第39節 いのちの正体
岬の高台から見下ろす風景。
くさはらの坂道から続くビグリーフの町は穏やかに見え、悪魔や殺人鬼とは無縁に思える。
普段は島民を困らせるアマシマク火山も、噴煙は今日が白く、向こうを見透かせそうなほどで、牧歌的とすらいえた。
本土とは違い、アマシマクの夏は灰や雲が邪魔しなければ半裸でも汗ばむほどに気温が上がる。
涼しかった地下室からそんな世界に出てきたわたしは、シャツのボタンをひとつ外し、ラニャも髪をまとめ直した。
「このクソ暑いのに、ご苦労なことだな」
ふもとにコート姿の男を見つけた。
吹雪から身を守るように必死に前を合わせて、こうべを垂れながら坂道を上ってくる。
フレデリック・スタッフ。アマシマク唯一の革細工職人。
剥製技術やエンバーミング技術を持ち、骨細工も手掛ける工芸師でもある。
長身で痩せ型。病弱にも見えるその容姿からは、彼の本性を探り出すのは難しいだろう。
坂を上る足取りがおかしい。
罠を警戒しているだけでなく、負傷もしているようだ。
「ラニャ、ヤツはジェイクの銃を持っている。顔を出すなよ」
わたしたちは戸口まで引き返し、殺人鬼の帰りを待った。
「近づいてきたら、飛び出してその鎌で、ずばーっ! ってするんですね?」
「通り魔もいいところだな。ヤツには聞きたいことがある」
妹分は不安げにわたしの肘をつかんだ。
「心配するな。わたしは強いんだ。クレイミーの身体のときですら、拳銃を持ったジェイクをずたぼろにしてやったことがあるんだぞ?」
「ええ……」
ラニャは「クレイミーお姉さまのイメージが」と肩を落とした。
尻のポケットに入れておいたスキットルも脈打った気がする。気のせいか?
わたしは「ケツに触るな」と念じながら、ポケットを叩いておいた。
フレディが近づくにつれて、風と混ざってヤツの声が聞こえてきた。
医者がどうとか、チクショウだとか独り言を言っている。
途切れ途切れで苦しげだ。ジェイクが一矢報いたのだろう。
「そろそろ行くか」
ポーチに出ようとすると、中腰になっていたラニャが立ち上がった。
「私も」
「おまえは奥で待ってろ。銃弾はこのボロ壁くらいは貫通するぞ」
「お姉さまばっかり、ズルい」
「気持ちは分かるがな。アニェの仇はわたしが討つ」
「私、足手まといですよね」
「そんなことはないさ。確かに、おまえが撃たれでもしたら正気でいられないが、近くにいてくれたほうがいい」
ラニャは不満げに唸ったが、撫でてやると奥へと引っ込んでいった。
「よう、フランケンシュタイン博士」
フレディは足をぴたりと止めると、酷くうんざりしたような顔でわたしの不名誉な通り名を呼び、それから博士の名を繰り返して首をかしげた。
「本は読まないのか? この島はあまり書物が入ってこないからな」
「なんの話だ?」
「小説の話さ。ビクター・フランケンシュタインは科学と錬金術で、理想の人間を作ろうとするんだ。だが、実際に出来上がるのはうすのろの大男でな」
「理想の人間なんていない。存在しない」
負傷は大きいようだ。フレディのコートの胸元を押さえる手は血まみれだ。
わたしも肩をすくめてから胸元を押さえ、「理想の人間はここにいるだろう? 殺人鬼さん」と言ってやった。
「見てくれは人の正体を現さない。ぼくも頭こそが人の本質だと考えていたが」
「だから首を狩ったのか?」
「最初は。だが、頭を切り離そうが、脳を覗こうが、彼らはそこにいなかった」
「哲学的なもの言いだが、ただの変質者だろう? 死者の頭で楽しみやがって」
ヤツは顔じゅうをしわだらけにして「違う!」と叫んだ。
叫ぶとコートの裾から血がぼたぼたと垂れるのが見えた。
傷を押さえるのをやめて懐から抜き出された手には、ピストル。
「死者とつながることで、いのちの正体を確かめたかったんだ」
「いのちね……。男にも同じようにしただろう。雄だけのいのちじゃ片手落ちだ」
「頭には脳がある。胸には心臓がある。人の表面に人の本質が見えないのなら、中身だ。臓物をえぐってもいのちはいなかった。脳、心臓ときたら生殖器だ」
「結局はそこに落ちつくわけだ。おまえが何を探しているのか知らんが、人間はおろか、生物の本質、いのちの本質が生殖だというのなら否定はしない。だが、そんなことは花や虫でも知ってることだ。おまえの無意味な遊びに付き合わされた者たちが不憫でしょうがないよ」
「遊びなんかじゃない!」
銃口が向けられた。
わたしは鼻で嗤う。コルトに改善を打診したほうがよさそうだ。
チャンバーの空洞が、残弾がラスト・ワンかゼロなのかを教えている。
