第29節 怒りの島
シリアルキラーの仕事に対して、島はいささか鈍感だった。
最初こそ頭部切断、胴体不明、死姦の地獄のサラダに誰しもが興味を持ったが、次第に「またか」という感じになっていた。
犠牲者の無作為な選定が恐怖として機能していたのは最初のうちだけだったし、火山のほうがよっぽど人を殺したのも原因だろう。
この島自体が一種の檻のようになっているのも、島民たちに早くに諦観の念をいだかせたのだと思う。
だが、アニェ・グロッシが殺害されたときは、「修道院で見習い修道女を」という、執念深くなくては成し遂げられないであろう舞台設定に世間は震えた。
それでも、やはり逮捕されずじまいだった犯人はまたも忘れられ、以降も犯行ごとに島民たちの脳裏に浮かんでは沈むを繰り返してきた。
首狩りの殺人鬼がはっきりと水面にまで浮き上がってきたのは久しぶりだ。
避難民の母子の殺害はランダムとはいえない。
同時にふたりというのも初で、父も少し前に殺されたばかりだったからだ。
島民たちは噂し合った。
家族を殺された親子が犯人につながる何かを知っていて、または犯人が知っていると考えたからターゲットに選定した。
あるいは、見つかってない胴体はどこかに保管されていて、変質的こだわりで「家族」をそろえて並べたくなったせいだろう。
あるいは、淫祠邪教の儀式の「捧げものとしての価値」を期待してのことだ。
可哀想な避難民の一家ために誰もが怒り、犯人探しも活発になった。
島民みんなが探偵だ。
もっとも、捜査はもっぱらパブや井戸端でおこなわれていたが。
それに、推理もほとんどは荒唐無稽かつ失礼千万で、本土の新聞の飛ばし記事も驚きの粗雑さだった。
最初のうちは、落人集落の住人が最有力候補として挙げられていた。
だが、被害者たちの住まいや行動範囲が広がっていくうちに、どの区画にいても不自然じゃない者が犯人だということになり、警察関係者や教会関係者がやり玉に挙げられた。
特に、アニェが殺害された直後には牧師と主教が名指しされたりもした。
もちろん、悪魔憑きの聖女や堅物修道女にもご指名があった。
今回の「真犯人」は、火山信仰で有名なウォルター・ウェストや、同じく火山信仰者の多かったテューレからの避難民のことでこじつけて、この土着の信仰を面白く思わないほかの宗教者だということになった。
現場検証などが落ちついてから、森の井戸にて教会主導の慰問会をおこなったのだが、その神聖な場においても無責任なささやきが聞こえた。
どこからともなく噴出した「教会は避難民に冷たい」という話が、その場にいる教会関係者へと疑惑を向けさせた。
カニンガムとジェニーンは青筋を立てながらも堪えていたが、皮肉にも、その説を否定するための、「そもそも見習い修道女も殺されただろう」という得意げな指摘が祈りの最中に聞こえたために、シスターの数名は泣き出してしまった。
だが、言葉のやいばに滅多刺しにされているはずのラニャは、ずっと井戸を見上げて祈っていた。
神にすら疑いを向けたはずのよすがなき少女は、一体どうして毅然としていられるのだろうか。
愛は忍耐強い、情け深い、妬まない……だったか、コリントの信徒へ宛てられた書簡に示された言葉があったな。
わたしには無理だ。彼女が耐えていなければ、こころなき噂をする者たちのドタマに「クララ流の洗礼」を施したに違いないだろう。怒りが悪魔に機会を与えるというのなら、この怒りを打ち払う手立ても聖書に示してもらいたいところだ。
怒りといえば、祈りの場にジェイクは現れなかった。
彼はきっと、寝ても醒めても聖なる怒りの渦中にあるだろう。
後日、彼は小切手と手紙を寄こし、教会預かりになったあの少女の頭部の修復の希望を出し、のちの管理を手厚くするようにも付け加えた。
エゴイスティックな自己満足かもしれない。
だがそれを義憤だと肯定してやりたくなるのは、彼の中で少女が罪の象徴になってしまったのだと、わたしにはっきりと理解ることができたからだ。
「おまえにくだんの少女の遺体を受け取って来てもらいたい」
