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第28節 遠雷

 修道院をひっくり返す騒ぎのあと、わたしに来客があった。

 ジェイコブ・ペンドルトンだ。

 彼は教会の裏手にクレイミーを呼び出した。


「本当にシップマンを始末してくれるとは思わなかった。だが、七人は殺し過ぎなんじゃないか?」


 やれやれ、一発目から苦情だ。


「教会に流していたのは手下の独断だ。ヤツのポリシーに反する人間も阿片漬けになっていたのは連中のせいだ。それに、シップマンを消しても後釜も潰しておかなければ、同じことの繰り返しだぞ」

「きみのいう通りだ。すまない。汚れ仕事を任せておきながら嫌な言い方をした」

「分かればいいさ。ところで、こっちの頼んでおいたのは?」

「避難民全員に聞いて回ったが、メルチはおろか、バルタ、カスプという名の子どもを知っている人間すらいなかった」

「やっぱりそうか……。じつはメルチが脱走した。懲罰室で鎖に繋がれていたのに、忽然と姿を消したんだ」

「誰かが逃がしたのか」

「分からない。ほかのふたりはわたしと一緒にいた」

「監禁された人間が消えてなくなるはずはないが……」


 ジェイクは顎に手を当て、人差し指の関節を軽く噛みながら首をひねった。


「どう思う?」

「以前のぼくなら、教会関係者に手引きした者がいるとしか思わなかっただろうが……」

「わたしもそうだ。何か超常の力が関係しているんじゃないかと感じている」

「火山の女神に関係しているのか?」

「そこまでは。だが……」


 気配を感じて振り返る。誰もいない。気のせいか?


「ほかのふたりにも注意を払っておく。そっちも、何か気になる話があったら逐一教えてくれ」

「了解した」


 彼は別れ際に「やっぱり、昨夜の女性ときみは同じなんだな」と言った。

「あっちのほうが百万倍美しかっただろう?」と笑ってやると、彼は苦笑し、背を向けて片手を振って去っていった。


「ジェイコブさん!」

 教会の表のほうで男の呼び声だ。

 声は助けを求めるような哀れな色合いを孕んでいた。


 急いでジェイクのあとを追うと、身なりのみすぼらしい男が汗だくになりながら、何かまくし立てているようだった。

 ジェイクは「今度は誰がやられたんだ!?」と怒鳴っている。


「それが、女の子で。女の子の頭が! ああ、あんな酷い……。あんまりだ……」


 男は絶望を口の中でもごもごしながら崩れ落ちてしまった。


「クソッ! クラ……シスター・クレイミー。彼に水を。うちの集落でまたヤツが人殺しをしたらしい」


 わたしは「水は勝手に飲め」と言い捨て、構わず駆け出した。

 ジェイクもあとを追ってくる。 


 女の子なんて、この島にだっていくらでもいる。

 だが、どうやってもあの悪ガキの顔が思い浮かぶのを止められない。

 偏執にして変質的な殺人鬼が、十も数えない生意気な娘を攫い、絶対的な丹力の差で押さえつけ、鼻っ柱を折り、舌を引っこ抜き、屈辱のかたまりで喉まで塞いで黙らせたのち、胴体から首を切り離す様子が、妙になまなましく想像された。

 まぼろしの中でも、あの小娘は反抗し続け、最期まで赦しを乞おうとはしない。


 避難民村にたどり着くと、森のほうが騒がしかった。

 ほとんどが悲劇に対する啜り泣きと、影を飛び継ぐ殺人鬼を憎む声だ。

 今朝までは阿片の心配をしていただろう、堕落者までもが正気へと引きずり出され、行き過ぎて涙と落胆の側へと落ち掛かっていた。


「ジェイコブ殿! ああ、それにシスター! あの子は井戸におりますじゃ。もはや医者ではなく送りの言葉が必要でしょうが、婦女子に見せるにはあまりにもむご過ぎて……」


 出迎えた年寄り男は、「おお、なぜ、わしじゃなかった!」と嘆いた。


 老人を通り過ぎると人だかりがあり、警官らしき者が声を張り上げて見物人たちを抑えていた。

 野次馬には薄汚れた人だけでなく、ビグリーフの町や朝の礼拝で見掛けるような身なりのちゃんとした者も混じっている。

 誰かが「シスター・クレイミーだ」と呟くと、警官の苦労などなかったかのように人垣がさっと拓けた。


 井戸は先日に見た単なる穴から、レンガが積まれ真新しい木の支柱を建てた姿になっていた。

 金物のポンプよりも安上がりな昔ながらの鶴瓶式でバケツが吊るされており、バケツの中には見上げるような角度で少女の成れの果てが置かれていた。


 ――――!