「地下の作品を見た。おまえは腕前は確かだが、センスが悪い」
「生前の再現をおこなったんだ。あるいは偶像にしてみた。だが、人の暮らしにも、理想像にも答えはなかった! 商売女、針子の女、木こり、経営者! 知識人! 貴族! 聖なる処女! 家族の営みさえもいのちの答えを示さなかったんだ!」
男は叫ぶ。「シスター・クララ! おまえも聖職者なら、いのちの正体を教えてみろ!」
こいつが何を探しているのか、わたしは知っている。
わたしにはもう、見飽きたものだ。
「おまえの知りたい答えは、わたしが持っている」
フレディは固まると、片手で額を押さえて肩を震わせて笑った。
「出鱈目じゃないだろうな? 主教やマザーすらも答えられなかったのに」
「優しく教えてやるさ。代わりに、こちらの質問に二、三、答えてもらおうか。悪魔どもとは……」
顔を押さえたヤツの指の隙間で、眼光が鋭くなった。
同時に、わたしは鎌の柄を支えに跳躍する。
轟音、着地。動く標的を追って照準を左右に振るのは、誰でも思いつく。
上は考えもしなかったろう? 銃弾は壁に穴を開けた。
後方に小さく、「びっくりしたあ」と声を拾った。
「弾はもう無いんじゃないのか?」
フレディは銃を捨てるとコートを開いた。
まっかになったシャツが覗く。
ヤツの手がベルトに差してあった鉈を引き抜く。こちらも血まみれだ。
「教えてくれるというのなら、おまえでひと通り試せばいいだろう……!」
「わたしを解体してしまうのか? そりゃ、金貨でパセリを買うようなもんだ」
鎌の柄を突き出す。ヤツは鉈を構えた。
「フレデリック、悪魔とはどういう関係だ?」
「悪魔?」
「マザー・ジェニーンや主教とつながりがあったはずだ」
「ああ、確かに連中は悪魔だ。人食いのな。教会の連中は、ぼくの仕事を見逃す代わりに殺しの依頼をしたり、肉の注文をしたんだよ」
無意識に鎌を握る手に力が入る。
「人肉を供させたのは貴様だろうが。女神信仰の儀式をして」
「儀式は頼んだが、食人はぼくの意思じゃない」
「貴様もあの場にいただろう。あの子を、アニェ・グロッシを食ったろう!」
「食べなかった」
「嘘をつくな!」
「意味がない。最も食べるべき心臓も子宮も、あの老婆の皿の上だったからだ」
猟奇者の口元がゆがんだ。
「クララ・ウェブスター。おまえが食ったのは乳房の肉だ。マザーは言っていたぞ、あの見習い修道士は、おまえのために供されるとな」
吐き気と共に、わたしの乳房にも噛み千切られるような痛みを感じる。
まぼろしだ。呑まれるな。
「聖女などと人々を騙して。一皮むけば同胞を殺して食べる晩餐会を開く狂人ときた! 何が悪魔憑きだ。おまえは悪魔そのものだ!」
「もういい。この件について、貴様がただの使いっぱしりの雑魚だということは分かった」
念じ、大鎌に魂狩りのやいばを生成する。
「ひっ……!?」
フレデリックがあとずさった。
わたしのいのちの炎がゆらゆらとヤツの顔を照らす。
「その様子だと、貴様はなんの力も与えられてないようだな」
ため息ひとつ。鎌を振り上げる。
「これよりクララ・ウェブスターが貴様を刈り入れる。これは人の高慢でも、天使の代行でもない。貴様のたましいが赦されるかは、死した者たちに委ねられる」
あとずさる男。「たましい、たましいなんて……」
「ある。いのちの正体とは、たましいだ」
「もしもあるなら、ぼくはそれを……」
彼は尻もちをつき、わたしを見上げた。
そして、引きちぎれんばかりに口元を釣り上げ、瞳孔に青き光を目いっぱいに呑み込んで叫んだ。
「見せてくれ! ははは! 死神め、ぼくにたましいを見せてくれよ! ははは!」
「死せるときまで、いのちの探求をやめぬ者よ。おのが教義を貫きし者よ。みずからのいのちの光をもって、おのが存在を証明するがいい!」
わたしは少しだけ笑う。自嘲だ。気高き執行者などとは欺瞞。
ただ、わたしや妹たち罪なき者を辱めた存在を罰したいだけ。
この復讐も罪だというのなら、わたしは神の与える罰に素直に殉じよう。
風が猛り、海鳥の羽毛がまき上げられて逆巻く吹雪の様相となった。
「うゎお!?」
……悲鳴? が、聞こえた。
あばら屋からラニャが飛び出してきた。
風を切る音。反射的に鎌を下ろすと柄に何かがぶつかった。血まみれの鉈。
「いいぞピーター! その女は悪魔なんだ! ぼくを助けてくれ!」
屋内からラニャに続いて、ぬっと背中の曲がった大男が現れる。
「フレディ、血まみれだねえ。どうして、そんな酷いケガをしてしまったんだい?」
「その小娘を人質にしろ! 悪魔を殺して心臓を確かめてやる!」
気配。二本目の鉈!
