カーチェイス
あれ?
事前にスマホアプリで確認してたのにアイツのマンションが見当たらない。
駅前に戻る。
八王子と違ってこの辺りは車も多く慌ただしい。活気がある。
空は水色で雲もなく気持ちいい。
交差点で信号待ちの人達や自転車も多く、改めて平日に仕事もせずに遊んでいるような自分の立場に苦笑いした。
仕方ない。
NSRを端に寄せエンジンを切りヘルメットを脱いで大きな歩道を押し歩いた。
交通法規ではバイクも押し歩くと歩行者扱いになるのだ。
交番があるのを往きに見てたのでバイクを停めて聞きに入る。
悪い事してないのに緊張している自分に笑う。
出てきたのは無愛想な警察官。
何故かこのご時世でマスクをしていない。
マスク無しなのに表情が読めない。この警官は目も笑わない。
速攻で「能面」と名付けた。
住所を言うと案内してくれると言う。ありがたいような困ったような。
ヘルメットを腕に通してバイクを押しながら能面の後を追う。道すがら質問攻めに合う。
やっぱりな。
連絡が取れなくなった従兄弟の安否を確認に行くのだと住所を聞いたので怪しんで付いてきたのだろう。
入り組んだ路地を能面は迷いなく歩いていく。
先程までの天気の気持ちよさがなくなり、空気が重くなる。知らない街の匂いがする。
能面が振り返る。
「そうですか。従兄弟さんですか。それは心配なさるでしょうね」
「本当に連絡を取ってなかったのですか?」
水を向けても能面は質問しかしてこない。
無表情のままきびつを返して歩き出す。
なんだこいつ?
ま、こちらの個人情報は聞いてこなかったからましか。
「ここですよ」
路地から大きめの道路に出て少し傾斜のある道を歩くと
5分程でアイツのマンション前に来た。敷地が広い。白色を基調として綺麗な建物だ。
家賃が高そうだ。
マンション前のエントランスに赤いポルシェが路駐してある。
赤色のポルシェ936
空冷最後のモデルだ。車高が低く足回りは替えてある。社外品のホイルにタイヤがミシュランパイロットスポーツでエグい。
エグいというのはタイヤのサイドの溶け方がサーキット走行のソレだったからだ。
叔父と気が合いそうだ。
と感心し見惚れる。
お礼を言おうと振り返ると能面はもう居なくなってた。
おかしな奴だ。執拗に質問してたくせにサッサと居なくなるとは。
一呼吸いれて気持ちを切り替える。
NSRをマンション横に停めてヘルメットを抱えポルシェを横切り、エントランスを抜けてマンション入口に入ろうとした時
エレベーターホールから赤色の洋服の髪色が栗色のきれいな女性が勢いよく駆け出しててぶつかりかけた
危なくヘルメットをが落ちかけて振り向くと
「ごめんなさい!」
透き通るようなきれいな声だ。こちらを振り向かず走り去りながら謝ってきた。
「グォングォーン」
空冷ポルシェのエンジン音!さっきのポルシェか?
若い女性なのにやるな、と笑顔になる。一瞥し振り返ると
「おい!カバン持っていくなよ!」
今度は男の素っ頓狂な声がエントランスに追いかけてきた。
「アキラちゃんか?シンジョウアキラ!?」
間抜けな声で俺の名前を呼ぶ従兄弟が老けた顔をして立って居た。
「よう!カズちゃん!何年ぶりか…」
「アキラちゃん!そや!あいつ…あの女!俺のカバン持って行きよったから追いかけてくれ!」
は?
