第33節 灰と生
ここはテューレの村。かつては切り拓かれた森の中に木造の家が立ち並び、瑞々しい葉を揺らす畑があり、山からの清流が通っていたはずの場所だ。
今や森は消え、土砂が凹凸を埋め、座った猫ほどの噴石がそこかしこに鎮座し、それらを灰が覆い尽くし、くすんだ雪原のような景色に変えてしまっている。
人の営みの痕跡がかろうじて見つかるのは、すべてが石でできていたテューレ教会の屋根と尖塔だけだ。
膝くらいの高さになってしまった屋根の天辺には、火山弾でへし折られてしまった十字架が建て直されており、尖塔の周りは鐘を諦めきれずに掘ろうとした跡が残されている。
わたしたちはアマシマクの颪の巻き起こす灰に耐えながら、寒げな村の墓標に祈った。
月いちの慰霊の会だったが、集ったのはビグリーフの教会関係者と、町から来た復興の協力者だけだった。
最初の月には、ほとんどの避難民が参加していたのだが次第に減り、それも今月では早くもゼロとなっていた。
カニンガム主教はわたしに言った。
「来なくなった理由が犠牲者たちへの後ろめたさからだろうが、その日を生きるためだろうが、彼らが前を向いていることには変わりはない。おのれを慰める必要が薄くなったのだ。おまえがシップマンを斬ったことも手伝っているはずだ」
そう言えば、阿片に溺れていた奴ほど、ここに足繁く祈りを唱えに来ていたという話を思い出した。
避難民が形成した集落は、今や小さな村と呼べるものになりつつあった。
この町はずれが長らく空き地だったのは、中途半端に泥炭土を含んだ土壌で、農業にも燃料採りにも向かない土地のせいだ。
この泥炭の独特な薬品臭は、いまだに包帯が取れない連中と相まって、この地に暮らす者に死を忘れさせない。
そんなアマシマク島で一番陰鬱な土地だが、今日はどこよりも活気の溢れる空気が満ちていた。
「山の女神様の怒りに触れたに決まっとる! 教会は必ず建て直すべきだ」
「そんなもん信じてるのは年寄りだけだろうが。そもそも、火山を噴火させたのも女神様なんだろ? 建て直すんなら異教は抜きでやるべきだ」
「どっちが異教徒だ。キリスト者はビグリーフのほうに通えばいい。そもそも本土の坊主たちは、アマシマクの教会をひとつにしたがってたんじゃろうが」
復興にともなって、教会の復活をおこなうかどうかで激論……というか、堂々巡りのヤジを飛ばし合いが白熱していた。
教会がビグリーフ一本に統一されることはもちろん、村の再建についても、「新たなテューレ」としてではなく、ビグリーフの一区画としておこなわれることは決定しているのだが、男と年寄りどもはこれを議題に気炎を上げ続けている。
「神様でも女神様でも結構だけど、まずはかまど付きの家が先だよ!」
村の女が腰に手を当てて怒鳴っている。
「だからさっさと、そのありがたいレンガの前からどきな!」
案の定、男どもは「女は黙ってろ!」と返す。
「働かないならあんたたちのメシはナシだ。今日は健康で気立てのいい町の男たちが手伝いに来てくれてるんだからね」
「その男手のために、俺たちがレンガの使い道を決めてやろうって……」
おっと、大噴火の兆候だ。女の「圧」が膨れあがった。
「資材の優先順位は、主教様がお決めになったろう? どうしても教会が欲しいってんなら、灰の下から掘り返すんだね。そうすりゃ、あたしたちはビグリーフのほうでもう一度、結婚式を挙げさせてもらうよ!」
代表して怒鳴った女の背後に、次々と女子供が集まった。
これであっさり男と年寄りは解散。ラリった連中が多かったころのように、避難民たちが二分されるようなことにはならないで済みそうだ。
その光景を見て、マザー・ジェニーンが手を叩きださんばかりに笑っていた。
わたしたちシスターは、村の女たちと共に大鍋相手に青空の下で炊き出しだ。
我らが修道院いち太っちょのドロシアも、今日はつまみ食い無しで額に汗して鍋を掻き回している。
もちろん、避難民たちの話を聞いてやるのも神の使徒の務め。
あっちの、元阿片窟のテントの前では、目を落ち窪ませた連中を相手に、シスター・アイリーンが偉そうに説教中だ。
フローラは炊き出しか力仕事か問わずに、列になったちびっこどもを先導して手伝いをさせている。
サラは、今度の噴火で多くを失ったこと受け入れられない年寄りや、多感な子どもたちのために、火山の女神の神話に聖書を織り交ぜつつ、無常の中の希望を説いていた。
彼女たちを見ていると思う。
灰の中から芽吹くものがある。それはきっと明るいものだろう。
わたしもすっかり弱ったクレイミーの身体を鞭打って、出てきてよかったと思う。
だが、同時にクレイミーに限界が来ていることも感じつつあった。
クレイミーに持病などは無かったはずだ。
わたしの肉体の扱いが悪かったせいか、別の理由なのかは分からない。
ただ、たましいの入れ物として使うのが、マクラやメアリよりも長くなっていたのは事実だ。
ふと、クララの肉体がほったらかされていることに気づく。
活気から離れた木立の下で、車いすに乗せられたままぽつりとしていた。
あたりを見回すも、ラニャの姿が見当たらない。
わたしは妹分を探してうろつき、代わりに見つけた責任者に尋ねた。
「見ておらぬぞ? それより、あの男を見ろ。ジョン・ラトクリフではないか!」
