第1話:酒場の追放劇
死にたい、と思ったことがある人間はきっと少なくないはずだ。
大なり小なり、この世から消えていなくなってしまいたいと思うタイミングというのは存在する。
何者にもなれない悲観、哀しみよりも深い絶望、虚無を繰り返し続ける倦怠。
理由は様々だが、考えたことはないだろうか。
では、実際に望み通り〝死〟を迎えることになったとして。
もしも何かの理由でそれが阻まれたら?
ああ、そうだ。冗談じゃない。
限界まで追い詰められた人間にとって、唯一の救いは死だ。
大きな声で言うことはできないが、それがこちら側の真理だ。
だからこそ、俺は正しく死ぬために達成しなければならない目的がある。
たとえどれだけの時間がかかろうと、どんな手段を取ろうとも。
何故ならばそれが、俺に残された唯一の救済なのだから。
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──ウェルギリア帝国
日が沈み、冷たい風が吹く街の某所。
仕事帰りの人々で賑わう酒場で、俺は親友と杯を酌み交わしていた。
「乾杯!」
そう言ってジョッキに入ったエールを豪快に飲む金髪の優男。
彼の名はシリウス・フリード。
この帝都で冒険者をやっている男で、俺の唯一といってもいい親友だ。
「っくぅぅう! 美味い!!」
「相っ変わらずいい吞みっぷりだな」
「これのために生きてるって言っても過言じゃないからな」
間髪入れずに断言するシリウスに苦笑しながら、俺も続けてジョッキに口を付ける。
キンキンに冷やされたエールが喉を伝い、胃に落ちていく。
あぁ、酒ってのはいいもんだよな。
アルコールが回れば思考がぼんやりとして、嫌なことや面倒なことを忘れられる。
そうでなくても、今日一日頑張った自分への褒美という満足感を得られるのだから。
そう、俺たちは冒険者をやっている。
冒険者というのは、ギルドからの依頼で魔物を狩ったり、薬草などの人々に役立つ資源を採集する何でも屋のような仕事だ。
新人は大体、街の中でコトが済むような仕事を請けると相場が決まっている。
しかし俺たちはベテラン。
特にシリウスは、『白翼の鷹』という冒険者パーティのリーダーをやっている。
ソロの俺としては、メンバーを纏めて仕事をこなすこいつのことを尊敬している。
「そういえばヴァニ、聞いたか? あの噂」
徐にシリウスがそう問いかけてくる。
「あん? 噂ってなんの噂だよ」
「西にある逢魔の森の噂だよ。何でも最近、不気味な咆哮が聞こえたって話らしい」
「不気味な咆哮ねぇ……そんなのしょっちゅう聞いてるが」
「馬鹿、それを言ったらおしまいだろ? 今回のはレベルが違うんだよ、レベルが」
シリウスはまるで、自分が体験してきたかのようにフンと鼻を鳴らしながらそう言う。
「噂じゃ、女の悲鳴に似ていて、それでいて男の低い唸り声みたいだったって話だ」
「よくある怪談話の類みたいな噂だな」
どうせ身内をちょっと怖がらせようと思った冒険者のホラが広まっただけだろう。
怪談話なんてのはいつのご時世でも一定数の人気があるからな。
それがただでさえ昼夜問わず陰鬱な雰囲気を醸し出す、あの『逢魔の森』ともなれば猶更だ。
「けど最近、あの辺で冒険者の失踪も相次いでるだろ?」
「今に始まったことじゃないけどな」
「おいおい、もう少し話にノッてくれてもいいじゃないか」
「へいへい」
あくまでもドライな俺の態度に、シリウスは不満げにこちらをひと睨みしてから再びジョッキを傾ける。
幽霊だなんだってくだらない……なんて言っても、シリウスはまだ若いからそういう話に興味が沸くのも仕方ないことではあるか。
……いや、俺もコイツと同い年だけどな。
「それじゃあこんな話はどうだ──」
シリウスがニヤリと笑って口を開こうとした時だった。
「ほんっと使えねぇなお前!」
酒場の片隅でそんな怒号が上がる。
シリウスと顔を見合わせてから声のした方を見ると、そこには冒険者パーティらしき集団がいた。
構成としては男が二、女が二だ。
しかし座っている位置が偏っており、見方によってはまるで一人の少女を相手に他のメンバーが糾弾しているようにも見受けられる。……というか、実際その通りだろう。
