第20話:重なる死の影⑤
気付けば真っ暗な空間に立っていた。
遥か上空には、朧気ながら光が差しているのが見える。
──ああ、またここに来たのか。
久しぶりの場所に、俺はため息を吐く。
そして、その場にどかりと腰を下ろした。
いいさ。ここにいくらいても、外じゃ時間の流れが殆ど止まってることは知ってる。
それに、どうせそろそろ奴が来る頃合いだからな。
「よう、毎度お疲れさん」
「………………」
コツ、コツと靴の音を鳴らしながら、黒いパーカーを着た男がやってくる。
その男はフードを目深に被っており、その上、僅かに見える顔も真っ黒な闇に覆われているためどんな見た目かは未だに知らない。
「お前が呼び出したのか」
「まさか、俺にそんな力はないさ。前に言っただろ? 俺はお前の意識に住むただの居候だって」
「……そんなこと、忘れたな」
「おいおい……」
男は大げさに肩を竦めてため息を吐いた。
死んだ直後、俺は稀にこの謎の空間に訪れることがある。
そしてこの男は決まって、俺がここにやってくるたびに現れる。
「どうやらまた無茶なことしてるみたいだな」
「それこそ今更な話だろ」
「ま、それもそうか」
そう言って、男は俺の向かいに腰を下ろす。
「で、今回はどうなんだ?」
「さぁな、まだわからん。そうだったらいいなと思ってるだけだ」
「ふむ……難儀だよな、不死の呪いってやつも」
男は同情するような声音でそう語り掛けてくる。
俺の不死の呪いを解くためには、世界を救わなければならない。
世界を救えだと? 脅威が何かも分からないというのに、どうしろというんだって話だ。
しかしあの怪物──デウリエリは、どう考えても自然から生まれた魔獣ではない。
何か、極めて悪意的な意志の下に現れた存在だ。
もしかして、と俺は思う。
もし、デウリエリの出現が世界滅亡の前兆ならば、ようやく俺はこの呪いを解くための糸口を見つけたことになるわけだ。
「しかし気の毒だよな、ノエルちゃん? だっけ? あの子もさ、お前がまさかそんな数奇な運命に巻き込まれてるってことまでは知らないわけだろ?」
「それは……そうだが」
「話してやらないのか? このままじゃ、遅かれ早かれあの子もお前に付き合わされることになるぞ」
「分かってるさ。でも……」
言い淀む俺を見て、男は再び肩を竦めた。
「ま、いいけどな。どうせ俺はここでたまにお前と話すくらいの存在だ。どうするかはお前に任せるよ。でもな」
「?」
「お前、あの時のこと後悔してるんだろ? 今のままじゃ、また同じ結末になるぞ。だから──今度こそ、大切なものを喪うような選択だけはするなよ」
「……そうだな。お前の言う通りだ」
俺は掌が白くなるほどにきつく拳を握る。
「さて、それじゃそろそろ時間だな。行ってこい。きちっとケリつけてやれよ」
「ああ、またな」
男は立ち上がり、ひらひらと手を振りながらどこかへと消えていく。
その後ろ姿を見送ると同時に、俺の意識は覚醒へと浮上していった。
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この世に戻ってくると、俺は地面に吐き出されていた。
目の前ではデウリエリが苦悶の声を上げながらのたうち回っている。
「ヴァニさん!」
「ああ、ノエル。ただいま」
ノエルが駆け寄ってきて、俺に肩を貸してくれる。
