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第40節 立ち込める狂気

 修道院へ急行するわたしたちは道中、町で異様な光景を目の当たりにした。


 二日酔いの頭を振りながら家を出る男や、屋台に薄く積もった灰を払って仕事の準備する女の姿がある。

 港のほうからは、蒸気船の汽笛が鈍く重く響いていて、家計を助けんと子どもたちが元気よく駆けて行く。

 井戸端会議に勤しむ主婦たちや、海の凪を喜ぶふりをして、わたしを盗み見る若い漁師なんかも見掛けた。


 これは、いつものアマシマクの風景だ。

 ある二点を除いて、だが。

 ひとつは、立ち込める朝霧の色が、ジギタリスのような濃い紫をしていることだ。不気味で、邪悪なそれは容易に天使の敵を想起させる。

 そしてもうひとつ、教会の向こう側から黒煙が上がってる遠景があった。

 朝の礼拝に訪れる人の多い時間帯でもあり、この島の人間は世界中のどこよりも空の様子を気にするはずなのに。


 悪魔の吐息は、あまたの真実を覆い隠すらしい。

 だが、わたしたちは真実の目を持っていた。石畳の道に血痕が続いている。

 その先には血溜まりがあり、ジェイクがヤブだと罵った町医者がうつぶせに沈んでいて、そばには彼の頭部が胴体から離れて転がっていた。

 犬が惨殺された医者を見て唸っていたが、朝の町をゆく人々は迷惑そうに犬を避けて歩いた。


「お姉さま、私ってば頭がおかしくなっちゃったのかな?」

「そう言いたいところだが、逆だ。わたしたちだけがまともなんだ」

「悪魔って、恐ろしい力を持ってるんですね」


 ラニャが身震いをした。

 だが、わたしが「薬物や病の蔓延に比べたらカスみたいなものだがな」と言ったら、「それもそっか」と肩をすくめた。


 気になるのは、これをやったのはどちらかということだ。

 メルチのような雑魚でもこれだけの魔力があるのなら、大悪魔の本領というものは、さしものわたしでも茶化せないだろう。


「何かヘンな声がしませんか? 私の家……墓地のほうから」


 通りを抜けると、断末魔のような、獣の咆哮のような声が流れてきた。

 殺人鬼の家で聞いた風のイタズラとは明らかに別の、本物の怨嗟の声だ。

 たましいを逆撫でられるような、心臓をなめまわされるような。

 その声は姿を得て黒い棘となり、鋭く教会の方角を刺すように威嚇していた。


「怖いか?」

「ううん、みんな知ってたんです。悪魔が悪さをしてたんだって」


 元墓守の娘は、生家のほうを向いて十字を切り、祈りの文句を唱えた。


 わたしたちの住まいである女子修道院の吐く煙は、どうも普通とは様子が違い、ビグリーフを覆っていたものと同じ靄が黒煙とまじりあっていた。


 そして、燃える修道院の前には、見覚えのある顔ぶれが倒れていた。

 隣接する男子修道院の修道士や見習い、朝露が光る前から礼拝堂に足を運ぶ常連の信者たちだ。


「親方さん!」

 木工屋のおやじに駆け寄るラニャ。

「親方さん、起きて! ねえ、お姉さま!」


 助けを求める瞳に応じて、わたしはウィリアム・ウッドの頬を景気よく叩いた。

 反応ありだ。「おい、ハゲ」と罵倒を加えてもう一度ビンタをしてやる。


 おやじは「ハゲてねえよ……」と、うそぶくと、身を起こした。

 それから「火事じゃねえか!」と、頭をかかえ、ラニャを見て「おう、ラニャちゃんおはよう」と、すっとぼけたことを言った。


「おい、おやじ。寝ぼけてないで事情を話せ」

「うお、悪魔に憑かれてた聖女さんか。相変わらず別嬪だが、なんか口が悪くなったような……?」

「そんなことはいい、何があった? 中には誰か残っているのか?」


 おやじがいうには朝の礼拝の最中に、修道士の火事を知らせる声を聞いて教会を飛び出してみると、煙を吐く修道院と、その外で倒れる修道士たちの姿があったらしい。

 救助をと思ったところ、意識がいきなり無くなってしまったという。


「煙を吸った覚えもねえのに突然だ。尼さんたちの姿が見えねえが、まさか、まだ中にいるわけじゃねえよな?」


 おやじは「もう勘弁してくれよ」と力なく言うと十字を切り、コートンの名をつぶやいた。


「お姉さま!」


 今度の悲鳴は、ほとんど泣きそうだった。

