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えっ!まさかの『ピンクブロンド枠』なんですか⁉︎

作者: えるぜ
掲載日:2025/12/06


その令嬢の体がぶつかって来た時、私はその瞳の中に申し訳なさと諦めを感じた。

彼女が私にぶつかる寸前、他の令嬢達が彼女の背中を押したのを私ははっきりと見た。

私はぶつかった勢いで自身も転げ落ちる体を柔らかく押し返し、階段の横隅に着地させる。


「いいですか?階段の上から突き落とされた時は………」


ふわりと体を浮かせながら前世の指導を思い出す。


頭を打つのも危険ですが、同様に守らなくてはならないのは背骨です。脊柱の損傷は、ヘタをすると下半身の麻痺にも繋がります。

ですから、体を横に。

肋骨など、何本折れても数ヶ月で固まります。痛いだけですから大丈夫。勿論、骨が内臓への干渉をしないように、柔らかく体を丸めて、くるくると、階段を下へ降りる。

さあ!やってみましょう!


………どういう記憶?

階段から突き落とされる事が日常って。

その指導って何?


私は体を横にしたままくるくるくる、と指導通りに階段の下まで降り、両足で着地した。


「10・00」


訳の分からない声が聞こえた。

声のした方を見上げると、階段半ばにへたり込んだ王太子婚約者の公爵令嬢が、青い顔をしながら、半ば賞賛を込めた目で目で私を見ている。


ああ、思い出した。

私はこの国の王太子妃候補で、王太子妃になって、そして王妃になったんだ。

あれから何年、何十年?何百年も経ったのかもしれない。

私は生まれ変わってまたこの国にやって来た。

着地した両足を踏ん張り、顔を上げる。

長い髪が目の前で揺れた。


「……………『ピンクブロンド枠』かよ……………………」


私はがっくりと肩を落とした。




前世の私の夫は変わった人だった。

なんだろう、ざっくばらん?

人の身分に上下がある事に対して、酷く居心地の悪さを感じているようだった。敬語も丁寧語も嫌い。2人きりで話す時はいつもお互いタメ口だった。


「オマエが婚約者で良かったよ」


…………若い頃の甘い思い出です。

思い出したっていいだろ⁉︎

まあね、繰り返すけど変な人だったけどね。


「王太子の婚約者は、大体、完璧美形なんだ」


それは良かった。

私が婚約者で良かったという事は私も完璧美形なんだな、とふふん、と胸を張ると


「そんなつまらない女じゃなくて良かった。オマエ『おもしれー』枠な」


なんですか、それ。

人生に於いてそんなカテゴライズされた事、一度もないんですけど!


「いや、私、普通に綺麗だと、まあ、そう思うんですけど」


ふふと、当時の王太子が笑う。


「カテゴリあるんだよなー。大体は美形で有能な女が王太子妃、そして王妃になる。だけどさ、色々枠があって」


「枠」


なんぞそれ、と私は思う。


「有名なのは悪役令嬢枠。婚約者が悪役なんだ」


へえ。

どうすんだ?そういう時。


「そういう時は、まあ、悪役令嬢を断罪して、真実の愛とやらを貫くんだけど…………まあねえ、そこまで馬鹿な王太子は時々しか現れない。で、馬鹿だから後になってその令嬢が如何に自分を助けてくれていたかが分かっても、自分が選んだ女がバカだったって分かってももう後の祭り」


それでさ、その馬鹿王子が悪役令嬢、いや、ほんとに悪役なのかなんて誰も分からないよ?でもさ、その令嬢を断罪する時、必ずパートナーに連れている『ピンクブロンド』枠、ってのがあってねえ。


ピンクブロンド枠。

その役を振られるのも大変そう。


………

そこまで思い出した!

え、まじですか、私、この国の王妃を立派に勤め、大往生を遂げた筈ですが、まさかの生まれ変わりが『ピンクブロンド』枠なんですか⁉︎

王太子が婚約破棄を婚約者に宣言する時、腕にしがみついて、体を押し付ける役所ですかあ⁉︎

ピンクブロンドだったこの体の記憶が蘇る。

さっきだってそうだ。王太子の婚約者、ピンクブロンドは頭が空っぽなので名前も覚えちゃいない。使えないな、こいつ。

彼女がが押されて階段を落ちて来たのに、ついさっきまで、そんな事が起こったら王太子様に泣きついちゃおう、てへ、とか思っていたし、ワイングラスを2つ持って、こちらに歩いて来た彼女のドレスの長いトレインを私の目の前で他の令嬢が踏んづけたのだって見ていたのに、大袈裟に騒いで彼女を糾弾した。

…………私も大概だ。


「ああ多分、オレに絡まるピンクブロンドもそのうち出てくるかもしれないけど、当代はそんなにキャラ立ってないから。オレはオマエで十分だし、断罪劇は起こらない。元々頭悪いから大体は大した事言って来ないから。放っておけばいいよ」


かつての夫の言葉が蘇る。


「父上の代のピンクブロンドはそりゃ強烈でさ、危うく真実の愛とやらを貫いて廃嫡寸前」


王子は笑った。

でも、母上、それが『悪役令嬢』枠だったらしくて、何とか廃嫡を免れたんだ。


いや、悪役令嬢は断罪されるんでしょ⁉︎

訳わかんないけど、とにかく最強だったんだろな、私は有能だった前王妃様の姿を思い出して遠い目をする。


階段の半ばで、うすらぼんやりとこちらを眺めている婚約者、この子………悪役令嬢なんだろうか。

そんなふうには見えない。

どちらかと言うと人の良さそうな、けれど随分と貧相な令嬢だった。

体付きも薄いし、お肌や髪のお手入れも今ひとつ。何より、死んだ魚のような目をしたその表情が気になった。


健全な好奇心は健全な瞳に宿る。

私の持論である。

勿論、隣の伯爵夫人の愛人はどなたかしら、そういう下世話な好奇心はそういう光を瞳に宿す。


…………この子、どういう生い立ちなんだろ。


私は、ゆっくりと彼女に近寄った。


「………大丈夫ですか?」


なんとか様、とお呼びすべきなんだろうけれど、ポンコツな頭は覚えてはいない。


「わたくしを助けながらも、見事な着地でございました。10点満点、ウルトラC。アルテガルテン公爵家が長女、ルルシェリアが礼を申し上げます」


鈴を転がすような名前を、なんだかカサついた声が名乗る。

名前、教えてくれてラッキーと思いながらも、この子頭打ったかな?お尻から着地するように気をつけたんだけど、と私は首を傾げる。

この訳の分からなさ、私はよく知っている。


…………前世のダンナ!もとい、王様だ!


