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第7節 胡散臭い男

 本土では流行おくれとなり廃ってしまったコーヒーハウスだが、わたしは好きだ。

 挽きたての豆のこうばしい香り、腹を満たすのに手ごろな軽食。

 方々から聞こえてくる噂話たち。

 アルコールに任せた酒場(パブ)の下世話な会話とは違って、商談や経済、政治的な内容が多く聞けるのが面白い。

 まあ、パブはパブで好きだがな。


 ビグリーフ唯一のコーヒーハウスは、ヒースの丘の上に赤レンガの一軒家で構えられている。

 町を挟んで丘の向こうは、泥炭地から沼地にグラデーションをし、それを取り囲むようにキリナラの森が広がっている。

 キリナラの森は、島独自の楢の木の亜種が茂ってはいるものの、木こりと狩人、それから獣たちの暮らすありきたりなもので、毎朝に必ずかかる霧が神秘的な気配を漂わせている。

 以前は、寂しさを覚える景色だと感じていたが、噴火の被害を免れた地域で灰もあまり降らないこともあって、あらためてその美しさに気づかされる。


 さて、そのミステリアスな霧に負けず劣らずの、この胡散臭い青年だが……。


「僕はジェイコブ。本土から来た、どこにでもいる労働階級です」


 ゴールドヘアとサファイアの瞳に整った鼻筋。いわゆる美男子。

 二十半ばの彼はひと通りの医学を習得しており、さらに本土に綿織物工場をかかえる実業家だとか。

 おまえのようなやつがどこにでもいてたまるか。


「労働階級? ブルジョワジーに見えるな。この島には何をしに?」

「植民地に医学を伝えるための修行と、慈善活動です」


 慈善活動。恥ずかしげもなく言いやがる。ジェントルマン気取りか?


「向こうではひと遣いも荒いし、熱病も流行りますからね。でも、まだ経験が足りなくって、二の足を踏んでいるんです」

「ここはここで火山の熱で焼かれたがな。わざわざこの島を選んだのは、被災者を救うためか?」

「選んだ理由は、この島の発展具合が未開人の国と本土のあいだくらい……失礼、昔ながらの暮らしをしていたからです。被災者への支援活動はしていますが、来たのは噴火よりも前ですよ。イースターの少し前です」


 その時期あたりからだったか。首狩りの殺人鬼が活動を始めたのは。

 医者なら、検死活動などにも関わったりしていないだろうか。


 などと考えていると、出来上がったコーヒーが届けられた。いい香りだ。


「アマシマク島にも植民地支配の恩恵が届いているなんて意外でしたよ。このコーヒーも大規模プランテーションによって、一気に世界中に広まったんです」

「本土ではもう飽きられてるようだがな。どいつもこいつも紅茶のほうが好きらしい」

「本土にいらしたことが?」


 怪訝そうな視線……いや、好奇心でジェイコブの瞳が明るくなった。

 こちらのことをべらべら話すと面倒そうだ。

 興味はないが質問攻めにしてやろう。


「この島から出たことはない。噂話で知っただけだ。あんたはどこから?」

「ロンドンです」


 ロンドンか。


「……その顔、向こうの状況はご存知で?」

「知ってるとは言い難いな。だが、こんな辺鄙(へんぴ)な島にも噂は流れてくる」


 ロンドンを始めとした主要都市は、大量の移民どものせいで路地で人が折り重なって暮らす有様が何十年も続いている。

 歩けば動物の死骸や糞を踏みつけるし、下水道では赤ん坊の泣き声がうるさい。空気は瘴気に満ち、水は汚染され切っている。

 男はどいつもこいつもカネ儲けと借金で頭がいっぱいで、その隙間にガキの病気持ちのまたぐらか葉っぱの煙に逃げ込むばかりだ。

 女どもは路地に立つかメイドになるか、さもなければバカでかいスカートと窮屈なコルセットで砂時計みたくなり、女王すらも、未亡人となってここ数年はずっと喪服で、精神異常者に襲撃をされるのが日課だ。

 死と狂気に汚染されたこの世の地獄とは、まさにあそこのことをいう。


 そんな地獄を少しでもマシにしようと、なんでもいいから犯罪を犯した移民を捕まえ、片っ端からアメリカやらオーストラリアやら、なんとか島に向かう船に押し込んでいるのだ。

 アマシマク島も流刑地のひとつだが、産業の発展からワンテンポ遅れた田舎の暮らしのおかげで、噴火までは都会よりは暮らしやすかったはずだ。


「話を聞くぶんでは、都会のほうが慈善事業のやりがいがあるんじゃないのか?」

「あそこまで荒れたら、テムズ川に水を投げ入れるようなものです。都市は都市で医者も多いですし、情勢もいずれは安定すると見ています。アメリカは噂通りですし、オーストラリアもよその植民地よりはまともです」

「本土では墓守なんてやってられないんだろうな。そんな様子じゃ、都市全体が墓石みたいなもんだろう」

「言えてます」


 青年は口元だけで笑って答えた。


「話が逸れましたね。あなたはビグリーフの墓所を守り続けてどのくらいですか?」

「数えたことはない。三十年は越えてるだろうが。俺のことはいいだろう。呼び出した目的はなんだ?」


 ジェイコブはコーヒーをすすると、「お願いがあります」と声を潜めて言った。


「ずばり、遺体をいくつか譲って欲しいのです」

「……罪人のであれば、手続きさえすれば構わないが」

「いいえ。できれば、連続殺人犯の被害者のものがいい」

「被害者の? 主教が許可をしないだろう」


 現時点での被害者は七名。全員、見つかったのは頭部のみ。

 島外から来た貴族の頭は本土に返されたが、死んだ事情が事情だけにほか五名は特別に教会に安置されており、残りの一名……アニャだけは遺族の意向で母マリアと同じ墓に眠っている。


