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第2節 日記

 隅々まで手入れをしてやれば、肉体だけでなく、たましいまでが清められた気がした。

 ま、元からわたしのたましいは清いがな。

 惜しむらくは、たましいを通して器たるマクラまでは清められなかったことか。

 複数の肉体の感覚を共有するというのは奇妙なもので、触れあっているときは自分で自分の身体に触れている感触なのだが、離れてしまうとクララの肌には不快感が、マクラの指先には快感が残った。

 シスターをやっていた時分にも、死者や醜悪なものに触れる機会はあったが、神の使徒を演じているという意識が、肉的な感覚を殺していたのだろうと気づかされた。


「今のわたしは、天の父ではなく、カミサマに仕える身だがな」

 クララの口でつぶやき、轡を噛み直す。


 残念ながら、愛しの我が肉体とはしばらくお別れだ。

 早く着衣を整えなければ。

 教会の手伝いはまだ終わらないだろうが、万が一にもクララを裸に剥いた父親を見せるわけにもいかないからな。


 ふと、わたしは「名案」を思い付き、服を着せる前にベルトでクララの両手首を留め、ちょいとクララで眉間に力を込めた。


「……」


 裸で縛られた美女が、海色の瞳でわたしを睨んでいる。

 自分で睨ませているのだが、なるほどいい眺めだ。

 こりゃ、貴族の男どもが女を飼いたがるのも理解できる。

 もっとも、わたしほどの上物は国家予算くらいは出さないと買えないが。


 しばらく背徳の遊びに耽ったあと、いい加減に服を着せに掛かる。

 当たり前だが、自分自身で脱ぎ着するのは楽でいい。

 さっきはラニャの不手際に不満を覚えたが、座りっぱなし、あるいは寝たきりなのに床ずれのひとつも見当たらないことに気づく。


 わたしは、そんな甲斐甲斐しい娘の父親を殺したのだ。


 だが、今のわたしはマクラ・グロッシであり、主教にも口止めをされている以上、彼女に謝罪も感謝も伝えることができない。

 してやれることといったら、よき父親を演じるくらいだ。


 アマシマク島最大の町ビグリーフ。

 町の死者の眠りを守る男、墓守マクラ・グロッシ。


 生前のマクラは、世間からは気味悪がられていた。

 死穢(しえ)に触れる職業ということだけが原因ではない。

 見てくれも醜悪で、目は落ちくぼみ歯も不揃いで、大きいが曲がった背の下には、常に引きずられる右脚がくっついている。

 それに、彼は必要最低限しか話さなかったし、他者と目を合わせようとしなかったから、何を考えているのか分からないとの評判だった。

 外見の悪さと無理解は、醜聞を引き立てるのに一役も二役も買っていた。

 殺人者、死姦嗜癖、食人鬼。反対に、「背が曲がっているのはどこかの戦争での名誉の負傷だ」なんて逆張る者もいた。

 この島のコーヒーハウスやパブでは、流刑者の噂話がつまみになるのだが、あいにくマクラは流れ者ではなく、生粋のアマシマク生まれだ。

 教会が出どころの分からない男に墓所を任せるわけがないだろう。


 ならば、彼は清廉潔白だったか?

 そんなことはない。この皮の厚い手のひらには、罪が染みついている。


 マクラは死者の遺品を剥ぎ取り、それをカネに替えていた。

 相当数やっていたらしい。さかのぼると十年以上前からだ。


 わたしはカミサマの使徒としての初仕事として、汚職の墓守のたましいを刈り取ることを命じられた。

 力の使い方を学ぶためのレッスンでもあった。

 主教に罪人を呼び出してもらい、他人のようになったクララの身体を使って背後からばっさりとやった。

 たましいを肉体から刈り取った際に生じた快楽(エクスタシー)は、いまだにクララの胎の中に残っている。


 カミサマの使いっぱしりになろうとも、わたしはわたしだ。

 例え、たましいを他人の肉体に置こうとも。

 本当に従うべきは、クララ・ウェブスター自身の教義(ドグマ)だ。


 だからこそ、今でもわたしは問い続ける。

 マクラ・グロッシは、本当に斬るに値する者だったのか?