「ご無事で何よりでした。

ルルシェリア様のお役に立てた事、心から喜ばしく存じます」


私は、公爵令嬢の横に膝を突き、その手を取った。


「立ち上がれそうですか」


私が手を取った瞬間、公爵令嬢の頬がパッと紅潮し、私を見つめる瞳に命が宿った。




枠には色々ある、と、王太子から王様になって国を無事に収めた王様は教てくれた。

「例えばねえ、子供が全然産まれなくなった時の『多産』枠、とか、隣の国から人質同然に連れてこられた『悲劇の王女』枠」とか。

だから、オレはオマエが婚約者で良かったよ。『おもしれー女』枠と一生添い遂げられなんて、すげえラッキーーじゃん⁉︎」


その言葉通り、王太子は王様になっても、側妃を娶らなかった。

結婚後、相次いで2男1女に恵まれたこともあって、それに対して非難の声もなかった。

王妃様はどうやら『おもしれー女』枠らしい、と家臣に知れたのも王子を2人挙げた頃だ。

けれど私は、つまらない親父ギャグや、オチのない駄話には一切反応せず、冷たい眼差しを送るだけだった。しかし、繰り返される能のない親父ギャグは次第に私の心を蝕み、いつしか私は心の中に1人のオヤジを飼ってしまった。

いけない、親父ギャグごときで受けてはいけない。

年齢を重ねるごとに、笑いのハードルが下がって行く自分におののきながら、私は更に親父ギャグに殺気を込めた眼差しを送るようになっていた。


「おい、オマエ、『おもしれー事を言わないと殺される女』扱いされてるぞ!」


王様は涙を流して笑っていた。

私のどこがそんなに彼のツボに入っていたのか、それは今でも分からない。けれど彼は私1人をずっと大事にしてくれた。


「………………花には水を、妻には愛を、ってね」


何それ、と眉根を寄せると


「…………ぎんざ」


と、また意味の分からない言葉を口にした。


「ありがとう!ボーモン男爵令嬢!私、貴女とずっとお話ししたかったの!でも………何故か上手に近寄れなくて………」


なんだかもじもじしている。

………そりゃあ、あれだけ不器用で、しかも邪魔ばかりされていたらねえ、と内心思う。


「これも何かのご縁。宜しかったらわたくしのお友達になって下さらない?『ピンクブロンド』枠のご令嬢なんて、滅多にお目にかかれないから、どうしたらそんなに天真爛漫で、自由気ままに生きて行けるのか、是非わたくしを助け…………」


そこまで一気に語り続け、ついでハッとしたように口を押さえ、あわあわと口ごもる。


「ごめんなさい、何を言ってるか………分からないわよね」


いや、分かるんだけど、それを何故貴女が知っている。それに、そのつもりはなくてもさりげなくディスられている感も否めない。

まあいいか、と私の中のおやじが呟く。



訳わかんない事言う人の相手は慣れてるからね………

それよりも、私は彼女の瞳の煌めきが気になった。

これはまさか、伝説のあの枠!







「王太子殿下」


私は、公爵令嬢を伴って、いつもぶら下がっていた王太子に向かい合う。

ああ………黒歴史だ。

それがピンクブロンドの定めだとしても、はいはい、庶民から男爵令嬢になって舞い上がり、キャッキャうふふしていたとしても、してしまった事はなかった事には出来ない。

辺りを見回せば、宮殿のそこかしこに見慣れた調度品もある。

何十年、何百年先かは知らねども、あんた、私の子孫なんでしょう⁉︎なにピンクブロンドなんかに引っかかってんのよ!と王太子を見つめる。

それから、王太子に向かってカーテシーをご披露。

私のカーテシーを見て、一部の貴族から、ほう、という言葉が漏れる。

体幹には自信があるんだよ、体幹には。

王太子妃から王妃へ。

王妃になってからは他者に礼を尽くす事は殆どなかったけれど、体が覚えている。

……………練習は裏切らない!


前世とは若干違う体型を調整する。


骨盤の上に肩、肩の上に頭。胸を開き顎は軽く引いて首の後ろを伸ばす!

頭頂から体の重心に焼き鳥の串が刺さっていると思え!

……………ちなみに焼き鳥とは夫が好きだった珍妙な料理である。


「ルルシェリア様はご体調が優れないご様子。今日の所は私が随伴してお屋敷までお送り致します。何か私にご用があればですが………」


親父ギャグオヤジを見つめ続けた必殺の眼差しを向ける。


「………後日でよろしゅうございますね⁉︎」


ございますか、とも尋ねない。

お前に決定権はないんだよ。

いきなり変わってしまった私の雰囲気に、王太子が唇を震わせている。


「君、その………頭でも…………」


打ってないわ、ボケ、と私は心の中で悪態をつく。

そして、ルルシェリアを庇うように腕を添え、後ろを一顧だにせず出口へと向かった。



「…………助かりました」


ついうっかり、王妃時代の癖が出て鷹揚に頷きかけたけれど、今は彼女の身分の方が遥かに上だ。


「あのままだと、わたくし、貴女を階段から突き落としたと誤解されて、婚約破棄からの断罪ルートまっしぐらでしたの。ごめんなさい、訳分からない、ですよね?」


うーん、あの王太子がそんなにいいか?と思わないでもないけれど、こちらも変人と添い遂げた記憶がある。私の好みが世間一般から外れてしまっている可能性も否めない。そして、訳は分かっているから大丈夫。キニスンナ。