俺がヘルメットを持ってたのを咄嗟に見てバイクで着たと思って言ったんだろうがアホな痴話喧嘩に関わりたくない…
が、何故か身体が反応してヘルメットを被りNSを押し掛けしポルシェを追いかけた
「赤のポルシェや!」
と後方でカズちゃんの間抜けな関西弁。
松田優作の探偵物語のテーマソングが頭に流れた。叔父の影響で好きになったドラマだ。
たぶん赤いポルシェを見た時に走り屋の衝動が刺激されたのかもしれない。
こんな馬鹿な追っかけ。
そして能面に案内された道すがら何処を通ると国道に出るかは頭にあったから簡単に追いつくだろう。
「探偵らしく面白くなってきた」
暇人の極みだな。苦笑いする。
思った通りポルシェは国道に出る手前の信号で引っ掛かっていた。
あっけなく探偵物語は終わり。
追い付いたはいいが、この事態はどうしようか。
ノリで走り出したがハテサテどうしたものか。
先頭で信号待ちしているポルシェの横で戸惑うが何もしない訳にはいかない。
「すみません。トシカズの彼女ですか?」
ポルシェの窓をトントンと軽くノックしながらヘルメットのシールドを開けて命一杯の笑顔で素っ頓狂に声を掛けてみた。
ポルシェは左ハンドルなので顔が近い。
やはり髪がシルクのように柔らかそうで栗色が映えて綺麗で見惚れる。手入れが上手い。カーラーをきちんと巻かないと綺麗なカールは出ないからだ。
栗色がこちらに振り向く。
目が大きく鼻が高く端整な顔立ちが無表情にこちらを見た。
不審者では無いアピールは失敗だった。
赤信号を無視して赤いポルシェは急発進した。タイヤが温まってないのでリアタイヤはグリップせずに白煙を上げホイルスピンしながら加速した。
強引に右折し国道に入った。
クラクションが多数鳴る。
あちゃーやっちまった。
そんなに俺は不審者か?落ち込む。
直ぐに信号が青色に変わった。
馬鹿な事をしたとトシカズの所に戻ろうとポルシェを見ると…
黄色のアメ車がホーンを鳴らしながら交差点から飛び出して赤いポルシェを追いかけ始めていた。
やばい。俺のせい?…ですよね。
ポルシェが信号無視しアメ車に当たりかけたのか?腹を立てたのかアメ車はポルシェを煽りまくってる。
スルスルと右折し、NSRを加速させる。
追いかけてどうなる訳でもないが車を止めてトラブルになる前に割って入らないと。
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
黄色いアメ車はフォード社製のマスタングのGT500だ。
これまた珍しくそそる車だ。
何人か乗車しているようだ。ポルシェのドライバーが若い女性だと分かれば面倒になる気がした。
平日の20号線下りは二車線で車が少なかった。
おかしいな。
活気があったのが嘘みたい。
ようやく前方の信号が赤色になり先頭でポルシェが止まった。
続いて黄色のマスタング…
NSRも続いて減速しようとすると…
マスタング減速せずにポルシェの後部にぶつけた!
まじか!
頭がオカシイのか!運転が下手なのか!
緊張かからか意識が追いつかず頭が真っ白になる。
鼻からキナ臭い香りが入り込み頭がクラクラする。
勢いでポルシェが交差点の真ん中まで飛ばされた。
ぶつけた黄色のマスタングから勢いよく男が3人出てきた。
様子がおかしい。
頭がズキズキしてきた。
男達はそれぞれに銀色の金属製の棍棒を持って襲うような勢いでポルシェに迫る。
武器?
そこまでする?
頭が追いつかない。
考える暇もなくNSRを走らせリアブレーキを掛け斜めにし転倒しながらリアタイアで先頭の男にアタックした。
少林寺拳法で習った受身が自然と取れた。
鼻の奥がツーンとした。
なんでこんな事やっちまった?
後悔するも身体が勝手に動いてた。
男2人一緒に倒れたが俺を意に介さずに立ち上がりながらポルシェに向かう。
なんだ、こいつら。
1人はドアを開けようとし2人はポルシェのサイドを棍棒で叩いた。
完全に頭がおかしい連中だ。
あの女のコが危険だ。
無我夢中でドアを開けようとする男に頭からつんこんだ。
ヘルメットやプロテクターを身に着けてるのでそのままダイブした。
辺りは騒然となる。
…ならない。
助けを呼ぼうと周りを見渡すも歩行者や車らが見当たらない。
何が起こってる?
