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第35節 悪魔、来たり

「どう? 可愛いでしょ」

 黒いドレスを着たメルチは、自身の小さな胸に手を当て言った。

 言葉を発するのに合わせて、背中の羽根が痙攣するように震えている。


「どうやってそんな服を手に入れたの?」「ズルい!」

 バルタとカスプが声を上げる。


「仕立て屋の娘を裸に剥いて逆さ吊りにしただけだよ。おっさんに縫ってもらったあとは、ちゃーんと火箸を刺して置いたけど!」


 けらけらと笑う童女。こいつは一体、なんだ?


「ねえ、クララ・ウェブスターさん? あんたって顔がいいだけじゃなくって、頭も切れるんでしょ? そんな、ぱあ(・・)みたいな顔しちゃって、どうしたの?」


 言う通り、阿呆の顔をしているのだろう。それでも、わたしは訊ねる。


「おまえは、悪魔なのか?」


 笑い声が上がった。両耳に羽虫が入ったかのような不快な調子だ。

 笑ったのはメルチではなく、ほかの姉妹だった。


「残念、ハズレですよクララお姉さま!」

「カスプたちは悪魔じゃないよ。まだ見習いなの」


 小娘たちは互いの指を絡ませ、頬を寄せながら微笑している。


「え?」と言ったのはラニャだ。


「悪ふざけ、だよね?」

「違うよ。カスプたちは、サタンから生まれ落ちた本当の悪魔の子なの」


 カスプが濡れた小鳥のように身体を震わせると、背中からコウモリの羽根が生えた。それは修道服を破くことなく現れた。


「ごめんね。あたしたちのために操を差し出してくれたのに!」

 バルタも同様に羽根を生やし、童女の柔らかな頬でにっこりと笑う。

「メルチを見かけたって言って抜け出したのは、あなたを酷い目に遭わせるためだったの! メルチは閉じこめられてるときにあなたに聖書を読み聞かせられて、すっごくムカついてたんだって!」


 ラニャは「そっか」と言うと、噛みしめるようにうなずいた。


 連中が本物の悪魔らしいことは置いて、わたしの背筋はうすら寒くなっていた。

 不朽の愛を見せていたはずの少女のまつげが、半分伏せられている。

 彼女はそれ以上何も言わずに、地面に打ち捨てられた衣類まで歩き、ズロースを穿くと修道服を拾い上げ、頭から被った。

 

「ごめんね、壊れちゃった?」

「でもね、命令だったからしょうがないの!」


 童女たちは、にやけづらをしたままラニャの着替えを見守っている。


「ねえねえ、壊れた? ちゃんと壊れた?」

「さっきのもすごかったよね。まさに聖女サマってカンジだったよね!」


 バルタがメルチのほうを見やった。


「ねえ、メルチ。こいつのたましい、美味しくなったかな? こいつを献上したら、メルチも赦してもらえるかも!」

「赦してもらう? あたしはあんな奴の手下はやめるって言ったでしょ?」

「あのおかたはとっても怒ってた。たましいの瓶は返したほうがいい」


 やはりシップマンのボトルを盗んだのはメルチらしい。

 だが、メルチはカスプの忠告を鼻であしらった。


「本当に裏切るの? あのおかたは大悪魔なんでしょ?」

「ふん。不思議な力は持ってるけど、大したことないよ。あんなのにビビってたら、地獄のお父様みたいにはなれないよ」

「メルチはいっつも大きなことを言う。そんなのは無理だってカスプにも分かる」

「そうだよ。あたしたちも一緒に怒られるのに!」


 言い争いをよそに、わたしの神経のほとんどはラニャへと注がれていた。

 男どもからの辱めを受けたのは、ふたりが無垢で哀れな子どもだと信じていたからのはずだ。


 ラニャは着衣を整えると、辺りを見回した。

 まだ地面に放置されていたベールを見つけてつまみ上げ、血が滴ったのを見ると、顔をしかめてそれを投げ捨て、また周囲に何かを探し始めた。


「よしっ」


 それから、彼女はなんぞ振りかぶった。

 その手にはこぶし大の石ころが握られていた。


 ごっ、という鈍い音と共にカスプがのけぞり、続いてバルタの額にも石が当たり、「ぎゃっ」と悲鳴が上がった。


「痛い! 石をぶつけるなんて、酷い!」

「あたしたちは悪くない! メルチに手伝えって言われたからで……ぎゃっ!」


 ラニャは投石をやめない。拾っては投げ、拾っては投げを繰り返している。

 ふたりは二度目の投石を喰らったが、メルチはそれをひょいとかわした。


「あーあ、化けの皮が剥がれちゃったかな? 優しい先輩のふりをしてたのに!」

 メルチは礫の中、涼しげに笑って……いたが、肩に一発もらい顔をゆがませた。

「ホントにあんたのたましいって、綺麗なのかな!? まったく悪ガキじゃんか!」


「それはそっちも! 聖書にも石は投げてオッケーって書いてあったし!」

 気丈に言い返すラニャ。彼女は次の石を探している。


「悪魔が悪事を働くのは当然じゃんか!」

「悪魔は何もしなくたって悪いもんでしょ!? 避けるな!」


 あんな目に遭ったはずのラニャは、以前の調子に戻っている気がする。

 気がするが……。


「お、おいラニャ、平気なのか?」

「平気なわけない! お姉さまも投げます!?」


 差し出された石をおずおずと受け取る。

 わたしが小悪魔たちのほうを見ると、連中は頭を守るような仕草を見せたが……投げないでおいた。


 構わず投石は続き、ひときわ鋭い瓦礫がバルタの脳天に直撃し、彼女は人のものと同じ血で顔面を濡らした。


「もう、我慢できない! ぶっ殺してやる!」

「ダメだよバルタ。ラニャを殺したら、カスプたちも滅ぼされちゃう」

「たましいが新鮮なうちに届ければいいでしょ!」

「あのおかたはまだ、仕上げが済んでないっておっしゃってた」


 石を投げ返そうとするバルタをカスプが取り押さえる。

 手ごろな石が無くなったか、わたしが握ったままの石がもぎ取られ、それは身動きの取れないバルタの鼻っ面に向かって綺麗な放物線を描いた。


 ところが石はメルチの手によって弾かれた。


「だからもう、あんな年寄りにビビる必要なんかないんだって!」


 年寄り、だって?