ふう、とため息をついてルルシェリアがその豪奢な公爵家の馬車のクッションに凭れ掛かる。

いかんな、と私は眉を顰めた。

椅子でも、クッションでも、そこに背を預けてはいけない。貴婦人たるもの、常に背筋を伸ばして、背もたれと自分の間にピンと張った空気板を作るべきである。

………姿勢からか。

道のりは遠い、けれどもしこの子があの希少枠ならば、やりこなすだろう。


「ルルシェリア様、貴女は先ほど私の事を『ピンクブロンド』枠、と仰いましたね。それでは、貴女様は、一体どう言った枠で…………」


そう言った瞬間、ルルシェリアは顔を真っ赤にさせて、それからみるみるうちに目に一杯の涙を溜めた。ころりころりと、涙の粒が頬を伝う。


「訳の分からない事言ってごめんなさい。でも………わたくし……わたくし、いいえ、わたしは」


一人称が私になった。


「モブなんですう!枠にも入っていない!道端の雑草、壁の花柄、カトラリーなら、ソルベがなければ忘れ去られるデザートスプーン!有象無象のその他大勢!」


わっ、と一際大きな嗚咽が漏れた。


「き…………気づいたら公爵令嬢になっていて、しかも王太子の婚約者で。私なんて………私なんて、スマホとお菓子だけが友達の陰キャだったのに!」


リア充爆発しろ!

最後はもうよく分からない。

爆発って言うからには、新式の銃か?


そのズレっぷりがおもしれーんだよな。

かつての王様の声が響く。

公爵令嬢は最早錯乱状態、公爵家に辿り着いても、では私はこれでと退去出来る雰囲気ではなかった。

令嬢は馬車から抱き抱えるように降ろされ、侍女達に両脇を支えられ、ヨロヨロと屋敷の中に入って行く。

私は、脇汗をかいていそうな執事によって、客間へと案内された。

すぐに紅茶が出され、それから程なく、殆ど待たされる事なく同世代と思われる男性が部屋に入って来た。


「ボーモン男爵令嬢、今日は本当にありがとう。妹が階段から君を道連れに落ちた事、その後、場を収集してくれた事、それから…………」


と、彼は苦しそうに声を絞り出した。


「妹の奇行を見逃し、家まで送り届けてくれた事、全てに感謝する」


「アリシア、とお呼び下さい。そして、そんなに大した事はしていませんのよ。勿論、ルルシェリア様のご容態は心配ですけれど」


「アリシア…………君は随分と懐の広いご令嬢だな。私達家族は、変わってしまったルルシェリアをどう扱って良いのか、未だに分からない。毎日満足に食事も摂らず、身の回りにも気を遣わなくなった妹に対して、家族全員が、まるで腫れ物に触れるように日々を過ごしている」


……公爵令息だな、普通誰でも自分の名前くらい知っていると思っているな。だから名乗りもしないな、困ったもんだ。


「………いつから、ルルシェリア様はあのように」


公爵令息だから、多分領地一部の中の爵位を持っていて、うんたら伯爵とか呼ぶのが筋なんだろうが、あんぽんたんな頭の中にはその知識はない。


「一年程だっただろうか」


小さくため息を漏らす。


「最初は、確かに変だったけれど、元気ではあったんだ。『ひょほー!陰キャが転生したらまさかの公爵令嬢!』とか『お兄様は氷の騎士と呼ばれるフリーズランド伯!でも妹への溺愛が止まりません!』とか、まあ、確かにテンションはおかしかったけれど………」


おかしすぎだろ、その辺でやばいと気づけよ。

でもまあ、名前ゲット。その辺は評価する。


「おかしかったけれど、その頃は言っている事はまあ真実だったから、多分、王太子の婚約者になった事で、自分を鼓舞しているんだろうとか、もう少し積極性を持とうと自覚したんだろう、とか、その、前向きに解釈を………」


前向きすぎる。

もっと裏を読め。


「フリーズランド伯爵様」


「あ、いや、私の事も良ければ名前で。オーレリアスと」


「分かりました。オーレリアス様。その頃は、と仰いますと?」


「半年程前か、市井に育った令嬢が実はとある男爵の娘だった事が分かり、社交界にデビューした」


オーレリアスは私をじっと見つめた。


「…………ピンクブロンド………」


ええ、そうですがそれが何か?としらばっくれたけれども、背中を嫌な汗が伝った。


「その頃からだんだん言っている事が現実離れして来たんだ。『ピンクブロンド』枠が来ちゃった!もうダメだ、もう嫌だ。私はこの世界の人間じゃない。王太子妃になんかなれない。きっと断罪される。

…………王太子との仲はそれ程親密ではなかったけれど、変わってしまう以前の妹は、優しくて思慮深い娘だった。いつかお互いが思いを寄せ合う日が来るのではないかと思っていたのだけれど………」


オーレリアスは両手で顔を覆った。

テーブルに肘を突き、ひょっとしたら泣いているのかもしれない。ルルシェリアが舞い上がって自分で言っているくらいだから、彼は妹を溺愛していたんだろう。


「それでも、ルル………いや、ルルシェリアは何とかしようともがいていた。元々細身だったけれど、食事も満足に取れず、身だしなみにもあまり頓着しなくはなって来ていたが、君と、友達になりたいと言い始めたんだ。

正直、最初はあれほど恐れていて、しかも、失礼ながら一介の男爵令嬢と友人になって、一体何を目指していたのか皆目見当がつかない。君には、何か思い当たる節はあるだろうか」


ああ、あの必死の作り笑顔でワイン持って来た時も、私と話したかったのか、と私は軽い後悔に苛まされる。


「酷いわ!こんな事をなさるなんて!私、もう恥ずかしくて皆様の前に出られないわ!」


死ね!そう言う事言った自分死ね!


