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第18節 姉妹たちの家

 この三人の童女はシスター見習いで、わたしとラニャが修道院にいないあいだに入院してきた三つ子の三姉妹だ。


「クレイミーお姉さま、今日も今朝から辛気臭い顔してますけど、まだ喪に服しているんですかー?」


 扉を蹴り開けて登場した上に、べたべたとまとわりつくこいつは、名をメルチという。

 三つ子だがいちおう彼女が長女。三姉妹の中で一番アクティブで身勝手。

 ほうきを持たせれば何かを壊すし、かまどを任せれば誰かが腹を下す。

 ひとつの場所に留まるのが苦手で、お祈りすらも右へ左へ部屋を往復する。

 ほかのシスターはもちろん、あのマザー・ジェニーンすらも手を焼いている。

 ……のだが、クレイミーの指示はそれなりに聞いていたらしい。

 本来なら、面白い小娘のはずだが、現状では最も厄介だ。


「見習いのラニャお姉さま、通りの向こうの養豚場が忙しくしているのはご存知ですか? そこの悪魔憑きと一緒にお手伝いに行かれてはいかがでしょうか」


 このラニャに対して「出て行け」と言っているヤツは、次女バルタだ。

 ラニャは修道院に出戻り、今度は正式なシスターとして迎えられているのだが、バルタは「足抜けした見習い」として認知しているらしく、お気に入りの先輩クレイミーの部屋に転がり込んだ彼女を敵視している。

 その点を除けば、ほか二名のお目付け役ができるくらいにはまともなのだが。


「……」


 あらためて廊下から顔を出して、すぐにまた引っ込めたのはカスプだ。

 こいつは何を考えているのかよく分からん。院内での活動や勉学に関してはまじめに取り組むが、基本的にはメルチやバルタを行動基準としてイモの髭のようにくっついているようだ。


 クレイミーとして修道院に戻ったときに出迎えたのもこいつらで、存在そのものを知らなかったわたしは、急な対応を迫られて面食らった。

 カニンガムとの密会や、墓守の仕事の一環として教会に近寄る機会はあったのだが、この三姉妹は外回りの奉仕活動にはほとんど参加させていないらしい。


 理由はまあ、メルチの素行だ。


「メルチ! あなたまたパンを盗んだでしょう!」

 厨房のほうからシスター・サラの叫びが聞こえた。


「ちがいまーす! ドロシアお姉さまがつまみ食いをしていましたー!」

 メルチはそう返事をすると、げらげらと笑った。厨房からはドロシアの金切り声。

 毎度同じ手で切り返すのだが、もちろん嘘だ。わたしも最初は騙されたが。


「メルチ、お姉さまがたにあとで謝っておきなさい」

 ラニャが叱りつけるも、メルチは肩を揺らすのをやめない。

「もうっ! クレイミーお姉さま、何か罰を与えましょう!」

「またご飯抜きにでもするー? 飯を抜いたほうがいいのは、あのデブでしょ!」


 なかなか面白い奴だが、惜しむらくは今のわたしはクララではなくクレイミー。

 ここはあの堅物らしく注意をしなくてはならないのだが……。


 だんまりを決め込む。


 わたしは初日の段階で降参していた。

 本物のクレイミーのように脳のしわに聖句が書いてあるわけでもないし、冗談でもマザー・ジェニーンに御追従なんてできやしない。口が排泄物の飛び出すケツになってしまうだろう。

 わたしにとってはクレイミーを演じろというのは、本土の屋敷に戻れというくらいの無茶振りだ。


 だが、不幸中の幸い、クレイミーがスティーブとねんごろだったことはシスターたちのあいだでも噂になっていたらしく、アルバート公を失ったビクトリア女王のごとくの態度で応じる手が使えた。


 視線を感じる。カスプがこちらをじっと見つめていた。

「クレイミーお姉さま、スティーブが死んで、悲しい?」

 わたしは「そうね」としおらしく返事をした。


「あたし、スティーブとかいうのは悪魔だったと思うな。自分のパパを殺そうとするなんて、ありえない」

 メルチは頬を膨らませ、瞳をかげらせた。


「バルタもそう思う。だから、あの悪魔憑きの女も追い出したほうがいい」

 バルタはクララのベッドを見る。見るというか、何かする気なのか、そちらへと足を踏み出した。


「ダメ! お姉さまの悪魔はすでに祓われたって、主教様がおっしゃってたもん!」

 ラニャが慌てて割り込んだ。

「じゃあ、どうして眠ってるの?」

「それは、分からないけど……」


 グレンキオー蒸留所の事件の後、カニンガムによってクララの「設定変更」がおこなわれていた。

 シスター・クララは憑りついた悪魔との戦いに打ち勝ったものの、戦いによる精神の疲弊でいまだ眠りについたままだ。だが、時がくれば目覚め、再び神に仕える姉妹の輪に加わるだろう……。

