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第21節 悪魔の子

「あのバカどもを外に出したいぃ!?」


 院長室。かくしゃくとした老婆が床に這いつくばり、ブラシを使って床板のつなぎ目を掃除している。

 大便のにおいがするのさえ我慢すれば、まったくいい眺めだ。

 マザー・ジェニーンは立ち上がると、「修道院長の部屋に排泄物を撒く不届き者どもを、外に出したいだってぇ!?」と繰り返した。


「実地の奉仕活動や使徒職に携わらせることをしなければ、彼女たちの成長や改心も難しいかと思います」

「改心!? あんな連中に改心があるなんて思えないね。クララにくっついてた悪魔の正体があの子たちだって言われたほうが、まだ頷ける!」


 老婆が床を踏み鳴らすと、洗い流しきれていない悪臭が立ち上った。

 修道院長みずからが床掃除。

 今回はまったくの不意打ちだったうえに、彼女自身の出したものをぶちまけられたために、ほかのシスターに命じて片づけさせたりはしないようだ。

 クレイミーにすら「あたしが自分でやるよ」と、突っぱねている。


 ……はは! 顔面脳味噌女が這いつくばってクソ掃除!


 メルチの悪ふざけは、日に日にエスカレートしていた。

 おとなしいほうだと思っていたバルタについても、入れ知恵という形で悪行に加担していることが分かった。

 どうも、これまでお目付け役を買って出ていたのも、メルチの悪行への共謀や観察が目当てだったようだ。

 そしてふたりが動けば、カスプも追従してしまうこともしばしばだ。


 各シスターが毎日順繰りに犠牲になり、残すところがクレイミーとラニャ、クララとなっていたために警戒をしていたが、今日はまさかの院長への攻撃だった。


 ちなみに、姉妹たちの受けた被害内容は以下のようになっている。


 シスター・サラは、大切に読んでいた小説「嵐が丘」のページをバラしてシャッフルされてしまった。

 ドロシアは秘蔵のビスケット缶を空っぽにされたと主張している。

 アイリーンは「肌色の多い宗教画」と「神と交信できる煙」の所持をチクられて、懲罰室につながれた。


 彼女たちの被害もアーメンといったところだが、シスター・フローラが夜なべをして縫っていた人形たちでシリアルキラーごっこをしたのはいただけない。

 人形裁縫はフローラの趣味であるのと同時に、修道院からの施しとして配るものでもある。

 フローラは叱ることはせず、ただ静かに人形を抱いて涙を流していた。

 ……彼女はアニェとも仲が良かったのだ。


 たまたま来ていたオブライエン牧師に至っては寝込んでしまった。

 三姉妹が彼に向かって性行為のジェスチャーをしたからだ。

 これは因果応報かもしれない。

 あいつがドロシアと遊んでいるところを見られたことで、悪い教育がおこなわれた可能性もあるしな。


「このまま修道院に閉じ込めておくと、彼女たちの教育だけでなく、ほかの姉妹たちにも悪い影響があるかと」


 ババアは顎を撫でながら「そうさね……」と、考えている。


「分かった。ほかの連中とも相談してやってみよう。だけど、おまえがいちばん責任をもって目を光らせるんだよ。あたしがいつだって同行できるとは限らないしね」

「ありがとうございます」

「まあ、それに気晴らし……とはちょいと違うが、おまえにも我を忘れるほどの忙しさってのが必要かもしれないね」


 なんだ? 思わず首をかしげる。


「言ったろう。余計なことを考えずに済むには、忙しくするのがいちばんだって。いいかい、男なんて星の数ほどいるんだ。酒蔵のせがれは惜しかったかもしれないが、おまえはいまだに手付かずの処女なんだよ。タダでいい勉強ができたと思うがいいさね」