「多分…………ルルシェリア様は、ご自分が婚約破棄されるとしたら、その原因は私にあるとお思いになって………なんとかその流れを止めたかったのではないでしょうか」


オーレリアスが不思議そうな顔をする。


「君にそんな力がある、と?」


「ええ、何しろ私『ピンクブロンド』枠ですので」



そして、貴方の妹は、伝説の希少種

『磨けば光る珠』枠ですよ。


ピンクブロンド枠、と堂々と言い放った私にオーレリアスがほんの少したじろいだ。


「と………とにかく、今晩はもう遅い。両親もまだ宮廷に残り、君にお礼の一つも言えないままだ。妹も、このまま朝を迎えて君に対する失礼を思い出したらどうなるか分からない。君の家には既に使いを出してある。良ければ………今晩は我が家に泊まって行ってはくれないだろうか」


父親である男爵は、善良ではあるが一部計算高い面も持ち合わせている。公爵家とのツテが出来る事にやぶさかではないだろう。

ようございましょう、と言いかけて言葉を改める。


「ご配慮ありがとう存じます。では、お言葉に甘えさせて頂きます」



湯浴みをさせて貰い、新品の下着や夜着に着替えて、私はぽふんと用意された客間のベッドに横になった。見事な調度も、快適なベッドもひどく馴染む。思えば結婚前は私も別の公爵家の令嬢だった。


「………公爵家か………。何もかもが皆、懐かしい」


ちなみに何もかもが皆懐かしい、も夫の口癖だった。いや、ちょっと違ったかな?何もかもが皆、ナツカシス?


「それでさ、伝説の『磨けば光る珠』枠、ってのは、300年とか、500年に1人くらいしか現れないんだよ。何しろ磨かれてないからね、まず見た目があまり華やかじゃない。だからそもそも候補にすら上がらない。それでも、自分を磨いてくれる相手を見つけられた瞬間、その瞳がパッと輝く」


パッと輝いてたよなあ………

と、私は先ほどの階段での邂逅を思い出す。


「瑠璃も玻璃も磨かなきゃ光らないからねえ。それでさ、磨かれた暁にはへんっしん!ある娘は、今でも語り継がれる大聖女にメタモルフォーゼしたし、ある娘は無詠唱で魔法を唱えられる大魔法使いにトランスフォームしたし」


なんかよく分からないけれど、とにかく凄いんだろうな、と思ったっけ。

多分、元々の公爵令嬢は『枠』とは関わりのない家柄の釣り合った、穏やかで優秀な、悪く言えば無難な令嬢だったに違いない。

それが、なんだかよく分からない娘に、なんだろう、憑依?とにかく体を乗っ取られてしまったらしい。


…………ひょっとしたら、元々の娘も、王太子の婚約者が嫌でたまらなかったのかもしれない。逃げたい、と心の中で思っていたのかも。まあ、あれじゃあねえ、と思う。

そして、自分はもぶ?とか言うあの娘も磨いて光れば、王太子妃になどならなくても、自分の力で生きて行ける。


愛を持って磨かなきゃいけないんだよ?

見つかっても、成功率は更に低い。


やってやろうじゃありませんか。

自身も虫の息で、車椅子に乗りながら、同じく虫の息の王様を見舞った。


「『おもしろき こともなきよを おもしろく』って死に際に言われたらどう返す?」

「そんなの、自分で面白い事見つければいいじゃない」


そう言ったら、王様は笑った。


「近い。悪くないな」


じゃあ、またな。

それが最期の会話だったっけ。

ちょっと涙ぐむ。

あの娘が何に化けるのか見届けたい、と私は思った。


翌朝。

まだ陽も昇らない、朝食前の時間に、ルルシェぇリアが部屋にもんどりをうって闖入して来た。こちらはまだゆっくり眠りたい、もしくは二度寝を決め込む時間帯だ。


「昨晩は、ほんっとうに申し訳ございませんんでしたあああ!」


いや、あなた、公爵令嬢でしょ。その、五体投地みたいなの、やめてくれないかな。


「ルルシェリア様」


声をかける。


「あの、もし良ければ、ルルと」


「そうですか、では私の事はアリスとお呼びください」


時間で言ったら王妃が長かったけれど、喫緊の記憶では、私は街でアリスちゃん、と呼ばれていた。


「アリス!アリス様!なんて素敵な名前。きっと不思議の国から私を救いに来てくれたんですね!」


まあ、ある意味不思議の国からやって来たとも言える。


「救う、と仰いましたが、ルルシェリア様は私に何を望んでいらっしゃるのですか?」


寝起きにハイテンションをぶつけれれて、私はいささかご機嫌が悪い。


「ルルって呼んで下さい!私………私、本当は公爵令嬢なんかじゃないんです!生まれも育ちもど庶民!家から歩いて行けるのは雑貨屋みたいなコンビニひとつの田舎町に生まれて、徒歩圏内の小中高、スマホとお菓子さえあれば十分だったのに、気づいたら………お嬢様になってて!しかも、王太子様が婚約者で‼︎」


しかも…しかも………と続ける。


「王太子様って、全然私の好みじゃないんですうう!」


『コンビニナツカシス』


令嬢の絶叫が、王様の口癖を思い出して感慨に浸っていた私の耳朶を打った。


「………こんびに、とやらはともかく。私がルル様、失礼ながらそう呼ばせて頂きますね。ルル様を助けられるという確信は一体どこから」


「それはもちろん!アリス様に穏便に王太子様の婚約者になって頂くんです!何しろ

ピンクブロンドですからね!これはもうお約束。実際、王太子様はアリス様に夢中だし、アリス様だって、満更でもない、って顔してしがみついていたじゃないですかあ!」


そう言ってルルシェリアはげふふと笑った。

痛い。

そこを突かれると痛い。勿論、アリシアの記憶はきっちりと残っているから穴を掘って入りたい。

だがその笑い方はいかん。


「ですからね、私達お友達になって、最初はまあ3人で穏やかに過ごしつつ、王太子様とアリス様の間にいつしか真実の愛が生まれ、私はお二人の幸せを祈って静かにフェードアウト、と言った筋書きでひとつ」


断罪されて国外追放とか修道院入りとか、最悪処刑とか、そういうのだけは勘弁してくださあああい!


