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第22節 灰の彼方

 まったくほんの一瞬の出来事だ。

 お産は長期戦で、わたしが追加の布切れを取りに走り、年寄り産婆の体力が厳しくなり、ラニャと休憩交代をしたその隙だった。

 煙のように忍び込んでいたメルチが暖炉から火箸を引き抜き、妊婦のまたぐらへの挿入を試みたのだ。


 それを、ラニャが素手で握り止めた。


 わたしが戻ったときには、騎士同士の決闘のような空気が場を支配していた。

 ラニャはまだ色付いていた箸を握ったまま、哀しそうな瞳でメルチを見つめていた。メルチは口元をゆがませ、ラニャへと睨視を送っていた。


 わたしはすぐさま割り込み、布切れで人面獣心のガキを縛り上げ、(くつわ)を噛ませた。いや、獣に失礼だな。魔物と呼ぶのがふさわしい。


 朦朧としながら神への祈りと子への愛を唱え続けていた妊婦も異変に気づき、不安がり始めると、ラニャは自分の手当てもせずに寄り添い、励ましに戻った。

 百戦錬磨の産婆も、縛り上げられた修道女見習いに対して明らかな恐怖を見せていたが、休憩を取り止めて任務に戻った。


 赤ん坊は元気な男の子だった。

 母親は神への感謝と子への更なる愛の歌を百篇唱えた。

 本当だったら、こういう日の飯やワインは極上のはずだった。


 やっとのことで職場から戻ってきた父親は慧眼だった。

 縛られた童女、火傷を負ったシスター、転がる火箸、たったこれだけでをあらましをじつに正確に理解し、礼の代わりにわたしたちへ痛烈な非難を浴びせた。


「生まれてくる子が悪魔だと困るでしょ? だから、確かめようとしたんでーす」

 メルチの言い分だ。


 確かに、民間伝承では火箸で突くだの熱湯を浴びせるだのの手段を取ることで、悪魔が逃げるなんて話もある。だが、悪魔や魔女を見抜く方法というのは、ほとんどが拷問以下の役に立たない、バカげたものだ。


 無論、耳を貸さなかった。殴った。

 クララの大鎌でたましいを刈り入れて、その色をしかと拝んでやりたいとすら思った。


 二発目を行こうとしたとき、わたしはまたしても止められた。

 今度はラニャ独りだけだった。


「お母さんがずっと赤ちゃんのことを心配してたのが、羨ましかったんですよ」


 わたしのこぶしを押し戻した彼女のたなごころは、まだ熱を帯びていた。


 メルチは再び懲罰室送りとなった。

 排泄用の箱と、ドアのスリットからの光で読める聖書だけが置かれた独房だが、今度の罰にはそれすらも使われず、悪童は鎖で縛り上げられ、口には内向きにやいばのついた革の轡が取り付けられた。

 しかも、刑期は無期限だ。

 今度の件はカニンガムも重く見ているようで、話を聞き終わらないうちに頭を掻きむしって毛を散らし、壁に頭を打ちつけていた。


 罪人の流される地、その修道院の懲罰室は、現世での贖罪の極北ともいえる。

 ここで手に負えなくなった者のたましいには、救いなどないだろう。

 オブライエン牧師すらも「落人どもの中へ捨ててしまえ」と言い、メルチの妹たちも「あんなヤツ知らない」と切り捨てた。

 先の悪事を責めなかった穏健派のシスター・フローラすらも追放に賛成した。

 だが、カニンガムは風評を気にしてか、これをすぐに(がえん)ずることはしなかった。


 クレイミーなら「私たちが救わないでどうするの」と言ったかもしれなかったが、わたしはクララ、クレイミーどちらの意見も述べなかった。


 懲罰を受けている者の世話は持ち回りですることになっていたが、誰もが拒否をし、手ひどくやられたはずのラニャが進み出ておこない、罪人に水とパンを与え、垂れ流しになった排泄物を片付け、励ましと理解の言葉を掛け、聖書の読み聞かせもしてやった。


 世話から戻ったラニャの指先には、ヤツの歯型がくっきりと付いていた。


「無理をすることはないのよ」

 わたしは包帯を換えてやりながらも、なかば叱りつけるように言ってしまった。


「無理なんてしてません。クレイミーお姉さまも、もしも自分が同じ立場だったらって、考えてあげてください」


 閉口した。クララとしても、クレイミーとしても。

 優しいのは結構だ。聖女と謳われたシスター・マリアの娘なだけはある。


「でも、これ以上あの子の肩を持つと、さすがにあなたの立場や身体が心配だわ。自分を窮地に追い込むような真似はしないで」


 こころの底からの意見のつもりだったが、ラニャは首を振った。


「みんなからしたら、私はうしろを向いているかもしれませんけど、あの子の隣で同じ方角を向いてやることこそが正面で、悔い改めさせることの第一歩だと思います」


 彼女は付け加えた。


「クララお姉さまが昔、言ってくれたんです。どんな時でも前を向いてろ、おまえが前だと思うほうが前だって。諦めてもいないし、自棄(やけ)になったわけでもありません」


 思わず包帯を巻く手が止まる。


「この一年は、本当につらいことばかりでした。たくさんの人が私の周りからいなくなってしまったし。どうしてこんな目に遭うんだろうって、神様はどうして私にこんな試練を課すのだろうって。クレイミーお姉さまにこんなことを言うのもなんですけど、はっきり言って、神様のことが嫌いになっちゃったりして……」


