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第26節 操り人形

 メルチは見つからなかった。

 

 バルタとカスプを起こして問い質したが、寝ぼけた返事しか得られず、ふたりはさっさと寝直してしまった。 

 妙な感覚が胸の奥にこびりついていた。それは、メルチが騒ぎを起こすとか、殺人鬼や外道の手に掛かるといったものではない、別種の何かの気がした。

 翌朝、あらためてふたりにメルチについて尋ねるが、彼女たちはそもそも懲罰室に近づいてもいないという。

 疑惑の持ち上がったテューレの出身を疑ってみせると、ふたりは「お姉さまったら、何言ってるの?」と、風に揺れるサクランボのように笑った。


 カニンガムにも、三姉妹の出どころは本当にテューレなのかと尋ねた。


「書類ではそうなっておるな」

「他人事のように言う。火砕流被害で出たみなしごは二名のみで、他人同士だと聞いたんだが」

「なんにせよ、あれを救貧院から引き受けてきたのはマザー・ジェニーンだ」


 ババアか。あいつも手引きをしておきながら三姉妹を御せていない。


「あの跳ねっ返りどもの出身がどうかしたのか? メルチのアホが逃げ出したのは確かに大問題だが……」

 主教の顔が見る見るうちに赤くなる。

「あやつが問題を起こしたら、テューレだのビグリーフだの関係なく、ここの修道院の! シスター見習いが! やらかしたということになるのだ!」


「救貧院へ確かめに行ってもいいか?」

「おまえには使命があるだろう。阿片売りを突き止めたのは手柄だ。売人を片付ければ島民の生活は向上し、我々の仕事も楽になる。メルチのアホよりも優先だ。ヤツの動向は確かに気になるが、どうせ行く当てはない。救貧院なんぞに戻りたいやつなんておらぬし、そのうち腹を空かせて帰ってきおるわ」

「まあな……」


 救貧院は貧困者を引き受け食事や医療、仕事を与える施設だ。

 だが、資金繰りや運営に問題があり、食事も医療も満足に与えられない牢獄のようなところも多く、ただ道端の問題を投げ入れて綺麗に見せかけるためだけの施設だという者もいる。

 貧しさから脱することができるのは一握りで、大抵はくたばるか、逃げ出してスリや窃盗で食いつなぐことになる。

 アマシマク教区には教会管轄の救貧院はなく、この救貧院は、とある貴族が社会福祉者の名誉を飾るために建てたものだ。

 そいつが作らなければ、わたしたちがその役目を担っていたかもしれないのに。


 ジェニーンのほうに尋ねてみるも、「あたしがそんなくだらない嘘をつくわけがないさね! 嘘というなら、連中を引き取ってきた事実まで嘘にしてしまいたいねえ! きええええっ!」と、金切り声で応じられた。

 ごもっとも。

 まあ、管理の杜撰(ずさん)な救貧院のことだ、事実と書類に食い違いがあっても特に不思議はない。


 わたしは奇妙な予感をかかえたまま、月が昇るのを待つこととなった。


 カニンガムに仕事を言いつけてもらい、ラニャと見習いどもを自室から引き離し、クレイミーを抜け殻にしてクララで立ち上がる。


「これをするのも久しぶりだな」


 窓枠に足を掛けて庭へと下りる。

 ラニャたちと抜け出した去年の夏を思い出す。港にノルウェーからの氷の運搬船が寄港していて、アイスクリームを出す店が多かった時期だ。

 普段なら、アニェはこの手の悪事には乗らなかったのだが、甘味の魔力には彼女も勝てなかった。


 メルチはどうしているだろうかとよぎり、頭を振って打ち消す。

 あの三姉妹のことを、わたしたちと重ね過ぎているのかもしれない。


 こころの底に重石が居座っているのを感じながらも、自身の身体の軽さには気持ちが弾んだ。一挙手一投足が、今のわたしが本当のクララ・ウェブスターだと思い出させてくれる。これからするのがある種の殺人であるにも関わらず、鎌を振るうのも楽しみなほどだ。満月が照らしている世界は、まるでわたしが主役の舞台のように思わせた。