…………王様以上に変人だ。ここは対応に悩むところである。


「…………お友達になるのは結構ですけれど、ルル様は退場なさった後、どう過ごされるおつもりですか?」


「え…………まあ、お菓子があれば幸せですから、せっかくお金持ちの娘になったんだからぐうたらと自宅警備員的な?暮らしが出来れば、と」


だめだこりゃ。

キラキラ光る眼差しで自宅警備員希望と語る希少種。これは確かに磨かれなければただの石ころに過ぎない。でも、なんだか憎めない。身分差を全く気にしない懐かしい態度には好感が持てる。


「…………分かりました。でもひとつ条件があります」


不思議そうな表情で首を傾げる。


「この先、独り身で過ごすのも、ひょっとしたらどなたかと結ばれるのもルル様が決める事です。でも、自堕落に漫然と日々を送る事は許されません。いえ、私が許しません。どちらの道を歩まれるとしても、ちゃんと自立した大人にならなければいけません。先ずは、この家の娘であれば当然の教養を身に付けて頂きます。いいですか?よく聞いて下さい。貴女は『磨けば光る』はずです」


「ひいいいっ!『何故かピンクブロンドが公爵令嬢に説教をして来ます』」


「何ですか、それ」


「…………ラノベのタイトルふうに…………」


何言ってんだ、この小娘。


「らのべでも何でも構いません。これから毎週末、こちらでお世話になります。お友達なんですから良いですよね?そして、貴女を仕込み直し、ご両親、そしてお兄様を安心させましょう。淑女然として、次の段階はそれ以降です」


「あの、ちょっといいですか?先生」


おずおずとルルシェリアが手を上げる。


「その………アリス様だって、つい最近まで下町で育って………マナーも何もなってないって評判の………」


「黙らっしゃい!」


私はぴしりとルルシェリアを指差した。扇子が欲しい。

…………他人を指差ししてはいけない、と後で教えなければいけないな。


「貴女が突然公爵令嬢になったように、私も階段から落ちた事でトランスフォームしたのです。私はかつての私ではありません。ですから、今週末からびしびしとしごかせて…………否、磨かせて頂きます。ご両親には貴女からもお話を」


「………はい…………」


と、ルルシェリアが小さな声で返事をした。


身支度を済ませ、ルルシェリアと共に朝食が用意されるというモーニングルームに向かう。ドアが開かれると、そこは明るい朝の日差しがボイルカーテン越しに注がれる居心地の良さそうな部屋だった。

私達が入室すると、既に着席していた3人が揃って立ち上がる。


「昨晩はご挨拶もせず、勧められるままに逗留いたしました事、申し訳なくも有り難く存じます」


礼を取りながら口上を述べる。

顔を上げると、3人が一様に驚いたようにこちらを見ている。


「…………ルルシェリアの父だ。こちらこそ、息子から聞いてはいたが、昨晩は娘が大変なご迷惑をおかけしてしまった事、心より申し訳なく思う」


「いえ、お互い怪我もありませんでしたし、あくまでも事故です。どうぞお気になさらずに」


軽く会釈を返すと、上品な、けれどどこかやつれた雰囲気の婦人が言葉を繋ぐ。


「ルルシェリアが………きっと、おかしな話をしたと思うのだけれど、気に病まないでね。ここのところ………王太子の婚約者だという負荷が心に溜まってしまったようで………」


「母上」


と、オーレリアスが小さく震えたその婦人の肩を優しく叩いた。


「昨晩もお話ししたように、アリシア嬢には全てを伝えてあります。彼女は、この荒唐無稽な話を受け入れてくれました。ですから、久しぶりにゆっくりと朝食をとりましょう」


家族の中で問題が煮詰まってしまった時、そこに信頼出来る第三者が介入する事で解決の糸口が見つかったり、緊張が解ける事がある。全員にほっとした空気が流れて、和やかに朝食が始まった。


「それにしても」


と、口にしたのはオーレリアスだった。


「アリシア嬢は、噂とは随分と違う印象のご令嬢ですね」


公爵と夫人が顔を見合わせて軽く頷き合う。

噂、がどんな物かは大体予想がつくのでそこは深く掘り下げない。


「人の噂などあてにはなりません。例えば、ルルシェリア様が最近どう噂されていても、皆様方には愛しい、可愛い令嬢であるように」


あ、やば、ちょっと嫌味に聞こえたかな。でも、彼らには1番納得し易い流れだろう。


「ただ、ルルシェリア様のご様子には、私も少々懸念を抱いております。ルル様は………あ、申し訳ありません、昨晩語り合って、そう呼んでも良いと仰って頂きまして」


さり気ない仲良しアピール。


「ルル様、皆様が想像されている通り、王太子妃になる事に大変な重圧を感じていらっしゃるご様子。そしてそこから逃避されるために、わざとご自分の世界を本来いる世界ではないと演じてしまっているのではないでしょうか」


私は「わざと」の部分を強調した。

公爵が、ハタ!と膝を打った。


「そうか!………わざとだったのか。そんなに辛い思いをしているとは思い至らなかった。蒙昧な父を許してくれ」


「わたくしもです。思えば、貴女は元々内気で、王太子妃、ひいては王妃としての道はさぞかし遠く果てない道のりに思えた事でしょう」


「そして、その気持ちを語り合う友人もいなかった………」


ナイス!オーレリアス。さあ、はい、次はお前だルルシェリア。


「そうなんです!昨晩はアリス様と…………思う存分心のうちを語り合えました。今日はまるで夢から醒めたようにはっきりとした気持ちです。お父様、お母様、そしてお兄様、今までご心配をおかけして、本当に申し訳ありません」