 クララの肉体を手元に置くための方便だが、「目覚めの時」というのは実際に近いうちに訪れることになっている。


 カニンガムがクレイミーのたましいをカミサマに喰わせたところ、相当に美味かったらしく、上機嫌な女神様はわたしにあることを教えた。


『満月の夜だ。月光はそなたのたましいと肉体の結びつきを強くする。月が真円を描く時分であれば、そなたはかつてのようにクララ・ウェブスターとしていられるであろう』


 これは、わたしがカミサマの使いとして働いたことへの対価だとか、わたしの罪とやらの償いが済んだからというわけではないだろう。

 もともと、意識を集中したさいのクララでの感じ方や、たましいの疲弊具合には、時期によってばらつきがあった。それの答え合わせに過ぎない。

 夜間のほうが調子がいいのは感じていたが、空が灰に覆われる日の多い昨今では、その理由が月にあるとまでは気づけなかったが。

 ともかく、次の満月が晴れれば、そのあいだは大手を振ってクララ・ウェブスターに戻っていられるというわけだ。

 これは仮釈放に過ぎないし、本当に身体が返還されるのはまだ先らしいが、モチベーションの足しにはなるだろう。


「ラニャお姉ちゃんはズルい。バルタたちだって、クレイミーお姉さまと相部屋がよかったのに」

「そうだよ。お姉さまは親のいなくなったあたしたちに、ママのように接してくれたのに。なんであんたなんかが!」


 毎朝このやり取りだ。こいつらの言い分も分からないでもない。

 だが、三姉妹には不幸を免罪符として振り回し過ぎなきらいがあった。


「ふたりとも、やめなさい。ご両親を失っているのはラニャも同じですよ」

「クレイミーお姉さまはこいつの肩を持つの!?」

「同じだけど、同じじゃない! こいつのパパとママがどうやって死んだかなんて知らないけど、バルタたちのパパとママは茹でられてまっかになったんだよ!?」


 三姉妹はテューレの村の出身だ。

 火砕流から逃げるさいに川を渡った者たちがいたのだが、地下に忍び込んでいたマグマが水を沸騰させていて、全員をハギスにしてしまったのだ。


 こいつらは、目の前で両親が釜茹でになるのを見たのだ。

 確かに悲劇。性格が歪むのも無理はない。

 だが、ラニャだって……。


 ふーっと、横でため息が聞こえた。


「私、マザーに掛けあって部屋を換えてもらおうと思います。以前の部屋は空いたままだそうですから」


 母マリアは結核による病死。父マクラは表向きは墓荒らしの凶弾に倒れた。

 不幸の総量で三姉妹に引けを取るかといえば、そうではない。

 双子の姉のアニェは殺され犯された。その第一発見者はラニャ当人だ。

 ラニャが目覚めると、隣のベッドには精液まみれの姉の頭部だけが寝ていた。

 アニェのベッドの上で頭を抱きかかえて撫でている姿を見つけたのは、ほかでもないわたしだった。


「どうせまたダメって言われるよ。あのクソババアは意地悪なんだから」

「だったら、クソジジイに頼んだら?」

「主教様もババアに頭上がんないじゃん! 無駄だよ、無駄!」


 ごちゃごちゃやるメルチとバルタをよそに、ラニャはクララを抱き上げ、車いすに乗せた。


「ジジイにもババアにも黙ってやればいいよ。三人とも、朝食の支度が終わるまでにお引越しを済ませよう」


 ラニャはクララの膝の上に私物を乗っけ始めた。

 あれだけ騒いでいたふたりは黙り、顔を見合わせている。

 さらに、静観していたカスプがラニャの引っ越しを手伝い始めると、メルチとバルタは短く唸った。


 さすがはわたしの妹分だ。だが、これが限界、精一杯だろう。 

 所作のひとつひとつが、こちらの視線から逃げているのがもろ分かりだ。

 わたしは黙認する意味合いを込めて、サイドテーブルに置かれたビスク・ドールを荷物の中に乗っけてやった。


「えっ?」

 ラニャが手を止めてこちらを見る。

「これ、クレイミーお姉さまの……」


