第9節 消えた男たち
メアリ・アン・ラミーのたましいを刈り入れた翌日以降、ビグリーフの住人たちは新たに投げ込まれた殺人事件で盛り上がっていた。
「やったのは墓荒らしらしい。ピストルで何発も頭に穴を開けられて、あの不気味な顔がもっと酷いことになったんだってよ」
「不気味なんて言うもんじゃないよ。彼はずっとまじめに墓所を守り続けたんだ。無事に主の元へ行けたことを願うよ」
酒場では勝手な意見が飛び交っている。
マクラ・グロッシのたましいは父の御元へは行けていない。この島の母の元だ。
それも、もっと前に。悪魔憑きの女と主教の手によってな……。
「可哀想なのは一人娘のラニャちゃんさ。短いあいだに肉親を全員失ってさ」
その通りだ。ラニャのことを想えば、酒がなければやっていられない。
あの子は父親の訃報にすら涙ひとつも見せず、父と愛した犬のために、その細腕で墓穴を掘った。
シャベルを手にしたその日すらも、教会の手伝いは欠かさなかった。
ラニャが気丈でいられるのは、実感が沸かないせいなのだろうか。
マクラの墓穴は、ぽっかりと昏い口を開けたままとなっている。
検死が済んでないせいで、死亡証明書だけが先に帰ってきているのだ。
「それに……なんて言ったっけ? あの悪魔憑きの女の世話も任されているらしいじゃないか」
悪魔憑きの女じゃなく、聖女クララ・ウェブスター様だ。
そもそもてめえ、教会までわたしを訪ねてラブレターを寄こした男じゃねえか。
「クララさんも不憫だねえ。天はあんないい子たちを見放しになられたのかね」
いいぞ、おかみ。もっと言え。
「それに、アニェちゃんもいい子だったんだけどねえ。あんなことになって。マクラさんを殺した犯人は、あの、首狩りの殺人鬼とはまた別なんだろう? あたしは最近、首にスカーフを巻いてないと落ち着かなくって困るよ」
「スカーフなんかで殺人鬼除けになりゃしねえよ。でも、おかみさんも気をつけなよ。どっちの犯人も捕まってないんだしさ。あんたのとこで酒が飲めなくなるのは寂しいからよ」
「寂しいだなんて。素直にあたしのことが好きとお言いよ」
「やめてくれよ。恋人どころか母ちゃんくらいの歳じゃねえか」
「何歳離れたって、いいじゃないかい。本土ではデートってやつが流行ってるんだろう?」
「若者のあいだでな! そういや、例のパブのマスターとあの不幸のメアリって、じつは夫婦だってんだってな」
「ちょっとあんた、やめなよ……!」
カウンターのふたりがこちらを見た。
わたしは黙ってグラスを傾ける。琥珀色の液体。
この「グレンキオー」なる銘のウイスキーは悪くない。気に入った。
修道院では赤ワインはイエスの代名詞ほどに親しまれていたが、本土の社交界を思い出すのがダメだ。
ビールは腹ばかり膨れるし、今後はウイスキーの世話になることにしよう。
「あんた、お悔やみ申し上げるよ」
おかみが話しかけてきた。
わたしは構わず酒を口に含む。ほのかなバニラ香と果物の香り、それをピートの煙たさがあとから追いかけてくる。
一口ごとに随分と楽しめる酒らしい。
「赤ん坊たちのことだけでも充分に不幸をしょい込んじゃってるのにさ。今度は旦那が殺されたんだろう? 周りがなんて言ったって、構うこたないさ。今日は好きなだけ飲みなよ。うちのおごりだよ」
そりゃ、降って湧いた幸運だ。わたしは「ありがとうございます」と口にさせた。
マクラの肉体が使い物にならなくなったため、今度はメアリの肉体を借りている。
カニンガム主教には話を通してあるが、これは少々面倒な状況だ。
メアリは赤子殺しで逮捕されるはずだったからな。
牢屋の中にいる肉体なんて、犬っころ以下だ。
ところで、面倒が「少々」で済んでいるのには事情がある。
あの晩、ジェイコブと結託して、わたしがメアリを、ジェイコブがパブのマスター、ハロルド・マグレガーを押さえる手はずだった。
計画外にマクラがメアリに返り討ちに遭って射殺されたのは見ての通り。
ところが、ジェイコブも姿を消し、ハロルド・マグレガーが殺されていたのだ。
ハロルドは首だけの姿となって発見された。
その晩はパブを閉めていたようだったが、殺人鬼の仕事は店内でおこなわれたらしく、凄惨な状況だったらしい。
発見者は二階に住むコートン少年だ。彼が早朝に目覚めると母の姿はなく、家主の首がカウンターに乗せられた状態だった。
その頃のわたしはメアリの肉体に居座り、カニンガム主教にメアリのたましいを納品しに教会へ行き、マクラの件と今後のことについて練っている最中だった。
ジェイコブはどこへ消えたのだろうか。
現場に被害者の頭部のみを残すのは、くだんの首狩りと呼ばれる殺人鬼の手口だ。
現場にいたはずイコール犯人は乱暴だが、ジェイコブがこの島に来たタイミングと連続殺人の始まった時期はおおむね一致している。
あいつがやったにしろそうでないにしろ、迂闊に姿を現わせられないのだろう。
話してみて、なんとなく裏がありそうな男だとは思っていた。
あるいは、ジェイコブも今ごろはこの島のどこかで首だけになっている可能性も否定できないが。
なかなかに青臭い正義漢だったからな。
「メアリ。やっぱり、ハロルドとできてたんだな」
隣に誰か座った。見覚えのないおっさんだ。
「今日は客を取る気はないわよ。仕事場も取り上げられちゃったし」
「俺はただ、あんたに同情してだな……」
おっさんは手にした帽子を揉みながら髭をもごもごさせた。
