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第5節 不幸のメアリ

 地上に戻ると、主聖堂でラニャがシスターたちに取り押さえられながら元気にわめいていた。


「メアリさんが産気づいたって言ってるでしょ!」

「悪いがあの子のところに人はやらないよ。あんたたちも行くことはないよ」


 背は低いが、ぴんと伸びた背筋。

 意地の悪そうなしわを無数に刻んだ顔には豊かな銀髪が乗っている。

 顔面脳味噌女こと、マザー・ジェニーンは手で追っ払いながら言う。


「なんで手伝ってくれないの!? コートンが忌み子だから!?」

「はっ。そんな迷信めいたことは言いやしないよ。おまえはなんにも分かっちゃいないんだ。メアリにどうしても産ませたいのなら、最近、港に住み着いた産科医の男を探すんだね」


 外から医者が入り込んでいたのは初耳だ。

 本土のほうでは産科医が職業として確立され、組合を作った。

 連中は産婆どもや同席したがる夫を産褥(さんじょく)から追い出しに掛かっているらしく、揉めた話をよく耳にしたものだ。

 医者どもはそこまでして膣が見たいのかね。

 冗談はさておき、国に認定された医者ならば腕前のほうは確かだろう。

 だが、年寄りや修道女を借りるのとは話が違う。メアリにそんなカネはない。


「もういい! みんな放して! 私がお医者さんを呼んでなんとかする!」


 ラニャは身体をひねってシスターたちを振りほどくと、外へ向かって駆けていく……も、立ち止まって振り返った。


「1ペンスをケチるババアは誰にも看取ってもらえないんだからね!」

「結構だよ。ドブで死のうがベッドで死のうが、どこだって主の足元なんだからね。もっとも、罪深い女は地獄に落ちるかもしれないがねえ」


「よくもそんなことを!」

 ラニャは顔面大噴火だ。対して、ババアは涼しい顔で笑っている。

「あんたなんて、へその緒で首をつってしまえばよかったのよ!」


「そんならあたしは、母親の胎を裂いてでも産まれてやったさ」

 ババアは肩をすくめて鼻から息を吐いた。


「~~~~!」

 ラニャは声にならない声で唸ると、「くたばれ!」と捨て台詞を吐いて退場していった。


「まったく、ラニャ・グロッシめ、どんどんと愛おしくなっていくね。誰かに似てきたんじゃないかね?」


 ジェニーンは笑って見送っている。

 シスター・マリアともこういうやりとりをしたことがあるのだろう、ババアの笑みは柔らかだった。


「あの悪魔憑き娘に懐いてただけあるよ」


 わたしのほうかよ。


 カニンガム主教をちらと振り返ると、そっぽを向かれた。

 こいつはこいつで、主教と女子修道院長の間柄のくせして、ジェニーンに頭が上がらないところがある。

 もちろん、聞き耳を立てていた男子どもも誰一人として動こうとしない。我関せずといった感じで、シートや灰の片づけをしている。


 やれやれ。気乗りはしないが、メアリの家を訪ねることにするか。


 ビグリーフの南にある港は、アマシマクと世界を繋げる唯一のルートで、島では産出できない生活必需品やカネを持った観光客、それから流刑の罪人が船に乗って運ばれてくる。


 漁船や運搬船が並び、おこぼれを狙った猫やウミネコがにゃあにゃあと賑やかだが、港にいる人間は腐った缶詰のような顔をしたやつらばかりだ。

 酒場では馬鹿笑いをするような船乗りどもも、現在進行形で荒波にもまれてますってていで埠頭をうろつき、所在なく安酒の小瓶を傾けている。

 元気なのは日雇いのガキどもくらいか。


 いちばん活気にあふれるべき場所がこのざまなのには、ふたつ理由がある。


 ひとつは噴火による外部との交流の減少、途絶だ。

 アマシマク島の周囲は潮流が早く、本土から離れており、島民が外部と連絡する手段は伝書鳩のみ。

 だが、噴火の混乱で多くのハトが使い物にならなくなってしまった。

 島外からの情報が遅れるようになり、今や私的な文通も制限されてしまっている。

 観光産業にも大打撃だ。かつては湯治場として人気を集めていたのだが、温泉が枯れたり沸騰したり濁ったりで、温泉宿の経営者が何人か首を吊った。


 それでも、見物をしに来る物好きはいる。成金ジェントルマンか貴族だ。

 わざわざカネと休暇を使って灰を被りに来るアホどもは、見ていて笑える。

 大抵は宿や火山灰に文句を言うだけ言って引き返すか、テューレの避難民村に紙幣を配って満足するかだが、この前、避難民村と間違えて落人(おちうど)集落に足を踏み入れた貴族の男が裸に剥かれる事件があった。


