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第4節 主教カニンガム

 ロバート・カニンガム主教。

 アマシマク教区を統括する立場にある壮年の男で、政治方面においても島の実質的リーダーである。

 アマシマクは本土のとある市の一部として登録されてはいるものの、市長があれこれ理由をつけて滅多に来島しないために、主教が行政の代行をおこなっているのだ。


 カニンガムは「主教」とはいうが、本来の立場とは少し異なっている。

 離島の流刑地という特殊な環境が関係しているのか、教区内に司祭クラス以上の立場の人間が彼だけしか存在していないのだ。

 これも、司祭たちが宗派や異端のるつぼと化しているこの島を嫌って、近づかないためだと思われる。

 公認の牧師も現在は一名が灰の下で、男子修道院を受け持つもうひとり、バーナード・オブライエンはカニンガムと同じ屋根の下なわけだから、実質的にはカニンガム主教、マザー・ジェニーン、オブライエン牧師、以下修道士たちという簡素な組織図になる。

 洗礼や聖餐(せいさん)もカニンガムが務めることも多い。これを名ばかり主教と見るか、ありがたいことと見るか。

 なんらかの事情で閑職に追いやられている可能性もあるが……まあ、彼が無能な雑魚ではないのは確かだ。


 カニンガムの宗教的信条については不明な点が多い。

 土着の女神信者や異端者が教会の門をまたぐのを許している以上、厳格な主張を持つとか過激派だとかいうことはないだろうが……。

 わたしは、なんとか派だのなんとか主義だのには詳しくないのだ。

 もともと、半分はお遊びで修道院に転がり込んだのだからな。


 だが、人を見る目はあるつもりだ。


 カニンガム主教の人柄を一言で表すと、奴隷……二面性のある男だ。


 聖職者としては聖書を重んじ、主を愛し、堕落を嫌い堅忍を実践し、修道士見習いとも肩を並べて現地で土にまみれて救済の手を差し伸べる。

 人望もあり、牧師をすっ飛ばして告白や懺悔を受けることも多々だ。


 一方で、教区や島の管理者としては合理的で実利主義。

 ときには「愛のない決断」すらも辞さない。

 彼が単純に情を取るだけの男だったら、今ごろビグリーフの住人は灰を被った貧者のための馬車馬となり、町全体がスラムと化していただろう。


 煩悩周りも清いものだ。飯は修道士たちと変わらず質素で、行事ごと以外では金ぴかの衣装を引っぱり出さないし、酒は食事の葡萄酒だけ、阿片(あへん)はもちろん、タバコすらもやらない。

 本土から派遣される牧師は、わたしが修道院にいた二年間だけでも、シスターの裾をまくろうとした咎や、男子修道士見習いに咥えさせた噂で三人破門されているが、カニンガム主教についてはその手の噂がささやかれることすらない。


 それから、このクララ・ウェブスターに色目を使わなかった男は、こいつが初めてだった。

 何が楽しくて生きているんだ? おまえは本当に人間か? 頭がおかしいんじゃないか? ……おっと。

 とにかく、本土の似非聖職者や、腐った貴族どものような連中とは違う好人物だといえよう。


「主教様、折り入ってお話がございます」


 カニンガム主教は修道士たちに混じって、花壇や菜園から灰よけのシートを外しているところだった。

 降灰は一時的だったらしく、空は赤くなり始めている。


「おお、これはマクラ殿。墓所に添える花をご所望かね? それとも、ここにはないもっと可憐な花について?」

「後者のほうで」

「……ついてきなされ」


 主教に連れられて教会に入り、奥にある地下への階段を下りる。

 そこには石畳の牢獄を広くしたような部屋があり、心もとなくロウソクの火が揺れる陰気な景色を作り出していた。


 ここは「儀式用」の空間だ。

 儀式とは、わたしたちキリスト教徒のためのものではなく、火山に住まうという女神、「カミサマ」を信奉する者たちのおこなうもののことを指し、ときにはほかの異端者のためにも用いられる。


