第3章 一日一生 その11
レースは最終戦へ――
陽翔と楓がそれぞれプールサイドに並び立つ。陽翔は静かに深呼吸し、楓はどこか誇らしげな笑みを浮かべながら髪をかき上げた――その瞬間。
バシュンッ――!
突如、プールサイド全体の照明が一斉に消えた。
「えっ……!?」
「な、何!?」
ざわめく観客と陽翔の間を、荘厳な音楽が低く鳴り響く。深く重い鐘の音に続いて、レーザーが走り、ライトが交差する。
次の瞬間、上空の大型ビジョンが点灯し、火柱が左右の舞台袖から「ゴォォッ!」と吹き上がる。
「最終決戦の幕開けだ!!」
実況席からハイテンションなアナウンスが響いた。
「レディース・アンド・ジェントルマン! お待たせしました! 本日のスペシャルイベント――ウォーター・ビューティグランプリ! ラストを飾るのはこの二人――! Aチーム、最終泳者・日焼けがまぶしい爽やかイケメン、陽翔ーっ!! そしてBチームは、黒肌が映える情熱の男、楓ぇーっ!!」
レーザーの明かりに照らされながら、陽翔が小さく目を細めた。
「な、なんか……すごすぎないかこれ……」
すっかり虚を突かれ、ぼう然とステージめいたプールサイドを見渡す陽翔。
一方、楓はというと――
「フッ……これが俺の舞台ってわけだな」
なぜかポーズを決めていた。
「いや、何で冷静なんだよ!」
陽翔が思わず素でツッコむ。
と、ビジョンが再び切り替わる。
「……久しぶりね、皆さん」
暗がりの中に映し出されたのは、奇妙な仮面をかぶった少女――しかしその仮面の隙間からうっすらと見えるのは、明らかに梨々香の顔である。
「私は……謎の仮面R。今宵、私が用意したウォーター・ビューティグランプリをたのしんで頂けたかしら? この勝負はただの勝負ではない。今宵のこの戦い、優勝者に与えられるのは――!! 一億ポイントと、美少女たち全員からの、情熱的なキッスよっ!!」
「ええええぇぇぇぇ!?」
衝撃発言に、プールサイドの女子たちがどよめく。
「そ、そんなの聞いてないんだけど!?」
朱音は顔を真っ赤にしながら、思わず腰を引きつつ叫んだ。
「ちょっと、あんた何勝手なこと言ってるのよ……!」
摩耶は眉をひそめ、腕を組んで静かに睨みを利かせる。
「キ、キス……」
冴はぽつりと呟き、指先を唇にあてたまま、真っ赤になって俯いた。耳まで染まっている。
「陽翔と……」
ゆかりは目を見開き、ほんの僅かに喉を鳴らす。首筋から鎖骨にかけて、汗が一筋つたった。
「……」
天音だけが唯一、涼しげな顔のまま。どこか冷静に事の成り行きを見守っている。
そして――
梨々香は何故か、ぷしゅうと音がしそうな勢いで誰よりも赤面していた。
自分が言い出したイベントだというのに、視線を泳がせ、口元を必死に押さえている。
そんな中――
「ふっ……一億ポイント……そして美少女たちの……キス……キス……キィイイッス!!」
楓が完全に覚醒。全身から意味不明なオーラを放ち始める。
「この俺が、すべて掻っ攫ってやるぜッ!!」
「どうした楓!? 正気に戻れ!?」
「もう誰も……誰も俺を止めることはできない……!」
「止めてくれ、誰かあぁぁぁぁ!!」
「それでは、ゲームを楽しんで頂戴! おーっほっほっほっほ!」
陽翔が魂のツッコミを放つ中、仮面Rのビデオが勝手に終わり、会場の照明が再点灯する。
「さあ、謎の仮面Rが突如持ち出した超豪華景品!」
実況の声が響き渡る。
「勝つのはどっちだ!? 友情か、宿命か、それとも――欲望か! 今ここに、一億ポイントとキスを賭けた、男と男の宿命の対決が始まる!!」
一瞬、場内のボルテージが最高潮に達したかと思うと――荘厳な音楽がフェードアウトし、空気がピタリと静まり返る。
まるで世界が、息をひそめてふたりの動向を見守っているかのような、張りつめた静寂が包み込む。
陽翔と楓は、スタート台に片足を乗せ、身をかがめる。
陽翔の視線はまっすぐ水面を捉え、静かに呼吸を整えていた。
楓は相変わらず余裕を漂わせながらも、わずかに肩を震わせている。
観客席に一陣の風が吹いたように、静寂の中で誰かの喉が鳴る音が聞こえた。
そして――
スタートの合図とともに、二人の身体が、ほぼ同時に水面へと飛び込んだ!!
「飛び込んだ!! これは完全に互角ッ!!」
水しぶきを上げて並ぶ二本の白い軌跡。
陽翔のストロークは大きく正確、ひと掻きで水を力強く切り裂いていく。
一方、楓の泳ぎは鋭く、研ぎ澄まされた刃のように水を裂きながら加速していく。
「前半二十五メートル、若干リードしているのは楓か!? しかし陽翔も負けていない、真っ向から喰らいつく!!」
水面下、ふたりの足が交互に強く水を蹴る音が響く。
互いに一切譲らず、肩が触れそうな距離で並走する。
「二人とも一歩も引かないッ! これはもう……人類の限界を超えた戦いかッ!? 五分五分のデッドヒートだ!!」
三十メートル――陽翔のストロークに一瞬の伸び。
三十五メートル――楓がローリングを活かし、わずかに前に出る!
