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不死刑—世界を救えば死ねるらしい—  作者: 茄子田わさび
第二章:万魔のラビリンス
29/58

第27話:迷宮突入の前夜

 ノエルが暴走した事件から一日が経過し、いよいよ迷宮突入の前夜。

  

 今日は各自ゆっくり過ごそうということで穏やかな一日だったのだが、その締めに俺は夜のフレデリックの街を一人でぶらぶらと歩いていた。


 武器の手入れは済んでいるし、持っていく道具の選定も済ませた。

 後は万全の状態で明日を迎えるだけだ。


「お」


 ふと足を止めると、気になる看板を見つける。

 どうもそこはバーらしく、少し人通りの少ない路地にあるのがまた魅力的だった。


 入ってみるか。


 扉を潜ると、カランカランと鈴の音が鳴る。

 店内は期待した通りの雰囲気だった。

 

 客は少なめ。静かで落ち着いた空間に、ダークオークの木でできたカウンターの向こうではマスターがグラスを拭いている。


「いらっしゃいませ」


 俺は無言で店内を進み、マスターの斜め前の席に腰を下ろした。


 ふむ……何を頼もうか。


 マスターの背後には、酒瓶が大量に置かれたラックが見える。

 どれもヴィンテージ物のレアな酒だ。いい品揃えだな。


 こういう時は、お任せにしてみるか。


「マスターのオススメを頼めるか」

「かしこまりました」


 気取ってる、と思われるかもしれないが、実際こういうのはそれくらいで丁度いいのだ。

 他人の目を気にしてちゃ何もできない。

 自分の心の赴くまま、振舞いたいように振舞えばいい。


 マスターは一本の酒瓶を取り出し、グラスに注ぐ。


「お待たせいたしました。こちら『ヴェルシラの涙』でございます」

「ヴェルシラ……月の女神か」

 

 この世界の神話に出てくる神の名前だ。

 

 かつて世界を創った創造の女神レーミテシアの他に何柱かの神がいて、その中の一柱だったとかなんとか……そんな感じの存在だ。


 ヴェルシラの涙を軽く口に含む。

 ほんのりとした甘さと、鼻に突き抜けるジャスミンのような香り。


「へぇ、良い酒だ」

「お気に召していただけたようで何よりでございます」


 マスターはそう言って一礼する。

 その所作は洗練されていて、まさにベテランの風格を(かも)し出していた。


「マスターは、この店を始めて長いのか?」

「ええ、そうですね。もう二十年ほどになります」

「どうりで。良い店だな」

「そう仰っていただけることこそ至上の喜びですね」


 マスターの微笑みに、つられて俺もニヤリと笑う。


 その時、再び入り口で鈴の音が鳴って誰かが入ってきた。


「おや? ヴァニ君」

「ん……ああ、シモン支部長か」


 その正体は意外にもシモンだった。

 彼は穏やかな笑みを浮かべながらこちらへやってきて、俺の隣に座る。


「まさかここで出会うとはね。ここは私の馴染みの店なんだ」

「へぇ、そうだったのか」

「ああ、良い店だろう?」

「同感だ」


 シモンが軽くマスターに目配せすると、マスターは頷いて酒の用意を始める。

 どうやら常連のようだ。

 

 ……少し羨ましいな。

 

 こういう隠れ家のような店の常連で、マスターとも仲が良いなんて男なら誰もが一度は憧れるものだ。


「……いよいよ明日だね」

「ああ、準備は整ってる。後はやるだけ……さて、鬼が出るか蛇が出るか」

「なんだい、それは?」

「……俺の故郷の(ことわざ)さ」

 

 言って、再び酒に口を付ける。


「なぁシモン。あんたは、世界の滅びが間近に迫っていると思うか?」

「ふむ……物騒だね」


 シモンも同じくグラスを傾けながら、顎鬚(あごひげ)に手を伸ばす。


「僕個人の感想でいいのなら、答えはイエスだ」

「どうしてそう思うんだ?」

「ははは、極論だけどね。世界なんて、いつ終わってもおかしくないんだ。明日滅ぶかもしれないし、ずっと先かもしれない。だけど最近の情勢を鑑みるに、少し危ういなと感じているよ」