柄で防御するも弾かれ、鎌が床に落ちて炎が掻き消える。
その細腕からは想像が出来ない怪力だ。
あまたの首を切り落としてきただけのことはある。
「クソッ!」
咄嗟に蹴りを打ち込む。フレディはよろめきポーチの柵に背を預け、みしりと湿った音をさせた。
「ピーター! 小娘を捕まえろ!」「逃げろ、ラニャ!」
殺人鬼をつかみ取り押さえる。
つかんだシャツからヤツの血が滲み、わたしの手を汚した。
「……」
ラニャは動けないようだった。
大男にポーチの角に追い詰められた彼女は、服の裾が柵の柱の亀裂に引っ掛かってしまっていた。
「きみは、本当に綺麗だねえ」
ピーター・ゴアはゆっくりと、柔らかく、笑顔を作った。
「綺麗な、綺麗なたましいだ」
それから、ラニャの頭上を見上げると十字を切り、「彼女たちをよろしくお願いいたします」と言った。
彼は何をするわけでもなくラニャに背を向け、こちらにやってきた。
「きみは……ヘンじゃなくなったね。とっても美人さんだ」
同じように笑顔を作り、彼はわたしの肩をつかんだ。
なぜだろうか。逃げることも抵抗することもできなかった。
わたしは素直にフレデリックから引き剥がされた。
「おい、ピーター、こいつらを……」
ピーターが遮る。「ずっと、どうやって止めようかって考えてたんだよ」
「止める? 知っていたのか?」
「ふひっ、お父さんとお母さんが教えてくれたんだよ。おれの大事な友達が、間違っちゃったんだって」
ピーターはフレディをハグした。強く、強く。
ケガを負っていた男は悲鳴を上げた。
「ありがとう。ありがとうねえ。おれみたいなののために、声を掛けてくれて、仕事を探してくれて。でも、悪いことは悪いよ」
ピーターは子どもに言い聞かせるように言った。「人を殺しちゃ、ダメだ」
「必要だからやったんだ。いのちを見なくちゃならない。放してくれ、ピーター。おまえの両親を殺したことを怨んでいるのか!?」
大男は、ほほえんだまま首を振った。
「たくさん、たくさん殺したねえ。墓地で聞いたよ。みんな、怒ってたよ」
彼は大粒の涙をこぼし、フレディを抱いたまま立ち上がった。
「さあ、謝りに行こう」
ゆっくりと歩き始めるピーター。
彼が一歩進むごとに、腐った床板が苦しげに、ぎしりと鳴いた。
彼はポーチを下りると、崖のほうへ向かい始めた。
「や、やめろ! どうするつもりだ!? まさか死ぬ気か!? 放せ!」
「暴れちゃダメだ。天使様も見てるんだから、ちゃんとしてないとねえ」
ピーターは歩き続けた。友人を抱いて。
目指す先は死の断崖ではなく、乳房のようになだらかな丘があるかのように。
彼らの影は十字架のように重なり合っていた。
足元では風が草を揺らし、ずっと向こうでは青空と海が混じり合っていた。
「やめろ、やめてくれ! ぼくはいのちをまだ見てない!」
「彼女の言う通りなんだ。たましいはあるんだ。ふひっ、おれは知ってたけど!」
「おまえが知っていたなんて、何をバカなことを……」
フレディ、ずっと一緒だよ。
ふたりの姿がすっと青に溶けた。
しばらくして重い水音が這い上がり、吹きすさぶ風に運び去られた。
「落ちちゃった……」
ラニャは走って崖際まで行き覗き込むと、ぶるりと震えた。
「あっけない最期だったな。わたしは、鎌を振り損ねてしまった」
ラニャに「仇が取れなくて、すまなかった」と声を掛ける。
「浮かんでこない」
「危ないから戻ってこい。ピーターは結局のところ、なんだったんだ?」
ラニャはこちらに戻ってくると、「さあ? でも、いい人だったね」と首をかしげた。
「いい人? よく分からんヤツだろう。そんなことより、アニェの仇を……」
ラニャは人差し指を立てると、わたしのくちびるの前にやった。
「いいんです。クララお姉さま、すっごく怖い顔してたんですから」
それから「美人が台無し!」と言うと、わたしの手を取った。
「戻りましょう。あとは悪魔だけ」「そうだな。本当の仇は悪魔どもだ」
ふたりそろって踵を返す。
……まったく、美人が台無しにもなる。
わたしたちは同じ顔をしていただろう。
黒煙が見えた。
それは火山からではなく、町はずれの修道院から立ち上っていた。
***