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第23節 聖人ジェイコブ

 四方八方にぶくぶくと肥大化する都市とは違い、新しい集落は住みよい場所にしか生まれない。

 港の裏手の落人(おちうど)集落は闇稼業に向いた歓楽街に近く、アマシマク火山を挟んで罪人収容所の反対側にある。

 被災したテューレの避難民たちも、利便性を取って港からそう遠くない位置に集落を形成していた。

 当初は「灰や溶岩から離れること」を第一の願いとして集まったために、人災をひっきりなしに起こす犯罪者の巣窟に近いことには目をつぶっていた。

 ところが、季節が変わると風向きが変わり、避難民たちの頭に忌々しい灰が頻繁に降るようになった。

 すでに根を張ったあとだったし、農作物も芽を出し始めていた。目に灰が入ってから固くまぶたを閉じるわけにもいかないということで、彼らはなかば意地でそこに暮らすことにした。

 堕落した人間どもは、最初こそは避難民を遠巻きに眺めるだけだった。

 だが、生活が安定し、新たなスタートを切ったと見るや否や、避難民たちを「仕事相手」のカテゴリーに放り込んだ。


 命からがら持ち出した家財道具を盗まれる者、灰から守り切った野菜をかじられる者、焼けて久しくない肉体に暴力を受ける者。

 避難民たちは罪人と貧者の混じったスラム民よりも、低い身分となった。


 とはいえ、島全体にとっては悪いことばかりではなかった。

 本来の略奪のホームだった港が少し平和になった。

 交易のかなめの港は、アマシマクの生命線にして顔だ。

 港の島外からの心証がよくならなければ、回り回って避難民たちへの施しにも暗い影を落とすだろう。

 次に、落人集落に身を寄せていた人間でも、まともな者は立ち直ったこと。

 避難民のゼロからの立て直しに手を貸し、自身もそれにあやかったのだ。

 カニンガムが手を打つころには、ある程度は落人たちからのちょっかいも治まっていた。


 わたしはメアリのころの刈り入れで憶えた比較的安全なルートを行き、避難民の村へと踏み込んだ。

 急ごしらえのいびつな家屋やテント、野ざらしの寝床も目立ったが、何より村の雰囲気が東西で二分されているのが目を引く。


 西は路地奥の阿片窟と大差ない堕落模様だ。ゴミが散らかり、生きてるのか死んでいるのか分からない人間が座り込んでいる。

 テントから水蒸気が立ち上り、呂律の回らない奇声も漏れ出している。


 一方で、東は汗を流し快活に働く者たちが行き交っている。

 幼児ですら、灰を吸わないように口に布を巻いて野良仕事の手伝いだ。

 連中は「生きている」。わたしがウェブスター家の当主だったら、私財を投げ打って、ここをビグリーフに代わる島の中心地に仕立て上げたいくらいだ。


 西の者の瞳は昏く、東は太陽のように眩しい。

 まるで逢魔ヶ時(スプーキー・ダスク)な空を見ているようだ。


 さて、まずは「あいつ」が魔かどうか調べなければ。


「ジェイコブさん? 彼なら村のはずれ、あっちの森の手前にいるんじゃないかな。シスターも、彼の評判を聞いてこんなところまで?」


 ヤツは連続殺人犯の被疑者の一人、わたしからすればその筆頭だ。

 てっきり、避難民村には潜伏という形で身を寄せているのだと思ったが、彼はあっさりと見つかった。

 しかも、カニンガムの言った通り、医療の腕を無償で振るい、港で身銭を切って物資の仕入れまで世話しているという。


 住人の助言に従い森に近づくと、ジェイコブ・ペンドルトンは木立のそばに男どもと集まって、何やら真剣な表情で地面を見守っていた。

 