「奴を倒す方法が見つかった。やっぱり、あのバケモノの核は口の中に潜む女だ」
「流石です。でも、どうやって攻撃しましょう?」
双剣はデウリエリの口に残してきてしまった。
今の俺は丸腰の状態だ。いや、正確にはクロスボウがまだ残っている。
だが、残りのボルトは一発だけ。絶対に外すわけにはいかない。
それをノエルに伝えると、彼女もまた難しい顔をした。
「では──」
『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
その時、デウリエリが再び絶叫を上げる。
思わず耳を塞いだ俺たちに向かって、デウリエリが脚を曲げるのが見える。
「チッ!」
「わっ──!」
俺はノエルを抱えて、再び横に思いっきり跳んだ。
丁度ギリギリのタイミングで、黒い残像を残してデウリエリが俺たちのいた場所を駆け抜ける。
今のは危なかった。……野郎、完全に本気を出したようだ。
正面からの攻撃も躊躇せず行ってくるようになってやがる。
『はちみつ、はちみつ』
ぱたたっと口から血を垂らしながら、デウリエリが首をもたげてこちらを振り返る。
「ノエル、拘束の魔法──縛侵水はまだ使えるか?」
「はい、いけます!」
「よし、ならタイミングを見計らって頼む。俺は──」
ちらり、とデウリエリの近くに目を向ける。
そこにあるのは、二度に渡り地面に投げ捨てたクロスボウ。
あれをどうにかして拾う必要がある。
「いいか、合図をしたら魔法を使うんだ。それまでは絶対に注意を引くな」
「分かりました」
一瞬ノエルと目配せし、頷き合った俺はクロスボウに向かって走りだす。
『簒奪された座はいずれ取り返されなければなりません!』
デウリエリが巨体を浮かび上がらせ、その質量で俺を圧し潰そうと跳躍してくる。
それを斜め左に転がって回避する。
あと二十七メートル。
『世界の全てが彼を見放した! しかし彼は最後まで人の子であろうとした!』
視界から掻き消え、後ろから突進してくる。
俺は敢えてその突進を真に受け、推進力でクロスボウの方に吹っ飛んだ。
全身の骨が軋み、そこかしこが折れる激痛が襲い掛かる。
あと三メートル。
『どうして! どうして私たちが救いを得られないのか!』
しかし、すぐそこまでやってきていたデウリエリによってクロスボウもろとも踏み潰されそうになる。
そこで──
「≪水穿槍≫!」
ノエルの魔法がデウリエリの体勢を崩した。
否、崩してしまった。
「馬鹿ッ……!?」
当然、奴の注意がデウリエリに向くことになる。
まずい、今の俺はほぼ全身が折れていて素早く動くことができない。
そして、ノエルは俺と違って不死の呪いにかかっているわけじゃない。
死んでしまえば、それで終わりなのだ。
「待て……待て! お前の相手はこっちだ!」
俺は叫ぶが、デウリエリはもはや俺に見向きもしない。
ゆっくりと体の軸を変え、ノエルに方向転換する。
「あ………………」
からん。
ノエルの手から、杖が滑り落ちた。
彼女は顔を青ざめさせながら、ぺたんと尻もちをつく。
「やめろ……頼む、頼むからやめてくれ……!」
全身に力が入らないところを、無理矢理起こそうとする。
激痛が走るが今はそんなことを気にしている場合じゃない。
「ぐっ……!」
もう少しで上体が起こせそうだったのに、ガクンと力が抜けて倒れてしまう。
剣は全て使い切った。自害には用いれない。
ならば、舌を嚙みちぎってもう一回死ぬしか!
