第3節 忌み子
父親としてラニャとハグし合う感覚は、修道院での姉妹の挨拶よりもいくばくか堅苦しく感じる。
父親への倦厭を意味するのか、姉貴分に気安いだけなのかは分からない。
「もう帰ったのか? 教会の手伝いは?」
「風向きが変わって灰が降るからおしまいだって。お客様を連れてきたのだけど、うちに上げてもいい?」
客? 小屋の外には、くたびれた帽子をかぶった少年がグリムの頭をなでる姿があった。
「ええと……」
友達だろうか。まさか、わたしの知らない親類ではないよな?
返事に困っていると、ラニャが「読み書きを教えてるの」と申し訳なさそうに言った。
「日曜学校はどうした?」
「彼は港の子なの」
なるほど、港の子か。
家庭に貧困事情をかかえていて、日雇いの仕事を探して働く子どもを指す。
仕事が溢れているのは船着き場、酒場や飯どころの多い歓楽通りで、アマシマクの港町を歩いたことのあるものなら、使いっぱしりの子どもに一度くらいはぶつかっているだろう。
アマシマク島の教会は、国教会に従いながらも、「火山の神」の崇拝を認める異端派だ。
祈りの場や学びの場として、様々な宗派を受け入れているのだが、利用者や信徒の中には、港の子に対して差別的で底意地の悪いまなざしを向ける者も少なくない。
「うちに上げちゃダメ?」
ラニャは上目遣いだ。
読み書きを教えるのは結構だが、年下のガキとはいえ、娘が男を連れてくるのはなんだか腹立たしいな。
突っぱねる気はないが、どんな人間なのか、わたしがちょいと見てやろう。
「ボウズ、名前は?」
「コートン・ラミーです」
少年は帽子を取り胸元で握って挨拶をした。
「仕事は何をしてる?」
「朝は荷下ろしの手伝い。天気次第で畑。最近は大工の手伝いも」
意地が悪いのはわたしも同じだろうか。次の問いは「親は?」だ。
ラニャに睨まれた気がするが、素性は知っておきたい。
「父はいません。母は港でお客を取っています」
コートンは物怖じも恥じらいもない態度で答えた。嫌いじゃない。
わたしは「灰を落としてから入ってくれ」と言い、扉に手を掛け大きく開いた。
視界の端で娘の顔が、ぱっと明るくなるのが見えた。
「ねえ、グリムは? 夜になったらこっちも灰が降るから……」
「入れてあげなさい」
認めてやるとラニャが再び抱き着いてきた。今度はちゃんと愛情が籠っている。
現金な気もするが、わたしはわたしでチョロいかもしれない。
窓際で煙草をふかしながら、テーブルで聖書を広げる少年少女を見守る。
ラニャが戻ったら墓場の掃除に出るつもりだったが、風向きが変わったのならどうせまた灰まみれだ。
アマシマクの火山が噴火して以降、住人たちの生活が変わった。
ふもとのテューレの村は火砕流に飲み込まれ壊滅し、降灰は島の農業を直撃、溶岩が流れ着いたスコーフル湖の漁師たちも魚たちの動きの変化に頭をかかえている。
誰も彼もが貧しくなった。
儲かったのは木工屋くらいだろうか。棺桶が売れたからな。
死人は増えたはずだが、マクラはそれほど仕事を増やされなかった。
祈りの回数に反比例して教会のへの寄付金が減り、主教がテューレの遺体の受け入れをしなかったからだ。
人手不足に加え、遺体は灰や固まった溶岩の底だったし、何よりテューレは火山信仰、つまりは異教徒が多く暮らしており、あちら側からの反発が強かった。
主教としては手を差し伸べたかったのだが、拒否されては仕方がない。
生き残りはビグリーフのはずれで細々と暮らしており、月に一回だけ修道院から慰問と炊き出しの奉仕をおこなっている。
様々な仕事に影響を与えたが、コートンの母のような賤業者は相対的に地位を上げたかもしれない。
島の者は利用しづらくなっても、もともと船乗りや物見遊山の小金持ちがおもな商売相手だったし、職を失い花を売り始めた新参者もいるが、「灰で股間が血まみれになるぞ」なんて誰もが笑うから、先達のライバルにはなりえない。
コートンが日曜学校から弾かれたのは、親の仕事を種にした子ども同士の諍いが理由だろうか。
あるいは信仰の問題だろうか。マグダラを罪深い女と同一視する派閥には娼婦を毛嫌いするものも多い。異端がガキどもに入れ知恵をした可能性もある。
まあ、彼のことはさておき、わたしは別のマリアとその夫について考えるのに忙しい。遺品着服の理由……。
「この単語はなんて読むの?」
「それは塩、ね。あなたがたは地の塩である」