 解剖学のために死体を譲ってくれという輩は珍しくない。

 あとから掘り返す理由なんてないから、墓守さえ籠絡してしまえばバレることもない。世界にはカラの墓に祈りを捧げてるやつが結構な人数いるだろう。


「これでもダメですか?」


 ほらきた。青年実業家様は札束をテーブルに乗せた。

 好奇心と医学発展、何が目的か知らないが無駄だ。

 マクラなら鼻で嗤って突っぱねただろう。マリアの日記にも、夫婦そろってこの手の話に嫌悪感をいだいていたことが記されていた。

 遺品を奪ってはいたがな……。


 わたしも、マクラの肉体を間借りする者としてこれを許容することはない。


「被害者に絞る理由はなんだ? 彼らは頭部しか残されていない。骨相学でもやる気か? アマシマクの首狩り魔に狙われやすい特徴でも探すのか?」


 問うがジェイコブは答えない。

 しばらく見つめあったのち、わたしは無言のまま腰を上げた。


「お待ちください。失礼いたしました。今のはあなたが信頼できる人間かどうか、試したのです」


 それもまたお約束だ。

 犯罪の誘いが断られたら冗談と逸らす。この手の切り返しをどれだけ聞いてきたことか。 

 こいつのような人間を見ていると、偽善者の兄を思い出して反吐が出る。


「僕は、殺人鬼を追っているのです。被害者の一人の貴族の男は知人でした」

「そうか。お悔やみ申し上げる」


 適当に十字を切っておいてやる。

 ジェイコブもそれに続く。


「ありがとうございます。ですが、骨相学は信じていないのです。それに、今回お頼みしているのは、その件とは別の連続殺人(・・・・・・)の被害者のものです」


 ……。


 わたしは座り直し、「メアリか」と問う。


「気づいていらしたんですか?」

「毎年のようにガキを産んでは死なせてたらさすがに疑う。それに、赤ん坊からにおいがしていた」

「砒素中毒患者のような?」

「ああ。だから、わざわざ掘り返す必要もない。だが、あの女は埋葬共済に加入していないんだ」

「悪は悪ですよ。加入してないって言って信じるんですか? 見逃すんですか?」


 若造は身を乗り出して問い詰めてくる。

 ハエが飛んでるわけでもないのに羽音が聞こえる気がするな。


「名簿を確認したんだ。それに、メアリが殺したという証拠がないだろう」

「それはそうですけど……。同情を引いて客を呼び寄せようとか……」

「またぐらを赤ん坊で満席にしてしまったら意味がないだろう。お産で裂けることも珍しくないんだぞ」

「むう……」


 美形が悔しそうな顔をするのはそそるが、底が知れてきたな。青二才め。


「もしメアリがやっていたとしても、カネもなしに自分の肉体を傷めつけてるだけのイカレ女だ。ニンフォマニア相手に正義を振りかざす暇があるなら、聴診器を持って避難民のところを回ってきたらどうだ?」


「墓守の矜持を傷つけたことは謝罪します」

「どうでもいい。帰っていいか?」

「そうですか。でも僕は必ず彼女を告発します」

「好きにしろ。俺はメアリのことよりも、うちの娘の傷心のほうがよっぽど問題なんだ」


 こいつに嗅ぎまわれると、本来の使命にも支障が出る。

 ジェイコブよりも先にメアリがやったという証拠を固めなければ、彼女は牢屋行きだ。

 そうなると、たましいが手に入らなくなる。

 わたしはテーブルを離れようとした。


「待ってください! メアリにはカネを受け取れる手段があるんです」

「どういうことだ?」

「共犯者がいるんですよ。ある男が協力して、赤子殺しを繰り返させている」

「共犯者?」

「もう一度、名簿にアクセスできませんか?」


 ジェイコブはそう言うと手帳を開き、「とある男の名前」を指し示した。


「なるほど、これならあるかもしれないな」


 名簿に記載されていたのはカネを払っている人間だけだったが、個別の家族情報までは当たっていない。必要がないと思っていたからだ。

 もう一度、色ボケ牧師を脅さなくてはならないようだな。


「メアリは、こいつのおかげで飯が食えているようなもんだからな」

「よかった。協力していただけますね?」

 わたしは首を縦に振った。

「……ところで、ひとつ気になったんだが、まさかこの件について直接、尋ねたりしてないだろうな?」


 青年の顔が暴動で機械を叩き壊された経営者のように辛気臭くなった。


「すみません。やっぱり否定してましたけど」

「当たり前だ。メアリに告げ口をされて、証拠となる赤ん坊の遺体を処分されたりするかもしれんぞ……」


 わたしは額を押さえた。


「それで、墓守のあなたのところに来たんです。この前のお産のときの様子からして、信頼できそうだと思ったので」

「まったく……。だが、まずは裏取りだ。おまえの言うとおりだったら、協力しよう。ただし、条件がある」

「なんでも言ってください」

「相手はふたりだ。どちらがどう動くかも分からん。俺が墓場を張るから、おまえはもう片方を足止めだ。いいな?」

「分かりました。共に正義を為しましょう」


 もう一度握手をする。

 顔だけの青二才だが、利用させてもらうことにしよう。


 コーヒーハウスをあとにし、再びオブライエンにリストを出させると問題の男の名前を見つけた。

 追加で牧師を脅し、受取人の名前にメアリを確認。

 まったく、小癪な真似をするやつらだ。


 今夜、クララ・ウェブスターはメアリ・アン・ラミーを狩る。

 蜘蛛のように巣を掛けて、毒牙を磨きつつ獲物を待ちかまえようじゃないか。


***

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