「最近の情勢?」


 俺の問いかけに、シモンは頷く。


「うん、丁度君たちの住む帝都でも事件が起きたばかりだろう? 未知の魔獣……いいや、もっと異質な何かが現れた事件が。君は確か、当事者だったね」

「ああ……デウリエリのことか」

「あの一件と今回の迷宮の一件、直接結びつけることは難しいけれど、何か近しいものを感じているんだ」

「……あんたもか」


 まだ判断材料は揃っていないが、作為的なものを感じるのは確かだ。

 皮膚の下で何か悪意の塊のような奴が這いずっているような、そんな気持ち悪い違和感を覚えている。

  

 シモンは静かにグラスをカウンターに置く。


「……僕にはね、娘がいるんだ」

「?」

「丁度今年で十五になるかな。僕の影響か、冒険者を目指している子でね」


 そう語るシモンの目は、慈愛に満ちていた。


「親としては勿論心配さ。けれど、それ以上に娘の夢を応援したいという気持ちが強いんだよ」

「…………」

「だからこそ、今のこの状況は決して容認できない。もしも娘の身に何かがあれば、僕は……」


 握った拳から、ギュウウと凄まじい音がする。

 それだけで、隣の男がどれだけの力を持っているかが薄らと分かるようだった。


「ヴァニ君、改めてのお願いだ。この街の冒険者を預かる身としても、娘の父としても。どうか、この事件を解決してほしい」

「……安心したよ、あんたもまともな人間だったんだな」

「どういうことだい?」

「いや何、今だからこそ言うが、昼間のあんたからは人を化かして喰う(たぬき)みたいな気配を感じてたんだ。ぶっちゃけ、迷宮の失踪事件の糸を裏で引いてるのはあんたじゃないかと疑ってもいた」


 俺はそう言って苦笑する。


「けど、今の話で確信が持てたよ。あんたは、正しい心を持った素晴らしい人格者だって」

「はは、これまた手厳しい評価を貰っていたみたいだね」

「悪いな。人を疑ってかかるのが俺の性分でさ」

「いやいや、それもまた正しい感覚だよ。この世界は、思っているよりも悪意に満ちているからね」


 かなり失礼なことを言っている自覚はある。

 しかし、それを受け止めてなお、俺を認めるほどの度量をこの男は示した。

 

 守りたい存在がいるというのは、人間が戦う上で大きな力になる。


 現場と管理者。

 立つ戦場は違えども、そういう意味で俺とシモンは似たもの同士だ。


「俺にも、守りたい存在がいるんでな」

「ノエルさんのことかい?」


 その問いに、俺は無言で頷く。


 もはやかつてのような一方的な感情ではない。

 俺たちは一心同体のバディだ。互いを守り、守られる。そんな関係。


 そのうえで、彼女を傷つけるような存在には俺は一切容赦しない。

 今回の迷宮の調査においても、それは当然含まれる。

 

 もちろんセスカだってそうだ。

 勝手に参加を言い出した側面はあるが、仲間である以上彼女のことも全力で守ると誓おう。


 俺はこれ以上、自分の身内を喪うわけにはいかない。


──『今度こそ、大切なものを喪うような選択だけはするなよ』


 あの男に言われた言葉が脳内でリフレインする。

 

 俺は二度と間違えない。

 バッドエンドなどクソくらえだ。

 そんなものを俺は容認しない。

 

 だから──だから、もっと強く。


「俺が丸ごと救ってやる」

   

 俺の決意を、シモンは優しい表情で見守っていた。


「さ、湿っぽい話はこの辺にして、今日は飲もうぜ。あんたの話ももっと聞かせてくれよ」

「うん、望むところだ。今晩の出会いを祝して──」


『乾杯』


 俺とシモンは、杯を酌み交わした。

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