 羽振りのいい偽善者だったらしい。あれは傑作だった。手を叩いて笑った。


 だが、面白いのは剥ぎ取られるところまでだ。

 親切なやつが判事に知らせて、判事がどかどかと巡査どもを引き連れて駆けつけたのだが、時すでに遅し、貴族の男は首から上だけになっていた。

 ごろつきどもに殺された? まさか。連中はいのちは取らずに「また来いよ」と笑うだけさ。


 これがふたつめ。

 アマシマク島には、「首狩り」と呼ばれる殺人鬼が潜んでいる。


 被害者の頭部だけを現場に残し、そこから下の行き先は不明。

 切り取られた首の断面か口腔か、あるいは眼窩に犯人の体液が残される。

 ヤツは港とビグリーフを中心に殺人を犯し、教会に頭蓋骨を供え続けている。

 その被害者の中には、わたしの可愛い妹分にして双子の片割れ、アニェ・グロッシも含まれる。

 カミサマやカニンガムの意思とは無関係に、このクララ・ウェブスターは必ずヤツを見つけ出し、鎌を振るうだろう。


 さて、そんな血と灰の恐怖にまみれた港町でも、とりわけ「不幸」と呼ばれる女がいる。


 娼婦メアリ・アン・ラミー。

 産み落とした赤子をことごとく病で失う女。

 メアリは港にある酒場(パブ)の二階を借りて生活している。

 酒場が娼婦に部屋を貸すのは珍しくないが、子持ちのうえに腹ボテで仕事にならない期間も長く、人死にを出すメアリを置いてやる理由はなんだろうか?

 酒場には客はいない。ひげづらの主人はカウンターに両手をついて頭上を見上げている。透視能力でもあるのか?


「マスター、娘が来てるんだ。お産がらみだ。上がらせてもらうぞ」


 主人はこちらを一瞥すると、「マクラか。いっそのこと、あんたの仕事場のうえで力んでもらったほうが話が早いかもしれんな」と言った。

 右足を引きずりながら吹き抜けの階段を見上げると、ウエストコート姿の青年が下りてきた。

 首元のカラーをいじりながら、一段一段、すらりと長い足を落とすようにしてやってくる。


「あなたは?」

「俺は墓守のマクラだ」

「墓守!? これはいい! 僕は医者だが、ちょうど要らんと言われたところだ。あなたの出番はじきにやってくるだろう!」


 彼は諸手を上げて「主よ!」と叫ぶと、まるで酔っ払いがするかのようにどかりとカウンター席に腰を下ろし、ウイスキーの水割りを注文した。


 わたしは医者からマスターへ垂れ流される愚痴を聞きながら、手すりを頼りに不自由な足を使って階段を上る。

 クララならとっくにメアリの胎からガキを引っこ抜いてるところだが、マクラの身体ではここへ来るだけでも大仕事だ。


「お医者さんよ。メアリはカネを払わなかったのか?」

「カネはいいと言ったのに自分で産めると抜かした。あの少女も気の毒だ。僕を探して港中を駆け回ったろうに」


 実際、メアリは単独での出産も経験していると聞いている。

 わたしも何度か関わったことがあるが、ほかの妊婦と比べてまったく手が掛からなくて感心したものだ。

 個人的にはつまらないが。


 わたしはお産が好きだ。おろおろする関係者どもや、赤ん坊の猿みたいなおもしれーツラが拝めるし、ガキが将来どんなことをしでかすのかと考えるとわくわくする。

 新しくいのちが生まれるたびに、わたしは「面白おかしく生きろよ」と祝福してやるのだ。


 娼婦の子だろうと、クソ貴族の子だろうと、未来は分からない。

 前を向いてりゃ、いいことがあるかもしれない。


 ところがメアリの場合は、男手とモメめる旦那もいないし、すぽんと出してハイ、おしまい。スパイスの無いステーキみたいなもんだ。

 とはいえ、産褥には死神が潜むものだし、まだ現場で手伝いをした経験のないラニャには、いささか荷が重いだろう。


 扉を開ける前から呻き声が聞こえる。メアリにしては苦戦しているようだ。

 ひさびさに入ったが、娼婦の割には小綺麗な部屋だ。

 部屋の隅の衣装掛けには目を引くまっかな仕事着(ドレス)

