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M.e  作者: 朝了
1/3

日常と非日常

202◯年1月 東京八王子


今日も暑い。


本当に冬なのか?


冬の快晴。


ベッドから起き上がった。


厚手のカーテンと窓を開ける。気持ちのイイ日差しと寒風ながら心地よい空気が部屋に広がる。


ここ2~3年何故か寒さを感じなくなる。


年が明けたばかりだが何もしなかった。


大きく伸びをする。


「温暖化?更年期じゃないの?」と、妻のミキの軽口が聞こえる。


今年、俺は39歳になり完全な四十路の仲間入りに突入だ。


ミキも一回り下の28歳でまだまだ若い。が、去年に離婚してしまったので頭の中で一人で呟いてみた。


いつもの白のオックスフォードのボタンダウンシャツとリーバイスの513ジーンズに着替える。


シャツを袖から通す心地は柔らかく好きな瞬間だ。


カーテンはそのままに窓だけを閉める。


身長が183センチ手足が長いので外国製の洋服がちょうどいい。


身長のお陰で若く見えるのは助かっている。


シャツは着心地よく長年愛用し、ジーンズは自分の体型に合ってスリムで好きだ。


似たような物をストックしている。


暑く感じるからこれで十分。


このコロナ禍は激動だった。世間も自分も振り回された。


仕事も不況になり解雇され、離婚もしたが何故別れたか今は何も思い出せない。


ベッドを整えて寝巻きを洗濯機に投げ入れスイッチを押す。


不思議な事にミキの顔も思い出せない。様々な事が一気に襲いかかったからか…。


人に対して感情的になりにくい。


気持ちの切り替えが早すぎる。


X世代とミレニアム世代の狭間な同年代には「落ち着きすぎてる」と言われるが、昔からそうだ。


来る者は拒まず。去る者は追わず。


冷たい訳では無い。


動物の映画では嬉し悲しで泣いてしまうし人が想うより感情的な方なのだが一方で俯瞰で物事を冷静にみてしまう。


子供の頃に結婚式で感極まって泣く新婦をみて「これから大変なのにスタートで泣いて何事?」と我ながらゾッとするほどクールな幼少だった。


39歳で独り者。そして無職。


いや、ミキが置いていった猫のタミコがいたか。


寝室を抜け、徒広いリビングの薄手のカーテンを開けて朝食の用意をする。


悪いことばかりではない。


離婚後に親戚から遺産相続の話があり2、3年遊んで暮らせるお金が振り込まれた。


これは本当に助かった。貯金の全てをミキが持っていったからだ。


ラッキーな事に俺の人生は何故か大変な時に手を差し伸べられて助けてもらう事が多いのだ。


変わりにではないが理不尽な目にあってる人や困ってる人、動物の面倒を見る性分でもある。厄介事に巻き込まれても懲りないおかしな性格。


考えながらバカでかいリビングに移動し、冷蔵庫から出した冷たい炭酸水を飲みながら食パンを1枚トースターにいれ卵を焼く。


夏でも冬でも冷たい炭酸水を飲むので周りの小言は慣れっこだ。


大きな窓の外を眺めながら今年の東京の冬はやはり温かいと思う。


高台の二階なので見晴らしがいい。


何も付けない食パンを頬張りながらタミコに餌を用意すると何処からともなくやってきて、にゃとひと鳴きして美味そうに喰らってる。


さて、どうしたものかな。


職探しもこのコロナ禍では当分難しい。


そして貰ったお金があれば数年働かなくともやっていけるので気が拔けた生活。


遺産の連絡をくれた親戚から折に依頼が一つあった。


「お前の従兄弟の様子を見てきてくれ」


親父の妹の子供。


年が近いから子供の頃はよく遊んだ。


確かに大坂の地元から上京したのはアイツと俺だけのはず。だけど、誰にも言ってない俺の離婚と無職を何故知ってるのか?


