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第25節 満ちる月を前にして

 ジェイクの依頼を受け、阿片の売人クインシー・シップマンを暗殺する計画を立てた。

 売人を始末すること自体は難しくないだろう。

 取り引き現場がイコール殺人にも向いたシーンであることも多い。


 接触にこぎつけるまでが問題だ。


 わたしは午前は院や教会の務めで、夜間も当然出歩けない。

 日の高いうちは院外での使徒職を装えば動けるが、人目の問題がある。

 車いすに乗せたクララを連れれば、女王ほどに目立つだろう。

 一方でジェイクは避難民や落人たちに名の知れた医者だ。

 シップマンは潰れると不都合な相手には阿片を売り渋るので、彼の呼び出しでは確実性が低い。

 医者であれば阿片を扱えることや、ジェイクの弱みをなんらかの形で利用されうることもネックになる。


 ならばどうするか。簡単な話だ。

 直接、クララで会いに行く。


 シスター・アイリーンには阿片使用の前科がある。

 彼女に流したのがシップマンかどうかは分からないが、アマシマク裏社会で最大手の彼が事情を把握している可能性は高い。

 そもそもアイリーンが修道院に押し込まれたのも阿片の濫用が原因だ。だが、当時はなんの法律にも違反するものではなく、ただ気が触れ精神を病んだものとして、この僻地へと送られた。