カニンガムは炊き出しの受け取りの列に並んだ男を指差し、忌々しそうに言った。
「ラトクリフ?」
「本土で若いメイドばかりを殺したとされる下男だ。物証がなく嫌疑不充分だったが、雇い主の権力で収容所に送られたはずの……」
脱走者らしい。
罪の有無はともかく、鋭い眼光と曲がった口からして堅気ではないな。
よく見ると、ラトクリフ以外にも妙な男が並んでいる。
どれも落人集落で見た覚えのある顔だ。
被災者でない貧民が並んでいるのはしょうがないにしても、連中の持つ肉食獣のような気配は、ここに不釣り合いだ。
「あれが脱獄してもわしに報告がなかったとは。獄吏や警官どもに知らせねば。いつから逃げ出しておったのだ? 万が一、ヤツが例の殺人鬼だったらどうする気なのだ」
……。
苦労人カニンガムは大きなため息をつき、のっしのっしと袖を振りながら町のほうへと足を向けた。
「主教様! 牧師様がお倒れになられました!」
村の若者が駆けてくる。
教会の再建を諦めきれない連中が、オブライエン牧師を捕まえて議論を吹っ掛け、白熱した末に手が出てしまい、哀れな聖職者はノックアウト……だそうだ。
カニンガムは「そんなの放っておけ!」と言い捨てて去っていた。
若者は今度は修道院長のほうにすがりついて引っぱり、しぶしぶ応じたババアは、殴った男ではなく介抱されている牧師に説教を始めた。
「ちょっと! あんたにはさっきもやっただろう?」
ドロシアの声だ。
彼女は落人集落から乞食にやってきた男から、麦がゆの入った器を取り返そうとしている。
その脇をすっと別の男が割り込み、配布用のパンに手を伸ばした。
「こら! あんたも昼間の炊き出しのときにズルして二回来たじゃないか!」
器を引っぱり合いながらたくましく叱りつけるドロシア。
しかし、パンをつかんだ男はにやりと笑うと、ドロシアの身体にくっついた膨らみ過ぎたパンも鷲づかみにした。
「きゃーーーっ!」
見事なソプラノだ。奪い合いになっていたかゆが地面にぶちまけられると、トラブルを嗅ぎつけた後続が我先にと押し寄せ、パンだの薄めた葡萄酒だのをかっぱらい、鍋もひっくり返さんばかりの騒ぎが始まった。
「誰か、男の人来てーっ!」
大工仕事をしていた屈強な連中が駆けつけ、姑息なネズミどもとにらみ合いを始める。
日も暮れ始め、酒と夕食を意識し始めた労働者が、タダ飯にまつわるトラブルを許すはずもないだろう。
持て余したほかのシスターたちは半泣きとなり、こぞってこちらにすがりついてきた。
こういう場合に知や理、あるいは現金でひっぱたけるジェイコブがいるといいのだが。
「シ、シスター・クレイミー。何か役に立つ聖人のお言葉とか……」
やれやれ。本調子ではないが、啖呵を切るくらいならできるか。
わたしは祭り好きな連中のそばまで行くと、村の女房張りに腰に手を当て、胸いっぱいに空気を吸い込んで声を張り上げた。
「おい、おまえらっ!」
……その瞬間、景色が空へと切り替わった。夕暮れの紫と燃えるような橙。
こちらを覗き込むシスターたちの顔の、区別がつかない。
水の中に放り込まれたように視界がおぼろとなり、声も遠ざかった。
脳が吸い出されるような感覚に襲われた。
そう思った途端、わたしはクレイミーから抜け出していることに気づいた。
クレイミーとのつながりが消えている。
同時に「わたしそのもの」も大気に溶け始め、この場の喧騒の全てが手に取るように分かるようになった。
倒れたクレイミーに必死に呼び掛けるシスターたち。
男たちも丸太のような腕をほどき駆け寄り、尻馬に乗っていただけの貧民たちはおろおろし始めている。
その中を静かに後ずさって離れる、不正の先導者たち。
落人どもはほかにも何かを企んでいたのか、スラムから来たらしい同類を見ると肩をすくめ、倒れたクレイミーを取り囲む群衆を顎でしゃくって笑った。
すべてを俯瞰しながらも、わたしはある一点に意識を集中しようとしていた。
本来のわたしであるはずのクララの肉体が、応じない。
月はまだ見えない。見えても今日は大きく欠けているだろう。
ああ、わたしは死ぬんだ。本当に。
なんて中途半端なところで。いや、すでに延長線だったのかもしれない。
わたしは地面にこころを釘づけにされながら、ゆっくりと天へと釣りあげられていく。
すべき使命や後悔はおろか、生も死も、全も一も、アルファもオメガもいっしょくたに混ぜ合わされて行くのをただ感じる。
わたしが、クララ・ウェブスターが死ぬ。
それもいいのかもしれない。
あれだけ罪を重ねて生に執着したというのに、天の父はわたしを地下深くへと落とさず、御元へと招こうとしてくださっているのだから。
……脱獄者ジョン・ラトクリフの肩に親しげに腕を回した男が言った。
「メシくらいで、がっかりするなよ。それより早く戻って来いよ。シスターのカビの生えたパンなんかより、いいもん喰おうぜ」
ラトクリフはパンをかじりながら「今朝焼いたばかりだ、悪くない」と応じた。
「察しが悪りいな。女だよ。お、ん、な。若い女が、のこのこと俺たちの縄張りに入り込んできたんだ」
男は付け加える。
よう、ラトクリフ。
パンが美味いってんなら、それをこねた生娘がマズい道理はねえよな?
***