 相変わらず顔のいい英国人青年といった風体で、まくれたシャツの袖から血管の浮いた腕が覗き、頬が土と汗に汚れている。

 それがいっそうヤツの美を際立たせていて、腹が立つ。


 ペンドルトン、ペンドルトン……。脳内で唱えながら近づく。

 家名をカニンガムから聞いたときから引っ掛かっていた。


 ふいに、くぐもった「いけそうだぞ!」の声が地の底から飛び出し、男どもが野太い歓声を上げた。


「温泉くささも塩っ気もない。あんたの言う通り、諦めずに掘って正解だった!」

 男の一人がジェイコブの肩を叩き、ジェイコブも彼の背を叩き返した。


 どうやら井戸を掘っていたらしい。

 水は貴重だ。アマシマクは小さな火山島で、地下水を掘ってもどこかで温泉や海水が交じり、飲用に適さない水ばかりを掘り当ててしまう。

 まあ、飲むともれなくコレラになるロンドンのゲロ水道よりはマシだが。


「あなたは確か、シスター・クレイミー?」

 実業家の皮を被った貴族の男が、胸ポケットのハンカチで手を拭きながらこちらに近づいてきた。

「ウェスト家のことは残念でした」


 胡散臭い憐れみの表情と共に、わたしの手が取られる。


「お構いなく、ペンドルトンさん」


 ぴたり、とジェイコブの動きが止まった。


「その名をどこで?」


 やはり、姓については伏せていたらしい。

 ジェイコブ・ペンドルトン。ペンドルトン家の男子だが、嫡子ではないだろう。

 わたしは職務上で小切手を目にしたと口にした。


「なるほど。身分を隠すつもりはなかったんですが。ジェイクと気安く呼んでください、シスター・クレイミー」

「多額の寄付、感謝いたします。主教もよく礼を言っておくようにと」

「いえ、富める者の使命ですよ。ぼくはここで人助けをしてるんです」


 ジェイコブの笑顔は、子どもの無邪気さを想起させるものだった。

 彼の背後では珍しく日が差していて、木々のつけた葉が燦然と輝いている。


「貴族のかたが汗水流して働いていらしていらっしゃるなんて驚きです」

「はは、大抵は判事の椅子に座るか、土地を転がすばかりですからね」

「それに、医療の知識もお持ちのようで」

「ぼくの家庭教師だった男が医者もやってましてね。無理を言って仕込んでもらったんです。ぼくはワケありで、家では好きにさせてもらってたんですよ。安心してください、都会の連中のように産婆や聖職者を追い出すようなことはしませんから」