 すでに阿片に憑りつかれている修道女の身内、それも悪魔憑きの噂のあるクララ相手なら、興味を示すはずだ。

 シップマンが教会が内部から毒されていく姿を望むのなら、なおさら容易い。

 教会をこの島に必要なものと考えていたとしても、接触くらいはできるだろう。


 クララの肉体とわたしのたましいのつながりが強くなるのは、満月の夜だ。

 そのタイミングならば、クレイミーを修道院に置いたままでも行動ができる。

 月が満ちるのは明日の晩。

 カニンガムも、売人の刈り入れは二つ返事で許可を下ろした。

 彼に所用を言いつけてもらって、抜け殻のクレイミーの安置とクララの抜け出しの隙を作ってもらう。

 なお、ジェイクのことについては、彼には言わないでおくことにした。


 売人退治の計画について、不満点を挙げるとするならば、ひとつ。

 本当なら、最初の満月の夜は別の使い方をしたかった。

 クララ・ウェブスターとしてラニャと話をしたかったのだ。

 もちろん、自分の肉体というものを楽しむのも忘れずに。


 満月にたましいと肉体のつながりが強くなるということに関しては、ひとつ確かめたいことがあった。

 満月といっても、それは暦上の約束事なのか、月そのものの持つ力が作用してのことなのか。

 後者であれば、満月の前後もそれなりにクララを扱える可能性がある。

 いっぽうで、天候によって接続の強弱も変わるだろう。

 夜間のほうが肉体を操作しやすいのは自覚しているため、その確率は高い。

 検証するには、ラニャをクララから引き離す必要がある。

 自室から念じることもできなくはないが、こっちにはこっちでバルタとカスプがいて集中しづらい。


「どうなさいました? クレイミーお姉さま」

「ラニャ、あなたに頼みがあるの」


 扉を開けたラニャは、ちょうどクララの身清めをするつもりだったらしく、ターキッシュタオルを手にしての登場だ。

 自宅で暮らしていたころに使っていた薄手のリネンタオルから格上げか。


「メルチのために聖書を読んであげて欲しいの」

「分かりました。私もあの子のことが気になっていたところです」

「詩篇一一九篇が相応しいと思うわ」


 ラニャは「えっと……」と思案すると、「全部ですか?」と尋ねた。

 わたしは笑顔と共にうなずき、「クララさんのお世話は、代わりにわたしが引き受けますね」と買って出た。


 あの下りは一番長く、詩集の冊子を読み切るようなものだ。


 ラニャは躊躇する様子を見せたが、タオルを押し付けると「よろしくお願いします」と言った。


 メルチは相変わらず懲罰室で暮らしている。

 ラニャは彼女の不衛生なことや、長い時間の拘束で傷ついた身体について胸を痛めていた。

 バルタとカスプはメルチがいなければ大人しく、ほかの見習いやシスターとも大した摩擦もなく生活できている。

 カニンガムは、あいつをいつまで放り込んでおくつもりなのだろうか。

 シップマンの件を片付けたら聞いてみることにしよう。


 さて、ラニャが立ち去ったのを確認したあと、わたしはしっかりと扉を閉めた。


 クララに触れる前に済ませておきたいことがある。重要なことだ。


 引き出しを開け、ベッドの下を覗き、ラニャの私物が雑多に入った箱を漁る。

 いやなに、泥棒しようってわけじゃない。

 以前取り上げられたグレンキオーがしまってあったりしないかと思っただけだ。

 あれはわたしのものだしな。

 だが、残念なことにあの涙型のボトルが見つかることはなかった。

 すでに処分済みだったか、あるいは墓地の家に置いてきたのだろう。

 グレンキオー蒸留所はウォルターの親戚が権利を得たものの、権利者には事業継続の意思がなく、売りに出された。

 酒造りに携る職人たちには、技術と情熱はあってもカネが足りないだろう。

 買い手がつかなければそのまま閉鎖の予定となっている。


「がっくし……」


 わたしは十字架を背負ったイエスのようにうなだれながら、クララの肉体の清めに入った。

 悪魔憑きのレッテルが剥がれてからは、目隠しや轡、祈り手に固定するバンドは取り払われている。

 ただ美しい女が横たわり、寝息を立てているだけの図だ。

 もちろん、それは聖画像(イコン)として聖堂や王宮に飾っても差し支えないほどのものだったが、染みのついた轡を外すときに糸を引く唾液や、ベルトで赤くなった手首が見られなくなったのは惜しい気がした。