 マクラの娘であるラニャやアニェが、父を悪く言ったのを聞いたことがない。

 ふたりの実家での思い出話は幸せそのものだったし、わたしが「本土の腐った牧師が、少年を地獄に落ちると脅して連れ込んだり、シスターの裾をまくり上げたりしている話」をしてやったときも、「私たちをそんな目に遭わせたら、お父さんが墓穴に突き落とすよ」と息巻いていたくらいだ。

 彼女たちの中で、父親は正義漢だったのだ。わたしたちのあいだでは、隠し事もナシだったはずだから、話を盛っているということもないだろう。


 それに、マクラの妻マリアのことも気にかかる。

 彼女もわたしほどではないが美しく、マクラと契りを交わす前は、わたしほどではないが聖女だ天使だとちやほやされる修道女の一人だった。

 あのクソ厳しくてウザくて意地が悪くてしわくちゃの院長、マザー・ジェニーンですら褒めていたくらいだ。

 それほどの修道女がベールを脱いで墓守の娘をふたりも身籠ることを選んだのだから、マクラは実際に好人物だったと考えられる。

 あるいは、押し倒された末に、お腹の子のために、ということかもしれないが。


 ともかく、わたしは可愛い妹分の父親を殺したのだ。

 それが正しいおこないだったかどうかは、聖書の教えやカミサマではなく、わたし自身で決めなければならない。


 マクラの暮らすあばら小屋には、財産らしい財産はない。

 酒や賭博をやっている様子もない。

 だったら、遺品の横流しで得たカネはどこに消えたのだろうか?

 彼はなんのために、この手を罪に染めていた?


 この部屋のどこかに、きっと答えがあるだろう。

 クララが寝かされているのはマリアの部屋だ。

 ラニャの不在を待ったのは、ここを調べるためでもある。


 マリアの部屋は調度品の質がいい。

 いいといっても庶民の範疇だが、あるじたるマクラ自身は晴れ着も持たなかったことを考えると、並々ならぬ愛情が感じられる。


 黒檀(マホガニー)の戸棚の引き出しからは十字架、聖書、マリア像が出てきた。

 マリア崇敬か。意外と彼女はミーハーだったらしい。

 それか、聖母と自分を重ねるほどに自分大好きのイヤな女だったのかもしれない。


「これは……」


 絵だ。誰かに描かせたのだろう、数枚の鉛筆画が出てきた。

 家族それぞれひとりづつのものと、全員と飼い犬が一緒になっているもの。

 それから、夫婦が手を取り合っている絵。

 マクラは石像のような顔だが、マリアははにかんでいる。


 わたしも画家と向かい合った経験があるが、実物より美しく描くのが不可能だといってノイローゼになってしまった。あれには笑った。

 なんにせよ、絵の具を使ったまともな絵画でないあたり、カネのゆきさきではないだろう。


 化粧品たぐいも、髪油くらいしか出てこなかった。

 クローゼットには空気ばかりで、ドレスらしいドレスは一枚ぎり。

 それも、わたしの実家ならこぼした茶を拭く布きれと間違う程度の仕上がりだ。


 ふと、クローゼットの隅に何かが置いてあることに気づく。

 隠されるようにしてあったこれは、日記帳だ。

 恐らくはマリアのものだろうが……。

 机には引き出しもあるのに、わざわざ隠すように置く理由はなんだ?

