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第27節 年寄りどもの受難

「クララお姉さま、お目覚めになられたんですね」

「いや、それが、まだ……」


 目の前に立つラニャは、今にも溶け崩れてしまいそうだった。

 もともと彼女とは話をするつもりだった。

 だが、月は雲に覆われおり、たましいの疲弊が急速に限界に達しつつあった。


「よかった……!」


 少女に抱きつかれる。温かいはずの身体も、大した感覚を返さない。

 どころか、クララの中から引きずり出されるような強い力を感じ、寄る辺を失ったたましいが入れ物を求めて寒がり始めた。


 ラニャは横になったクララを揺さぶり、叫び混じりに語り掛けている。

 ランプが照らした横顔が濡れて光っていた……。


 わたしはクレイミーで起き上がると、足早にラニャの部屋へと向かった。

 ノックもせずにノブを回し、目覚めぬクララの前に座り込む少女の背中を見つける。


「こらっ、やめなさい!」


 ラニャはクララの顔に羽根ペンで落書きをしようとしていた。


「ひっ、クレイミーお姉さま!? こ、これは違うんです。クララお姉さまがお目覚めになってて、寝たふりをなさるから起こそうと思って……」


「起こすにしても普通に起こせ」と、クレイミーの喉元まで出掛けたが、わたしは少女の横にひざまずいて、優しく肩を抱いてやった。


「あの、信じてください。決してクララお姉さまを辱めるようなことはしてません」


 少女の頬に手を当て、親指で濡れた筋を拭ってやる。


「わたしは信じますよ、シスター・ラニャ。じつをいうとね、わたしもクララさんとはお話をしているの」

「クレイミーお姉さまも!?」

「そう。でも彼女は悪魔との戦いで傷ついてしまったたましいを癒す必要があって、天使のお許しになったときにしか目覚められないの」

「そうなんですか……」


 とか言いつつも、ラニャはペンをひっくり返して、羽根のさきっちょでクララの鼻の下をくすぐった。


「やめなさい」

「だってえ」

「眠っているようで、クララさんにも見えてますからね。あとで叱られますよ」

「えっ」


 ラニャはクララの鼻の穴に突っ込もうとしていた羽根ペンを引っ込めた。


「それにしたって、天使様も意地悪です。もう少しくらいお時間をくださればいいのに。クララお姉さま、今夜はずっと部屋から抜け出していらっしゃったんですよ。きっと戻ってくると思って、隠れて待ってたのに……」