「これは分からない! コンマゼロ秒の攻防だ! 魂と魂のぶつかり合いだァッ!!」
四十メートル、陽翔が一気に水を押し切るようなフォームで加速。
「陽翔きたァァァ!! ここでスパートッ!!」
だが楓も、渾身のキックで追いついてくる。
水面の上ではほとんど違いが見えない。
「四十五メートル……っ! あと五メートル! 誰が先にタッチする!? 誰が勝つんだッッ!!」
ラスト一ストローク――
陽翔の右手が伸びる。
楓の左手も迫る。
タッチ――!!
「陽翔タァァッチ!! 指先の差で陽翔の勝利だぁぁぁッッ!!」
会場が、歓声と拍手に包まれる。
火柱が上がり、紙吹雪が舞う。
女子たちの歓声もひときわ大きく、ビジョンに映る陽翔の名前が煌びやかに輝いた。
水面から顔を上げた陽翔は、肩で息をしながら歓声に気づく。
呆然としつつも、勝ったのだと理解し、思わずガッツポーズを取る。
「勝った……んぁ‥…勝った……!」
そんな陽翔に――楓が歩み寄ってきた。
「……やるじゃねえか、陽翔」
水に濡れた髪をかき上げながら、楓は苦笑する。
その表情に悔しさはありながらも、どこか晴れやかだった。
「本気出して負けたなら、しょうがねえな。お前、強かったよ」
楓は右手を差し出す。
「ナイスレースだ、相棒」
陽翔は一瞬驚きつつも、その手をしっかりと握り返す。
「……おう」
握手の瞬間、会場中が再び沸き立つ。
そこにはもう、「勝ち負け」ではない、清々しい空気があった。
そして――
再び場内に荘厳な音楽が流れ始め、上空の大型ビジョンに大きく映し出される文字。
《リザルト発表》
実況が場内マイクを通して、落ち着いた声で語り始める。
「さて皆さま、激戦を繰り広げた勝負の結果発表に移らせていただきます! 勝敗数は2対2――しかし、この勝負スピードでは勝負がつきません!」
観客席から「おお〜っ」とどよめきが起きる。
「そこで、審査員と皆様による芸術点――すなわち、美しさ! 可愛さ! カッコよさ! これらを総合的に判断した結果……!」
スポットライトがステージ中央へと集まり、一点に絞られる。
「本日の優勝者は――」
間。
「冴選手ーーッ!! 君が優勝だーーッ!!」
「ええええええええええーーーー!?!?」
会場全体が驚きと歓声で一気に爆発する。
冴は思わず目を丸くし、両手で頬を押さえながら固まった。
「え……わ、私が……? どうして……?」
そんな戸惑いの声に答えるかのように、実況が情熱たっぷりに語り始める。
「その理由は明白! まず第一に――あの透明感あふれる水の中の姿! まるで光そのものを映し出したかのような存在感!」
ビジョンに、冴の姿が映しだされる。
水面のきらめきと彼女の髪の流れがシンクロし、まさに幻想のような光景が広がる。
「そして何より印象的だったのは、あのスタートの不器用さ! 普通なら減点対象にもなりかねない場面を、あの子は……あの子はぁ……!」
実況の声が若干震えている。
「見事、あざと可愛さへと昇華させたーッッ!!」
ビジョンには何度も冴のスタート時のアップ映像。観客の誰かが「尊すぎて死ぬ……」と小声で漏らす。
「さらに、あの小柄な体からは想像できない――健康的で柔らかそうなフォルムとのギャップ!」
ここで画面がふっと暗転し、冴の身体のアップが映し出される。会場が拍手に包まれた。
「そして……最後の決定打となったのは……!」
間。
「本日、なぜか団体で来ていた――兎をめでる会、総勢二百名による爆裂投票だぁ!!」
スクリーンには「兎をめでる会」の横断幕と、真剣な眼差しででサイリウムを振っていた二百人の群衆が大写しになる。
全員一致で冴の名を投票したことが、勝負を決定づけた。
「『小動物的な愛しさ』『保護欲』『泳ぐ姿がうさぎみたいで泣いた』など、熱いコメントが山のように寄せられました!」
再びスポットライトが冴に当たり、観客の拍手が鳴り止まない。
「それでは……!」
実況の声が再びマイクを通して響き渡る。
「本大会の美的総合優勝者――冴選手に対して、ここでスペシャル・セレモニー!! プールサイドの美少女たちから、情熱的なキスのご褒美をプレゼントしていただきましょうッ!!」
うつむいたまま固まっている冴。
その肩が、ぷるぷると震えている。
顔は真っ赤、目線はどこにも定まらず、完全にフリーズ状態だ。
「……ひ、ひとまず、壇上に……」
周囲の視線に押されるように、冴はおずおずと表彰台の中央へと足を運ぶ。その慎ましやかな歩みも、どこか初々しく、思わず胸を締め付ける可愛さがあった。
スポットライトが彼女を包む。
そしてその光の中に、彼女を祝福するように、仲間たちが駆け寄った――。
「優勝おめでと、冴ちゃんっ!」
朱音が笑顔で
「……ま、悪くなかったわね」
摩耶もそっと軽く
「ふふっ、冴ちゃん、よかったね♪」
ゆかりも微笑みながら
「……」
天音も静かに
「が、頑張ってたもんね……えいっ!」
梨々香は真っ赤になりながら、勢いで冴の頬にキスして顔を背けた。
「ちょ、ちょっと、みんな……!? こんなの、聞いてな――」
冴の抗議は誰にも届かず、会場は、歓声と拍手、祝福の声でいっぱいだ。
最後に、ステージ脇からその光景を見ていた陽翔と楓が、ゆるく手を振って微笑む。
「なんか……すごいことになったな」
「うん。なんか……青春だったな」
そして舞台は、柔らかな拍手と冴の真っ赤な顔、そして笑顔で染まる夏の余韻に包まれていた。