「あたしも一人前の悪魔だ。ババアにこき使われてる、その女のおかげでね!」


 メルチは顎の辺りを両手でつかむと、皮を脱ぎ去るようなしぐさを見せた。

 すると、憎たらしくも整った顔面が一瞬のうちにして変貌した。


 突き出た鼻づら、毛むくじゃらで老人のように長いあごひげ、草をすり潰すための平べったい歯とぬめった歯茎。

 そして頭部には、ねじ曲がった二本の角が毒々しく光っていた。


「ケモノの(かお)! 一人前の悪魔だ!」「いつの間にそんなに力を!? ズルい!」


 声を上げる妹分たち。牡山羊(おやぎ)づらのメルチは童女のままの声で笑った。


「主教がほったらかしてた瓶のたましいを喰っただけだよ。あのババアはこんなにすごいものを独り占めしてたんだ! ラニャはババアが長い時間を掛けて仕込んできたとっておきだ。あれを喰ったら、あたしたちだって成り上がれる!」


 話が読めてきた。奇妙なことに、腹立ちと同時に安堵感が胸に込み上げる。

 悪魔、悪魔か。ジェイクの言った通り、免罪符を得たような気分だな。

 わたしは鎌の柄を拾い上げると、やいばを再燃させて構えた。


「人間があたしに勝てると思う? あんたのたましいの鎌、ほかでもない悪魔から授かった力なんでしょ?」


 牡山羊娘は自身の胸を鷲掴みにすると、うっとりとしているのか屠られて緩んだのか分からない表情をして、長い柄を引きずり出した。

 柄は赤黒き炎をまとって大きなやいばを形作り、戦争にも儀礼にも使われる、鉾にして斧である得物となった。


「ハルバードか」


 言いつつも、すでに切り込ませてもらった。

 間一髪、悪魔娘はしゃがみ込んで鎌を回避をしたが、大振りの得物同士、しかもその姿勢では何もできまい。

 わたしは前に突き出た獣の鼻っ面を力いっぱいに蹴飛ばした。

 だが、人にあらざるものらしく、うまく着地をして突き込みを返してくる。

 あのけちくさい羽根も役立っているのか知らないが、大人の身の丈を越えるハルバードと童女の肉体をしてなお、剣磨きを怠らない貴族や戦士にも引けを取らない速度だった。

 意表を突いたのも含めれば、常人では決してかわせないだろう。


 真横についた山羊の瞳に、クララの姿が映し出される。

 なるほど、悪魔の瞳ごしでも、わたしはとても美しい。


「避けた!?」

「おまえが勝手に外しただけだ」


 わたしは驚く横顔を眺めながら軽くステップを踏んで半歩下がり、アラベスク・パンシェよろしく、やいばを引いて下から振り上げた。


「やばっ……」


 大鎌の炎が過ぎ去った場所にメルチの姿はなかった。

 小悪魔は少し離れた場所で、バルタとカスプに押し倒された形でいた。

 鉾は炎を失い地面に落ち、得意げに操っていたはずの両腕は手首から先が消え、生意気にも赤い鮮血をほとばしらせている。


「いぎひい! 痛いよお! なんで人間なんかに!?」

「面白いことを知った。この鎌は悪魔の肉体を斬れるんだな」


 山羊顔の童女は両手を噴水にして暴れ、取り押さえる妹たちを血染めにしている。


「あああ! なんで、なんで人間なんかにい!?」

「メルチ、おまえは動物学や進化論は知らないのか?」

「あ、当たり前だ。あたしは悪魔なんだぞ! ケモノの顔を持った一人前の!」


 わたしはため息をつく。


「草食獣の目は横に付いてるんだ。それに、食われる側だろうが」


 鎌を頭上に持ち上げ、両手を使って回転させる。

 たましいのやいばが放つ光がちらちらと小悪魔たちの顔を照らし、ソーマトロープのように、回転ごとにその表情が恐怖にゆがんでいくのを映し出した。


「わたしの目玉は前向きにくっ付いてるんだ。ラニャの貞操の仇は討たせてもらうぞ」


 復讐を口にすると同時に、鎌の炎がさらに猛った。

 振り下ろす劫火(ごうか)。しかし、手ごたえがない。

 単に悪魔のたましいを刈っても感じないだけかと思ったが、地面に影だけが残されていることに気づく。


「あっ、あいつら飛んで逃げた!」


 ラニャの指差す先、小さな翼で逃げる三匹の姿が月影となっていた。

 わたしは鎌を下ろす。

 理が通るのか通らないのか。とにかく連中は遥か上空だ。


「どうする、ラニャ? 石でも投げるか?」


 努めて平常心を装い訊ねる。目は合わせなかった。

 超常の魔物と切り結ぶより、こっちのほうがよっぽど恐ろしい。


「ううん、いい。それより、お風呂を手伝ってください」

 

 つらくないはずがない。わたしの腕を引っぱった彼女頬は濡れていた。


***

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