困惑
今日は本当に疲れた。
いろいろあり過ぎた。
空は赤色になり、冬の早い時間の夕方の模様になる。
あれほど温かいと感じていたのに寒さが身体を刺してくる。
高速インターを降りて直ぐに小道を左折しNSRを走らせる。
俺の気持ちと裏腹にエンジンの調子は悪くないようだ。丁寧に坂を上がり住処を目指す。
勾配のある坂道をスルスルと高台に向けて登っていくとガレージが見えた。
辺りは薄暗い。
シャッターを開けNSRのエンジンを切って両足で押し歩きながら所定の位置にスタンドを出し優しく停めた。
ヘルメットを脱ぐ。
一息付いてキーを抜きながらNSRから降りた。
BOXにキーを預け、重くなった身体を感じながら2階に上がる。
混乱し思考が追いつかない、グルグルと考えても意味が分からない。
玄関ドアを開ける…2階のぶっきらぼうなドアが玄関ドアになっている。
SIDIのブーツを丁寧に脱いで型崩れしないように下駄箱に入れた。
ヘルメットとグローブを置き、暗くなった部屋のスイッチを手探りで押して明かりを点けた。
タミコのエサをやらなきゃ。
と…棚を開けて手を止めた。
猫食器や餌袋が見当たらない。
あー、うっかりしてた。
思い出した。
そう言えば猫のタミコは離婚した時に相手が引き取ったんだっけ…。
苦笑いする。
今日の混乱で頭がおかしくなっても不思議では無い。
クシタニのジャンパーの傷を確認しながらハンガーに掛けた。明日にはオイルをくれてやらないと。
お気に入りのリーバイスの513は膝が破れて使い物にならない。
上手に転んだようだ。体の皮膚に薄い擦り傷で済んだ。
寝室に移動しスウェットの部屋着に着替えた。
リビングに戻りジーンズを綺麗に畳んでお疲れ様をした。代わりの513はたくさんストックしてある。
叔父もジーンズが好きで同じモノをずっと履いて「育てる」と言うのを好んでいるが俺からすると、ちょっと汚いと感じるので唯一意見が合わない所だ。
高台のリビングの大きな窓には町並みの沢山の明かりが温かい。
この家で一番贅沢なリビングだろう。
見ないのにいつもの様にテレビを付け、旧い冷蔵庫から炭酸水を取り出した。
今日は喉に染みる…。一口大きく飲んで
バカでかいフワフワのソファに沈み込み今日の事を振り返る。
赤いポルシェ996の彼女の名前は仲平友花。
叔父が仕事を任せてる「何でも屋」のバイトらしく、元は叔父の考古学の受講生。
年齢は聞かなかったが25歳前後か。
ファッションモデルのようで考古学とは真逆で似合わない。
俺がここに住まなければこの家も彼女が管理する予定だったそうだ。
合鍵も持たされていた。
まぁ、年齢と立ち居振る舞いから察すると叔父の彼女ではなさそうだった。
叔父は浮いた話があまり無い偏屈だから当たり前か。
ニヤついた。
合鍵を俺に返そうとしたがソレはお断りした。
叔父の判断だからだ。
彼女は頼まれていた用事と荷物をガレージに届けに来たようで立ち寄ったパーキングに日本に居ないはずの叔父(叔父の着ぐるみの中の人は俺)を見つけて驚いていたようだった。
俺の方がもっと驚いた。
従兄弟のトシカズの件やマスタングとの追いかけっこや事故の事など彼女には問いただせなかった。
当たり前だ。
初対面で言う台詞ではない。
確実に叔父と同じく変わった人認定を受けるのは避けたい。
ニヤついた。
ソファの背もたれに、背中を付け天井を見上げる。
ポルシェには傷もなく彼女の衣服も見たものではなくヘアカラーもレッドブラウンの色味からオレンジブラウンに変わっていて明るさも1番手くらい明るい。
朝に見た彼女のセットはストレートヘアーにカーラーを巻いてたのに比べパーマを掛けた状態から編み込みし毛先にカーラーを巻いてあるスタイルだからも完璧に別人?
いやいや、彼女の綺麗な顔立ちは昼間に会った同一人物だ。
連絡先を交換しようとして、俺はスマホを勢いよく取り出したが…画面がバキバキに割れ、使い物にならないのが恥ずかしかった。
ボディバッグで転倒すればそうなるか。
そんな俺を見て慌てて名刺を差し出してくれた。
派手な見た目に反していい子だ。
連絡先が手元にあるので確かめるのは何時でも出来る。
ポルシェの彼女と別れてパーキングから歩いて事故現場まで行ったが何も無かった事に愕然とした。
夢だったのか?