 背後で何か獣の咆哮のようなものが聞こえたかと思うと、ジェイクが弾丸のような勢いで井戸のバケツへと飛びついた。

 殺された娘は、うちの跳ねっ返り見習いではなく、ジェイクがクレイミーにのしかかられる現場を見てしまったあの子だった。


「なんでだ!? どうしてだ!?」

 彼はそう叫びながらバケツから娘の頭を解放した。

 今朝起きて結んだだろうみつあみが濡れて赤い雫を落としている。

 ご多分に漏れず、少女のくちびるの端には泡を吹いたかのように白いものが付着しており、ジェイクはそれを指でぬぐってやると、もう一度疑問を口にした。


「身体は、身体はどこだ」


 あるはずがない。これまでの被害者のものも見つかっていないのだから。

 ジェイクはまったく真剣に泣きじゃくっていて、こちらを振り返ると「この子は噴火から逃げ延びたときに背中に大きな火傷(やけど)を負ったんだ」と言った。


「火傷の痛みよりも、ぼくに肌を見せなきゃならないことをすごく恥ずかしがっていた。こんなことになるんだったら、嘘でも彼女の願い通りの返事をしてやればよかった」


 掛ける言葉がない。

 前回はクレイミー式で上手に祈りを捧げてやれなかったから、いくつか聖句を覚えてきたはずだったのに、どこかで落としてきてしまったようだ。

 あの少女は、わたしの妹分たちとも同じ年頃だった。


「憎い、憎いぞ! あの外道を見つけ出し、首を斬り落として、たましいを引きずり出してやりたい! ぼくにもっと力があれば……!」


 ジェイコブは哀れな少女を神に捧げるかのように頭上に掲げた。

 斜陽だ。少女の頭と青年が光に包まれる。

 ふいに、雲もないのに遠くで雷の音がした。


「シスター・クレイミー?」

 警官が声を掛けてきた。

「主教殿を呼んできてもらいたいのですが……」

 彼はわたしが主教かのように遠慮がちな態度だ。それから、こう付け加えた。


「いっぺんにふたり(・・・)は初めてです。森の奥からもう一つ見つかりました。家族そろって逝けたのは、慰めになるんでしょうか」


 そういえば、最も少女の死を悲しむだろう母親の姿が見えなかった。

 奥から別の警官が駆けてくる。また遠くで雷鳴。

 警官は手に何かを持っている。黒い布だ。

 彼も「ちょうどいいところに」と、こちらに寄ってきて布を広げた。



 ……サイズの小さな修道服だった。



 教会に飛んで戻り、過労の男を叩き起こして送り届けると、すっかり夜が更けてしまっていた。

 十六夜(いざよい)の月はぱっと見では満月と遜色はなかったが、低くなり始めて遠景の火山に隠れてしまいそうになっている。


 クレイミーをベッドに預け、クララで目覚めると、目の前にはすでにひざまずいて祈りを捧げるラニャの姿があった。

 両手をしっかりと握り合わせ、まぶたもしっかりと閉じて、こころの中で何かを熱心に唱えている。

 まるで眠れるクララが拝むべき偶像だと言わんばかりだ。

 わたしはてっきり、右手に羽ペン、左手にインク壺で待っていると思っていた。


「ラニャ、久しぶりだな」


 声を掛けると、ラニャは静かに祈り手を下ろし、ゆっくりとまぶたを開けた。


「クララお姉さま……」


 ほほえむ少女。

 畏まった出迎えだ。今のわたしとしては、泣きつかれたほうがありがたかった。

 新たな殺人については、まだ修道女たちには伝えられていない。

 知っているのは主教とマザーだけだ。

 どの道、教会関係者総出で祈りに出向かわなければならないだろう。

 それから、犠牲者のほかに小さな修道服が見つかったことも伏せられている。

 メルチ当人は首も身体も行方不明。二人目の犠牲者は少女の母親だった。