「敬虔なる姉妹クララ・ウェブスターよ。思いのほか熱心に使命に打ちこんでいるようだな。もう二人目とは感心だ」


 笑顔だ。彼は手を差し出してきた。「瓶」を寄こせということなのだろう。

 だがあいにく、今日は別の物を持ってきた。


「刈り入れのほうはまだだ」

「む、これは早とちりな右手だな」


 カニンガムは左手で自分の右手をぱちんと叩いた。


「では、なんの要件だ?」

「主教()にお尋ねしたいことがございまして」


 日記を差し出す。


「わたしは、この入れ物(・・・)が死に値する存在だったかを疑ってる」

「ふむ、マクラ・グロッシを憐れんでのことか。後悔を?」

「元の身体に戻れるのなら、誰でも斬るつもりだったが……。どうも、あんたらに嘘をつかれている気がして気に入らない」

「はっきりと言う。まあ、おまえはそういう女だったな」


 主教はなんだかがっくりして日記を受け取ると、ぱらぱらとめくり始めた。


「マクラが遺品に手を出していた理由が書かれてる。双子を忌み子とするのは火山信仰のほうだし、マクラやマリアに押し付けるのは不合理だ。連中の機嫌取りがそんなに大事だったのか?」


 主教は沈痛な面持ちでため息をつく。


「それだけではない。島はそれほど広くない。輸出品で得られる必需品には限りがある。外とパイプのある古くからの有力者には火山信仰も多い。連中は信者の人口バランスに敏感だ。教会が積極的に産褥の場に足を運ぶのも、問題が起こる前に調整をするためだ」


 マクラに渡す生活費を絞って「数を減らす」予定だったわけだ。


「回りくどいな」

「いかな理由があろうとも、法も遵守されねばならない」

「法というのなら、罪人やアマシマク生まれの遺体の盗掘については何も定められてない。マクラのたましいを邪とする根拠には弱いだろう」

「それは国法上の話だ。ここはアマシマクなのだぞ」

「あんたが決めるとでも?」


 主教は視線を床に落とし、かぶりを振った。

 気のせいか、口元が笑っているように見えた。


「ここでの法は女王陛下でもなく、聖書でもなく、ましてや、わしなどでもない。太古の昔より火山に住まうカミサマが全てを決めるのだ」

「アマシマクのカミサマ……」

「女神じきじきのご指導というわけだ」

「……」

「我々には決定権だけでなく、時間もない。共犯者よ、この島を救えるのはおまえだけなのだ。大義のためには、ときに小さな愛を見捨てねばならぬ」

「わたしは元の身体に戻れれば、それでいいんだがな」


 またもカニンガムはがっくりした。


 アマシマク火山は活火山だ。

 噴火そのものは小規模なものが古来より断続的に発生していたが、数ヶ月前のスコーフル火砕流を生んだ大噴火は、本土の新聞にまで掲載されたほどだ。


 カミサマを信じる者がいうには、罪人もしくは生贄が捧げられなくなったためにカミサマの堪忍袋がぱんぱんになり、いよいよぷっつん、今回の大噴火に至ったのだとか。


 本土では産業が発達して、父なる神の存在すら揺るがされ始めているというのに、土着の女神の機嫌取りだって?