「なんだ、喧嘩か?」
「みたいだな、ったく……また始まったのかよ」
こういう出来事はしょっちゅうだ。
酒が入って喧嘩しだす奴もいれば、揉め事を酒場に持ち込んでくる奴もいる。
大して珍しくもない乱痴気騒ぎにうんざりしながらも、介入せずに眺める。
「魔法士だっていうからパーティに入れてやったってのに、馬鹿の一つ覚えみてぇに一種類しか魔法が使えないだと!? とんだ期待外れもいいところだ!」
「ほんっと、期待して損したわー。おかげさまで死ぬとこだったっつーの」
「まぁまぁ皆さん、無能を見抜けなかった私たちの落ち度でもありますから」
リーダーらしき茶髪の男の怒号を皮切りに、他のメンバーも追従するように少女を罵倒する。
丁度針の筵にされている少女はこちらに背を向けるように座っているため、今どんな表情をしているのかは分からない。
だが、その肩が小刻みに震えていることからもその心境は想像に難くない。
「すみません…………」
その声は消え入りそうでありながらも、騒がしい酒場だというのにやけによく聞こえた。
綺麗な鈴のような、心地の良いソプラノボイスだ。
「謝って済む問題じゃねぇだろうが! どう落とし前つけてくれるんだよ!」
力なく謝る少女に対し、男たちは追い打ちをかけるように嘲笑う。
酒場の騒めきが、いつの間にか遠のいていた。
誰も止めない。だが、誰も笑ってはいない。
「チッ……胸糞悪いな」
「同感だ」
元々正義感の強いシリウスは、その光景を見て忌々し気に舌打ちをする。
俺には正義感なんて欠片もないが、正直同じ気持ちだった。
見るからに程度の低い連中が自分のことを棚に上げてギャアギャアと騒ぐのは耳障りなことこの上ない。
「土下座しろや、土下座!」
男は少女に対し、遂に土下座を強要し始める。
「クソが……流石に止めるか」
「待て」
「なんだよヴァニ、どうして引き留めるんだ」
「気持ちは分かるが落ち着け、これはあのパーティの問題だ。外野から首を突っ込むのはよしておけ」
「でも──」
男の様子に、これ以上は見過ごせないと憤ってシリウスが椅子から腰を浮かせる。
しかし、俺はそれを制止した。
冒険者は何があっても自己責任。
これは全ての冒険者が認識している鉄則だ。
いくら恫喝、暴力沙汰が起きそうになっているとしても、簡単に介入していい話じゃない。
気の毒には思うが、あの少女にパーティを見る目が無かっただけ。
俺は頭の片隅でこの状況をドライに受け止めていた。
だが……本音を言えばこの状況が鬱陶しいのは間違いない。
気付けば俺は煙草を咥え、火をつけていた。
しかしクズは調子に乗っているのか、はたまたもう引き下がれないのか、尚も止まる様子を見せない。
「できねぇっていうんなら手伝ってやろうか、あぁん!?」
「駄目ですよマルクス、もったいないです」
「もったいない?」
「ええ、だって──」
ニタニタと気色の悪い笑みを浮かべる金髪の女がそう言って立ち上がると、少女の前で屈んで目線を合わせる。
女は表情はそのままに、しかし全く笑っていない目で少女の顔を覗き込む。
「こんなに綺麗な子……ああ、妬ましい。ねぇ貴女。きっといいオモチャになるわ」
「………………え?」
「あなたはね、才能がないの。どうせこれから何をやっても全部無駄なのよ。だからね、素敵な提案をしてあげる。貴女──娼婦にでもなりなさい」
「ハハハハハ! いいこと言うなぁルナリー! そうだ、娼婦にでもなりゃあいいじゃねぇか! きっと引く手数多だぜ?」
…………いい加減気分が悪い。
シリウスも苛立ちが抑えきれていないようだ。
どの客も迷惑そうに、あるいは好奇の視線で屑どもを見ている。
「……出るか」
「……ああ、そうだな」
これ以上ここにいてもいいことはない。全く、折角の酒も台無しだ。
俺たちは席を立ち、金を置きにカウンターへ向かう。
──しかし。
移動するにつれて偶然見えた少女の顔を見て、俺は固まってしまった。
「な…………っ! きょ…………う、か………………?」
新しく連載始めました。
必ず完結まで続けます、よろしくお願いいたします。




