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第41節 悪魔の饗宴

 取り残された姉妹の最後の一人がどこにいるかは、深く考えるまでもない。

 食堂に入る前から、がたがたと騒がしいのには気づいていたが、シスター・ドロシアには余計なおまけがくっついていた。


「やっぱり、焼け死ぬまで放っておけばよかったか」


 太った修道女は食卓にかじりついて、すで空っぽの皿から空気をしきりに手で掬い、もぐもぐとやっている。

 しかも彼女の背後には、ノミの夫婦よろしく牧師のアホが取り付いていて、一所懸命に腰をへこへこと動かしていた。


「さて、どうやって引き剥がすか」


 言いつつもわたしは、やいばを出さずに鎌の柄を振りかぶった。

 とりあえず牧師の丸出しのケツに一発かましてみるも、ふたりは嬌声を上げただけで正気に戻る様子はない。


「おお、可愛いドロシー。おまえは私の娘だ。私の栄光だ」

 牧師はドロシアの尻を撫でまわして叩いた。

「まったく! 十歳とは思えない罪深いお尻め! お仕置きが必要だ!」


 ぱちーん! ぱちーん!


 頭痛がしてふらつく。あくなき欲望を引き出されたふたりへの呆れもあるが、悪魔でも覆い隠せなくなってきた火災の終焉が差し迫っていた。


 食堂に隣接する台所には勝手口がある。

 無論、水道もあり外には新鮮な空気も井戸もある。

 ゴールは目の前だというのに、ふたりを助けるのはとても困難に思えた。


 ならば、元を断つしかない。


 わたしは鎌の柄をそばに立て掛け、台所の戸棚を漁り始めた。


「ドロシアの好物がしまってあったはずだ……」

 戸棚から食器や小麦粉の入った袋を引っぱり出しては落とす。


「よし、あったぞ!」


 わたしはうそぶき、気配よりも早く(・・・・・・・)鎌の柄を握った。

 柄にはずっしりとした重みと、慌てた声がくっついている。


「げっ、しまった……!」


 目を丸くした童女が一匹釣れた。

 わたしは「よう、バルタ」と挨拶をすると、鎌にたましいのやいばを宿した。


「あんた、容赦なさ過ぎでしょ……」


 ずるりと鎌から転げ落ちるバルタ。

 彼女は鎌の柄にぶら下がっていたせいで、生まれたやいばに肩口から脇腹に掛けて斜めにばっさりと切断されてしまい、中身を床にぶちまけた。

 人と同じ臓物を撒いたが、けち臭いコウモリの羽根と、童女だったはずの顔は鼻の潰れた……なるほど、豚のものだった。


「ほかの二匹はどこにいる?」

「なんであたしたちの術が効いてないのよ……」

「天使の加護でもあるだろう。天もわたしを愛さずにいられないのさ」


 豚人間は「クソ人間め」と悪態をつくと崩れ始め、その中から光の玉が浮かび上がり、溶けるようにして消えた。

 悪魔にもたましいがあるのかと眺めていると、同じようにしていくつかの光が這い出ては消えていった。

 彼女に食われた者たちのたましいだろうか。

 悪魔の肉体は、光を失うと悪臭を放つ赤い土くれに姿を変えてしまった。


「プディングができたじゃないか。もっとも、ドロシアの好きなベリーのプディングではなく、豚の血で作るブラッド・プディングだがな」


 肩をすくめてみせる。わたしを出し抜こうなんて甘い。


「クララさんのプディングですって!?」


 食堂のほうから、何かが倒れる大きな物音がした。

 駆けつけると食卓がひっくり返り、ドロシアが辺りを見回し、「火事だわーーー!」とソプラノ発声をかました。

 彼女の足元には、仰向けに転がりながらも腰をへこへこと振り続ける牧師がいる。


「正気に戻ったな。逃げるぞ!」


 呼び掛けるも、ドロシアは両手を胸のあたりで構えたまま動かなかった。


