第21話:君に笑顔を、約束を
あれから五日が経った。
事後処理も概ね終わり、俺たちはすっかり平和な日常を取り戻していた。
夕暮れの街中。
煙草の煙を肺一杯に吸い込む。
「ヴァニさーん!」
通りの向こうからこちらに手を振りながらやってくるのはノエル。
風呂上がりなのか、上気した頬と石鹸の良い匂いが漂ってくる。
「ごめんなさい、お待たせしました」
「いやいや、全然気にしてないさ」
すっかり恒例と化した挨拶。
俺たちは並んで、街の中を歩く。
色々忙しかったのもあって、祝勝会がまだだったからな。
デウリエリの討伐報酬として、莫大な金が手に入ったこともあり、今日はささやかながらお祝いでもしようということで集合したのだ。
ちなみにシリウスは「俺も参加したい」とごねていたが今日はつっぱねた。
アイツ、あれだけ言っときながら何の役にも立たなかったからな。
なんて、流石に冗談だ。
本人たちは本人たちで魔獣と遭遇して色々と大変だったらしいが、今日は遠慮してほしい。
何故なら──
俺は隣を歩くノエルをちらりと見る。
今日は彼女に大事な話があるのだ。
言わなければいけない、とても大事なことが。
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高級なレストランに着き、互いを労って料理に舌鼓を打って少し経った後。
「ノエル」
「はい?」
俺は意を決して口を開いた。
「本当にありがとうな」
「もう、何言ってるんですか。お礼を言うのは私の方ですよ」
「いや、おまえのおかげで、俺は少し人らしい部分を取り戻せた。誰かに背を預けて戦えた。全部ノエルがいてくれたおかげだ」
「ヴァニさん……」
ノエルは僅かに頬を赤らめる。
「それで、な」
「?」
「今日はノエルに、どうしても言わなきゃいけないことがあるんだ」
「どうしたんですか、改まって」
俺の表情があまりに真剣だったからか、ノエルも背筋を正してこちらの話に耳を傾けてくれる。
その表情に少し不安な色が見えるのは何故だろうか。
……ははっ、急にこんな切り出し方をされたらそりゃそうなるか。
だが、本当に大事なことなんだ。
「俺が死なないってことは、もう前にも説明したし散々見てもらったから知ってると思う」
俺の話を、ノエルは黙って聞く。
「この力は、実は女神に授けられたものなんだ」
「えっ……それって──」
「ああ。この世界の女神──レーミテシアだ」
ノエルは絶句している。
こんな荒唐無稽な話をいきなりされて、はいそうですかと受け入れられる方がおかしいからな。
「信じられないよな。でも、本当だ」
「……色々聞きたいことはありますが、でも、信じますよ」
「……ありがとう」
それでも、ノエルは俺を信じると言ってくれる。
「俺のこの力は、ある目的を達成するまで消えない。そしてその目的ってのは──世界を救うことだ」
「世界を……」
「正直、色々と話が大きすぎて俺自身にもどうしたらいいかさっぱり分からん。だが、いよいよ何かが動き出した気がするんだ」
その証拠に、俺はある物を見せる。
それは黒い釘だった。
デウリエリが消えた後に落ちていたものだ。
つまるところ、奴が人為的に歪まされた、あるいは生み出されたものという証左に他ならない。
そう説明すると、ノエルは顎に手を添えて何かを考える仕草を見せる。
それから少しして頷くと、再び俺の方を見た。
「それで、ヴァニさんはこれからどうするんですか?」
「世界を滅ぼす何かがいるっていうんなら、ぶっ倒すつもりだ。そして、このクソッたれた呪いを解く」
そこでだ、と俺は一度言葉を区切る。
「これから先、どんな危険が分からない。俺と一緒にいたら、ノエルまで巻き込まれることになる。だからな、だから……俺から離れるなら、今のうちだ」
まず一つ目の大事なことを、俺は口に出した。
ノエルは良い子だ。才能もある。
俺のために巻き込まれなくていい危険に巻き込まれて命を失う危険を冒す必要はない。
ここまでやってきた相棒として、いや、相棒だからこそ、俺はそう言う。
しかし。
「ヴァニさんは、ひとつ大きな勘違いをしてます」
「勘違い?」
ノエルは小さくため息を吐いた。
その表情は、珍しく怒っているように見える。