 ()い奴め。だが、話が違うな。


「あなた、主教様から何かお仕事を言いつかりませんでしたか?」

「主教様から?」


 ラニャは首をかしげている。


「何も聞いていないならいいわ。それより、クララさんの目覚めに関しては、他言してはダメよ」

「どうしてですか? ほかのみんなも会いたいと思いますけど」

「主教様から止められてるの。あなたも、知らないふりをしていて」


 ラニャは口を尖らせて「えーっ」と言った。

 修道院に戻ってから、ラニャのクレイミーに対する忠誠度や尊敬度が落ちている気がする。


「大丈夫。きっと近いうちに会えますよ」

「……はあい。しっかりお話ができるように、こころの準備をしておきます」


 彼女の肩を叩き、部屋をあとにする。

 去り際に「クレイミーお姉さまばっかり、ずるい」なんて呟きを聞いた。


 ドアを閉めて背を預け、もう一度だけクララに意識を集中する。

 言えたのは「明日の深夜」という短い言葉だけだったが、扉の向こうからは弾んだ返事が聞こえた。


 わたしは床に座り込んでいた。

 裏通りでのクララの軽さなんて嘘だったかのように、今はたましいの居座るクレイミーですらも、水の中で石をかかえて動き回るように重たく感じる。

 満月の晩はつながりが深くなる、カミサマはそう言った。

 あくまでそう言っただけ。肉体を使役し過ぎることで引き起こされる事象については、何も触れちゃいない。


 眩暈を感じながら立ち上がり、身震いをする。

 いやに寒い。

 調子が悪いときには思考が下を向きやすいものだ。

 女神はわたしを使い潰す気なんじゃないかとか、元の身体には還れないのではないかとか……。


 わたしらしくない。

 だが今のわたしは、クララでもクレイミーでもない気がした。



 主教の部屋をノックすると、物音がしたあとに「誰だね」と返事があった。


「わたしだ」

「……げえ、しまった! 入り給え」


 何か聞こえた気がしたが、ちょいと問い詰めてやらねば。


「ラニャが部屋に戻っていたぞ。仕事を言いつけて引き付けてくれるはずじゃなかったのか」

「すまぬ、ほんの手違いだ」


 カニンガムは床に転がったペンやら何やらを拾い上げた。

 日中の仕事で着ていた主教服のままで、ミトラも机に置きっぱなしだった。


「居眠りをしていたんだな?」


 主教は顔を背けた。


「……それで、ラニャはなんと?」

「適当に誤魔化しておいた。明日の晩、クララでラニャとコンタクトを取る。あいつにはそれが必要だ」

「勝手なことを。あれがなんと言うか分からんぞ」

「機嫌取りに使えそうなものは手に入れてきたさ」


 机にたましい入りの瓶を乗せる。

 大きめのボトルにせまっ苦しく、二等星がひとつと屑星がたくさん。


「ずいぶんと多いな」

「護衛や後釜もやる必要があったんだ」

「多いうえに光が瓶を透かさぬほどにも弱い。殺され損だな」


 カニンガムは不満そうな顔をしつつ、ボトルたちに十字を切り始めた。


「シップマンは確かにイカれた売人だったが、アイリーンに阿片を流していたのは、その雑魚どものほうだ」


 主教の手が止まり、十字が逆向きに切られた。


「さすがにそれは不信心じゃないか?」

「ふん、主教ともあろうものがよその自称神に使われてる時点で同じことだ」


 彼は机の上で腕を組むと顎を乗っけて、シップマンのボトルを睨んだ。


「どうした。たましいを食わせないのか?」

「クララよ」

「なんだ?」

「我々のやっていることは、本当に正しいのだろうか?」

「今更だな。あんたは立場というものがあるだろうが、わたしは自分の肉体のためだからな。カミサマは、わたしの罪とやらがどうとか言っていたが」


「立場、立場か」

 カニンガムは噛みしめるように言った。

「わしは自分の役目に誇りを持っているつもりだ。神の教えを説き、貧しきを救い、島の暮らしを支える。だが、どれほどあがこうと、おのれより大きな力にはなすすべもない。火山然り、女神然り、くだんの殺人鬼然り。あの小娘だってそうだ」

「メルチはまだ戻ってこないのか」

「うむ。出先でも聞いて回ったが、誰も見ておらぬそうだ。修道服姿の童女がうろつけば目立つと思うのだが」


 この心配の矛先が何に向いているかは分からないが、カニンガムもかなり消耗しているようだ。

 彼は髪を掻き上げると長いため息をついた。指のあいだから白髪交じりの髪がこぼれる。


「火山活動に関しても、わたしたちの仕事の成果と関連があるように思えない」

「その通りだ。あれは火山の女神だとはいうが……。今日日、地質学なるものも盛んだし、聖書を否定する説をぶちおるダーウィンなんぞも現れた。それを支持する者も増えつつある。わしの祈りも本当に天の父に届いているのか……」