「そんな顔をせんでくれ。わしも恥じておるのだ」


 噴火時のわたしは、世迷言を鼻で笑いながら教会に仕えつつ、被災者の救済に努めていた。

 ところがある日、カニンガム主教に「カミサマの実在」を打ち明けられたのだ。


 カミサマとは父なる存在ではなく、この島の母たる女神。

 火山をつかさどるという女の機嫌ひとつで、山はどっかーんというわけだ。

 彼女の怒りを鎮めなければ、更なる破局的大噴火によって島はマグマに焼き尽くされ、灰は太陽を遮り、本土はおろか地球の大半に冬をもたらすことになるのだとか。


 おいカニンガム、冗談は顔だけにしろ。

 当時のわたしは軽口を叩いたが、笑えていなかったと思う。


 なぜならあのときのわたしは、酷く混乱していたからだ。


 振り返ると、石の祭壇が見える。

 主教から告白を受けた時、わたしはあの上で「目覚めた」ばかりだったのだ。


 だがその目覚めは普段のものとは違い、「わたしがわたしを見下ろしている」奇妙なものだった。

 夢にしては妙にリアルだった。直感的に、わたしの肉体がわたしのものではなくなったと悟った。


 なぜそうなったのかは分からない。

 その日の記憶がすっぽりと抜け落ちていた。


 カニンガムは不吉な未来だけでなく、わたしに「罪」があることも教えた。

 その罪のためにカミサマに目を付けられ、たましいを肉体から剥ぎ取らられ、禊ぎとして彼女に与えられた使命を果たすことになったらしい。


 使命は、カミサマの与えた力をもって、罪人のたましいを刈り取り、捧げること。

 しかし、「罪」の正体は教えてはくれなかった。


「……とはいえ、わしとしてもマリアやマクラが憎かったわけではない。異端者どものために殺すなんてもってのほかだ。ゆえに、ある契約をしていた」


 双子を五歳まで育て上げること。

 その後は修道院で預かり、衣食住を保証し、火山信仰者の悪意からも守る。


「カネ周りはどうしていた? 表向きは吸い上げても、こっそり支援をしていたんだろう」

「そうしていたのだがな……」


 カニンガム主教は哀しげだ。イヤな予感がする。


「ふたりは遺品の窃盗をやめていなかったようなのだ」

「必要がなくなったのに?」

「そうだ。発覚したのは本土から来た解剖学者に頼まれて罪人の遺体の提供をおこなったときだった。といっても、マクラたちがやったという証拠をつかんでいなかったため、これまでは不問としてきたのだが……」


 いよいよカミサマが裁けと宣った。

 本来なら火口に捧げられるべき罪人の所有物に手出しをした墓守どもは見逃せぬ。

 穢れだ。穢れたたましいだ。ゆえにたましいを刈り取れ、と。


「いつから女神が口出しをするようになったんだ?」

「わしも最初は半信半疑だった。働き過ぎからくる幻聴だと決め込んであしらっていた。もう、七年も前だ」

「長いな。それでよく女神はキレなかったな」

「それなりに相手をしていたからな。声にうっかり返事をして、周りからヘンな目でみられたこともある」


 わたしは肩を揺らして嗤ってやった。


「最初は自分を信じさせることばかりに執心していたな。だが、この島である事件が起きたのをきっかけにヤツのやり口が変わり、こちらも信じざるを得ない状況に追い込まれたのだ」


 主教の靴音が遠ざかる。隅に並んだ壺のひとつを開け、その中から「光」を取り出した。


「それは、マクラのたましい……」


 主教が手にしていたのは、見覚えのあるワインの空き瓶だ。

 あの中には、マクラのたましいが封じ込めてある。


「そう。おまえが刈り取ったたましいだ」

「意地の悪い言い方をするな」

「事実だろうに。今後もカミサマの匙加減では、おまえにとって都合の悪い人間が刈り入れの対象に選ばれるのだぞ。慣れておけ」


 不愉快だ。「自分はただの伝書鳩だからって」と呟くと、「聞こえておるぞ!」と返された。


「わしはわしで、カミサマに役割を与えられたのだ。……見ておれ」


 カニンガム主教はボトルを祭壇に置くと、その前で足を閉じて直立した。

 それから、両手を胸の前で強く握り合わせる。

 いや、何かをつかんでいるようなしぐさだ。


 ふいに彼の胸から、飛び散るマグマのような光が起こった。


 主教は苦しげな唸り声をあげながら、胸の中から人の背丈ほどもある棒を引きずり出した。


「それは……!」

「そう、おまえと同種の力だ。もっとも、おまえの鎌が刈り取る役目を持つのとは違って、わたしのフォークは給餌用だがな」


 彼が棒を両手で構えると、尖端から深紅の炎が三又に(おこ)った。

 マグマに瓜二つの色をしたはずのそれは、見ているだけで身体が芯から冷える気がした。


「コルクを抜け」


 指示に従い、たましいのボトルを開封すると、青く美しい光があふれ出てくる。

 エーゲ海をひと粒のサファイアに閉じこめたような輝きだ。

 何度見ても納得がいかない。これが、罪人の穢れたたましいだと?