公爵夫人の目に涙が浮かんでいた。


「わたくし、お友達が欲しかったんです。寄り添い合い、助け合い、時には慰め合える」


そうかそうか、と3人が頷いている。


「それで………もし良ければ、毎週末アリス様に我が家を訪って頂きたいのです!」


「いや………それは願ってもない事だけれど、アリシア嬢にはご迷惑では」


お願い、来てやって、と目で訴えながら公爵が尋ねた。


「いえ………私の生い立ちはご存知だと。本来ならば公爵家を訪問する資格などございません。けれど………私も昨晩ルル様と語り合い、ここに心の友がいた、と直感したのでございます。また、私も市井の育ち。こちらでルル様からその教養を学ばせて頂ければ、こんなに嬉しい事はございません」


ほう、と公爵夫人が息を吐いた。


「どうぞお願い致します。ルルに………自信を持たせてやって下さいませ。王太子妃の件は………私どもは無理は申しません。ただ、今はルルに寄り添って下さる友人が必要なのだと、今朝のルルを見て痛感致しました」


こうして言質は取った。

朝食後、別れを惜しむルルシェリアに「今週末にまた参ります。それはもうきっちりべったりと。お と ま り で」と耳元で囁く。

何故かルルシェリアの頬がぽっと赤くなって、目がキラキラと輝いた。


「お待ちしております」


はにかむように微笑む。

その微笑みが週末にも保つかどうか、私はくすりと笑って馬車に乗り込んだ。






「姿勢っ!」


週末、嬉々として私を迎えてくれたルルシェリアは、こっちこっち、と私の手を引かんばかりに自室へと招いた。


「みんな張り切っちゃってね!ほら、お菓子もこんなにたくさん。さ、座って一緒に食べよ!」


『皆が力を尽くしてくれました。甘味もございますわ。どうぞおかけになって。一緒に頂きましょう』


無表情に棒読みをする。


「復唱!」


「ひゃっ、ひゃいっっ!」


み……みなが…、と一生懸命に繰り返す。素直で可愛いんだけれど、それだけではダメなのだ。少し涙目になりながら、ルルシェリアはソファに座ってお菓子を…………

そこで話は冒頭の私の一括に戻る。

驚いたのなんのって、ルルシェリアは、ソファの上で膝を抱え、背中を丸めて、お菓子のトレイごと掴んで離さないではないか。

私はトレイを取り上げてサイドテーブルに戻した。


「甘味は後です。貴女は体幹がぐにゃぐにゃ。なっていません。本来その体は、きちんとした姿勢を保ち、長い時間をかけてインナーマッスルを鍛え続けていた筈。いいですか?筋肉は1日怠ければ自分に分かり、2日怠ければ家族に分かり、3日怠ければ周囲にも分かってしまうのです。そんな生活を1年も⁉︎いけません。まずは体幹トレーニングから始めましょう」


「ひいい!『ピンクブロンドがまさかの脳筋バカだった件』」


だかららのべとやらはいいんだよ。

私はルルシェリアの横に座った。


「今日は座ったままで良いでしょう。まず、座る時は骨盤を立てる。おへそと背骨を近づけるイメージで腹筋を使います。骨盤の上に肩!はい!下向かない!見えないからってまさか膝開いたりしてないでしょうね」


ギョッとしたように狼狽えたルルシェリアのスカートが微妙に動いた。


「とりあえず30分、その姿勢で軽くおしゃべりでも致しましょう」


「こんな格好でおしゃべりなんて出来ないですうううう!」


「そうですか。そう、ではご自分を舞台女優か何かだと思って下さい。その役になりきるのです」


ルルシェリアはしばらくの間へのへのもへじのような顔をしていたが、やがて顔を上げた。その表情はキリっとし、姿勢にも変化が見える。


「分かりました!アリス様。的確なアドバイスをありがとうございます。わたくし『私、失敗しないので』系で行ってみようと思います」


………いや、さっきから失敗ばっかりよね、何とも高い目標を掲げたものだ、とは思ったけれど、彼女がそれで自分をイメージし易いのならそれも良しとしよう。


「では雑談でも致しましょうね。そうですわね………以前ルル様は、王太子様の事を好みではない、と仰いましたが、あの発言は不敬です。他の人の前では絶対言ってはいけませんよ」


「確かにそうですね。けれどもあのお顔の造作、わたくしの目から見るとまるで作り物。どこをどう削ってどう高くしたらこうなるか、と、つい外科的な気持ちで見てしまいます。あれほどの完璧な左右対称、却って失敗してしまったかのような」


まさかの外科。

面白いなあ。何になりきっているんだろう。

表情に出てしまったのか、ルルシェリアが慌てたように言った。


「あ、でもわたくし、アリス様のお顔は好きですわ。アリス様もお綺麗ですけれど、何というか………わたくしを見る目に愛がございます」


「そうですか。それは何よりです。それでは明日からは床を使っての体幹トレーニングを始めましょうね。大丈夫です。そこに愛はあるのですから」


ひい!とまたらのべたいとるとやらが羅列されたが、どうにかこうにか彼女は30分を乗り切った。

そして淹れ直して貰った紅茶とケーキでティータイムを迎えたが、そのカトラリー捌きもなかなか堂に入っている。

デザートナイフを取り上げ「メス!」とキリッと呟いた以外は合格点だろう。


数週間の体幹トレーニングと散歩、食事の改善とお肌のお手入れで、ルルシェリアは見違えるようにいきいきと変わって行った。私はずっと「貴女は磨けば光る。やれば出来る子です!」と応援し続けたが、元々の資質と今の素直な性格が幸いしたのか、私がいない日も積極的に自主トレーニングをしていたらしい。