わたしを呼び出したカニンガム主教は、ペンを片手に紙の束を相手にして、こちらも見ずに命じた。
「ついでに、フレデリックにピーター・ゴアについてのことを聞いてこい」
「まだ疑っているのか」
「警官どもに気づかれずに外に出たのかもしれん。メルチにできたのだ、殺人鬼にできんはずがない」
カニンガムは、新しい墓守のピーターが殺人鬼ではないかと疑っていた。
確かに不気味な男だったが、単なる心霊マニアに過ぎないように思える。
彼は警官やごろつきの監視役をつけていたらしいが、ピーターは仕事以外ではほとんど引きこもっているらしく、今回の一家惨殺それぞれの犯行時刻と推定される時間も墓守の家におり、かえって無実を裏付けてしまう結果になったはずだった。
「メルチもどこに消えたんだろうな。首だけになってなければいいが」
「あやつは殺しても死なんわ」
「居場所はともかく、脱出方法が気にならないか?」
「どうでもよいわそんなこと」
「よくないだろう。メルチに常人にできないことができるとしたら、どうだ?」
わたしは鎌を振ったりフォークで刺したりするジェスチャーをした。
「悪魔の仕業だというのなら分からんでもないがな。協力者がいたに違いない。なんせ、ここにはヤツの妹がふたりもいれば、薬粒中毒もいるし、牧師と寝るボケもいる。それに、あんなアホにも聖書を読み聞かせてやるほどに優しい娘だってな」
わたしはより分けられた書類の束をつかみ、未処理の書類と混ぜて、よーくシャッフルしてやった。
「おぬし! なんてことを!」
「それはこっちのセリフだ。ラニャを疑うっていうのか?」
「例えだ、例え。誰がやっても不思議ではない。誰でもできなくはない」
「そりゃそうだが。警官がいうには、母親の頭部は少女のぶんが発見された時点では、まだなかったそうだぞ。ほんの数刻のうちに犯人が来て置いたってことになる。その時間帯のピーターの所在がはっきりしてるんだから、ヤツが犯人ということはないだろう」
「ならば誰が下手人なのだ。おまえの疑うペンドルトンか?」
ノーコメントだ。彼はわたしの隣にいた。
「……そうだ!」
カニンガムは中腰になってテーブルを叩いた。書類の塔がひとつ崩れ、床に散らばった。
「ピーターにも協力者がいるに違いない。誰にでもできなくはない! 首狩りの殺人鬼は、複数犯だ!」
わたしは「はいはい」と流し、「では、行ってまいりますカニンガム主教」とクレイミーぶって教会をあとにした。
アマシマクでは革職人は希少だ。
現在はフレデリック・スタックただひとりとなっている。
そもそものところ、この狭い環境では獣の数も限られるため、皮を産出する狩猟があまり活発でないし、猟師自身がある程度は革加工の技術を持つから専門職である意味も薄い。
加工品にしても船で運んで来れるのだから、無理に島で作らなくてもいい。
それでもフレデリックが食っていけるのは、アマシマク特有の珍しい生物を剥製にして好事家に高く買い上げてもらったり、死者のエンバーミングを引き受けているからだ。
フレデリックの家は岬のほうにあるらしい。
教会からは距離があり、膝丈の草が茂って道らしきものもよく見えず、しかも上り坂なものだから、岬を進むのは健康なクレイミーの肉体でもなかなかの重労働だった。
初めのうちは、ウミネコやらアジサシの声を聞きながら心地よい潮風を受けての運動だったが、登るにつれて風は乱暴になり、崖裏に巣でもあるのか、風に混じった羽根や羽毛が汗をかいた顔に張り付いてうんざりさせられた。
カニンガムはきっと、これがイヤでわたしに押し付けたに違いない。
わたしは、彼への呪詛と罵詈雑言を練り練り、やっとのことで革職人の家にたどり着いた。
「とんだあばら屋だな」
ラニャの暮らしていた家もすきま風とカビが酷かったが、こちらも潮風による傷みが酷く、屋根の鱗も、打ち上げられてつつきまわされた魚の死骸みたいにぼろぼろだ。
「フレデリック・スタックさん、いらっしゃいますか? ビグリーフ教会のクレイミーです。頼んでいた品を受け取りにきたのですが」
ノックをするも返事はない。
ここまで来て、まさか留守?