 ラニャが抱き上げていた見習い修道士の少年の口元に手の甲を当てると、ビンタもキスも無意味なのが分かった。

 ほかの修道士も確かめるも、死んでいるか、息はすれどもまばたきすらせず目を見開いたままの状態が大半だった。


「派手にやってくれる」

 無意識の歯ぎしりに神経が鋭く傷んだ。


 ラニャはその場でひざまずくと十字を切り、彼らのために祈り始めた。

 だが、彼女がいくら涙を流しても、あの火は消せやしないだろう。


 ふと、木陰に白いものを見つけた。

 木の根元に背を預けるようにして何者かがいた。

 わたしが名を呼ぶと、そいつは長い棒を杖に立ち上がろうとした。


「ロバート・カニンガム! 逃がしはしないぞ!」


 詰問、もしくは拷問も辞さないつもりだったが、ヤツはすでに満身創痍だった。

 顔面は赤や青に腫れあがり、そこら中から血をにじませ、主教のローブには肩や背中に小さな靴跡が無数についていた。


「すべてを知ったのだな、クララ・ウェブスターよ。痛てて……」

 ヤツはフォークの柄を手放し、尻もちをつき、長く息をついた。

「言い訳はせん。斬りたくば斬るがよい。わしはもう、疲れた……」


「あいにく、聞きたいことが残っていてな。これをやったのはどっちだ?」

「どっち? やはりすべてを知ってるではないか。わしは、気づかなかったぞ。だが、知っていても同じことだったろう……」


 主教は痛みに呻き、震える手を右脚へと伸ばした。

 彼の右脚の先は、曲がるべきではない方向を向いていた。


「メルチたちにやられたのか」

「男が雁首揃えてこのざまだ。悪魔め……子どもの姿を借りおって……」

「いつからだ? ジェニーンと手を組んでわたしを騙していたのは」

「手を組んでなどおらん。脅されておったのだ。女神が悪魔の尻尾を出したのは、我々が罪なき者の肉を口にしてからだ。ヤツが肉の正体を話したとき、おまえは耐えかねて離魂したが、わしはそうはならなかった。我々の違いはそれだけだ」


 嘘かまことか。白髪交じりの髪を乱した男を吟味する。

 主教はわたしの視線から目を逸らしたが、そちらには若い修道士がいた。

 いつか彼が褒めていた青年だ。

 カニンガムの歯が腫れあがったくちびるを噛み、血がにじむのが見えた。


「クララ・ウェブスターよ。油断するな。悪魔どもは、奇怪な幻術を使いおる。我々は術中に嵌り、見たくもないものを見せられ、戦いたくもないものと戦わさせられた」


 カニンガムはわたしの腕をつかんだ。

 それから、謝罪の言葉をひとつ吐き出すと、もっと多くの血を吐き、胸元を汚した。

 彼の手が離れ、ずり落ちる。


「……ふん、信じておいてやる」


 わたしはラニャとウィリアムを呼びつけると、主教の介抱と監視を頼んだ。

 それから、燃え盛る修道院を睨みつける。

 裏手に井戸があるのを思い出していたが、迷っている暇はない。

 ラニャの止める声に「絶対に来るな」と返し、地獄の中へと飛び込んだ。


 入った途端、奇妙な感覚に囚われた。

 修道院は確かに燃えている。

 煙も視界を塗りつぶさない程度に立ち込めている。

 だが、煙は白でも黒でもなく、またも不気味な紫だ。

 そして、シスターたちもまだ屋内にいるらしかった。女性の声が聞こえる。


 最初に見つかったのは、シスター・フローラだ。

 彼女は人形を両手いっぱいにかかえていた。

 視界を塞がんばかり山積みにして、よたよたと廊下を歩いていて、その山から人形が転がり落ちると、屈み込んですべての人形を下ろしてから落ちた人形を山の上に乗せ直し、もう一度人形をかかえて、どっこいしょと立ち上がる。


「もう! ダメよ、大人しくしてて!」

 フローラは転がり落ちた人形に説教を始めた。

 一歩、二歩行くとまた人形が落下し、同じことの繰り返しだ。


「おまえはバカか! 早く逃げろ!」

「あらクララさん。火事なの。この子たちを助けるのを手伝って」

「そんなものは放って置け」

「ダメよ、焼け死んじゃう」

「また作ればいい、おまえは得意だろうが」


 わたしはフローラの人形たちを無理矢理に奪い、床に捨てた。


「酷い! 得意どころか作ったこともないのに。クララさんってば、エッチ!」

「は!?」


 わ、わたしがエッチだって!?