 踊るように港の裏通りまで行くと、ランタンを掲げたジェイクの姿を見つけた。

 気づいた彼が一瞬目を細め、わたしが近づくまで口を半開きにしたマヌケ面を披露した。


「どうした? 美し過ぎて呼吸も忘れたか?」


 ジェイクはまるで、女の裸を初めて見た童貞のようになっている。

 彼はわたしの質問に頷きかけて「クララ・ウェブスターか?」と尋ねた。


「そうだ。クレイミーやマクラ、メアリの身体を操っていたのはわたしだ」

「口調はこの前のクレイミーにそっくりだが……」


 ジェイクはまた、まじまじとわたしを見ている。

 いやらしい奴め。口の端が釣り上がってしまうじゃないか。


 わたしが「疑うのなら蹴りか何かで証明してやろうか?」と言うと、彼は「確かに同一人物だ」と苦笑した。


「ところでクララ、今夜はやめにしないか?」

「急にどうした? わたしを宿に連れ込みたくなったか?」

「否定はしないが、そうじゃない。シップマンは落人集落のアジトにいるみたいなんだ」

「こっちにも、満月でなければならないという事情があってな。わたしの身の心配をしてくれているのなら不要だ。それよりも、あんたも見つからないように気をつけたほうがいい」

「ぼくも多少の武道の心得はあったんだがな。あれだけ見せつけられれば自信があるのも分かるが……」


 ジェイクは懐に手を入れると、ピストルを差し出してきた。


「要らん。伝統的な剣でもあれば借りるが」

「本当に平気なのか?」

「平気だ。それより、頼んでいたアレはできたか?」


 一枚の紙が渡される。

 クインシー・シップマンの人相書きだ。

 取り立てて特徴のない凡夫。

 毒気も荒々しさも見当たらず、裏社会から島を冒す大悪党には見えない。


「刈り入れの成否は明日のニュースでお知らせするよ」

 わたしは人相書きを振って後ろ手に別れを告げた。


「待ってくれ」

「なんだ?」

「満月なら、また会えるのか?」

「そうだな」

「だったら、次の満月にでもゆっくり話を……」


 さえぎる。「悪いな、次の満月には先約があるんだ」


 背中に小気味のよい落胆を感じながら、わたしは石畳の道を歩く。

 スラムに近づくほどに糞やゲロの()えたにおいが漂い始め、ロンドンの街頭を思い出させた。


 世界を隔てる境界線には、ライン代わりに人間が立つのがお約束だ。

 山高帽を前のめりに被って建物を背にしている男を見つけると、人相書きを見せて尋ねた。


 男はこちらを舐めるように見ながら、シスターがどうとか女がどうとかぶつくさ呟き、質問にも答えずに薄汚れた手でわたしの顎に触れようとしてきた。

 そんな彼は意外にも親切で、急に腹を押さえて地面に転がって、そのあと鼻を押さえて血を吹き出すと、売人の居場所を丁寧に教えてくれた。

 道中、似たような親切者に何人か出会ったが、連中はメアリや車いすの女を相手にしたときよりも盛っていて、蹴飛ばした足が痛くなるほどにまたぐらを固くしてるのも混じっていた。


 男どもが狼になっているのは満月のせいか?