 こんなことがなければ今夜、ラニャにすべてを告白してしまうつもりでいた。

 他者の身体を乗り継いでいることも、彼女の父を殺してしまったことも。

 むしろ、わたしが泣きつきたいのかもしれない。

 だが、ラニャのことはもちろん、打ちのめされても立ち上がり、復讐を誓ったジェイクのことを思うと、それはズルい気がした。


「おかえりなさい、お姉さま」


 ラニャは両手を伸ばして胸を開いていた。

 飛びつくわけでもなく、待ってくれていた。

 こころが筒抜けになっているのかと思い、わたしは一瞬とまどう。


「すまない。まだ本格的に戻ったわけじゃないんだ」

「そうなんですか……」

 しおれる少女。

「だが、次の満月か、その前後に月が出ていれば会える。そのときはこっそり抜け出して、どこかで飯でも食おう」


 ラニャは返事をせず、わたしの頬に触れた。

 ぴたりと、何かが止まった。

 止まったのは、わたしだ。わたしは震えていたようだ。


「待ってます、ずっと。それまでどうか、くじけないで」


 言葉はわたしに投げかけられていた。

 少女の手のひらがそっと頬を撫でてくれると、胸の奥が搾り上げられるような感覚に襲われる。

 やはり、何もかもを月下の元に晒し、打ち明けてしまいたい衝動に駆られる。


「わたしは、おまえのことのほうが心配だよ」

 こちらもラニャの頬へと手を伸ばそうとすると、彼女は逃げるように離れ、立ち上がってしまった。


「秘密をかかえているのって、とっても大変ですよね」

 彼女は二、三歩後ずさると、つま先で床を蹴った。


 なんだ? 床板がズレたようだ。


 彼女はしゃがんで床板を外し、穴へと腕をつっこんだ。

 何かを掘り当てようとしているのか、ぺろりと舌を出して手の感覚だけで床下を探っている。


「あった!」


 彼女がずるりと引き出したのは、大粒の涙。


「クララお姉さま、お酒、大好きでしたよね」

「グ、グレンキオーじゃないか!」


 妹分はボトルを掲げ、得意げに鼻を鳴らした。


「ある人から没収して手に入れたものなんですけど、これ、すっごくいいものらしいんです。マザーに見つからないかって、今朝は心臓が破裂しそうでした」


 わたしは「こいつめ!」と言って、ラニャを床に押し倒した。

 それから、彼女の前髪を掻き上げて額に一発、目尻を笑わせて閉じたまぶたにそれぞれ一発、ほっぺたにも三発と、小生意気なくちびるにも濃いのを二発、キッスをしてやった。

 ぶちゅっ、ぶちゅっ、ぶちゅっ!


「も、もうお姉さま! やめてください!」

 顔を背けて逃げながらも、彼女は全身で笑っていた。

「グラスもちゃんと用意してるんですよ。お父様のものですけど……」


 わたしたちはふざけ合うのをやめ、視線を絡ませた。

 ラニャの表情からは、すっかりと背伸びが消えてなくなっていた。


「酒はあとだ。ラニャ、今まで……」


 ふいに意識が飛び、クララから遠ざかるのを感じる。

 何かが邪魔をした。

 集中し直すと、視界が戻るが、すぐにまっしろな閃光と共に弾かれてしまう。


 おぼろになった感覚でも分かる轟音。

 ごろごろごろ……。


 遠ざかる感覚の中、ラニャが「あーあ、すごい雨」と言って笑うのが聞こえた。

 悪魔の仕業のごとくのタイミングだ。

 まったく残念だったが、落ちるわたしの頭をそっと撫でてくれる感覚だけはかろうじて捕まえることができた。


「おやすみなさい、クララお姉さま」


***

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