マナーについても同様で、母親の所作を見習うようにしている、と恥ずかしそうに言っていた。


…………が、今のところまだ磨かれて聖女様になったりする気配は見られない。


「とまあ、悩んでいたところでしょうがないので、今日からはダンスのレッスンを致しましょう」


私達はボールルームで向き合った。

姿勢も良くなった、体幹も取り戻した。けれど、ど庶民だったというこの娘は踊れるのだろうか。


「大丈夫です。わたくし、失敗しないので」


心持ち固い表情でルルシェリアが頷く。


「それでは先ず基本のステップから。私と同じ動きをして下さい」


そこからは怒号が響き続いた。


「違います!横を向く時目玉だけで向くのではありません!頭ごと!右を向いたら左の首筋を伸ばす!違う!右の首筋を縮めるのではなく!右はそのまま!左を更に伸ばす!耳の後ろから鎖骨へと向かう胸鎖乳骨筋を意識!鎖骨開いて!肩巻かないで‼︎腹から反らない!腰痛めますよ!コルセットの上部、鳩尾の上から反るイメージ!その流れを頭まで!」


……………息が切れてきた。

まだステップひとつ踏んでいない。姿勢からこれか、と目の前が暗くなる。

そもそも、ダンスには相手がいる。相手が上手ならば姿勢さえきちんとしていればパートナーがリードしてくれるだろう。

しかし、悲しいかな、前世の私に比べて今の私はヘタをするとルルシェリアよりも小柄だ。リードは出来るが、バランスが取りにくい。

そこへ、小さな笑い声が届いた。


「…………宜しければ、お手伝いさせて頂けませんか?」


オーレリアスに会うのは久しぶりだった。


「お久しぶりです、アリシア嬢。貴女が妹にしてくれた事は、逐一母から聞き及んでいます。私も、こんなに元気になった妹を見て、感謝の念に耐えません」


それにしても、ダンスレッスンには難航されているご様子、自分で良ければパートナーを務めさせて頂きたい、と続ける。

さっきの私の絶叫を聞いていたんだろうな、と思うが構わない。使えるモノは親でも使え。


「分かりました。とてもありがたいお申し出です。ではルル様、オーレリアス様と私が簡単なワルツを踊りますから、まずはそれをご覧頂いて、次はルル様が」


私は差し出されたオーレリアスの手を取った。


踊り始めて数拍で、オーレリアスが不思議そうに首を傾げた。


「アリシア嬢、貴女はずっと市井で育ち、宮殿に上がったのも半年ほど前だと聞いていたのだけれど…………』


見事な足捌きですね、と感心したように呟く。

当たり前だ、小童が。

こちとら、踏んで来た場数が違うんだよ、場数が。

そう思いながらも、私は不用意にオーレリアスに密着しないように気をつける事に精一杯。巨乳には巨乳の悩みがあるんだな、と過去それを武器にしてきた事には目を瞑って嘆息した。


「……………素晴らしいですわ!アリス様!ダンス教授戦があったらもう教授間違いなし!」


また前世の旦那のような訳の分からなさ。

き…………嫌いじゃないけど。


「では、次はルル様。良いですか?ご自分で下手に動こうとしない事。水で一杯の大きな皮袋があって、しかもそれが勝手に動いたら、一緒に踊り易いと思いますか?それなら石柱と踊った方がずっとスムーズです。大事な事は体軸。オーレリアス様のリードはお上手ですから、体軸をしっかり持って。そして視線を合わせて相手の動きを感じるのです」


考えるな!感じろ!


………懐かしいなあ。


そして毎週末のプログラムにダンスレッスンが追加された。

オーレリアスも、時間が許す限り付き合ってくれている。

そして、聖女の気配はまだない。

最近私は、それでも良いか、と思うようになって来た。

陰キャなんですう、と泣きじゃくっていた彼女は少しずつ自分に自信を持ち始め、また私が距離を置いた事で、王太子からの絡みも少なくなり、最近は、変わったルルシェリアを尊重するようになって来ているとも聞いた。

好みじゃなくても大事にされれば生まれる愛もあるかもね。

そんなある日、それは突然やって来た。


その日私達は日課の散歩に出ていた。

ほんの少しの日焼けは健康的だし、と思っていたがその日の日差しは妙に強い。私達はパラソルを広げた。否………私は広げかけて、閉じて、また開いた。


「…………ねえ、ルル様」


私は再び閉じたパラソルを左右に振った。

ルルシェリアが、ん?と首を傾げる。


「とうきょうロンド、という輪舞曲をご存知?」


いや、それ違う節子!と言ってルルシェリアは大笑いをして、しまいには半泣きで手を打っていた。

ああ…………全く同じだ。

私に傾けたパラソルを開いて閉じて彼は歌った。


『踊りおーどるなーら、ちょいととうきょうおんど』


その時、縋るような悲しい目をされて、私は何かに導かれるように『あ、ヨイヨイ』と合いの手を打ってしまった。


「それでその、とうきょうロンドと言うのは一体どう言う円舞で」


当時王太子だった王様は両手を叩いて泣き笑いをして


「ああ、まあ輪になって踊ることもあるからロンド、って言えばロンドだな」


やっぱ最高だよ、オマエ。


そう言って真顔になった彼は「アレクサンドラ、私と結婚して欲しい」と言ったのだった。


「まあ確かに、輪になって踊ったりしますけれど、それは音頭ですよ、アリス様」


泣き笑いをしていたその瞬間、彼女の体が瞳と同じペリドット、綺麗な黄緑色の光に包まれた。

本人は意識していないらしい、まだ泣いている。やがて……………光が収まったその時、ルルシェリアの表情が変わっていた。


「アリス様!わたくし分かりました!何のために生まれたのか、何をしたいのか、何故この世界にやって来たのか」


ついに来たか!

聖女の覚醒、あるいは大魔法使い?無双の錬金術師⁉︎


「わたくし、お菓子屋さんになりたいんです‼︎」


はあ?と、私はずっこけそうになった。

これだけ努力して、磨けば光ったのに、お菓子屋さん?