「聖書に虚構や脚色があったとしても、イコール神の不在を示すものじゃないさ。あんたは島のためになっている。あんたは自分の信じたままをすればいい」


 カニンガムが短く嗤う。「おまえのような罰当たりに励まされるとはな」


「失礼だな。これでもわたしは主に感謝をしているんだ。あてにしているのは自分自身だけだがな」


 わたしはあくびと共に背伸びをする。こいつの前で本音の感謝を口にするのは少し照れくさかった。


「わたしは先に寝るよ。あんたも無理をしないことだ。といっても、それの始末だけは忘れないでくれよ」


 クララの部屋に戻り、眠りに落ちる。

 夢を見た。アイスクリームにまっかなベリーのソースを掛けて食べる夢だ。

 匙ですくって口に運ぼうとすると、アイスを乗せたグラスが脳をむき出しにした猿の頭に変わっていた。

 猿は怒っているのか笑っているのか、歯茎を見せ牙を剥いていた。



 翌日、シップマンとその子分たちの死亡のニュースが島中を駆け巡った。

 原因は仲間割れで、彼らが栽培していた芥子(けし)の実畑も黒焦げとなった、とのことだ。

 わたしたちの元にも、朝の礼拝に訪れた島民から早々に噂が流れてきた。


 ところが、教会関係者たちは阿片王の抗争よりも、ほかの事件で騒がなければならなかった。


「犯人はこの中にいる可能性が高いよ。あんたたち、主教から薬を盗むなんて、本当にいい度胸をしているね」


 マザー・ジェニーンが、自身の手のひらを棒で、ばしん! と叩いた。

 親指よりもぶっといぶっとい棒だ。


「今から全員の部屋をくまなく調べる。ブツが見つかった部屋の人間は、裸に剥いて天井から吊るして棒打ちをするから覚悟をおし」

「あの、見つかった部屋の人間って……」

 シスター・サラが恐る恐る尋ねた。

「同居人も連帯責任ってことさ」

「そんな!」

「口答えするんじゃないよ!」


 がん! と棒で壁を叩く音が響いた。

 ババアは気合が入っている。

 カニンガムの私物なんてどうでもいいはずなのに。

 彼女もまた、昨日は外でメルチのことを探し回って骨折り損だったらしい。


「あの人たちが死んだ、あの人たちが死んだ……」

 親指の爪を噛みながらぶつぶつ言ってるのは、シスター・アイリーンだ。

 彼女はすでに周りから白い目で見られていた。

 同居人のサラは完全に彼女が犯人と決めつけているようだ。


 カニンガムが「薬の入った瓶を盗まれた」と発言したせいだ。

 あいつはでっち上げが雑で困る。

 実際に盗まれたのは薬物などではなく、薬売りどものたましいが入った瓶だ。

 カミサマの餌やりに使うフォークも、かなりの疲労を呼ぶために、一晩明けてから処理をしようと机の上に置きっぱなしにしていて、その隙に盗られたらしい。

 カニンガムは心労が重なり、とうとう熱を出して寝込んでしまった。


「あ、あの!」

 今度はシスター・フローラの挙手だ。

 ババアは普段の鬱憤を乗っけてるようにしか思えない声量で、「なんだい!?」と、怒鳴った。


「もし私たちの部屋から盗まれた物が出てきたら、ドロシアも逆さ吊りに?」

「当たり前じゃないか。文句があるのかい!?」

「彼女の重みで天井の梁が折れてしまうんじゃないかなって……」


 ドロシアが顔の赤いアシカのようになっているが、フローラは嫌がらせで言ったのではない。彼女は天然だ。わたしは笑いを噛み殺した。


「ここが潰れたらドロシアのせいさ。それがイヤだったら、今のうちに痩せておくんだね!」


 理不尽。まあ、重過ぎて吊るせないだろうが。

 もっとも、シスターたちの部屋からブツが出てくる可能性は低いから心配無用だが。


 目利きが見れば珍しいランプかお宝だと思うかもしれないが、あれがたましいの入った瓶だと理解できるのは、わたしとカニンガムのほかにはいないだろう。

 瓶自体が目的でないケースを考えてみろ、カニンガムへの嫌がらせしかない。

 修道院に出入りができて、そんなことをする必要がある人物は分かり切っている。


「あんたたち、本当にメルチの居場所を知らないんだね?」


 ジェニーンは、膨らみそこなったパンのような顔面を童女たちへと近づけた。


「ずっと会ってない。あたし、あんな裏切り者のことなんて知らない」

 バルタは顔を背ける。ババアはもっと顔を近づけて、まるでそうすることで嘘が嗅ぎ分けられるかのように、童女の首の前で鼻を引くつかせた。


「嘘をついたら承知しないからね。カスプ! あんたもだよ!」


 ジェニーンは腰を曲げてバルタを覗きこんだ姿勢のまま二歩横へと移動し、カスプと対峙した。


「カスプ、何も知らない」

 ぷいとそっぽを向く童女。

 ババアが「こっちを向くんだよ!」と言ったら、「息がくさい」と返した。


「こんのクソガキャ……!」

 さらにしわくちゃになったババアは、手にしていた野太い棒を振り上げた。


「マザー。おやめください」

 わたしはクレイミー然として、枯れ木の腕をつかんだ。

 ババアは鼻息だけカスプに浴びせると、棒を下ろした。


「ふん! やっぱり三つ子というだけあるね。まあいいさ。あんたらの部屋もあとで徹底的に調べさせてもらうよ」


 調べるのはいいが、冤罪や捏造はやめてくれよ。わたしまで裸吊りじゃないか。


「さあ、今から順に部屋を回って調べていくよ。もちろん、禁止物があっても罰を与えるからね!」


 ババアは、どすどすと床を踏み鳴らしながら廊下へと出た。

 シスターたちが葬儀の参列者のようにのろのろと続く。


「どうしたの、ラニャ?」

 彼女は食堂から出ずに立ち尽くしている。心なしか顔色が悪い。

「い、いえ別に」

 ラニャはわたしの前を素通りして列の最後尾につけると、「ど、どうしよう」と呟いた。


 ……おまえが盗んだわけじゃないよな?