 ラニャはスツールから腰を上げた。彼女の視線の先にはいまだ目覚めぬクララ・ウェブスターが眠る。


「これも、クララお姉さまの受け売りなんですけど」


 少女はこちらを見、腰に手を当て胸を反った。


「神を信じるか信じないかは人の勝手だ、好きにしたらいい。だが、神を当てにするヤツは気に入らないな、って。苦難は自分で切り拓いてこそです。メルチが正しい道に戻れるかどうかは、彼女次第。でも、戻ったときに共に歩む仲間がいないことほど寂しいことってないと思いますから」


 ……。


 いつだったか、ラニャとアニェに話したことがある。


 わたしはかつて、ウェブスター家の長女として、とある公爵に嫁いだことがあった。

 力ある家と関係を結ぶこと、それは貴族の家に生まれた女の使命だ。

 若き当主だった兄が勝手に決めたこととはいえ、そのさだめからは逃れられないのは理解していた。

 相手は好色家で有名だったが、確かに某国の王家の血を引いており、ロイヤルストレートのスペアカードとして名が挙がるほどの立場だった。

 それを相手に子どもを産めば、かなりの権力を確保できる可能性があった。

 政争には大して興味はなかったが、幼少から勝手気ままにわたしを振り回した兄や、わたしを人ではなく花や宝石としてしか見なかった貴族どもにひと泡吹かせるのを想像するのは、悪くなかった。


 相手はいくら無数の蜜壺に突っ込んできたとはいえ、もう年寄りだ。

 世界最高の美女であるこのわたしの初夜ならば、三擦り半で片が付くだろう。

 そう高をくくり、胎に力を入れて待った。


 最初のひと月は、デザートを食べ渋っているだけのことだと思った。

 ふた月、待てども指一本触れようとしない。

 クララ・ウェブスターを後回しにするほどいい女がこの世に存在するのか?

 月が三巡と少しした頃、わたしは秘密裏に公爵の「遊び」を調べさせた。


 すると分かったのは、ヤツが掻き回していたのはスベタどもの膣などではなく、煙突掃除のガキどものケツメドだったのだ!

 灰とクソにまみれたしなびたペニスで掻き回されるよりはマシだったかもしれないが、自分が被られることのない冠として売られたことに気づき、愕然とした。


 灰を引っ掛けられて半年が経ったころ、ヤツが客人の前で「毎晩抱いてやってるのにちっとも妊娠しない。見てくれだけの出来損ないだ」と嘘八百を吐いた。


 わたしは夫の鼻の骨と黄ばんだ前歯五本を頂戴し、カネで押さえておいたヤツの煙突穴兄弟たちを呼び出し、その罪をつまびらかにしてやった。


 あとは裁判だ。婚姻事件法により、わたしの結婚は終焉を迎える。

 できて間がなくとも法は法だが、妻が夫を訴えて勝つのは難しい。

 灰まみれでも公爵。煙突掃除の罪でヤツを縛り首にできなかったのだけは残念だが、別れられただけ幸運といえた。

 婚姻に関わる事象だ、当然ながら承認してくれた国教会には借りができた。

 出戻りをしようにも、兄は公爵から得たカネを使い果たし、土地すらも売り始めていた有様だったし、下手に戻れば次の資金源として、今度は安く売られるのが目に見えていた。


 一度は神と教会に感謝をした身だ、わたしは教会に身を寄せることにした……のだが、わたしの性分では修道院暮らしは不向きだった。


 早起き? お祈り? コルセット並みに締めつける細かな規律のあめあられ。

 それでも、アマシマク修道院に馴染めたのは、島自体が流刑地でもある性質からか、ほかの修道女にも瑕疵を持つものが少なくなかったからだ。


 多くを語らずとも分かった。彼女たちも誰かを怨み、世を憎んできたことが。

 それでも人としての誇りを捨てず、神の教義に殉じようとする姿勢。

 

 灰を掛けられて行った先が、灰の吹き出る火山島。

 サンドリヨンとはさかしまの道を歩いたわたしだったが、確かにこの地で救われ、生まれ変わったのだ。


 人の持つ美には、二種類の美がある。

 ひとつは見てくれの美しさ。

 もうひとつは、たましいの美しさだ。

 そのたましいの美しさを決定づけるのは、おのれの信じる教義(ドグマ)にいかに忠実でいるかだ。


 こころ美しき娘ラニャ・グロッシ。

 この子のためならば、わたしはいのちも惜しまないだろう。


「そういえば、クララお姉さまはこんなこともおっしゃってました」


 ほほえましいような、気恥ずかしいような。

 肉体はクレイミーでありながら少し頬を熱くし、続きを待った。


「本土ではキノコがそこら中に生えていて、それが全部地面の下でつながってるそうです。キノコたちは不思議な力で交信して情報を共有してるんですって」


 あれは冗談だ。っていうか、なんの話だ。


「私たち姉妹も、そんなキノコのように一緒に……。あれ? でも、お姉さまは、毒キノコはよく見分けて除けるようにおっしゃってたっけ……」


 ラニャが首をかしげる。話がヘンなほうにズレているぞ。

 わたしは「毒キノコにも、ものによっては毒を抜いて食べる方法があるそうですよ」とフォローを入れ、立ち上がった。


「どこか行かれるんですか?」

「ええ、少し用事が。今日のクララさんのお世話、お任せしてもいい?」


 可愛い妹分は軽快に返事をする。

 こいつのためにも、毒抜きの方法を探ってみてもいいだろう。


 ちょうど、ほかにもいくつか用事がある。

 わたしは灰の彼方にある、テューレの被災者たちが集まる避難民村へと足を向けることにした。


***

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