 ……べらべらとよく喋る男だ。

 下手に踏み込むべきでないのは分かっている。

 だが、殺人鬼かどうか以外にも、個人的に知りたいことがあった。


「ワケとは? 差し支えなければ教えていただけませんか?」

 問いつつ、ちょっとはにかんで見せる。


「聖職者でもやはり女性は女性ですね。港のある町での噂話は、ティーのようなものですからね」

「いやですわ。悩みがあればお力になりたいと思っただけで」

「これは失礼。ぼくは大して気にしていませんが……。父が種違いを疑ってるんですよ。そのせいで放任です」


 やはりか。

 胸の中がざわつく。一歩下がり、角度を変えてジェイコブの顔を眺めた。

 美男子だ。ふむ。さらに角度を変えて反対側から。美男子。

 右から見ても、左から見ても、下から見ても美男子だ。

 これは、認めざるを得ないだろう。


「ど、どうなさいました?」

「お顔に虫がついているように見えたのですが、気のせいでした。人はどう生まれるかよりも、どう生きるかですから。わたしの出る幕ではありませんね」


 笑ってごまかしておく。

 こいつが殺人鬼でアニェを殺したとなれば、わたしはこいつを刈り込み次第、本土に戻って、種蒔きをした者とその苗床を破壊しにゆくだろう。


 ペンドルトンの末息子の種違いの噂は、社交界では有名だ。

 若いころから蕩児(とうじ)で鳴らしていたわたしの叔父が、時代遅れの仮面舞踏会を開いて、「一夜限りのシャッフル」を楽しむ趣味があったのと同じくらいに。


「今日は小切手の件だけでわざわざここまで? それとも、ウェスト家のことで何かお尋ねになられたいことが?」


 それについてはわたしのほうが詳しいのだが、喰い込むためには話を合わせておくべきだろう。

 表情をこわばらせる演技と共にうなずくと、「コーヒーでも飲みながら」と彼は歩き出した。


 キリナラの木が茂る奥のほうへ。

 日光が途切れて薄暗くなる。


 予備の肉体を持たず、クララの肉体から離れた状況で殺されて離魂してしまえば、わたしは本当にあの世行きだろう。

 だが、少し行くとまた光が差し、テントと焚き火のキャンプが見え、そこには中年の女性とラニャと同じくらいの十三、四の娘がいた。


「ご家族ですか?」

「まさか。大黒柱を失った彼女たちの世話を少し。よろしければ、彼女たちのためにお祈りをしていただけませんか?」


 これを語ったのはヤコブだったか、神いわく純粋な信仰とはみなしごや未亡人を世話し、この世の穢れからおのれの身を守ることだと。

 教会に余計な手間を掛けさせないスタンスも、聖人の声をなぞるようだ。


 わたしも親子のためになんらかありがたい聖句を引用したかったのだが、あいにくクレイミーの脳のしわを読むことは叶わない。

 適当な言葉が浮かばずに、うなだれた親子を見ていると、ジェイクは「例の殺人鬼です」と短く事情を教えてくれた。


「痛みをあなたたちと共に」

 親子それぞれの手を順に握り、額を押し当てる。

 正しいやり方かは分からないが、これはクララとしてもクレイミーとしても嘘偽りのない気持ちだ。


「見習い修道女だったアニェ・グロッシさんも、凶刃に掛けられたんです」


 青年のその言葉が切っ掛けかは分からないが、親子はわたしの祈りに応じ、手を握り額を当て返してきた。


「ぼくは、卑怯な犯人を許しては置けない」


 悲しみを共有するシンパシーが触手を伸ばす一方で、わたしの背中が目となって正義を口にしたジェイクのツラを拝みたがっていた。

 もしもヤツが殺人鬼なら、今、眼前で繰り広げられている憐憫誘う情景は、舌をとろかせる甘美な蜜に相違ないだろうからな。


 黙祷を終えると、ジェイクはコーヒーを淹れてよこした。

 親子は何かを察したか、ジェイクとわたしに礼を言うとキャンプを離れていった。


「スティーブは、本当にお父様に毒を盛っていらしたのでしょうか?」

「残念ながら。彼の髪と食事から砒素が出ています。酒樽のひとつにも仕込んであったようです」

「そうですか。あの人のことは、信じていたんですが」


 わたしは、さも気落ちしているというように両手で握ったカップを提げて、焚き火を見つめた。


「シスター・クレイミー。あなたは神の使徒でいらして幸福ですよ。信じるものがひとつしかない者とは違い、裏切られても大地を踏みしめていられる。みずから命を絶つようなマネはなさらないでください。ここに来るまでにご覧になったでしょう? 火に焼かれ灰に覆われてもなお、生きようとする人たちの姿を」


 ありがたいお言葉だ。反発したくなり、西側で腐っていた連中を挙げてやる。


「絶望していらっしゃる方も多いようです。あの、阿片はやはり身体に悪いものかと思うのですが」


「おっしゃる通りです!」

 ジェイクは膝を叩き、立ち上がった。

「阿片の使い過ぎは身もこころも蝕みます。この島の医学は遅れているんです。島の医者と話をしてみたのですが、阿片の有害性も依存性も認めていないんです! それだけならまだしも、まだ瀉血(しゃけつ)が本当に有効だなんて考えている! 確かに体内から毒を出すのは有効ですが、血に混じった毒のみを除くことはできない。血を失うことのリスクのほうが……」


 何を言っているか分からんが、医療について一家言あるのは分かった。

 解剖学にも通じているのなら、首を切り離すことも楽にできるだろうし、持ち去った胴体の使い道も思いつくものなのだろう。


「本当に医療についてよくお考えなんですね。それほどの腕をお持ちなら、ここだけでなく、町のほうにもお力添えを頂ければありがたいのですが」


「ぼくの腕は二本しかありませんからね。ヤブでも医者は医者ですから、不在のこちらのほうを優先しています」


 それに……と、彼は続ける。


「ぼくの友人を殺した人物を追っているんです。彼も噂の殺人鬼に殺されたんですよ」


 ふん、自分で殺したんじゃないのか?