 マジか。ラニャのじゃなかったのか。

 クレイミーがこんな私物を持っているなんて知らなかった。

 カネ持ちのあいだではやっているドイツ製の洒落たガキ向けのベベドールだ。

 知っていたら絶対にからかっていたのに。

 わたしは苦し紛れに、「この子も連れて行ってあげて」と言った。

 正直なところ、貴族のガキどもを思い出すし、手元にないほうがいい。

 同じ人形なら、博覧会で観た「市松人形」のほうが好みだ。


「ズルい!」


 やにわに声をあげたのは、滅多に口を利かないカスプだ。

 普段は表情も乏しいのだが、珍しく口を曲げて眉を立てている。

 目の端で長女次女がにやりと笑ったのが見えた。

 ところが、ラニャは流れるようにビスク・ドールを抱き上げると、カスプの胸へとそっと押し付け、こちらを見た。


「構いませんか?」

「あ、ああ……」


 思わず素で返事をしてしまった。「仲良くしてあげてね」と付け加えると、三つ子の末っ子はぱっと表情に花を咲かせた。

 それから、ラニャとわたしに「ありがとう」。


「ふたりも手伝って。ベッドは人手を借りて、夜までのうちに動かそう」


 ラニャは淡々と作業を続けている。

 ところが、メルチとバルタは眉間に皺寄せ口を尖らせ、動こうとしない。

 あんまりにも渋い顔をするものだから、幼いくせしてジェニーンみたいな顔だ。

 あまつさえ、「ジジイやババアに見つかったらどーすんの!」と不満を言う。


「バレて外出禁止になるかも! あんたは知らないかもしれないけど、修道院の中ってすーーーーっごく退屈なんだからね!」

「あたしたちも外回り行きたい!」


 こいつらはこいつらで部屋替え自体は本望でも、鬱憤晴らしにラニャに絡みに来ただけで、本当にこうなると思っていなかったのだろう。


 ラニャは素知らぬ顔で引き出しを漁り、木彫りの犬を荷物に加えている。

 ずいぶんとたくましくなった。正式にクララとして再会できる日が待ち遠しい。


 ……ん、ちょっと待てよ?

 このまま部屋替えが強行されると、わたしはこの喧しい連中と一緒に寝起きすることになるんだよな?


「カスプも人形なんかで買収されて! 裏切者!」

 バルタは妹の抱きかかえる人形に向かって平手を振り下ろした。

 しかし、カスプは身をよじって人形を守ると、姉に向かって中指を立てた。

 ほう、将来有望じゃないか。


「ムカつく! 言いつけてやるんだから! ねえ、行こうメルチ!」


 バルタは顔をまっかにしてメルチの手を取り、引っぱった。

 しかし、メルチはその場を動かず、視線をやや上にして、ねっちゃりとした自嘲気味の笑みを見せていた。


 それもそのはず。

 彼女の視線の先には、ジジイ……カニンガム主教が突っ立っていた。

 彼は法衣だけでなくミトラまで被って正装をしている。

 

「朝から何をやっとるんだおまえたちは」

「引っ越しです。メルチとバルタがうるさいから部屋替えをしようと」

「あっ、こいつ! あたしたちが悪いみたいに言って!」


 カニンガムは小娘どもを見回すと、これ見よがしにため息をついた。

 よし、このまま部屋替えはナシだ。


「部屋割りなど勝手にせえ」


 クソジジイめ。


「そんなことよりもシスター・ラニャ。すぐに礼拝堂に来なさい」

「えっ、私ですか?」

「それからシスター・クレイミーも。ふたりとも、朝のミサには参加しなくともよい」


 カニンガムは立ち去るさい、こちらを振り返り、故意に視線を合わせてきた。

 これは「クレイミー」ではなく、「クララ」に同席を求めていると見た。


 わたしは嫌々ながら「三人とも、主教様のお許しが出たから、引越しの続き、しっかりと頼みますね」と言い残し、カニンガムの後を追った。


***

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