第2章 諸行無常 その4
着替えを終えた陽翔は、シャツの襟元を整えながら校舎の廊下を歩き出した。
生徒会室へ向かう途中、窓から中庭がふと視界に入る。
その一角で、誰かがしゃがみ込んでいるのが見えた。
白銀の髪が、夏の陽射しにやわらかく揺れている。
天音だった。
人通りの少ない中庭の花壇。
陽射しが落ちる静かな場所で、彼女はひとり、膝をついて土に触れていた。
小さなスコップで土をならし、花の根元を丁寧に整えている。
足元には、水をたっぷり吸った鉢植えがいくつか並び、横には霧吹きと小さなバスケットが置かれていた。
陽翔は足を止め、中庭へのドアを押し開ける。
開け放たれたガラス戸から、外の空気と土の匂いが流れ込む。
「おーい、天音!」
陽翔が声をかけると、天音の指先がぴたりと止まる。
彼女はそっと顔を上げて陽翔を見やり、陽の光を受けて白銀の髪がきらりと揺れた。
その瞳は、水面のように澄んでいた。
「……どうも」
短く、それでもたしかな声音だった。
天音は軽く頭を下げると、また花壇に視線を戻す。
「この時間の中庭、こんなふうになってるって知らなかったよ。めっちゃ綺麗だな」
陽翔は彼女の隣にしゃがみこみ、花壇をのぞき込む。
ヒマワリが一本、真っすぐに伸び、淡い青の花が控えめに揺れていた。
「ヒマワリ、いいな。元気出るし、天音っぽいよな」
「……似てないと思う」
天音は静かに言って、そばの霧吹きを持ち直した。
青い花の葉に、水滴が細かく舞い、光にきらめいた。
「え、そう? オレは結構、そんな感じするけどな。なんかこう……見てると落ち着くし」
「それは……私の話?」
「え? あー……うん?」
陽翔は自分で言っておいてよく分からなくなったのか、笑いながら頭をかいた。
天音は無言のまま霧吹きを握り、花に向かって細かく水を吹きかける。
霧が陽光に透けて、淡い虹を描いた。
「いやー、でもほんと、すごいな。毎日ここで手入れしてるんだ」
「……そう」
「なんかさ、こういうのって、誰かのためって感じがしていいよな」
「……これは、自分のため」
「あー、そっか……でもそれも、なんかすげーかっこいいかもな!」
陽翔はどこか楽しげに言って、足を崩して草の上に座り込んだ。
天音は目を伏せたまま、ほんの一瞬だけ口元を緩める。
「……何か、用事があったんじゃないの?」
「あっ……!」
陽翔は思い出したように笑った。
「ゆかりに生徒会室来てって言われてたんだった! ありがとう!」
「……別に。……はやく行った方がいい」
天音はそっと鉢植えを持ち上げ、土の感触を確かめるように撫でる。
その手つきは静かで、どこか優しかった。
「じゃあ、またな。天音」
陽翔が軽く手を振って立ち上がる。
霧がひとしずく、夏の空気にほどける。
陽翔は中庭を離れ、校舎の影へと戻っていく。
背後には、土と緑の匂い、霧吹きの音、風に揺れるヒマワリの静けさが、そっと彼を見送っていた。