心臓がバクバクしている。
そんな事より危ないヤツラをどうしよう。
飛びついた先頭の男の腕を抑えながら辺りを見回す。
男がこちらに顔を向ける。
外国人か日本人とも見受けられない印象がない顔立ち。
驚いたことに無表情な顔だった。
怒りでも激怒もない感情がない。
此方を一瞥し、俺を剥がしてお構いなしにポルシェに向かおうとする。
何かおかしい。
「ギュ!ギュー」
ポルシェは勢いよくタイヤのブラックマークとスモークを残して急発進した。
よかった…彼女は無事だったみたいだ。
焦げ臭い白煙で辺りは白くなる。
男達は俺に関心もないようにマスタングに乗り込んでポルシェを追いかけた。
何が起こった?なんだこれ!
俺は叫びながら、ヤツラにつられるようにNSRを引き起こし後を追った。
車体は転倒の影響はない。叔父に転ける訓練をされた経験が活きた。
ミラーが折れて無くなっただけだ。カウルもヒビが入ってるかもだが気にしない。
ポルシェは少ない前走車を縫うように走らせる。先程まで居た歩行者や自転車が見当たらない。
車が少ないと言うより居なくなった。
見える信号が全部青色になっていた。
日常が一変した。
空の色は相変わらず綺麗な水色だが
目の前の視界がハッキリせずモヤがかかった感じだ。
そして空気が重苦しく息がしづらく頭がまだズキズキしている。
一体何が起こった?
なにかがおかしい。
ポルシェは平然と突っ走る。
変だ。迷いがない。まるで追いかけ合いが日常茶飯事のよう慣れてる感じだ。
マスタングはお構いなしにポルシェを追いかける。
リアタイアをスライドさせながらポルシェは左折し中央高速の調布インターに入った。
マスタングも続く。車がノーマルで足回りが柔らかいのかエンジンパワーが凄いのかコーナリングは苦手そうだ。
左折時にアンダーとオバーステアを出しクネクネしながら何とか走らせてる。
パワーが凄い。縦にタイヤをスライドしながら白煙を上げて走る。
ETCバーは上がったままだ。
俺も強引に走り抜けた。
視界がここでもボヤケてモヤがかかった感じか抜けない。
鼻の奥がツーンとしてきて頭がハッキリしない。
何故俺は追いかける?
もう一般人の俺の手を離れた危険な犯罪。
追いかけずに警察に連絡しよう。
片隅に考えが浮かぶがスロットルを開ける自分がいる。
衝動が追いかける。
機動性を活かして簡単に真後ろまでNSR迫ったが高速の直線となると話は別だ。
あの時代のポルシェの最高速度は250キロ前後、マスタングはさらにヤバい。パワーモデルなので確か300キロ以上出るはずだ。
対してこちらは街乗りセッティングでオイルが濃く全開でも190キロも出ない。
頭がハッキリしないのに冷静な自分に驚く。
料金所から高速に向かうコーナーでマスタングは焦ったのか曲がりきれずに車体を壁に擦っているがお構いなしに走らせる。
殺気のある走りだ。
抜く事は簡単だが並ぶのも危ない。
本線に出た。真っ直ぐな直線が続く。
ポルシェの姿はもう小粒だ。かなり先行している。
このまま逃げ切ってくれ。
山梨方面に走っていることに今気がついた。
二車線の広い高速道路をマスタングはポルシェを追いかけてフル加速した。
本線に出て直ぐに180キロ。カウルに身を伏せて空気抵抗を無くすライディングに切り替えた。
大きな風切り音がゴーゴーと耳に劈く。
コーナリングマシンなので高速の直進安定性にセットはしていない。
眼の前にいたマスタングは爆音を残し獰猛に加速してグイグイと前に出ていき離されて行った。
あっという間に見えなくなった。
こちらの速度は頭打ち。エンジンの焼付きを気にしながら走らせる。
もう止めよう。
急に冷静になってきた。
頭のズキズキも大気の息苦しさも無くなってハッキリしだした。
日常が帰ってきた感じがした。
気持ちいい青空がハッキリわかる。
もう前の2台は見えない。
前走車も対向車も急に現れ驚いた。
無我夢中とは怖いな。
いい歳なのに俺は何をやってるんだか。
後悔した。
このまま行けば八王子インターで帰り道だし。
グッタリした。
一体何が起こったのか。夢を見ているみたいだった。
多摩川を越えた辺りで前傾姿勢をやめスロットルを緩めて法定速度で流す。
叔父が帰ってくる前にバイクのリペアしないとヤバいな…と考えている
と
高速の直線道のはるか前方で事故と分る白煙が上がっていた。
アイツら事故ったか?