「……うしろから突かれたわ」

「見てたが……黙っておいてやるさ」

「あたし、うしろから刺されたのよ」

「いいから、早く。オブライエンを助けたきゃ、おまえが担いでやるんだな」


 ドロシアは、ぼんやりとしたまま左手を背中に回し、撫でるような仕草をした。

 彼女の左手は赤く染まっていた。


 ぐらり、ふらふら。


 巨体がこちらにやってきて寄り掛かってきた。抱きとめるがクソ重い。

 手を伸ばして分厚い背中に触れると、脇腹のあたりでキッチンナイフらしきものの柄に触れた。


「……おまえ、バルタを殺したな。赦さない」


 幾分かトーンが低いが、カスプの声だ。


「どけ、ドロシア! 悪魔のお出ましだ!」


 ドロシアは「痛いわ、痛いわ」と呟いている。

 致命傷ではなさそうだが、彼女はわたしにもたれかかったまま動かない。

 このままじゃ、やられる。

 打開策が浮かんだが気が進まない。まあ、本物の悪魔相手だし構わないか。


「おい、バーナード・オブライエン! おまえの杖に打たれたがっている子どもがいるぞ! おまえの大好きな、小さな女の子だ!」


 むくり、牧師が起ち上がった。


「……なんだよ、おまえ!? 何をする!?」

「いけない子どもだ。罪の証がないか見てやろう」

「やめろお、服を脱がすな!」

「大人しくしないと地獄に落ちるぞ」

「カスプはもともと地獄出身だよお!」

「ならば、異教徒式の割礼をしてあげようねえ。さあ、ドロシー、おしおきの時間だよおおお!」

「わああ! カスプはドロシーじゃない!」


 事件が起こっている。まあ、ドロシアのせいで見ないで済んでいるが。

 今のうちにこいつを連れ出さないと。さもなきゃ轢死(れきし)だ。


 ドロシアをやっとのことで修道院の外まで運ぶと、計ったかのように背後で轟音がした。

 崩れたか。間一髪だな。


 そう思った瞬間、わたしは全身に衝撃を受け、宙に投げ出されていた。

 受け身を取り、背が痛むのにも構わず、すぐさま鎌を構える。


「なんだ、ありゃ」


 マヌケな声が出た。修道院はまだ崩れていなかった。壊れていたのは裏手の壁だけで、台所から食堂までが見通せるようになっている。


 そしてそこには、蹄の脚を持った者が立っていた。

 人間の二倍もあろうかという背丈で、頭部は牛のツラの怪物だ。


「バルタを殺シタ」

 引き締まった栗毛の脚が、足元でうずくまっている黒い何かを蹴飛ばした。

 フットボールの球のように吹き飛ばされたそれは、裏手の林の木に突っ込んでから落ちてきた。


 ドロシアだった。


「カスプを犯そうとシタ」

 今度は、猿のような毛むくじゃらで太い腕が振り上げられた。

 その腕は哀れで罪深いオブライエン牧師をつかんでいて、彼を何度も地面や瓦礫に叩きつけていた。


「悪魔を罠に掛けるなんて、ナマイキダ!」


 ぎょろり、と牛頭が横についた目玉を向けて睨んできた。

 目玉は牛のくせして白目がちで血走っている。


 カスプらしき悪魔は牧師を地面に落とすと、巨大な蹄で踏みつけた。

 熟し過ぎて落ちた蟠桃(ばんとう)のように脳漿(のうしょう)が飛び散り、わたしの靴先にまで目玉が飛んできた。


「偽物のクレイミーお姉さまはシネ!」


 長く黒い爪を持った悪魔の両手が赤い炎に変じる。

 ヤツは四肢を使い、こちらに向かって突進を繰り出してきた。

 まるで、蒸気機関車が全速力で正面から迫ってくるようだ。


 わたしはまっすぐ対峙したまま、大鎌を構え直す。

 ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ? ドゥルシネーア・デル・トボーソ?