 おお、ジェニーン流の励ましだ。

 彼女のお気に入りのクレイミーでなければ、生涯聞くことはなかっただろう。

 わたしはしおらしく「はい、マザー・ジェニーン」と答えてやる。


「連中を外に出すと必ずトラブルが起こるだろう。それも神の与えた試練だと思って、力いっぱい取り組むといい。将来の自分の子どもが、あんな悪魔みたいにならないで済む方法を今のうちに考えるいい機会さ」


 その意見も参考にしておこう。

 とはいえ、三姉妹のようなのがいなければいないで、こいつがいちばん悪魔みたいに振る舞うんだがな。

 一時期、こいつの背中を見ると、用もないのに中指を立てたり舌を出したりしたくなって困ったものだ。


 関係者との協議の結果、三姉妹には手始めに讃美歌をやらせることにした。

 ビグリーフの教会では、日曜礼拝で聖歌隊が活動している。

 聖歌隊は教会関係者のほかに、一般からも奏者や歌い手の参加があるため、まずはホームで他者との交流に慣らしていくことにした。

 普段はデーモンの如しに喚いている小娘どもだが、修道院でのレッスンではそこそこの美声を披露している。

 美声といっても、天からの才能(ギフト)というよりは、子どもに共通の天使の声帯といったところだが、三つ子というだけあって綺麗な和音(ハーモニー)を見事にやってのけれるのは彼女たちならではだろう。

 メルチたちにこっぴどくやられているドロシア(太ってるやつはどうしてこうもいい声をしているんだろうな?)でさえも手放しで褒めるし、もちろん声までも美しかったクララ・ウェブスターことこのわたしも、一人三役は不可能だ。

 歌で活躍して箔が付けば、評判を守るためにお行儀もよくなるかもしれない。


 ところがどっこい、あいつらは本番に限って失敗しやがる。

 聖歌隊とはいえ、全員の練度が高いわけじゃない。一般から参加してる女性が調子を外したとき、カスプが無自覚にそれにつられてしまい、バルタがこっそりと教えようと肘でつついた。

 それをイタズラか何かと勘違いしたカスプがつつき返し、今度はバルタは小突いて、カスプが小突き返しとエスカレートし、ベールのひっつかみ合いになった。

 ふたりに押されてほかの連中もバランスを崩し……どっしーん。


 指揮棒を振っていた牧師が兆候に気づかなかったのも問題だが、わたしはわたしで慣れないクレイミーの身体でパイプオルガンをやるのに精一杯だったってのに、ババアに叱られる羽目になった。

 そもそも演奏中に気づいたところで、どう対処したらよかったんだ?


 余談だが、クララの肉体のころでは大抵は長めのソロ歌唱のパートを持っていたし、ガキの頃に仕込まれたピアノの腕を役立ててパイプオルガンも弾いていた。

 ピアノはデカければデカいほど叩き応えがあっていいものだが、パイプオルガンのそれは別格だ。

 あの金管の林が奏でる世界には「呑まれている」と感じるし、演奏する際に操る必要のある無数の鍵盤と足元のペダルが馴染めば馴染むほど、わたしも「音そのもの」になっていく気がしてたまらないのだ。


「バルタとカスプが揉めた原因は分かりました。でも、あなたはどうしてあんなことをしたんですか?」


 反省会の終盤、姉妹や重役どもに囲まれながら、わたしはメルチと対峙する。

 隊列の崩壊は二か所で起こっていた。バルタとカスプの喧嘩を中心としてと、メルチの正面からだ。

 どさくさに紛れて、メルチは正面にいた一般からの隊員を突き飛ばしていた。

 これに関しては、わたしも牧師もはっきりと目撃している。

 