 動じるわたしをよそに、フローラは散らばった人形を拾い始めた。

 彼女は何かを呟いている。それには聞き覚えがあった。


 アニー、ジョシュア、ケビンにクレア。


 これは、昨晩の食卓で語られた、フローラの弟や妹たちの名前だ。

 彼女は人形を拾い上げ、愛おしそうに撫でるが、口元が弛緩し、目の焦点が合っていない。


 小さな声が聞こえる。お姉ちゃん、お姉ちゃん。

 人形たちが頭を揺らしながら、フローラのことを呼んでいる。

 気づくと、周囲に漂っていた魔術の煙が色濃くなっていた。


「フローラお姉さんが、お母さんの代わりに面倒を見てあげますからね……」


 うつろな表情で人形の束を抱きしめるフローラ。

 そこでわたしは、ヤツのケツを思いっきり平手で打ってやった。


「いやん!」「正気に戻れ!」


 彼女は目をしばたかせ、こちらを見ると「クララさん、大変なの。火事よ」と言った。


 分かったからさっさと逃げろと、フローラの腰を押して出口へと促す。

 彼女は床の人形を一瞥し、ひとつだけを拾って立ち去った。


 修道院の奥、毒が濃く立ち込めるほうを睨む。

 どこかでガキの笑い声がした。

 小悪魔どもを探して廊下を進む。

 通り過ぎようとした扉の向こうから、囁き声を聞いた。


 まっかになった部屋の中には、シスター・サラがいた。


 彼女は壁やカーテンが炎に包まれる中、ベッドの上に横たわっていた。

 仰向けになり、胸の上で手を組み、まぶたを閉じてる。


 ……まるで、燃える部屋を棺にしているかのように。


 わたしは叫び交じりに呼び掛ける。

 すると、彼女は目をちらっと開け、なんぞ呟いた。


「ああ、やっと王子様が来たわ」

「アホな夢を見てないで、さっさと起きろ!」


 警告するもサラは悠長に寝たふりに戻った。

 すると、床に溜まった靄の中から、植物のいばらのようなものが伸びてきて、彼女を覆い始めた。


「私は眠り姫。王女は王子様のキッスで目覚めるのよ」

「グリム兄弟の書いた版だな。あいにく私が好きなのはペロー版だ」


 サラは起きようとしない。キスもナシなら百年待つのもナシだ。

 痺れを切らしたわたしは、胸から鎌の柄を引っぱり出し、物語ボケしたシスターの額をぶん殴った。


「痛いわ! 乱暴はよして!」

「乱暴だと? おい、サラ。ペローやグリムよりも先に眠り姫の話を蒐集(しゅうしゅう)したヤツがいるのを知っているか?」


 サラはぴたりと固まると、わたしの顔を見た。


「ジャンバティスタ・バジーレって詩人なんだがな。そいつの話では、お姫様は寝ているあいだに何をされたか知っているか?」


 わたしは柄の先端をサラのまたぐらのあたりまで持っていくと、とんとんと叩いてやった。


「キッスよりもいいことをしてやろう」


 サラは短く悲鳴を上げ、ベッドから飛び起きた。

 同時に、彼女やベッドに絡みついていたいばらが霧散するのが見えた。 


「シ、シスター・クララ。私ってば一体……」

「悪魔の仕業だ。さっさと外に逃げろ。院の西側は崩れ始めてる」


 窓を叩き壊し、外に出るように促す。


 悪魔どもは、わたしとシスターたちで遊んでいる。

 趣向からしてジェニーンではなく、メルチたちに違いない。

 フローラとサラが掛けられたのは願望に付け込む魔術だろうが……。

 残りのふたりの顔を思い浮かべると、なんだか足が重くなった気がした。


「このまま放っておいて、焼け死んでもらうのもアリだな」


 冗談だ。念のため、この前までわたしが寝ていた看護室も覗いておく。

 ほら見ろ、魔性の靄だけでなく、致死性の煙も立ち込めている部屋で、アイリーンが机に向かって煙草なんぞふかしている。


「ふふっ、やっぱり自分で作るのが一番ね」


 薬物をやる幻影を見せられている、のか?

 こっちの頭がおかしくなりそうだ。


 口から煙草を離し、深く息を吐くアイリーン。

 白い煙と共に、なんだか酸っぱいような香りが漂った。


 つと、窓際に並べられていたはずの植木鉢に視線が吸い寄せられる。

 そのうちのひとつは見覚えのある五つ分かれの葉で、葉の多くが毟られていた。


「おい、アイリーン」

「なあに、クララさん?」


 アイリーンは煙草を再び口にした。


「火事なのは分かってるわよ。どうも妖しい気配があるのも。でも、外に出て吸ったら人がうるさいでしょう? ぎりぎりまで吸わせて」


 わたしは煙草を手で払って落とすと、正気だか狂気だか分からない非難の声を無視して腕をつかみ、薬中女を窓の外に向かってぶん投げてやった。


***

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