 迫る怪物。舌を振り乱し、よだれを飛び散らせ、草はおろか骨まですり潰せそうな歯が丸出しになった醜い顔が視界一杯に広がった。


 瞬間、わたしは身をひるがえし、景気よく鎌を振り上げた。


 巨体は脱線事故のごとく横倒しになって土をえぐりながら滑っていき、林の木にぶつかってようやく止まった。


「イダイ! イダイヨオ!」


 膝丈よりもデカい牛の頭がわめいている。

 見事に胴体から切り離されているが、まだ息があるようだ。


「わたしには騎士やお姫様よりも、マタドールのほうが似合ってると思わないか?」

「ク、クララ! おまえには悪魔がお似合いダ……!」


 カスプは何か返事をしてくれていたようだったが、ついうっかり鎌を振り下ろしてしまった。

 見事に両断された牛の頭部は切断面を下にして倒れ、双子のようになると、ぶくぶくと泡立ち、赤い土くれへと変じた。

 バルタと同様、残骸からは悪魔に喰らわれたたましいが、這い出ては消えた。


「お姉さま、すごい!」

 嬌声に振り返る。

 ラニャだ。しかし、笑顔だったのは目を合わせたほんの一瞬だけだった。


「ごめんなさい。助けに行こうと思って、きっと裏から出てくると思って、裏には井戸もあったし……」


 彼女の首元には、燃え盛った巨大な鉾が押し当てられている。


「カスプまでやられるなんて。あいつ、あたしよりスゴかったのに……」

 わたしの可愛い妹を人質に取るメルチは、いまだに幼女の顔のままで、青白い顔色をしていた。

「でも、あたしは成り上がってやるんだ。おまえたちのたましいを喰らって!」


 小悪魔の瞳がルビーのように光り輝いた。

 周囲に紫煙が立ち込め始め、遠くから囁き声が聞こえた。


 それだけだ。


「なんで通じない!? だけど、まだ切り札がある!」

 悪魔の表情が醜くゆがみ、一転、笑顔に変わる。

「おい、クララ・ウェブスター! こいつを殺されたくなかったら武器を捨てろ!」

「お姉さま、聞いちゃダメ!」


 わたしは大鎌から炎を消した。


「どうして!?」

「おまえに死なれちゃ、わたしが頑張った意味もないだろう?」

「こいつはどうせ殺す気ですよ!」

「おまえが何もかもを受け入れたように。わたしもそうするだけだ」

「ダメ! どっちかが死ねば、残ったほうのたましいがより一層美味しくなるって言ってた! こいつ、お姉さまには勝てないからって!」


 メルチが怒鳴る。「余計なことを言うな!」


「私のことは捨てて、悪魔をやっつけてください!」


 目を閉じ、くちびるを噛み、鎌にやいばを再燃させる。


「おいおい、マジかよ!? おまえはラニャのことが大事なんじゃないのか!?」

「ああ、大切さ」

「こいつが犯されたことに怒って、あんなにも人を殺したのに!」

「そうだ、わたしは殺した。罪人とはいえ、卑しい連中とはいえ、重さの違わないいのちを、いくつも刈り取ってきた」


 ふたりに向かって一歩踏み出す。


「ホ、ホントにいいのか!? こいつのいのちとほかのいのちの価値は、あんたにとって同じなのか!?」


 メルチはハルバードを突きつけたまま一歩下がり、わたしとラニャを見比べた。

 ラニャは目を閉じ、下くちびるを強く噛んでいる。


「ひとつ訊く、町に術を掛けたのはおまえらか?」

「な、なんの話だよ!? そんなことより、ホントにこいつが死ぬぞ!?」

「そうなれば、わたしはラニャの死を背負って生きるだろう」


 二歩目を踏み出した。


「ちょ、ちょっと待てよ! ねえ、クララ! あたしと手を組もうよ!」

「おまえと?」

「あたしを殺せたって、大悪魔にはかなわないんだ。知ってるだろ? マザー・ジェニーンだ! 一緒にあいつをやっつけよう! そうしたら、見逃してあげるから!」


 三歩目。


「ひいいっ! 嘘です見逃してください!」