「なあ、仕事場を取り上げられたって。やっぱりあのパブは相続できなかったのか? 夫婦だったんだろう?」
確かにあの建物はハロルド・マグレガーの所有する不動産だった。
夫が死ねば資産は妻と子に分配される。
だが、ジェニーン立ち合いの元でハロルドとメアリが秘密裏に交わしていた結婚には裏取引があり、建物は教会の手に渡ることになっていた。
わたしはつまみとして出された小皿のカルフォルニア・レーズンを眺める。
しわくちゃだ。
秘密結婚の手引きをしたマザー・ジェニーン。
メアリの独白通り、老獪な修道女の長が裏で糸を引いていたのだろうか。
叶うことなら、次はあのババアを刈り入れたいところだ。個人的に嫌いだし。
だが、結婚の件をカニンガムに尋ねたところ、彼は関知していないと言った。
ハロルドは熱心ではなかったものの火山信仰者だ。
宗教同士の陣取り合戦を込みでの密約だったとすれば、やり手のカニンガム主教らしいやり口だと思ったのだが。
本当に無関係なのか、ジェニーンを失うのがイヤなのか。
これ以上働き手が消えてしまえば、禍人がmは過労死するか、禿げあがってカツラが手放せなくなるだろうからな。
今日日カツラなんて、役人か裁判所の連中くらいしかつけやしない。
大法官の野郎のズラが判決の際にズレていたのは、今思い出しても笑える。
「種が入ってるじゃないか」
酸っぱい顔をしながら種を吐き捨て、グラスをカラにすると、横から「おごるぞ」とさっきの男が声を掛けてきた。
「おかみさんのご厚意の酒なのよ。あんたなんてお呼びじゃない」
「急に冷たいじゃないか」
このおっさんはメアリの知り合いか何かだったのだろう。面倒だ。
腰に手を回してきて酒臭い……あ、これは自分の息か。
まあいい、とにかく暑苦しいひげづらを近づけてくる。
下流階級の娼婦の扱いなんて、こんなもんなんだろう。
「ハロルドのこと、忘れさせてやるよ」
しつこい奴め。「今日は客を取らないって言ってるだろ」
「そうじゃないさ。前から言っていただろ?」
おっさんの手の中で何かがきらりと光った。
黄金の……いや、真鍮製の指輪。
「結婚はもううんざりなんだ」
思わず本音が出てしまった。
おっさんはこちらの気配の変化を読み取ったか、手のひらの中に指輪を戻すと何も言わずに席を立ち、そのまま店を出て行った。
寂しげな背中だ。少しだけメアリの胸がちくりと痛む。
ちゃんと養ってくれる男がいれば、メアリは赤子を生活費にする必要もなかったのだろうか。
あんな赤子殺しでも、慕う人間や愛してくれる人間がいた……か。
だが、メアリはもうメアリじゃない。
わたしはおかみに追加のウイスキーを頼む。
飲んでいると、別の男からも声を掛けられた。
そいつは指輪こそは出さなかったが、コートンのことを口にした。
コートン少年は今、警官から聴取を受けているはずだ。
バカな話だが、ハロルド殺害時に真上で寝ていただけで容疑者扱いだ。
メアリのほうはカニンガムが証人となったおかげで、こうして酒場にしけこめているが、少年が戻ってくるのにはまだ掛かる。
あの宗教オヤジの顔を思い出すとムカついてきた。
我が愛しの共犯者、ロバート・カニンガム。
ヤツはメアリのたましいをカミサマに喰わせた。
わたしはそのさい、カミサマにわたしの罪の正体や贖罪までどのくらい近づいたかを尋ねてくれと頼んだのだが、自分の三又のフォークの出し入れに夢中で怠りやがった。
そのうえ、住み家を失ったメアリとコートンを、マクラの家に住まわせることを提案してきやがった。
なーにが、「墓守も空席になってしまったことだし、メアリに墓守を任せるのがよかろう。この転落した女は顔が利くだろうし、卑しい……もとい社会悪的な仕事からも足を洗えたほうが、息子にとってもよいだろうしな。うむ、主もそうせよと仰っていらっしゃる」だ。
ケチな女神は口を利いても、天の父がてめえなんかに御声を聞かせるわけがないだろ。一生ハゲてろ。
飲まずにはやっていられない。
クソくだらない結婚の話も思い出しちまったし。
いつになったら戻れるんだ?
美しき我が肉体どころか、娼婦な母親だなんて。
墓守の醜男も大概だったが、あれにはラニャの父親という美点があった。
今ごろラニャは教会からの通達を受けて、コートンとメアリとの同居を知っているだろう。
コートンはともかく、メアリはラニャへの恩をあだで返している。
わたしはメアリとして、どうやってあの子と顔を合わせればいいんだ。
本当なら、付きっきりで慰めてやりたいところなのに。
「おかみさん、もう一杯!」
「そろそろやめなよ。ウイスキーは生命の水だなんていうけどさ、ビールやワインなんかよりも、うんと強いんだよ?」
わたしはおかみの反対を押し切り、グラスに琥珀を満たしてもらう。
なんにせよ、急がなくてはならない。
ジェイコブとマザーは、その気になればメアリを牢屋に放り込める。
さっさとクララに戻るか、ほかに自由にできる肉体を手に入れなければ。
そうだ、狩りだ。刈り入れだなんて悠長なことをいわず、狩りをすればいい。
わたしはクララ・ウェブスターだ。
例え女だろうがなんだろうが、食われる側なんかじゃない。
わたしはグラスを片手に席を立つと、噂話で盛り上がっている連中の席へと向かうことにした。
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