やはり聞かなくてよかった。
バイクの傷と衣類の損傷が無ければ白昼夢かと混乱していたはず。
辻褄が合わない出来事が起き過ぎだ。
まぁ、あまり物事を深く考え無い性質でよかった。と自分で苦笑いした。
子供の頃から考えて仕方ないことは行動あるのみ…だったし。
叔父に似たのか変な事や不思議な事は好きだ。
叔父と一緒に居た頃に戻って、逆にちょっと面白くなってきた事にワクワクしている自分もいる。
と
急に思い出した
学生時代にした叔父のバイトの数々。
海外の考古学調査で何度も助手と言う小間使いで同行したのだ。
オーストラリアに発掘調査に行った時、現地人に密猟者と間違えられて夜中にキャンプを襲撃されて命からがら逃げた事。
エジプトの調査の時は逆に密猟者達を見つけて叔父と現地スタッフと共に撃退した時だ。
俺の相手が棍棒だと思って退治したら…後で叔父に「棍棒ではなくシャムシールじゃないか。よく生きてたな」を大笑いされて背筋が凍った事。
シャムシールは曲がった刀でそれ自体が盗品だったようだ…本当に当時の俺は怖いもの知らずだな…
と
まだ記憶が流れてくる。
米国のテキサスでの調査で銃撃戦に巻き込まれた事もあった…
格闘技やサバイバルスキルも小さい頃から叔父に叩き込まれてたっけ…
笑いが起きた。
ソファがきしむ。
それに比べたら今朝の出来事にすんなり対応したのは今も俺は怖いもの知らずだからだな。
バイト代は、破格なので即金でナナハンが買えたし…
思い出して大声で笑っているのに気づいて慌てて口に手を当て周りを覗う。
隣の住人に気遣いしたが…ここは以前のマンションではなく叔父の家で隣近所は空き地なので心配なかった。
ホッと一息し
どうして学生時代の出来事を綺麗に忘れてたのだろう。と考えた。
それだけ上京してから生活が一変したからからかな?
まぁいいや、と
飲みかけの炭酸水をテーブルに置く。
座り直す。
それよりトシカズのバッグだ。
妙に気になる。
あそこから全てが始まったからだ。
アレはどこに行ったのか?
唯一、ポルシェの彼女に聞き出せたのが「タムラトシカズって奴知ってる?」だ。
全く知らないのは予想外。
取り敢えずアイツなら今朝の話は通じそうだし遺産の件も話さなくてはならないが…
残念ながら携帯番号は知らないし聞く時間もなかった。スマホも壊れたし。
確認は明日にまた三鷹に行くしか無い。
それより
彼女から預かったダンボールの中身。
黒色の3wayの今どきのガバンがあり中にはソフトケースに入ったノートパソコンしかなかった。
ま、叔父の物だし興味もないし中を見るわけにはいかないし。
それは一旦置いて
炭酸水を飲み干して他に預かったダンボール1個の中身を取り出す。
これはポルシェの彼女から確認して叔父にメールで届けた物を知らせてくれと言われたので問題ない。
書類らしきレポート用紙と厚紙に包まれた何かが出てきた。
ソファ前の長テーブルに並べてみる。
包を開けると素材が金属製か石か解らない四角形のキューブ。
正方形で四方5センチくらいだ。
異常に軽い。
ステンレスかチタン?
表面には何やら幾何学的な線が掘られている。
手にとって部屋の照明に照らすと薄青色から金色に変わる不思議なキューブだ。
これだな?
企業と叔父の秘密裏に進めている新製品の「薄型軽量電源?バッテリー?」でこの家に設置してあるBOXに差し込むようだ。
車のキーBOXと連携してあるやつだな。
ドタドタとキューブを持って1階まで降りた。
ポルシェの彼女には交換して、と言われているので古いキューブを外して新しいのを差し込んだ。
外したキューブは真っ黒になっていた。
ビックリするくらい重かった。
手にしたまま2階に戻り、それを厚紙に包み直してダンボールに入れ直す。
考古学者なのに、最新技術とは…苦笑いした。
伯父にはいつも驚かされる。
また、考古学者のクセに陰謀論とかオカルトや不思議な話には目が無くUFOを見つけるのも得意と言う変な特技も持っていた。
考えながら、叔父のノートパソコンで叔父宛にポルシェの彼女の件とバッテリー交換の旨のメールを送った。
昼のゴタゴタの出来事を送ると食い付いて面倒だから書かない事にした。
一旦、ゴタゴタ関係はストップして夜ご飯の支度をする。
朝からトーストだけだから腹が減った。
時間が係る料理は止めて…と考えながらパントリーからタマネギ1個とパスタの麺袋を取り出す。
深鍋を用意し火にかける。
沸騰するまでにパスタに乗せる具材を作る。
ドイツ製のゾーリンゲンのナイフを取り出す。自分で研いであるので切れ味は抜群。
仕事でシザーを使うのだが研ぎは自分でやる。
これも叔父に研ぎ方を習ってあるので業者に出す寄り上手いと自画自賛している。
タマネギを適当にみじん切りしツナ缶の中身とを一緒にフライパンに入れて炒める。
味付けはマヨネーズと塩コショウのみ。
醤油を隠し味に少しいれるのがコツだ。
パスタが丁度茹で上がり水気を切って熱々のままフライパンにほり込む。
部屋の温度は暖かくはならなかった。