「……」


 小娘は、にやにや笑うばかりで返事もしない。

 問い直したり、牧師が怒鳴ったり、マザーが金切り声を上げても「見間違いでしょ、あたしやってないもん」と、やはり粘っこい笑みを浮かべるだけ。


「クレイミーお姉さまも急に張り切っちゃって。喪に服するのはやめたんですかー?」


 いい度胸だ。こちらとしても都合がいい。役者はそろっている。

 わたしは容赦なくメルチの頬を張った。周囲からどよめきや短い悲鳴が聞こえたが、構いやしない。ババアだけは「ほう」と感嘆を漏らしていたが。


 これまで唯一、頼りにしてきたクレイミーに手を上げられたのだ。さすがにメルチも折れるだろう。

 ところがヤツは、こちらを鋭く一瞥すると、反対側の頬を向けてきた。

 よく勉強しているようだが、わたしは遠慮をしない。


「ホントに左もぶった!? 色欲罪人の癖にあたしに石を投げやがって!」


 脛に痛みが走った。ヤツは身長差を利用して、わたしの脛ばかりを狙ってキックの三連打をかましてきた。


「このやろ……!」


 今度は握りこぶしを振り上げてやる。ところが、サラとドロシア、それからラニャがわたしにかじりつき、妨害しやがった。

 取り押さえられているあいだも、このクソ娘はわたしの脛への追撃に余念がなく、引き離されるまでに十回以上は蹴られた。


 カニンガム主教は、なぜだかわたしを睨むと、おーきなおーきなため息をつき、メルチに懲罰室行きを命じた。

 処置は適切だったとは思うが、丸一日放り込まれたヤツが出て来たときも同じように笑っていたのには、さすがに薄ら寒さを覚えた。


 まったく、マザー・ジェニーンが悪魔と形容したのは的確だといえる。


 この一件のせいで、ほか二名はともかくとして、メルチを院外活動に使うのは断念することとなった。

 わたしとしては、戦いは始まったばかりの認識だったために、残念だ。

 さすがに教会のほとんどの連中から総スカンを喰らっては仕方がない。


 そう。ほとんど(・・・・)の姉妹が反対をした。

 バルタやカスプも特に擁護しなかったのに、わたし以外にも一名、もう少し様子を見てはどうかと提案した者がいたのだ。


「あの子が乱暴なのも、彼女なりの事情があると思います。私もお母さんが亡くなったばかりのときは、よくお姉さまがたを困らせていましたし」


 ラニャだ。

 彼女は出戻りをしてから、発言権を強くしている。

 二番手のクレイミーの中身がわたしで味方をしていたのもあったが、近親者の多くを失った事実が、周囲に遠慮と同情を植えつけていたのが大きい。

 ラニャの迫真の説得を聞いたシスターの中には、アニェの名やマリアの名を呟く者もいた。


 わたしたちがクソガキどもに手を焼いているときにも、アニェを殺した殺人鬼は悠々と仕事をこなしていた。

 今度は、避難民村の住人がやられたらしい。

 三姉妹の元ご近所さんばかりが暮らす集落のはずだが、彼女たちの反応は薄かった。修道院に入れられたことを僥倖とは思わず、厄介払いをされたと感じていたからだろうか。


 特にラニャはそう解釈したようで、三姉妹のニュースへの反応に対して、ほかのシスターが薄情だとささやいていたことに苦言を呈していた。


 人の痛みを知る娘ラニャ・グロッシ。

 メルチが悪魔なら、ラニャはまるで天使のように思える。

 さすがこのわたしの妹分だ。



 ……しかし、その彼女の愛情も、ものの数日で裏切られることとなった。



 ラニャは若い母親の出産の手伝いに出向いていた。

 もちろん、ラニャもバカではない。三姉妹には知らせずに院を出た。

 メアリの最後の子の死去で苦汁を飲まされた記憶も新しいだろう。

 居残りのシスターに三姉妹の監視を頼み、私も同行した。

 幸運なことにお産自体は成功した。


 だがラニャは、右の手のひらに深い火傷を負ってしまった。


 何があったか。端的に事実だけ述べよう。

 こっそりあとをつけて来ていたメルチが、妊婦の産道に焼けた火箸を突っこもうとしたのをラニャが止めたのだ。


***

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