「塩だって? おれたちが塩?」
「塩は大切な物でしょう? でも、塩だけじゃ意味がないし、みずから役割を果たしに行きなさいってことよ。そうでなければ、踏みつけられる土と変わらない」
「ふーん? まあ、灰よりはいいけど。ラニャは塩よりも、お砂糖って感じだけど」
マセガキめ。
ラニャのほうは首をかしげている。
どこか外に遊びに行って欲しいところだが、遣らずの灰、なんてことになればラニャが心配だしな。
壁板の隙間から忍び込んだ灰も積もり始めている。
カミサマが本物ならば、この島には猶予がないかもしれない。
だが、いまいち信用がならない。カミサマも、その言葉を伝える主教もだ。
かといって、下手に逆らえば、わたしは永久にあの美しいクララ・ウェブスターに戻れなくなってしまう。
煙草を吸い、思いっきり煙を吹かす。マズい。
クララの身体では他人の煙でむせ返るくらいだったというのに、この墓守の肺は、容易く煙を受け入れてしまう。
夜と死体を扱う仕事の都合、これが魔除けになると信じていたのだろうな。
「マリアって、いっぱいいてややこしいね。ラニャのお母さんの名前もマリアだったよね」
「聖人の名前を付けるのは珍しくないよ。私やお姉ちゃんの名前は珍しいけどね。お父様の祖先によその国の人がいたんだって。色んな民族の血が混じってるって言ってた」
「へーえ」
「そういえば、コートンのお母様の名前は?」
少年はラニャの質問に押し黙った。
別に言ってしまっても構わないだろうに。
うちの娘は娼婦だからといって差別をしないぞ。
「むー、教えてくれないの? 私、コートンのこと、もっと知りたいな」
知らんでいいぞ。
「おれは、勉強のほうを教えて欲しいよ」
とか言っても、赤くなっていやがる。
「修道院にいたころは、あんまり会えなかったしね。うちに戻って正解だったかも。コートンはずっと勉強したかったんだもんね」
何? 最近知り合ったわけじゃないのか。
日記の、マリアがマクラに接近するくだりを思い出して胸がむかついてきた。
「ちゃんとした仕事に就きたいんだ。本土に出て、母さんに楽をさせてあげたい」
殊勝なことを言う。母親を連れて島を出て行くがいい。応援するぞ。
「お母様は今日もお身体の加減が悪いの?」
「う、うんまあ……」
どうも歯切れが悪い。
生意気なガキへの意地悪ついでに、わたしは「母親の名は?」と聞いてやった。
またも黙り込む少年。
ラニャも何やら違和感を感じているようで、彼の顔を横から覗き込んでいる。
「メアリ・アン・ラミー」
コートンの口にした名には聞き覚えがあった。
というか、アマシマク島で彼女の名を知らないのは収容所の囚人くらいだ。
「あのメアリさんがコートンのお母様なの?」
「そう、だよ……」
ラニャは目の端から大粒の涙をこぼしていた。
メアリ・アン・ラミーは「不幸のメアリ」の名で知れられる女だ。
娼婦は仕事柄、気を遣っていても腹が大きくなりやすい。
闇医者なりなんなりに頼んで仕事を続けられるようにしてもらうのが大抵だが、メアリは身籠った子をちゃんとこの世に出してやる信条を持つ。
職業についてはさておき、聖書を推している教会としてはそんな彼女を支援したいし、実際にしてきた。
わたしも、彼女のお産を何度か手伝ったことがある。
だが、噂通りならコートン少年は一人っ子のはずだ。
本当は八人兄弟なのだが、彼以外の全員が墓の下で眠っているのだ。
産み落とした子どもに次々と先立たれる不幸の女がメアリなのだ。
「メアリさんの子だったら、言ってくれたらよかったのに。そしたら、マザー・ジェニーンは絶対に日曜学校に入れてくれたと思う」
ラニャは落涙を止めずに何度も十字を切り、少年を抱きしめている。
マセガキも話題が話題のせいか、照れる様子も見せない。
「違うよ。母さんの子だから、教会に来るなって言われるんだ」
「どうして!?」
「おれだけ生き残ってるのはヘンだって。おまえは呪われてるんだってさ」
「酷い!」
ラニャが机を叩き立ち上がる。
「お父様、スコップを貸して! 鉄のやつ!」
むせた。煙がヘンなところに入った。
「暴力はダメだって!」
「だって! コートン、誰がそんなこと言ったの?」
「誰っていうか、マザー・ジェニーンだよ」
「えっ……」
あのババアか。
「嘘よ。マザー・ジェニーンがそんなことをおっしゃるなんて」