まったくうちの親戚のネットワークは昔からエグい。


そして人の失敗で笑いを取る愉快な人達だ。


俺の場合は、親戚の集まりだと必ず「この子はお風呂で黙るとうんこする」と定番だ。


赤子なら普通じゃいか。


歴代の彼女とミキにもこれをやられた。思い出して吹き出す。


誰々の彼女彼氏の名前とかは直ぐに回る。従兄弟のタムラトシカズは1歳年下で、たぶん独身。


多分というのはほぼ交流というか接点がないからだ。


子供の頃は一緒に少林寺拳法を長く習い毎日のように遊んだものだがお互いに思春期になると疎遠になった。


元々住んでいた町が違うから距離もあったが、従兄弟同士はそんなもんだ。


数年前の親戚の葬式で遠くから見たのが最後だ。


もう顔もハッキリ思い出せないくらい昔の話になっている。


俺が上京した時に実家が火事になって全ての荷物や写真が無くなったから見返しも出来ない。


親戚から今更写真データを貰うのも億劫だから何もない。


お互いに大坂出身だ。


俺達の祖父母は沖縄出なのからか、共に背が高く手足も長くて、アイツも女の子にはよくモテた、かくらいは覚えてる。


メールで親戚からの指示が書いてあった。


「連絡が取れない

携帯にでない

三鷹に住んでるので生存確認」


なんだこれ。


いつものように適当すぎる。俺の方にきた遺産の話だろうな。


肝心の住所や携帯番号ないので自分の親に話して連絡先を手に入れた。


東京には俺達2人以外の親戚は大坂にいる。


いやもう一人いる。


昔、俺の祖父母達が沖縄から大阪に仕事を求めて移住しそこで父と母は出会って結婚し俺が生まれた。


俺は幼少の頃、アイツの母親、つまり叔母の美容室で遊んでた馴染みで何となく美容師になり技術を上げたくて上京した。


青山や原宿での修行時代は楽しかった。


1日中技術に向き合えた至福の時だが、人の入れ替わりが多く人間関係に落ち着きがないのでヘッドハンティングを機に横浜に移住したとたんにコロナ禍が起こった。


だから上京後はほとんど実家や地元にも疎遠になりアイツの事は知らない。


俺は関西弁はいつのまにか出なくなり標準語が身に付いた。


親戚からは「東京に魂を売った男」と評判だ。


アイツは親の跡を継がないで何をしてるかと思ったら。どうやら上京し脚本家みたいなフリーの仕事屋をしていて映画やドラマとかを手掛けてるらしい。


やるじゃん。


しかしこのコロナ禍はフリーにはキツイはず。俺もフリーのヘアデザイナーで退職になったきっかけはコロナ禍になって契約してたサロンが暇になったからだ。


独立を考えた矢先だったからまじキツイ。それで離婚にもなったと思い出した。


うーん。


そう考えるとトシカズの事は他人事とは思えず急に心配になってきた。


俺の方は生活費の心配もなくなったしコロナ禍が落ち着いてきたら仕事再開も考えてたのでここは探偵だな。


お節介好きに火が付いたか。


と考えながら洗濯物を室内干しし洗い物を終え、ヘルメットを手に取る。


三鷹ならバイクでの移動が早いからだ。


ヘルメットはアライのスペンサーレプリカだ。白地に赤と青のデザインで気に入っている。


スペンサーとは、本名はフレディスペンサー。大昔のアメリカ人レーサーで2輪なのにドリフトを武器に80年代に若くしてチャンピオンになり天才と呼ばれた伝説のライダーで叔父が大好きで俺も影響されたのだ。


叔父がバイクや車好きで草レーサーもしている時によくレース場に連れて行ってくれたしバイクと車の運転整備等の手解きもみっちりやらされてた。


その辺のバイク小僧には負けない気概があるけど現在のバイクシーンでは、それらの小僧はいないし皆大人しく乗っている。


鼓動が早まる。久しぶりの運転だから高揚してきた。離婚を機に昔に戻ったようだ。


もう一人上京組とは、この叔父である。


幼少から遊んでもらいバイクも車も教えて貰って…一緒にいる時間が長かったので叔父の世代、新人類世代に感覚は近いかも。


海外に仕事に行っている間に叔父の家に留守番として離婚後に転がり込んだ。


ありがたいのは車とバイクも付いている。


付いていると言うと怒られるが「エンジンかけて調子をみてくれ」と仕事として言われているので問題はない。うれしいのは車が2台にバイク2台も馴染みある好きなヤツだからだ。


