第32話:変わらない、変われない
結界の破壊は順調だった。
とはいえ毎回毎回イレギュラーなレベルの魔物との連戦になるため、大変ではあるが。
「大丈夫か、セスカ」
「はぁ、はぁ……まだ平気よ……!」
強がりだろう。
毎度あれだけ精密な魔力構築をしながら付与魔法で戦っていれば、その疲労の度合いは俺とは比べ物にならないはずだ。
「ほれ、これでも飲んどけ」
俺は背負い袋から飲み物の入った水筒を取り出し、セスカの方に放り投げる。
「悪いわね」
水筒をキャッチしたセスカは、蓋を開けて中に口を付けた。
それを飲みこむ度に、艶めかしく喉が動く。
汗ばんだ首筋と相まって非常に扇情的な光景ではあるが、見ないでおいてやろう。
何より年下をそんな目では見れないしな。
「美味しい……これ、普通の果実水じゃないわよね?」
「ああ、隠し味を入れてある」
「隠し味?」
「それは企業秘密ってことで頼むわ」
彼女と同じように水筒を取り出し、俺も水分補給をする。
爽やかな柑橘系の甘味の中に、ほんのりとした苦みを感じる。
だがあくまでも本当にほのかに感じる程度だ、自画自賛するのも何だが、むしろそれが癖になって大変飲みやすい。
作り方については……今度教えてやろう。
それより、後でノエルにも渡してやるか。
ただ出てくる魔物と戦えばいい俺たちに比べて……なんて卑下するつもりはないが、彼女は彼女の戦場で頑張っているのだから。
「ところでセスカ」
「どうしたの?」
「覚えてるか、俺たちが出会った時のこと」
「いきなり何を言い出すかと思えば……当たり前じゃない。忘れるわけないでしょ、今アタシがこうして生きてるのは、アンタが助けてくれたからなんだから」
「いや、別に平気ならいいんだ。気にしないでくれ」
「……? 変なの」
どうやらセスカの調子は元に戻ったようだ。
……さっきのは、一体何だったんだろうか。
俺は引っ掛かりを覚える。
あれが迷宮のせいなのか、それとも彼女の身体に起きている何かの異常なのか。
今はまだ確証が持てない。
いずれにせよ、注意深く見守る他ないだろう。
「お二人とも、終わりました」
「おう、お疲れさん」
「お疲れ様」
今しがた結界の要の一つを破壊し終えたノエルがやってくる。
彼女にも水筒を手渡しながら、俺は質問をしてみる。
「ノエルはどうだ、何か体に違和感はないか?」
「? はい、今のところは何も。それよりも、このジュースすごく美味しいですね」
「……そうか」
ノエルも平気、と。──では、俺はどうだ?
俺は自分の手を見る。
何ともない。いつもの普通の手だ。
身体にも違和感はない。思考回路も……自分自身では何も感じない。
「ふぅ。さて、結界を形作っている魔力の綻びもあと一つです。皆さん、気をつけて行きましょう」
「ええ、そうね。援護は任せてちょうだい」
「…………」
「ヴァニさん?」
「あ、ああ。なんでもない」
疑心暗鬼になりすぎているだけか?
いや、そんなことはない。既に実害はじわじわと起こり始めている。
要が視えているらしいノエルの後をついていきながら、俺はふと振り返る。
…………待て、どうして足跡が四つある?