 光は火球のかたちにまとまると、宙をふらふらとさまよいながら、わたしに向かって流れてきた。



 ――あの子を、ラニャを頼む。



 眩暈がした。今、何か声が聞こえたような……。


「下がっておれ」

 追っ払われて距離を取ると、三又の赤い炎がたましいへと突き込まれた。

 銛を撃たれた魚のように、マクラのたましいが串刺しとなって暴れた。


 彼が「あなたのための贄を捧げます」と呟くと、三又の炎がたましいをぐるりと包みこんだ。

 炎はまるで咀嚼でもするように大きくなったり小さくなったりを繰り返し、元の三又に戻ると鎮火し、たましいと共に跡形もなく消えてしまった。


「何が起こったんだ?」

「マクラのたましいをカミサマの元へ送った。わしはその任を賜ったのだ。おまえが刈り入れ、わしが送る。どうだ、これで私とおまえは公平ということだな?」

「どこがだ。わたしは実際に人の首に鎌を当てて殺すんだぞ」

「それこそ、罪の差だろう。おまえの贖罪のためだ」

「逆に罪を重ねてる気がするんだが」

「否定はできんな」


 ふっと、カニンガムの表情が沈む。


「わしだって、島民たちを人質に取られていなければ、あれは女神ではなく悪魔のたぐいだと断じていただろう」


 聞こえるか聞こえないかのささやきだ。

 それでも、彼は言い終えると、まるで頭上にカミサマがいるかのように見上げ、首を縮めた。

 怯えている姿を見るのは初めてだ。


 わたしはため息をつく。


「こっちも早く自分の身体に戻りたいから従うが……。で、カミサマが罪人を決めるのなら、次は誰を殺せばいいんだ? 誰のたましいが穢れてるかなんて、わたしには分からんぞ」

「殺すのではない。捧げるのだ。墓荒らし、殺人者、我々の計画の邪魔になるもの。あとは、別途カミサマが命じた人間であろうな」

「幅広過ぎ……」


 とんだシリアルキラーになるぞ。


「元の身体に戻りたいのだろう? それに、鎌を扱うにはクララの肉体でなければならんのだ。刈り入れの機会が多いのは、悪い話でもあるまい」

「悪い話だろが。殺しの瞬間だけ元の身体に戻れるなんて。わたしは快楽殺人者じゃないんだぞ」

「だが、悪魔憑きだろう?」

「それはおまえが設定した世間向けの言い訳だろうが。もうちょっと無難な言い訳を作れよ。わたしを乗せた車いすを押すラニャが後ろ指を指されてるんだぞ」

「ならば、どのような理由がよかったのだ?」

「そうだな。魔女の魔法に掛けられて王子様のキスでなければ目覚めない、なんてのはどうだ?」

「おまえの肉体に有象無象の男どもが群がるのが見えるぞ」


 わたしはゲロを吐く仕草をした。


「わしの勝ちのようだな」


 カニンガムはふふんと笑った。不愉快だ。

 うらめしく見つめると彼は咳払いをし、「とにかく!」と声を荒げた。


「おまえの双肩にこの島の命運は懸かっておる。悪人のたましいをわしの元へじゃんじゃん持ってくるのだ!」


 彼は顔をまっかにしながら両手で掻き込むような動作を繰り返して、「じゃんじゃんとな、じゃんじゃんと!」と呻いた。

 わたしが「島民がごっそり減っても知らんぞ」と言っても彼はやめない。

 お疲れのようだ。わたしも帰って、自分の肉体を愛でて癒されたい。


「では、次に会うときはよい報告を待っているぞ、姉妹よ」

「できれば次で終わりにしたいところだよ」


 わたしは主教に背を向け、マクラの口の両端を思いっきり釣り上げた。

 今のやり取りで、カニンガムもカミサマも信用できない、と決めた。

 不利な状況に呑まれかかっていたが、やはりわたしはわたしの教義(ドグマ)にだけ従うことにする。


 だが、身体は返してもらわねばな。


 さて、誰を狩ろうか。消えたほうがいい人間や、個人的に嫌いなヤツがいい。

 島外の人間のたましいでも構わないのなら、カミサマを腹いっぱいにさせてやれるほどにアテがあるのだが、島からは出られそうもない。

 目下、アマシマクを騒がせている「あいつ」は誰にとっても邪魔だろう。個人的に怨みもある。あいつは刈り入れどきをとっくに迎えている。


 復讐だ。仇を取るんだ。

 成就を思い描きながら階段を上っていると、上から何やら叫び声が聞こえた。


「このクソババアーッ! 誰でもいいから人をよこしてよーーっ!」

 ラニャの声だ。


***

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