノエル。お前には見る目がないよ」
「何を、言って……?」
「そこの男さ。そいつの戦い方は散々近くで見てきただろう? そいつはどこまでいっても独りよがりな男だ。いやぁ滑稽だなぁ! あんな歯が浮くようなセリフを死ぬほど吐いておきながら、結局そいつは自分のことしか頭にないんだよ!」
そう吠えて、まるで役者のように大仰に手を広げるマルクス。
そして極めつけに、低い声でぼそりと言った。
「つまりな、ノエル。お前は必要とされてないんだ」
「──!?」
その言葉に、ノエルがびくりと肩を震わせる。
そして俺の方をちらりと見た。
しかし次の瞬間、空を裂く音が聞こえる。
「いい加減黙りなさい。ノエル、こんな奴の話に耳を傾ける必要はないわ」
見れば、マルクスに向かって細剣を振りぬくセスカの姿があった。
その瞳は俺たちに見せるものと違って、底冷えするような絶対零度の視線だ。
「おお怖い怖い。まぁ、そんなことしたって無意味だけどな」
しかし奴は亡霊。
当然その攻撃が当たるはずもなく、むしろ煽るようにセスカを嘲笑する。
ここまでのやり取りを黙って聞いていた俺は、ひとつの疑問を抱いていた。
つまるところ、このタイミングで現れて意味の分からない発言を繰り返すこいつの狙いは一体何なのか、というところだ。
マルクスはぐるぐるとノエルの周りを歩きながら言う。
「なぁノエル、もう一度俺とパーティを組もう。俺ならお前をもっと高みに導いてやれる、日の目を浴びさせてやれる」
「何を、言ってるんですか……? だって、あなたはもう死んで──」
「言っただろ、『今は』って」
「……何が言いたい」
「お前は黙ってろ!」
意味深な言葉に俺が疑問を呈した瞬間、マルクスが激昂する。
「ここは良い場所だ。魔力が豊富にあって、沢山の媒介が落ちてる。何よりも、迷宮の奥に行けばきっと素晴らしい魔法具が眠ってる」
そしてノエルの肩に手を置いて、その耳元で囁いた。
「ノエル、俺を蘇らせてくれ」
成程、それが狙いか。
死者の復活──それは人類の禁忌、おとぎ話の存在だ。
だが、どういうわけかこいつはそれが本当にできると信じ切っているらしい。
その根拠は一体何なのか。
「一緒に俺と世界の天辺に登り詰めよう、お前を必要としていないその男より、この俺と! 優秀な存在は、優秀な人間に使われてこそ初めて価値があるんだから! 俺はお前を必要としてる、その男と違って!」
マルクスはそう言って、俺を指さす。
「この……っ、言わせておけば……!」
セスカが声を震わせながら再び細剣を振りかぶろうとした次の瞬間。
「ふざけないでください」
これまでに聞いたことのないような低い声で、ノエルがそう言った。