 たましいの中央を意識し、クララとの細いつながりを手繰り寄せる。

 念じれば念じるほど、クララの肉体が確かに感じられるようになっていく。

 肉の鎧をまとうような感触や、頭上から観察するような感覚を得る。

 さらに集中すると、クレイミーのほうの意識がふわりとし、「クレイミーがクララの手をつかんでいる」よりも「自分の手がつかまれている」のを強く感じ始めた。


 やはり、月の満ち欠けそのものの影響のようだ。

 窓の外では望月(もちづき)と遜色ない光が青く満ちている。

 上体を起こしたり、手を握ったり、脚をベッドから下ろしてみたりするも、精神の摩耗を感じない。


 わたしは修道服を床に落とすと、窓際に立ち月光を浴びた。 

 クレイミーの瞳に、青白い輪郭を得た美女の裸体が映し出される。

 鼻先や顎の崖、首の谷間、デコルテの鎖を抜け、流れるような乳房へと光がなぞり、丘の頂上にある突起が影を落として、陰陽二色のコントラストを作る。


 やはり、クララ(わたし)は美しい。

 ビーナスもイシュタルもアプロディーテもひざまずく。

 手元にあれば、誰もが愛撫せずにはいられないはずだ。

 たとえ同性でも、去勢者でも、ガキの煙突掃除に夢中になるジジイでも。


 そうでなければならない。ならないはずだったのに。


 せっかくの昂ぶりが醒めてしまった。さっさと身体を拭いて終わりにしよう。自分で動けるのなら、風呂のひとつにでも入りたいところだが。


 ふと、目の前でクレイミーが膝をついた。

 クララのほうに気をやり過ぎていた。

 クレイミーはタオルを握ったままひざまずき、恍惚とも放心ともとれる表情でこちらを見上げている。

 生前のクレイミーはクララを叱る立場だったのにな。


 ぞくり、とわたしの背を何かが撫でた。


 わたしは伸ばしていた手を引っ込めるとベッドに腰かけ、クレイミーに握らせた

タオルを水に濡らし、シルクよりも美しい肌に這わせた。


 肩や腕はもちろん、指のあいだまでもしっかりと拭いあげさせていく。

 クレイミー側でそれほど力を入れたつもりはなかったが、クララの肌からは強過ぎると非難の声が上がった

 ラニャは熱心にわたしの世話をしてくれるが、相変わらずどこか抜けている。

 またも耳の裏がおろそからしく、少しべたついていて、リンゴと獣臭を混ぜたようなにおいがした。

 クレイミーの鼻が臭気を了解するのと同時に、クララの首筋に熱い息が掛かるのを感じる。汚れを取り去り、もう一度嗅ぐ。


 くすぐったい。触っているのと触られているのを同時に感じる。

 だが、自分で自分に触れるのとは違った、不思議な感覚。


 背を拭い、うしろから抱きかかえるようにさせながら、腹と乳房を撫であげる。

 濡れた布が尖端に触れるのはなんとなく避けて次、クララで脚を持ち上げ、正面にひざまずかせたクレイミーに清めさせる。

 堅物の修道女が膝をつき、わたしの脚を赤子か聖骸を抱くようにしている様子が見える。

 ふいにいたずらごころが強くなり、クレイミーに大きく舌を出させた。

 赤く濡れた舌はクララの肩越しに差し込む月光を受けて、ぬらぬらと光っている。


 ……が、さすがに申し訳なく思い、舌を這わせさせる代わりに、クララの足先でクレイミーの鼻を軽く押すにとどめる。ちょっとにおう。


 足指を丁寧に拭き、ゆっくり這い上がるように清めていく。

 タオルが乾いてきて膝のあたりで引っかかるも、湿らすのが億劫で、代わりに擦る力を弱くする。


 そっと、腿の和毛(にこげ)だけに触れるように優しくすると、わたしの意思とは無関係にクララの腰が逃げた。


 他者に触れらるというのは、こうも強く感じるものなのだろうか。

 クララ・ウェブスターを冠にした公爵が本物の男だったら、わたしは初夜にどうなっていただろうか。


 タオルを握った手が腿の内側へと進む。

 逃げようとするクララ(わたし)クレイミー(わたし)が強く捕まえ、乾いた布地を押し付ければ、クララから湧き出た潤いを得た。

 腫れた部分を少し弄ぶとクララは腰をひねり、タオルを通して染みたものがクレイミーの指を汚して糸を引く。

 人差し指と親指をぬめらせながら、クララのくちびるに塗りつけてやり、クララのざらついた舌先とクレイミーの少し塩辛い指先を感じた。


 これはいったい、なんの罪になるのだろうか。

 こころの(うち)で神々に問い掛け、短く笑う。


 わたしはクララに覆いかぶさり、かすかに開いたくちびるに接近した。

 クレイミーの衣装がすっと乳房をこすり、クララが苦悶の吐息を短く弾けさせた。


 ふと、わたしの視界に不愉快なものが映る。

 クララ・ウェブスターの左の乳房と鎖骨のあいだ、一筋の盛り上がり。

 裸で鏡でも見なければ分からない位置に、ほんの小さな傷痕。

 完璧で究極の美についた、たったひとつの瑕。


 不愉快な兄の顔が浮かんだ。


『おまえの言い出したことだ、分かっているな?』


 口の中に血の味が広がってゆく。

 つまらないことを思い出した。本当に、つまらないことだ。

 クレイミーのくちびるから血を垂らし、傷痕を光らせる。

 傷を再び湿らせようとも、これ以上巻き戻ることはない。

 ひとつ救いなのは、この傷にいちばん触れているのはあの子だということだ。

 これを付けた本人はもちろん、あの男すらも触れなかった、わたしの聖痕(スティグマ)……。


 興が醒めた。いや、醒めさせてなるものか。

 わたしには、過去などに構っている暇はないのだ。


 腹部を苛立たしげに回っていたクレイミーの指を、クララの腿のあいだへと滑り込ませる。腫れた部分に触れると、クララのくちびるからも濃厚な香りが立ち上った。


 これは自慰でもなければ、花びら同士のエロスでもない。

 わたしは知らなければならないのだ。

 たましいの緒を切り離したときの恍惚が、肉のこすれから生まれるそれと同質なものなのか。

 カミサマとやらの力が招く絶頂は、性ではなく聖的な法悦なのか。


 わたしは神の代行者なのか、ただの人殺しなのか。


 クララの中は殺したての獣の腹のように熱かった。

 鼻で嗤う。指を受けたクララは、痛みで顔をゆがませていた。

 引き抜き、舌で確かめる。

 血の味がした。慌ててタオルで拭うが、汚れはつかない。

 クレイミーの口を噛み切ったせいだろうか。

 もっと確かめなくては。浅いところから、じっくりと。

 クララの顎に触れ、口を開いてやると、くちゃりと水っぽい音がして、喉奥まで見通せた。


 美酒を味わう予定を台無しにしたのだ、もうひと口くらい構いやしないだろう?


 クレイミーのくちびるで、わたしの下くちびるを挟みこんだ瞬間だった。


「メルチ、どこに行ったの!? 出てきなさい!」


 廊下のほうが騒がしい。

 慌てて扉を振り返ると、勢い余ってクレイミーの膝でクララの腹に乗っかってしまい、混乱して両方の女で腹を押さえて咳き込んでしまった。

 とにかく、服を着なければ。

 床に落とした修道服を手に取り、クレイミーの頭からひっかぶる。

 ……違う! クララで服をひったくってさっさと身に着ける。


 慌ただしい足音が近づいてきた。


「クレイミーお姉さま、大変です! メルチがいなくなりました!」


 ラニャは息を切らして顔を赤くしている。なぜか手には聖書ではなく、クッキーの乗った皿を持っている。

 わたしの視線が皿に注がれているのに気づくと、ラニャも皿を見て気まずそうにはにかんだ。


「脱走したってこと? 誰かが逃がしたの?」


「懲罰室の鍵は、マザーが持ってたはずなんですが。ドロシアお姉さまとアイリーンの姉さまがこっそりクッキーを焼いてたから、手伝ってメルチにもあげようと分けてもらったんです。それで、持っていったら、鍵は掛かっていたのに……」


 もぬけの殻。拘束具も外されており、メルチは霧のように消えていたらしい。


「いつからいなかったの?」

「夕食のときにはいました」


 そんなバカな。手引きをしそうな下の妹ふたりは、ずっとわたしが相手をしていた。ラニャの部屋に来たのも、寝かしつけてからだ。


 部屋に戻って確認してみると、バルタとカスプは静かに寝息を立てている。

 カスプに至っては、何度言っても手放さなかったドイツ人形を抱いたままだ。


「あいつ、どこに、どうやって?」


 胸騒ぎがする。雲か灰か、外の月光は覆い隠されていた。


***

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