 いいや、わたしが美しいからだ。

 もっといえば、狼はわたしのほうで、連中は哀れな仔羊に過ぎない。


 シップマンは、かつてはれっきとした何かの施設だったろう石レンガの建物の裏手で立小便をしているところだった。

 礼儀として、月光を受けて煌めく液体が途切れるまで待ってから声を掛けることにする。切れが悪いようだ。


 空を見ると、分厚い雲がいくつか浮いているのが見えた。

 月光が遮られるとどうなるか分からない。仕事を急いだほうがいいだろう。


「あんたがクインシー・シップマンか?」

「どうだろうな。シスターがこんな時間にこんな場所に、なんのようだ?」


 平凡な男の顔は、すぐに人相書きからかけ離れた。

 しわを作って片眉あげて、煙草をくわえながら歯を見せている。

 他者を喰らう者の(かお)だ。


「俺の知り合いのシスターよりはいい女だな」

「より()? 低く見積もり過ぎだろう」

「言っとくが、教会関係者には売らねえぜ。たとえ抱かせてくれるといってもだ」

「ほう、アイリーンに売ったのはおまえじゃないんだな」

「そうだ。苦情を言うならよそにしな」

「苦情はいい。個人的な要件だ」


 わたしは一歩進み出る。

 シップマンの背後には、子どもの背丈ほどの植物の茂みがあった。

 ちょうど開花していて、鮮血色の花びらが夜風に揺れている。

 刈り入れまでもう少しといったところか。


「悪い。あんた、驚くほど美人だな。陰になっててよく分からなかったんだ」

 売人の態度が変わった。口調にも嘘は見当たらない。


「咳止めが欲しいんだ。ダメか?」

 こちらは態度を変えず、声色だけやや甘くして訊ねる。


「困ったな。あんたの頼みなら何でも聞いてやりたいところだが、むしろ阿片は売れねえよ。あんたみたいなのがヤクでぼろぼろになるのは偲びねえ」

「残念。代わりに、商売相手をえり好みしている理由を教えてくれないか?」


 男は得意げな顔になると「いいぜ」と言った。


「ゲームを楽しんでいるのさ。この島をダメにしちまわないで、いかに廃人を増やせるかってな」

「島をダメにしないで?」

「俺はここで生まれてここで育ったからな。こんなクソ溜めでも愛しているのさ。だが、ゲームってのはプレイヤーが優秀過ぎるとつまらなくなるものだ。そういう時はどうすればいいと思う?」


 わたしが「制限を設ける」と答えると、シップマンは極上のステーキを味わうかのごとくゆっくりとうなずいた。


「あんたは見てくれだけじゃない。中身までいい女だな。コツとしては、重要な商売をしているヤツや職人には売らねえようにする。反対に、路傍の石やガスの切れたランプのようなヤツにはちょいとオマケをする。寄港する連中に売りつけるのも面白いぜ。ここでは特別濃いチンキも出してるからな、ハマったヤツが俺の特製品目当てにわざわざ船で島に戻って来るのさ。島外の連中はノーカウント。頭がおめでたくなって、この島にお得な落とし物をするって寸法だ」


 シップマンは延々と蘊蓄(うんちく)を垂れ流し続けている。


「アマシマクを俺の理想郷にしてやろうってんだ。考える必要のない奴は阿片漬けにして、考える価値のある奴は残す。この島に詳しい俺には可能だ。あんたもプレイヤーにならないか?」