 棚には化粧品や殺鼠剤(さっそざい)が並べられている。


 うなりながらベッドに横たわる妊婦のそばで、ラニャが「どうしよう、引っ掛かっちゃってるよ!」と悲鳴を上げている。

 一人息子のコートンは窓際に置いたスツールに座って耳を塞ぎ、外を眺めて祈りの文句をつぶやいている。


 回り込むとメアリの足のあいだから二本の足が生えているのが見えた。


「逆子か。俺が広げてやるからおまえが引っぱれ」

「お父さん!? なんでお父さんがここに……」


 驚くラニャを尻目に産道へ手を差し込み、指でガキのへそあたりを探る。


「臍帯は絡まってないな。早く引っ張れ。滑るから木綿を巻け。関節を外さないように気を付けろ」


 マクラの太い指で産道を広げてやると、びりっとイヤな音がしてメアリが絶叫し、ラニャが小さく悲鳴を上げた。


「何をしている。早く引っ張れ!」

「血が、血がたくさん!」

「もたつくとふたりとも死ぬぞ! それでもいいのか!?」

「イヤだ!」


 少女の拒絶の叫びののちに、産声が上がった。


 取り乱してはいたが、準備は万端だったようだ。

 湯や縫合用の針や糸、ハサミや酒なんかもちゃんと仕度がしてあった。

 ラニャはわたしの指示に従って適切に処置をおこない、傷を縫い合わせてようやくメアリに赤子を抱かせてやった。


「コートン、コートン!」

 げっそりとしたメアリが叫ぶ。

 息子は赤子を抱く母親を見ると、弾かれたように部屋を飛び出した。

 彼は外で明るいニュースを叫んでいるようだ。

 まあ、出産を隠匿すると縛り首だしな。


「よくやったぞ、ラニャ」


 肩を叩いてやると、ラニャは糸が切れたように床に座り込んだ。


「よかった。本当によかった。メアリさんは自分で産めるって言ったけど、赤ちゃんが足から出てきて。お医者さんを呼びに行ったのに、要らないって言われて、お医者さんが怒って出て行って……。そしたら、お父さんが」


 ラニャは首をかしげた。


「どうしてお父さんが?」

「それはだな。えーっと、カニンガム主教がこっそり行って来いと」

「そうなの? でも、お父さんがお産に詳しいなんて、ちっとも知らなかった」


 なんだか疑惑の目を向けられている気がする。

 なんの疑惑だか分からんが。


「そりゃあおまえ、ラニャとアニェを取り上げたのは俺だからだ。やり方はマリアに聞いていた」


 半分嘘で、半分真実だ。

 日記にはその通りに書いてあった。双子を取り上げたのはマクラだ。

 双子だと分かって手を引っこめた雑魚どもをどかして、彼はやってのけた。


 まあ、今しがた使った知識はシスター・クララが学んだのもので、今のマクラに宿るたましいもわたしのものだが。


「そっか、お父さんが……」


 見る見るうちに娘の顔がゆがんでいく。

 ラニャはわたしに抱きつき、死んだ母と姉のことを呼んだ。


「もし、上手くやれなかったら。また誰かが死んだらと思うと、すっごく怖かった。お父さん、来てくれてありがとう」


 わたしは泣きじゃくるラニャの背中をゆっくりと叩いてやる。

 こいつはずっと頑張ってきたんだ。

 アニェが殺され、マリアが病死して、クララが悪魔憑きと呼ばれるようになっても、一人でずっと。


「それから、ヘンな目で見てごめんなさい」

「ヘンな目?」

「この前、クララさんの身体に触ってるのを見たような気がしたから……」


 おっと。気をつけねば。


「達者なものですね」


 男の声が割り込んできた。部屋の入り口には医者が立っている。彼は手にした瓶から直接、琥珀色の液体をあおった。


「墓に放り込むだけが仕事だと思ったが、胎から引きずり出すのもやってのけるとは」

「やったのは俺じゃない。この子だ」

「見ていましたよ。隠すことはない。的確な指示だった」


 医者はもう一口あおると千鳥足で去っていった。


「墓ってどういうことなの? あなたは誰?」


 尋ねたのはメアリだ。


「私のお父さんよ」

「ラニャさんの……?」


 赤子を抱いた女の顔が、見る見るうちに怒りに染まっていく。


「墓守に手伝わせたっていうの!?」


 鼓膜を直接引っ掛かれるようなヒステリックな叫びだ。


「ああ、なんて縁起の悪いこと! きっとこの子も死んでしまうんだわ!」


 母が嘆けば赤子も泣き出し、さらに耳が苛まれる。


「手伝ってもらっておいてそんなこと言う!? あなたとコートンだけじゃ、どうにもできなかったでしょう!?」


 こっちもうるさい。まあ、こうなるのは承知でここに来た。


「放って置け、産後は気が立つもんだ」

「でも!」

「出ていけ! 死神め!」

「私たちがいなかったらそろって死んでたくせに! この恩知らずの売女(ばいた)!」


 わたしはぎゃあぎゃあうるさい娘をなだめすかして家に連れ帰り、あらためていのちを産み出す手伝いをした偉業を労い、母子の健康と繁栄を祈り、親子水入らずの時を過ごした。



 それから数日後、メアリの九番目の子どもは死んだ。



***

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