日産スカイラインの32GTR。

白色で古い車だがサーキット走行を前提に仕上げてある。もちろんナンバー付きだが馬力はハイパワーで確か600馬力仕様だ。俺も何度かサーキットで走らせて貰った。


初めて見るのはBMWのX6のMモデル。

今流行りのSUVモデルでノーマル仕様。黒色でちょっと迫力がある。


この前に乗ったがセレブぽくって割りとお気に入りだ。


そしてバイクはホンダのCB900Fボルドール。赤色の限定車。80年代のかなり古いバイクで骨董品レベルなのに排気量アップに足回りを最新モデルから移植してある。叔父の一番のお気に入りだ。


そして今日乗るのバイクは決めてある。


ホンダのNSR250Rだ。こちらも骨董品。トリコロールカラーの限定車で叔父が新車から持っていた1台でもあり若い当時、よく乗せてくれてたバイクで思い出がある。


現在ではクラッシックバイクで環境に悪い2ストロークエンジンで中古なのにプレミアで高価だ。


バイク用品も叔父のだ。背が高く手足が長いのは遺伝だな。


お陰でサイズもピッタリだ。


カドヤのグローブは必須だ。外縫い製法で見た目は悪いが手を入れると抜群に動かしやすく丁寧にナメた牛革も軟らかく疲れない。


クシタニの赤色のジャンパーに袖に手を入れニンマリしながら姿見に見惚れる。


リビングの大きな鏡で見ると叔父に似ていてちょっと驚いた。


最近のバイクジャンパーは背骨のプロテクトも完璧で安全性が高い。ブーツは当然SIDIだ。スペンサーレプリカによく似合う。


革製品は帰ったら手入れしてやろう。


叔父の関東の家は変わったガレージアパートタイプで八王子の郊外にあった。


住んでいた都内のマンションもミキに取られたので離婚をし身の振り方を考えてる時タイミングよく叔父から声をかけてもらった。


叔父も独り身なので親近感が湧いたのか。


支度を整えタミコに、いってくるよ。と挨拶するもしっぽを降って応えてくれた。


階段を軽快に降りてた。1階のスペースはガレージだ。


夢のような造りだな。


GTRとX6の間をすり抜けまずはシャッターを押し上げた。


本当に気持ちのいい天気だ。


日差しが心地よい。


壁のキーをチョイスしNSRに差し込む。


家の作りやガレージ前の路面はコンクリではなく赤いレンガを使っていて英国風だった。


変わった事に屋根だけ鉄板で青色に塗ってあり変梃な建物だった。


NSRのスタンドを出してシャッターを閉めた。


玄関の無い家ってどうなのよ?


苦笑いしながらキック一発エンジン始動。暖気をさせる。


2ストはキックも軽くパランパランと湯気と煙を勢いよく出していた。


カストロールオイルのいい匂いがやる気にさせる。


周りの住人は居ないので気兼ねない。


アイツの住所と道順は頭に入れてある。


住まいは三鷹の深大寺。都内住みの時に3度ほどミキと蕎麦を食べに行ったのでよく覚えてる。


軽いクラッチを握り逆ミッションの一速を蹴り上げて気持ちよくスタートさせた。


バイクなら高速は使わない。


家の高台の下側は高速道路だが機動性を活かせる公道が好きだ。


心地よい風を受けながら坂道をエンジンブレーキのほとんど効かない2ストで降りてゆく。


交差点を過ぎると国道20号線になる。


三鷹まで真っ直ぐ一本道だ。


NSRを加速させる。


身体が暑いのか真冬の街は寒くなかった。



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