「いいですか、この国の、いえ、この世界のお菓子文化は遅れています。わたくし、思い出しました。小さい頃はケーキ屋さんになりたかったんです。わたくしの町には一件小さなパン屋さんがあって、そこのケーキを食べる事が何よりも楽しみでした。けれど、その小さなお店の跡取りだった息子さんは都会で就職され、年老いたご店主はお店を畳んだのです。思えば…………あそこのケーキを食べられなくなった頃から、わたくしは陰キャになっていったのですわ」


ソウデスカ、ソウナンデスネー、と私は虚空を見つめる。


「わたくしは、この国のお菓子文化を発展させるためにここに遣わされたのです。前向きに考えましょう!きっとこの体の本来の持ち主は今日本のJKを満喫しているに違いありませんわ!わたくしと同じくらいのご苦労はされているかもしれません!でも、わたくしが今ここに使命を感じているように、きっと有能だったと言う彼女ならご自分の立ち位置を確保し、いずれ頭角を現すに違いありませんわ!」


何その願望ダダ漏れ。

まあいっか、と私は苦笑して思った。

ねえ、何百年に1人の『磨けば光る珠』枠に私は出会ったよ。そしてね、磨いたらお菓子屋さんになるんだって。

きっと、伝説のお菓子屋さんになるんだろうね。

いつか、再び夫に巡り逢ったらそんな話をしたい。

ルルシェリアは、目の前に両手をかざしている。


「凄いですわ!作りたい物のレシピが目の前に浮かびます!さあ!アリス様、厨房へ参りますわよ!」


いきなり厨房に現れた公爵令嬢に使用人達はどよめいたが、その奇行を止められる者はいなかった。


「…………凄い」


私はルルシェリアの目にも止まらぬような素早く正しく美しいお菓子作りの様子に目を見張った。


「その………前の世界でもお菓子を作っていらっしゃったんですか?」


「いえ、専ら食べるだけでした。けれど体が勝手に動くのです。こうすれば良い、あれが必要だと分かるのです」


暑いオーブン、しかも燃料は薪という難しさをものともせず、額にうっすらと汗をかきながらルルシェリアは出来上がった焼き菓子を私に差し出した。


「型がないのでセルクルで焼いてみました。わたくし的には納得は行っていませんが、どうぞ、アリス様に最初に召し上がって頂きたく」


ふぃなんしぇにございます、とルルシェリアは言った。




美味しかった。

この国のお菓子は未熟だ、洗練されていないとルルシェリアが言うのも尤もだ。


「わたくし、王太子の婚約者は辞退致します。そして、家で小さなお菓子屋さんになります」


いや、そんなに簡単じゃないでしょう、と思ったが、ルルシェリアはにんまりと笑った。


「王妃様は………大層な甘党でいらっしゃるんですよ」


何だか覚醒したら性格まで変わってしまったようだった。

それから、彼女の思う通りに話が進んだ事にはもっと驚いた。


「それでですね、わたくしの作ったお菓子、特に生菓子。日持ちのしないものですわね。王妃様はお口にされてカッと目を見開きましたわ。『これは…………文化であり、同時に取引材料にもなり得る。この甘味を求める諸外国は多い事だろう』と」


ですから、申し上げましたの。

わたくしはこの甘味をもってこの国の支えになりたい。ついては、王太子妃と甘味作りの両立は難しい。わがままをお許し頂ければ、甘味作りに専念したい、と。


ソウデスカ、ソレデトオッチャッタンデスネー。

私は再び天を仰いだ。


「もちろん、日持ちがして美味しい物もたくさんありますのよ。和三盆で作った口の中で蕩けるような落雁も是非召し上がって頂きたいですわ」


残念ながら和三盆が手に入らないので、まだ先の事になりそうですけれど、とルルシェリアは言った。


驚いた事に、籠絡されたのは王妃様だけではなかった。

まさかの王様、王太子様まで甘党だったのだ。


「ルルシェリア、一時の気の迷いで其方を蔑ろにした事、心から詫びる。どうか一生、私の側で甘味を作ってはくれないだろうか」


ですって!

気持ち悪いですよね!とルルシェリアはプンプンしている。

その他、王様とは歳の離れた王弟陛下。


「国内外、どこへでも一緒に行こう、そして甘味を味合おう。一度口にした甘味を再現できると言う奇跡を是非私に見せてくれ!」


「私は爵位は低いです!けれど、実家は手広く商いを行い、貴女が必要とする全ての素材を集められる!」


そんな侯爵子息。

王太子が美形なら王弟も美形。侯爵子息もご同様。髪や瞳や羅列しなくてもそこはご考察頂きたい。


「何なのかしら、本来ならピンクブロンドに集る筈のイケメン枠がみんな甘党でわたくしに寄って来ますのよ」


ルルシェリアが心底迷惑そうに言った。

それはそうだ。

ピンクブロンドのボンキュッボンより、美味しいお菓子を作ってくれる令嬢の方が何倍もありがたい。私が男でもそう思う。


「まあ、それはさておき」


ルルシェリアは、毎日3時に私に甘味を届けてくれる。


「この力、凄いです。今日の甘味は10年前に閉店した銀座のレストランの名物スイーツ。このレシピも再現できて作れちゃうなんて信じられない。本でしか読んだ事なかったんですけれどね」


「ぎんざ」


それは場所の名前だったのか。


「ナポレオンパイにございます」


ルルシェリアが部屋を去って、私はそのパイにさくりとフォークを入れた。


「……美味いな」







パイのバターか、なんだかしょっぱい感じがするのは気のせいだろう。
























長い間読み専でした。

先輩諸兄の描かれる令嬢に笑い、涙し、感動致しました。

調子に乗って一作書きました。

評価やリアクション、誤字報告頂ければ幸いです。

お目に留めて下さった皆様、ありがとうございます。

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