 当時は娘たちは修道院暮らしで、マクラも読み書きができないはずだ。

 個人的には、秘密がなくとも秘密めいたふりをするのは嫌いじゃないが。


 埃を払い日記を開くと、マリアがシスターだったころの記録が現れた。

 日々の奉仕についてや、神への感謝が記されている。

 修道院での暮らしでは、同胞たちをよく愛していたことも読み取れた。

 もちろん、わたしも知っている修道女の名前もちらほら出てくる。

 やはりドロシアは太っていて、クレイミーはマザーの忠犬だったようだ。


 わたしも、あの修道院はいいところだと思う。

 口うるさいマザー・ジェニーンさえいなければ、もっといいと思うが。


 おっと、マリアも院長のことは苦手だったらしい。

 悪口が書いてある。


「顔面脳味噌女」


 いいセンスだ。今度わたしも使ってみよう。


 日記はかなり分厚く、どのページもインクで汚れている。

 白紙は残り数ページで、死の直前まで記していたようだ。

 順序を逆にして読んだほうがいいだろうか。

 ぱらぱらとめくっていると、マクラの名が見えた。


 結婚前、マクラとマリアの出会いの物語。


 マリアが墓所で祈りを捧げていたところに、一匹の仔犬が迷い込んできた。

 名前はグリム。

 今もこの小屋の外であくびでもしているであろう、一家の飼い犬の名だ。

 犬に続いて、飼い主も現れる。グリムはマクラが拾って育て始めたらしい。

 巷では犯罪者とささやかれる醜男(ぶおとこ)は、じつは孤独で優しい男だった、というわけか。


 ところが、わたしの操るマクラの顔が、さらに不細工にひん曲がった。


 とあるページに、マクラの悪口が並んでいたのだ。


『あの曲がった背中は腰かけにちょうどよさそう。

 足を引きずっているけど、獣と間違って撃たれたに違いないわ。

 顔が豚の骸骨みたいだもの。

 近寄って会話をしたら、胃の中のものを吐き戻してしまいそうになった。

 口臭墓場男。きっと、隣に煙突の並ぶテムズ川くらいにくさい。

 毎日腐ったお肉を食べてそうだし、死体の女としか寝たことがないんだわ』


 ……わたしでも言わんぞ。


 記憶の中のマリアは聖女ではなく母親だったが、双子を産んでも美人のままだった。あの顔からこんなワードが出てくるなんて、少しがっかりだ。


 ところが、最後の一文を読むと今度は腹がよじれた。


『だから、ひと目で気に入ってしまった。ベールを脱いででも、彼と一緒になりたい』


 なるほど、「そういう趣味」らしい。

 そこから先のページには、マリアなりに墓場の醜男を想う文言ばかりが並ぶ。

 文字であらわされた愛にむせ返ったのは生まれて初めてだ。


 幸運な男は、自分からはマリアに声を掛けなかったらしい。

 いつでもあいだに仔犬のグリムが挟まり、マリアのほうが積極的に彼にアプローチをしていたようだ。


 蜂蜜のような文章を飛ばし読みしていると、筆跡の違う記述があった。


『シスター・マリア。院長室に出頭しなさい』


 次のページは日付が飛び、新しい幸せについて書かれるようになった。

 教会を脱し、ふたりの新生活が始まったようだ。

 正直なところ、またもわたしは読み飛ばした。

 マリアは「夜」についてもしっかり記録していて、今のわたしが依り代にしている肉体についての知りたいくないことが書かれていたからだ。


 わたし的にはアレだが、墓守の夫婦として質のいい暮らしをしていたようだ。

 マリアがマクラに祈りと聖書の文言を教え、マクラは埋葬してきた人々のエピソードを語り、夜通し死生観について意見を交換し合い、主や聖霊との対話も頻繁にこころみていたようだ。


 さらに読み進めると、マリアが不安を記すようになった。


『お腹の子は一人じゃないみたい』


 墓守は教会から充分な給料を貰っているし、もともと修道院暮らしだったマリアも、質素な生活には慣れている。

 火山活動もおとなしい時代だったし、双子だろうが三つ子だろうが、養えたはずだ。墓守の矜持を捨てる必要はなかっただろう。


 墓荒らしの答えはこれじゃない。

 理由はどこにある? マクラよ、おまえの教義(ドグマ)を教えてくれ。

 

 ……外で犬の吠える声がした。

 しゃがれているが嬉しそうな声。老体に鞭打って尻尾を振る様まで浮かんだ。


 わたしは日記を元の位置に戻すと、急いでマリアの部屋から立ち去った。


***

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