 顔面を愉悦にゆがませた男が手を差し出した。


「ほう、なるほど。ルダス、ルダス……」

「ルダス?」


 わたしはおもむろに胸元に手をやると、ずるりと大鎌の柄を引っぱり出した。


「げえ!? な、なんだ? 手品か?」

「クインシー・シップマン。この島がダメにならないように、ちょっと協力してくれ」


 青きやいばを開花させる。

 シップマンは目を見開くと、「誰か来てくれぇ!」と叫んだ。


 もう遅い。叫びの余韻が消える前に、(たま)狩りの一撃が首をすり抜け、売人は崩れ落ちた。

 同時に、刈り入れのときにいつも感じるあのエクスタシーが全身を駆け巡り、肉体のありとあらゆる敏感な部分が「もっとよこせ」と叫ぶ。


「おい、どうした。サツでも来たか!?」


 建物から男が飛び出してくる。手にはピストル。

 鎌を持ったわたしの姿を見止めると、「し、死神!?」と歯を鳴らした。


 助けに現れた男は、怯えながらも聡明だった。

 銃口を多少震わせつつも、鎌の間合いの遥か遠くから連射をおこなった。


「し、しまった」


 ぼとぼとと、わたしの足元に血の池が広がっていく。


「た、立ち上がるとは思わなかったんだよ!」


 わたしの正面には銃弾を受けたシップマンが立っている。

 彼は確かに立っていはいるが、仲間のミスに苦情を言うことも、痛みに呻くこともない。


「おい、何があった!?」

追加オーダーが続々と届く。

 わたしは壁に隠れ、操り人形と化したシップマンを、増援の中へと雑に突っ込ませた。


「ひっ、ひえええっ!」


 情けない悲鳴を上げやがる。だが、この悲鳴は先ほどの刈り入れで達したばかりの神経に心地よく響く。


 大きく息をついて足元を見ると、何かが落ちてるのに気づいた。

 髪の毛……のくっついた肉片だ。

 どうやらシップマンは頭を吹き飛ばされていたらしい。

 そんなのが突っ込んで来たら、そりゃあ、驚くか。


「す、すまねえ。あんたに黙ってヤクを売ったのは謝るから!」


 発砲音。シップマンの感覚が途絶える。

 悪ふざけが過ぎたらしく、連中は狂乱状態(ルナティック)に陥り、シップマンの肉体が死んでからも何度も銃声を響かせた。


「う、恨まねえでくれよ。あんたばっかりいい目を見てたからさ……」

「初めて人を撃っちまったよ。クソ、懺悔しに行きたい気分だ」

「へっ、神様が俺たちの話を聞き入れるかよ。クインシーは教会のもんには売るなって言ってたのに」


 ほう。罰する必要のある人間がほかにもいるようだな。


「なあ、あいつがくたばったんなら、ここは誰が世話するんだ……?」


 男たちのあいだに緊張が走るのが手に取るように分かった。


 明朝には島中を騒がすニュースになるだろう。

 ひょっとしたら、島外から記者が来るかもしれないな。

 阿片密売組織の内部抗争か、ってな。


「おい、何もんだ、てめえ」


 おっと。見つかってしまったら仕方がない。

 わたしは男を離魂させると傀儡(くぐつ)に仕立て、「ここのヤクは俺のもんだ!」と、睨み合う男たちの中へと飛び込ませた。

 それから、二度目の絶頂を琥珀色の美酒のように舌の上で転がしながら、次の裏通りの覇王を信じてやまない愚か者たちへと、ゆっくりと歩いていく。


「レスト・イン・ピース。阿片よりはいい夢が見られることを祈ってやるよ」


 つかみ合っていた男どもが目を見開き、静止した。

 自分が見たものが死神なのか聖女なのか、本能が逡巡させているのだろう。


 わたしは罪人どもを片付け、まあまあ美しいたましいをひとつと、ロウソクの代わりにもならないゴミをいくつか、その辺に捨ててあった瓶にまとめて詰め、畑に火を放ってからアジトをあとにした。


 火災を起こしたのは正解だった。

 スラムだろうがなんだろうが、火消しには誰もが奔走するもんだ。

 長いあいだ月が雲に隠れると、クララの感覚が鈍るのを感じた。

 火事の騒ぎを隠れ蓑に、修道院へと帰りつく。


 一度、クレイミーの部屋に窓から忍び込んで収穫物を置くと、クララの肉体を返しに再び庭へと出た。

 窓枠を乗り越え、ベッドへとダイブ。

 つながりが濃い状態で「眠る」のを楽しむのもありかもしれない。

 今夜は久しぶりに大暴れをした。

 かなり疲労してしまったが、疲れすらも懐かしくて愛おしい。なんとも言えない充足感が鈍った感覚を越えて溢れていた。


 そう思った矢先だ。


 ベッドの下から、にょきりと一人の少女が生えてきた。


 それから彼女は、わたしの顔を覗き込んで、「見ちゃった」と言った。


***

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