 ジェニーンの立ち入り捜査は地獄の責め苦のようだった。


 まず、シスター・サラがページを並べ直していた最中の「嵐が丘」を没収、薪代わりにされてしまった。

 あの作品は悲劇として読むのが正しいのに、年寄りには猥褻(わいせつ)に見えたようだ。


 次にアイリーンだが、彼女の私物から不審なものは何も出てこなかった。

 阿片の件で調べられたばかりだからだろうが、彼女は家探しを受けている最中も、くまの張った目を見開いて、「まだ行けば間に合う。焼け跡から。あそこの空気を吸えばきっと」などと、ぶつくさ言っていた。

 売人どもを片付けてもこれではやりきれない。


 フローラも白だったが、彼女が島外の子どもたちにも配れるようにとこしらえていた大量の人形が部屋にたくさん転がっていて、それがババアのニトログリセリンに火をつけた。


「ちょっとは部屋を片付けたらどうなんだい!?」

「わ、私としてはちゃんとやってるつもりで……」

「何がつもりだ。積もってるのはホコリだよ! そもそもちゃんとってのはなんだい!? 具体的に言ってみな!」


 フローラは決して怠け者ではない。ただちょっと抜けているのだ。

 ババアは喧々とまくし立てながら詰め寄ると、唐突に悲鳴を上げた。


「ぎゃあ! なんだいこれは!?」


 ババアの靴の下には哀れな人形がある。


「あっ、その子はまだ衣装が仮止めで針が刺さったままなんです」

「そんなもんを床に置くんじゃないよ!」


 ヤツは腹いせに人形を蹴飛ばしたが、針に反撃をもらって悲鳴を上げた。

 いい気味だ。


 気勢を殺がれたのか、そこから先は比較的穏やかに調査が進んだ。


 フローラと相部屋のドロシアは、お菓子の缶を見つけられたが、いつものこととスルーされた。

 だが、ドロシアからは集めて売れそうなほどの脂汗がにじみ出ている。


 これはバルタから聞いた話だ。

 オブライエン牧師はドロシアと肉体関係を持っているが、本当のところ牧師は熟れ過ぎた果実よりも、青い実がお好みらしい。

 正体を隠すためと偽って彼女に紙袋を被せ、その背中に童女の鉛筆画を乗せながら背後から突くのだそうだ。

 じつはわたしは、これをカニンガムにチクっていたのだが、彼はすでに把握していたらしく、牧師が町の子どもに手出しをしないための代替品になるのならと放置していると答えた。


 ドロシアと変態牧師はフローラの人形に感謝すべきだろうな。


 続いて、不安要素をかかえていたらしいラニャも、調べられている最中は部屋の隅で小さくなっていたが、特に何も言及されなかった。

 私物からいくつか不要物が出てきたが、これは先の引っ越しなどの事情も絡むために、ジェニーンも多めに見たようだ。


 ほかの部屋も順々に回り、マザー・ジェニーンは気に入らないものが見つかるたびに盛ったサルの群れのような金切り声を上げた。

 盗品がいつまで経っても出てこないことも相当のストレスらしく、ヤツはしゃっくりをしたり震えたりし始めている。


 で、最後を飾るわたしと三姉妹の部屋だが……。


「きええーーっ! やっぱり見つからなかった! となると、つまり! メル、メメメ!」


 ババアが急に動きを止めた。

 それから、まっかになったりまっさおなったりすると、全身をぶるぶる震わせ、氷漬けになったかのようにそのままの姿勢で横倒しになった。


 おっ、死んだか?

 期待と共に背中に耳を当てると、野太い音がしっかり聞こえてきやがった。


 わたしたちはその日一日中、ババアとジジイの看病をして過ごす羽目となったのだった。


*** 

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