しかし、デウリエリは既に行動を起こしていた。
『汝らに呪いあれ』
「やめろォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオッ!」
そしてデウリエリの凶爪がノエルに迫り──
「≪夢幻刃≫」
彼女の身体を引き裂く前に、全身から血を吹き出して吹っ飛んだ。
「…………は?」
いや、あの魔法は見覚えがある。
まさか──
「イザベラ!」
「待たせたな、お前たち」
そこには頼れる我らがギルド長、イザベラ・カルデナントがいた。
『蝉の丘、深謀の花畑、裏切りの海』
「お黙りなさい」
ギギギ、と錆びたような動きで立ち上がろうとするデウリエリを、ギュスターヴが斬り付ける。
一連の流れで相当なダメージを与えたらしく、デウリエリは再び地面に沈んだ。
それを見届けたイザベラが、俺の方へと歩んでくる。
「まったく……イストから報告を受けたときは驚いたぞ。お前たちが、たった二人でデウリエリと戦っているとな。……立てるか?」
「ははっ……来るのが遅ぇよ」
「すまない、だがそれでも言わせてくれ。──よくここまで持ちこたえた」
「ああ……あんたたちも、よく駆けつけてくれたな」
軽口を叩きながら、イザベラの手を借りて立ち上がる。
ついでに渡されたポーションを飲むと、間に合わせ程度ではあるが体が動くようになった。
「ノエル様、お怪我は?」
「え? あっ、いえ、ありがとうございます……」
向こうでは、同じようにギュスターヴに手を借りてノエルが立ち上がっている。
無事でよかった。本当に。
それと同時に、何もできなかった自分への怒りがこみあげてくる。
イザベラたちが駆けつけてくれていなければ、今頃彼女は……
……いや、今はよそう。
「奴の弱点が分かった。口の中にいる女の姿をした核だ。そこを突けば、恐らく奴を殺せる」
「了解した、手柄は譲ってやる。舞台を整える役目は任せておけ」
「そりゃどうも」
俺の言葉に頷くと、イザベラがデウリエリに向かって駆け出す。
「ギュスターヴ! 私に合わせろ!」
「……御意に」
長年の付き合いを誇る二人の連携攻撃に、デウリエリは手も足も出せずに追い込まれていく。
『ああ、ああああああ! アアアアアアアアア! こんな、こんなことが許されていいはずがない! 私は、私は私は私はアアアアアア!』
「フン、報告と違うな。随分とまともそうに喋れるじゃないか?」
「……しかしながら、魔獣が人間様の言葉を喋るとは些か不遜が過ぎますね」
轟音、閃光。
イザベラとギュスターヴが振るった剣の軌跡に紅い血の花が咲き、デウリエリが三度地面に沈む。
そしてそこへ今度こそ。
「≪縛侵水≫!」
ノエルの水魔法が炸裂し、デウリエリを地上に縫い付けた。
後は口を開かせさえすればいい。
しかし、そのタイミングは向こう自ら用意してくれた。
『オ……オオ……オオオオオオオオオオオオオオオオオオ……!』
がぱり。
粘着質な音を立てながら口が裂け、内部から女の顔が露出する。
黒く濁った瞳を眼球が毀れ落ちそうなほどに見開き、さらに口を開こうとする。
あの絶叫攻撃で近くにいるイザベラたちを巻き込もうとするつもりだ。
「させるかよ」
だが既に俺は準備を終えていた。
膝射の姿勢を取り、照準を女の顔に合わせる。
ボルトは一発、外すことは許されない。
そして──
「あばよ」
『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア! ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
狙い過たず標的を中心に爆発が起こった。
煙が晴れた先には、消し飛んで半壊した女の顔。
デウリエリはもうぴくりとも動かない。
そしてやがて、ジュウウウと黒い墨を上げながらその全身が地面に溶けだし始める。
「勝った……?」
隣にやってきていたノエルが呟く。
「ああ、そうだ──」
「勝った! 勝ちましたよ、ヴァニさん! 私たちやったんですよ!!」
「いだだだだだだだだだだだだだだ」
相槌を打とうとしたところで、ノエルが激しく抱き着いてきた。
ぎゅううっと締められ、全身が激しい痛みを訴える。
こちとら全身の骨が折れてんだ、少しは手加減してくれ。
ノエルの肩越しに見える向こうでは、イザベラとギュスターヴがこちらを見て微笑んでいた。
ああ、勝ったのだ。
俺たちだけでは危なかった、あまつさえノエルを喪うところかもしれなかったが。
それでも俺たちは、確かに勝ったのだ。