今この場にいるのは俺とノエル、そしてセスカだけのはずだ。
過去にここを通った冒険者のもの……なんて楽観的な考えはできない。
しかし、気配は全く感じないぞ。
間違いなく俺たちだけだ。どれだけ巧妙に姿を隠そうが、今の俺が気付かないはずはない。
「二人とも」
「「?」」
「何かは分からないが……どうも俺たちを取り巻く環境に何かが起きてるみたいだ。気を付けてくれ」
それ以上に説明しようがない。
俺の言葉に二人は頷き、再び前を向いて歩きだす。
やがてしばらく歩いて、ノエルが足を止めた。
どうやらここが最終地点のようだ。
「それでは最後の綻びの破壊に入ろうと思います。ヴァニさん、セスカさん、お願いしますね」
ノエルはすぅっと息を吐き、それから真剣な顔つきで杖に魔力を込め始めた。
それに呼応するように、空間がひび割れる。
もはや見慣れた光景──しかし、今までとは類を見ない大きさだ。
どうやら迷宮も、最後の抵抗をしようと躍起になっていると見える。
『GOGAGAGAGAGAGA』
歪から出てきたのは、巨大な蜥蜴とも蛙ともつかない異形の顔面。
その喉袋は緑色に発光し、不気味に蠢動している。
やがて全身を現したそいつは、全長にして七メートルほどはあろうかという巨体をもたげ、俺たちに向かって首を傾げてみせた。
『GEGOGAGAGAGAGE』
──死毒蝘、それが奴の名前だ。
「っ、厄介なのが出てきたわね……!」
「注意しろよセスカ、アイツの毒を一滴でも浴びたら終わりだ」
「言われなくても分かってるわ!」
セスカが前方に向かって走り出す。
片手で細剣を構えながら、もう片方の手に炎を生み出した。
「≪炎球≫!」
人の顔よりやや大きいサイズの火炎球が死毒蝘に向かって投擲される。
──が。
『GE?』
べろりと伸ばされた奴の長い舌が炎球を絡め取り、あろうことか吞み込んでしまった。
次の瞬間、死毒蝘の身体が大きく膨らみ、口から黒煙が漏れる。
『GEGEGE』
「不味い! セスカ、奴に近づくな!」
「!!」
次の瞬間、死毒蝘の周囲にあった草が黒ずんだかと思えば、溶けるような音を出しながら枯れていった。
寸でのところで飛びのいたセスカは、顔を青ざめさせている。
あと一歩遅かったら、今頃は奴の中で毒と混ざった煙を吸い込んであの世に行っていただろう。
これが死毒蝘の厄介なところだ。
離れていれば猛毒の液体を吐きかけられるか、或いは舌で絡め取られ、近付けば回避のし辛い立ち回りを強要される。なまじそこらの魔物と違って知恵が回るのが鬱陶しい。
「ヴァニ、何か策はない!?」
「まぁ、あるにはある」
「何でもいいわ、聞かせてちょうだい」
実のところ、とびきりの作戦がある。
それもセスカやノエルにヘイトが向かない上に、短期決戦で仕留められる作戦が。
問題なのは後が怖いことだが……それこそ今気にすることじゃないだろう。
「それはな──こうするんだよ」
俺は驚いた表情をしているセスカを抜き去って、死毒蝘に向かって駆けた。
直後、肺が激しく痛みだす。
目や耳から血が溢れ出る。
「ちょっと、ヴァニ!?」
背後からはセスカの悲鳴に近い叫び声。
……仕方ないだろう。一番安全に奴を倒すなら、こうするしかないんだ。
これは、死なない俺にできる唯一の戦い方。
ノエルを相棒と認めてからは意識的に避けていたが……やはり、これが俺の戦い方だ。
『GEGE!?』
猛毒の霧を喰らってもなお足を止めない俺を見て、死毒蝘が驚いたような鳴き声を出しながら猛酸液を吐いてくる。
それを左腕で防げば、見事に俺の片腕が溶けて無くなった。
ついでに防ぎきれなかった分が顔に何滴かかかり、そこもまた音を立てて溶ける。
今の俺の顔を鏡で見たら酷い有様だろうな。
「悪いな。この程度、何度も経験してきたんだ」
利き腕は残っている。
それに何も、ぶよぶよとした奴の外皮を切り裂こうってわけじゃない。
こうして恐れずに接近していれば、死毒蝘が次にとる行動など手に取るように分かる。
『GOGEGEGO』
ビンゴ。
死毒蝘は俺の身体を舌で巻き付け、その咥内へと運んでくれた。
ありがとな、これで俺の仕事が楽になる。
「オォォォォラァァァァァァァァッ!」
死の酸で溢れた体内で、無限に身体を溶かされては復活しながらひたすらに斬り裂き続ける。
六回ほど死んで生き返ってを繰り返したところで、ついに奴の動きが止まった。
『………………』
そして砂になり始めたのか、暗く生暖かい空間に光が差した。