 メルチはハルバードを手放し、あとずさりを始める。

 ラニャから片手を離して少し下がり、ヤツの左半身は彼女の陰になった。


「動くなよメルチ。カスプは素手にも炎を宿していたぞ」


 わたしの耳は「あのバカ……」と歯噛みするのを聞き逃さない。


「ラニャを殺して、急いでたましいを喰らえば、勝算があるのではないかと考えているのだろう?」


 わたしは悪魔を嘲笑った。


「ク、クソッ、嗤うな! もし間に合わなくても、こいつは死ぬんだぞ!?」

「……わたしがラニャを死なせるはずがないだろう?」


 大鎌の火を消し、地面に打ち捨てる。

 悪魔は鎌を目で追うと、表情をほころばせた。


「約束しろ。わたしを殺して食らう代わりに、この子には絶対に手を出さないと」

「や、約束するよ! でも、おまえが信じるとは思えないなあ!」


 メルチの顔は、まだどこか引きつっている。


「お姉さま! どうして武器を捨てちゃったの!?」

 ラニャが抗議をしている。

「武器を捨てたら、お姉さまでも悪魔には勝てない!」


 悪魔の顔から引きつりが消えるのが見えた。

「そうだ、おまえは勝てないんだ!」


 ヤツの頭が雄山羊に変じ、以前よりもちょっと立派になったコウモリの翼を広げ、跳躍するのが見えた。


 業火を宿したかぎづめを、ラニャの頭に向かって振り上げて。


 わたしはラニャを突き飛ばし、悪魔とのあいだに割って入った。

 黒き炎の貫手が、わたしの左の頬を焦がす。


「結局は弱いほうを狙うか。よほど、わたしが怖いんだな」

「そうだ、クララ・ウェブスター! あたしはおまえが恐ろしい! 大悪魔よりも魔王よりも、おまえが怖い!」


 山羊頭がわたしの首に食らいつき、燃える悪魔の手が頬に爪立てた。


「のろまめ! さっさと殺してみろ!」

 わたしが叫ぶと同時に、山羊娘が離れた。


「ジジイ……なんで……」


 彼女の幼い首の側面から、弱々しい炎を灯した三又の棘が突き出ていた。

 小悪魔は首にフォークを突き刺したまま、地面に転がった。


「チクショウ、あいつを一緒に殺すって言ったから、見逃してやったのに……」


 もがくメルチのそばには、脚に添え木をしたカニンガムが肩で息をしながら立つ姿があった。


「遅い! 作戦通りにしてって言ったのに!」

 ラニャはへたれ込む主教を怒鳴った。

「お姉さまがケガしちゃったじゃない!」


 首のほうは傷にすらなっていない。所詮は草食獣だ。

 だが、頬は引きつり、触れずとも激痛が走っていた。


「あはははは! そうだ、やっぱり、あたしの勝ちじゃんか!」

 メルチはごぼごぼと血泡を吹きながら、けたたましく笑った。

「おまえは自慢の顔に火傷を負って生きるんだ! 屈辱と共に生きるがいい、クララ・ウェブスター!」


 悪魔の喜悦が、はしゃぐ仔猫のようにそこらじゅうを駆け回った。


「言いたいことはそれだけか?」


 鎌を手にして倒れたメルチのそばへ行く。

 彼女は人の姿に戻っていた。

 首に燃え盛るフォークの突き刺さった、哀れな童女の姿だ。


「そうだよ、クララお姉ちゃん! 美人になってよかったねえ!」


 勝ち誇った満面の笑み。


 お互いに。


「わたしが美しいのを知らなかったのか? 褒めても見逃してやらないぞ」

「強がりを言って! 悔しいくせに! ほら、あたしをばらばらにしろよ! 七十二回切り裂くがいい! それでも、おまえの顔は戻らないがな!」


 わたしは一度、小悪魔から目を離し、悲しげな顔をする妹分を見やった。

 笑い掛ければ、彼女にも笑顔が戻った。


「安い代償さ」

 大鎌の柄を高く振り上げ、たましいを灯す。


 最後に見た小悪魔の顔は、敗北を理解したお気の毒なものだった。


***

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