裏へと回ると、海に面したポーチがあり、これまた床が腐っており、扉に至っては板で打ち付けられている。
もう一度、表に回ってノックをするも、無音。
「マジかよ……」
思わずその場で座り込む。帰りは下り坂だろうが、悪路だとそれすら億劫だ。
時間を置いてもう一度確かめてから帰ろうかと、意地汚く考えていると、こぶしほどの石ころの下で何かが暴れているのを見つけた。
わたしはそれが風で飛ばされないように注意しながら石をどける。
「メモか。……教会関係者様へ、留守にしております。ご注文の品は墓守のピーター・ゴアに預けてありますので、そちらのほうまで……」
わたしはげんなりして舌を出した。
なんだってそんな面倒なことを。
墓地と教会はそう離れていないのだから、出掛けついでに届けに来いよ!
岬から港まで戻り、港からビグリーフの町を横断して、町はずれの墓所へ。
道中、腹が立って白い海鳥の群れに向かって石ころを投げてやった。
鳥たちは白い羽を残して飛び去り、ついでに黒い修道服に白い染みをプレゼントしてくれた。
「おい、ピーター……こほん、ピーター・ゴアさん、いらっしゃいますか? ビグリーフ教会のクレイミーです」
こっちのボロ家も無言。
わたしは二度目のノックを試さずしてぶちぎれた。
出直すなんて冗談じゃない。さっさとブツを受け取って帰りたい。
ここは、少し前までラニャたちグロッシ家のものだった。
わたしもマクラ・グロッシだった経験がある。
ゆえに知っている。扉に蝶番とは反対方向に力を掛けると隙間ができ、そこに手を差し入れて閂が外せてしまうことを。
この家も久しぶりだな、なんて思いながら扉を開けた。
「……は? おまえ、何やってんだ?」
そこには、ラニャたちが暮らしていたときのままに食卓が置いてあり、その上にはふたの外れた黒い壺があった。
席の上座には現在のここのあるじである背の曲がった男が座っており、彼は昼間から酒を浴びていたのか、今日も赤ら顔だ。
そして、その彼の斜向かいの席の卓上には、みつあみ少女の修復された頭部が置かれていた。
「ひひっ、きみは、可愛いねえ、可愛いねえ……ふひっ!」
奇妙な笑いを放った男は、急に顔をくしゃくしゃにすると、大粒の涙をこぼし始めた。
「家族にまだ会えていないの? 可哀想だねえ。おれが慰めてあげるよぉ」
ピーターはテーブルに両手を突き、みつあみの少女に向かってカメのように首を伸ばし、首から上を右に左にひねりながら、「かあいそう、かあいそう」と繰り返した。
「おい!」
腹の底から怒鳴った。わたしの声は、これまでの疲労を一撃で粉砕し、あばら屋をびしりと鳴らした。
「ひっ!? シ、シシシ、シスター!?」
「彼女の頭で何をしていた!?」
「ち、違う、ひひっ! 違うよう! この子が、哀しいって言うからぁ!」
男はテーブルに腹ばいになって頭部を取り上げ、棺桶代わりの骨壺に納めると、それを抱きかかえてテーブルの向こう側に転げ落ちた。
「さっさとそれを返せ。あと、貴様にはカニンガムのところまで来てもらうぞ!」
「イ、イヤだ! 怒られちまうよ!」
「すでにわたしが怒っている! その子を恋人にでもする気だったのか!? 死者を冒涜しやがって!」
ひっ捕らえてやろうと突入すると、ピーターは食卓の下をヘビのようににょろりとすり抜け、頭の入った壺を持ったまま外へと飛び出していった。
「クソが! やっぱりカニンガムのいう通りだったのか!?」
わたしは修道服の裾を破いて持ち上げて縛り、テーブルを飛び越えてヤツを追い始めた。
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