「本当さ。きみにも近づくなって言われた」
「嘘よ……」
ラニャは着席してうなだれる。
「ラニャ、スコップは玄関横に立てかけたままだ」
「お父様!?」
「俺もあの婆さんは好かんからな」
「私も苦手だけど! でも、どうしてあの人がそんなことを?」
コートンは吐き捨てるように答える。「教会の評判を気にしてのことだろうさ」
「それは違うと思うぞコートン。ここの教会の修道士たちは、お産のある家に手伝いに行くのが慣例になっているのは知ってるな?」
「うん、うちにもよく来るよ……」
「自分が取り上げるのを手伝った子に死なれると、どういう気持ちになる?」
「悲しいと思う……」
「だろう。日曜学校にはお産に関わった修道女も指導に参加する。マザーは意地悪で言ったのではなく、シスターたちがおまえを見て悲しむのがイヤだったんだろうさ」
好意的に解釈すると、だがな。
「それでも、コートンは関係ないはず。コートンは、ちゃんと生きてる」
わたしは「そうだな」と返事をしながら、隣室のクララの肉体を意識した。
静かに寝息を立てている。
ちゃんと生きている、か。
「ひょっとして、メアリさんの調子が悪いのって、またお腹に赤ちゃんが?」
「多分、だけど……」
ラニャが再度立ち上がる。義憤と使命感の入り混じったいい表情だ。
わたしは先回りをして「世話しに行っていいぞ。食事も分けてやりなさい」と言ってやった。
ラニャは「ありがと、パパ。愛してる」と、わたしの頬にキスをし、慌ただしく仕度をしてコートンと共に出て行った。
「やれやれ、パパときたか」
ラニャのコートンへの行為はやはり、好意というよりは神の教えを実行する者の矜持といったところだろう。
マリアも趣味が少々ゆがんではいたが、愛と正義の徒だった。
マクラも恐らくはそう。いい両親を持ったな。
だが、教会にまで忌み子扱いをされているコートンとその呪いの元凶たるメアリを、小娘ひとりの力で救えはしないだろうが。
これもまた娘が大人になるための学びだ。
彼女が悲しむことがあったら、わたしが慰めてやろう。
ひと息つき、わたしは足を引きずりながらマリアの部屋へと向かう。
美しいクララの寝顔を見てにこにこしたあと、再び日記を開き、マクラの罪の手がかりを探しに掛かった。
……ほどなくして、わたしは大きな見落としをしていたことに気づいた。
「そうか、忌み子か」
忌み子の定義は、信仰や地域によってまちまちだ。
生まれながら肉体に欠けがある場合、父親が罪人だった場合、誕生と引き換えに母親が死んだ場合、生まれた時期に所属コミュニティに大きな不幸が始まった場合など、様々な理由がある。
忌み子はときに殺される。理不尽なことだ。
労働力にならない肉体の欠けを除けば理由はこじつけばかりだが、ほかにも実利に即して忌み子殺しをおこなったケースも、かつてはあった。
それは、どこかの国の王族から伝わった禁忌。
王位継承を血で血を洗う波乱に導くはふた粒の胤。
アニェとラニャは双子だ。
庶民のあいだでも、双子は避けられる傾向がある。
産まれてすぐに、片方をこっそりと葬ってしまう。
ひとりなら歓迎できたものの、ふたりだと養えない。
聖女然としたマリアが、どちらかを諦めるなんてありえないだろう。
それに、夫のマクラは教会認定の墓守だ。
ガキのひとりやふたりを育てられるカネは貰っているはずだが……。
「……やっぱりな」
マリアの日記に教会への恨みごとが書いてある。
この島でも双子は不吉らしく、特に土着の信仰である火山信仰で嫌われているという。女神様が嫉妬して、片方を捧げろ命じるのだそうだ。
教会は連中への機嫌取りのために、片方を選ぶように「勧めた」ようだ。
彼女はそれに逆らった。マクラも。
そうして、罰として給与の大半を免罪名目の寄付金として吸い上げられることとなり、グロッシ一家は一気に貧しい暮らしへと転落した。
続いて、「墓荒らしの頻発」や遺品の横領をほのめかす文章も見つけた。
マリアは「聖霊より糧をお借りする」と言っていたようだ。
姉妹の名を神の使徒にありがちなものにはしない決意も記されている。
こいつは、主教殿にお尋ねしなければな。
わたしは日記を握りしめ、小屋をあとにする。
教会の方角。煙った空は夕暮れもまだだというのに、夜のように薄暗かった。
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