嫌な気配にスロットルを開けて加速させる。
直ぐに現場に付近に来ると左手の緑の小山の土手にマスタングが頭から突っ込んで停まっていた。
ここは少しカーブになっている区間だ。
NSRを寄せて停める。
ここはガードレールが無いので勢いそのまま傾斜のある土手に突っ込んだようだ。
黄色のマスタングの両サイドドアが開き、へこんだエンジンフードが上がり水蒸気の白煙が出ていた。
エンジンは既に停止している。
道路にはタイヤのブラックマークが焦げ臭さとともに残り事故の酷さを物語る。
NSRを路側帯に残し現場に向かう。後続の車達も車線を塞いで停車しだした。
襲われるのが嫌なのでヘルメットは脱がずにマスタングのドライバー達の安否を確認に走り出す。
爆発するような状態ではないのが経験でわかる。
しかしドライバー達はヤバいはず。
ガードレールを飛び越えると、タイヤ痕でえぐり返った土が尋常ではない。
土の匂いがヘルメット越しにでもわかる。土手の上に無邪気な青空が広がってるのが違和感だ。
マスタングはフロントタイヤが折れて飛び出している。
小山の土手にのめり込むよう少し前方が持ち上がり斜めに停まり空いたままのドアから車内を急いで確認する。
「大丈夫か!」
ヒンヤリした車内に驚く。新車のようで内部はピカピカで綺麗だ。
大声をかけたが乗員は見当たらない。
マスタングの下側を覗いたり、外に飛ばさたかもしれないので周りを確認に走る。土手に登ってみても人の気配が全くない。
息苦しさにヘルメットを脱いだ。
土の匂いと水蒸気とオイルの匂いが飛び込んでくる。
登った土手から振り返ると停車した車達からドライバーが救出の為か沢山出てマスタングを囲んでいる。
石川パーキングエリアがこの1キロ先にある。
マスタングのヤバいアイツらは歩いて行ったかもな。
乗員の捜索はやめた。棍棒で殴られても嫌だし。毒づいて
ハッと気付いた。
ポルシェは大丈夫か?焦って周りを見回すが、これはマスタングの単独事故だ。
ふーっと息継ぎして落ち着いた。
きっと無事だろう。
大変な事に関わったな。自分の身体を見るとジャケットやブーツに転倒の時についた傷が。
やべ。これは叔父に怒られる。
取り敢えずパーキングエリアに移動する。
いろいろあり過ぎて頭が混乱する。
ゆっくりとNSRに歩み寄る。高速道では渋滞にはなってないようだ。救出の為か何台かハザードランプを点け停まっている。
マスタングの周りには人がが集まっていた。
ヘルメットを被りSIDIのブーツに付いた土を払ってパーキングエリアに向かった。
入り口を入ったすぐ手前でNSRを停めエンジンを切って跨ったまま考える。
この状況を知っているのは俺だけなので、警察に連絡をしないとな。あと、トシカズにも!
と思ったがアイツの連絡番号は知らなかった。
ヘルメットを被りながらガックリと頭を下げて目の端しに映る光景に驚いた。
パーキングエリアの入口から、あの赤いポルシェが入ってきたのだ。
何事も無かったよう急ぐ様子もなくゆっくり入ってきた。
思考が追いつかない。
先行してたはずなのに何故後ろから来た?
違うポルシェか?
いや、あの赤いポルシェに間違いない。
運転席にあの女性が乗っている!
NSRの横に、ゆっくりとポルシェが停まる。
気持ちいい青空に赤いポルシェが映える。
なんだ?どういうことだ?
あの綺麗な栗色の髪を上手に編み上げられた女性が優雅に降りてきた。
思考停止し唖然としている俺を見付けて声を掛けてきた。
「ヒロシさん?どうしてここに?」
「貴方の家に向かう途中だったから驚いたわ」
大きく綺麗な瞳がヘルメットのシールド越しに見える。
「シンジョウヒロシは俺の叔父です。俺の名前はシンジョウアキラです」
声が裏返った…。
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