「その程度のことで、私が離れると思ってるんですか? ありえないです。というか、ショックです。そんな程度の人間だと思ってたんですか、ヴァニさんは?」
「いや、しかしな──」
「私はまだ何も返せてません。それに、ヴァニさん言ってくれたじゃないですか。何があっても、私のことを守ってくれるって。あの言葉は嘘だったんですか?」
「いや、嘘じゃない。それは本当だ」
「なら、どうしてそんな寂しいことを言うんですか」
その言葉に、俺は何も返せなくなってしまう。
「ヴァニさん。私はずっと一緒です。どこまでも一緒に、あなたと行きます。どんなことがあっても、絶対に……絶対です」
「ノエル……」
ノエルの言葉に、俺は胸がじんわりと温かくなるのを感じる。
しかし、同時に申し訳なさが襲ってくる。
許されるのなら今この場で自分を思いきり殴りたいほどだ。
何故なら、彼女の優しさを裏切るようなことを言わなければいけないのだから。
「……ありがとう。でもな、ノエル。俺が世界を救うのは、この世界のためじゃないんだ」
「……?」
「俺は、死にたいんだ。もう疲れた。解放されたいんだよ。だからこれはどこまでいっても俺のエゴでしかないんだ」
言っていて「ああ、なんて情けないんだろう」と自分でも思う。
「死なないで」と俺のために涙まで流してくれた少女に向かって、「死にたい」とのたまうなど。
だが、これは偽らざる俺の本音。
ずっと言えずにいたが、過去や本心を打ち明けてくれたノエルに自分のことばかり隠しているのは違うだろう。
非難されると思っていた。
怒られると思っていた。
泣かせてしまうと思っていた。
しかし、返ってきたノエルの声音は優しいもので。
「ヴァニさんは、どうして死にたいんですか?」
ああ、そうか。そうだよな。
やっぱり言わなきゃいけないよな。
「俺には生きてる資格がないんだ」
「そんなことありません。資格なんて、必要ないんですよ」
「違う、違うんだ……」
呼吸が詰まる。
手が異常に震える。
胸が苦しい。
「俺は、俺は……大事な人を守れなかったんだよ。あの子は助けを求めてたのに、俺はそれに気付けなかった。だから、俺は……」
落ち着くために水を飲もうとして、コップを倒してしまう。
手が思ったように動いてくれない。
喉がカラカラに乾いて、目が血走っているのが分かる。
今でもあの時のことが鮮明に思い出せる。
制止する警官。野次馬の人だかり。遺された靴。
「俺は…………」
「ヴァニさん!」
ノエルの声で、俺はハッと我に帰った。
「大丈夫です、大丈夫ですよ。そんなに自分を責めなくていいんです。無理に何があったかを言う必要もありません。いつか、話せるようになったらでいいんです」
「ノエル……」
「大丈夫。私はここにいます。あなたはここにいます。だからほら、ゆっくり息を吸って、吐いてください」
俺の手を取りながらそう言うノエルに従って、俺は深呼吸を数回繰り返す。
未だに最悪な気分からは抜け出せていないが、幾分か落ち着いた気がする。
「…………悪いな。情けないところを見せちまった」
しかし、ノエルは俺の言葉に首を横に振る。
「情けなくなんてありません。人間誰だって、弱い部分のひとつやふたつあります。それに……私に話そうとしてくれて、嬉しかったですよ」
「…………」
「これで、お互い隠し事なしですね」
そう言って、ノエルは微笑む。
「改めて、私はずっとヴァニさんと一緒にいます。何があっても、ヴァニさんから離れません。それとも……私じゃ、だめですか?」
……そう言われて、断れるわけがないじゃないか。
「……いや、ありがとう、ノエル。甘えさせてもらう」
「はいっ! これからは沢山甘えてください、頼ってください! だって私は、ヴァニさんの相棒なんですから!」
ああ……本当に情けないな、俺は。
でも、ノエルに救われた。
彼女は俺に返しきれない恩があると言ったが、それはこっちの台詞だ。
俺こそ、彼女には返しても返しきれない恩がある。
だから。
「約束するよ、ノエル。俺も何があってもノエルの味方だ。だから、頼りないかもしれないけど……俺を頼ってくれ」
続く言葉は、心の底から自然に言うことができた。
「だから──これからもよろしくな、相棒」
「はいっ!」
そう言って笑うノエルは、これまでで一番の笑顔だった。