「殺人鬼は対象を無作為に選んでいるように思います。でも、所業そのものが楽しめるのであれば、狙いやすい人物を狙うのが道理というものです。きっと、避難民からも狙われる人間が出るかと思ってここにいたのですが……」


 彼は両腕を力無く垂れ、一歩、二歩、三歩と焚き火の周りを足を引きずるようにして歩いた。


「近くにいたはずなのに、まったくの無力でした」

「いくら男性のかたとはいえ、殺人鬼を捕まえようとなさるのは危険かと思いますが」

「いえ、平気ですよ。相手はきっと、非力な女性ですから」

「えっ?」


 女、だと?


「でも、現場にはその、犯人が証拠を」

「よその男から採ってきたものかもしれないでしょう?」

「そ、そんな、そんな罪深いこと……」


 わたしは赤面……していなかったが、うつむいておいた。

 だが、ケツの穴がすぼまり、ここから立ち上がれと警告し始めていた。


「娼婦なら簡単でしょう。あるいは、娼婦とつながりのある人間なら。でも、マクラ・グロッシを殺したメアリが死んでも、事件は終わらなかった」


 こいつ、どこまで知っている!?

 わたしの動揺をかき分け、硬く冷たい何かが押し当てられる感触がした。

 とっさに彼の腕をつかみ、投げ飛ばす。


「やはり!」

 ジェイクはごろりと転がると、手にしていたピストルの銃口を向けた。



「「聖者の皮を被った悪魔め!」」



 わたしは焚き火を蹴飛ばし、火の粉を浴びせる。

 発砲音が響くも銃弾は森へと消えた。

 枝をひっつかみ、二発目を撃たれる前に相手の手首へと枝先を突き刺した。


「このシスター・クレイミーに罪をかぶせる気か? 殺人鬼め!」


 悪いが、クララ・ウェブスターは美しいだけじゃない。強いんだ。

 クソ兄を叩き潰すために武道やチェスもたしなんでいる。

 今回は、クレイミーで危険地帯に踏み込む予定があったため、この肉体をクララ式に慣れさせてもらっておいたのだ。


「くっ、殺人鬼はきみのほうじゃないのか!?」

「まさか。わたしは敬虔なる神の使徒さ!」


 枝はジェイクの手首を傷つけたが、銃を落とさせる前に折れてしまった。

 構え直すのを許さず、黒の衣をひるがえして回し蹴りをお見舞いする。

 跳ねるように下がる男。わたしはそれを追って飛び、爪先旋回(ピルエット)で勢いを乗せた一撃を狙う。

 軸足が焚き火を踏み抜いたか、火の粉があたりに舞い散り、その中をクレイミーの脚が走り、青年の鼻っ面に炸裂した。


「シスター・クレイミーの足裏の味はどうだ?」


 木に背を叩きつけられ、靴裏に顔を押さえつけられた青年は「ぐぅ」と唸った。

 得物であるピストルも草の上。わたしの勝ちだ。


「わたしはおまえたちのような独善的な貴族とは違うんだ。特に、卑しいジュダ・ウェブスターの血を受けたおまえとはな!」


 足首をつかまれる。わたしはより強くヤツを押さえる脚に力を籠め、後頭部と樹皮をこすりあわせてやる。


「きみは、シスター・クレイミーじゃないな。……まさかと思ったが」

「火山灰で目を悪くしたか? どう見てもクレイミーだろうが」

「いや、違う。ぼくが見たのは、ぼくが見た修道女はもっと美しい……」


 思わず足を離す。

 解放された男はくしゃみをして、赤いしぶきを草の上に撒いた。


「動揺してるよ。本当、驚いたな。まさか殺人鬼が血縁者だったなんて」


 ジェイクがわたしを見上げた。

 眼力の鋭さは鼻血づらの滑稽さを吹き飛ばしていた。


「悪魔憑きっていうのは本当だったんだな。首狩り女、クララ・ウェブスター!」


***

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