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第17節 流れた酒

 部屋に誰かが入ってくる気配で目が覚めた。

 そっと閉められる扉、重い何かが置かれる音。


 眠気で重しをされたまぶたを押し上げると、まだ暗い窓の外が見え、小鳥たちの気配を聞いた。

 身を起こすと、隣のベッドで眠る者に影が覆いかぶさるのが見えた。

 彼女はすぐに屈めた身を起こすと、こちらを振り返った。


「おはようございます。クレイミーお姉さま」

「おはよう、シスター・ラニャ。今朝もお参りに行ってきたの?」


 ラニャは問い掛けに笑顔で返事をし、「そろそろ朝のお祈りの時間ですね」と付け加えると、桶に入った水で布を湿らせ、ベッドに横たわったクララの世話を始めた。


 彼女は毎日、未明に墓所まで行って五人の死者に祈りを捧げている。

 父、母、娼婦、友人、それから犬。

 寝室でおこなわれる就寝前と起床後の祈りはすっ飛ばしていたが、シスター・クレイミーであるはずのわたしは、一度も注意をしていない。

 わたし自身も、本来のクレイミーなら祈りを捧げたであろう恋人のためではなく、姉役の肉体の世話を焼く少女のために祈った。


 シスター・クレイミーは、もう二度と修道服を着崩すことはないだろう。


 蒸留所の惨劇のあと、わたしはクレイミーとして取り調べを受けることとなった。

 取り調べといっても、大したことじゃない。

 逮捕もされなかったし、尋問もなければ、面倒な裁判でブラック・マリアに乗る必要もなかった。

 ここはアマシマク島だ。ロンドンとは違って警視庁の目が届くわけでもない。

 本土から派遣された警官くらいはいるものの、カニンガム主教にキンタマを握られているし、事実よりも身分が白黒を決めるようなものだ。

 法に則って裁かれるのは、生粋の島民のみ。

 観光客のたぐいが罪を犯せば外に任され、脱獄者が罪を犯せば無条件に島が負担する食費が浮く。シンプルでいいだろう?

 それでも、カニンガムが牛耳っているぶん、ガキがパンを盗んでも絞首刑にならないし、この流刑の島では異端審問も検邪聖省もへったくれもないのだから、楽園に映ることもあるかもしれない。


 そしてわたしは、敬虔なる神の使徒シスター・クレイミーだ。

 加えて、クレイミーの証言に異を唱えるはずだったスティーブ・ウェストも白痴同然と化していた。


 グレンキオー蒸留所殺人事件の真相(・・)はこうだ。


 スティーブ・ウェストは、蒸留所の相続が待ちきれずに、父ウォルターの砒素による毒殺をくわだてた。

 しかし凶行が見抜かれ、父当人より怪しまれてしまったため、スティーブはストリキニーネによる早急な毒殺をおこなったのち、頭部を切断して首狩りの殺人鬼の仕業に見せかける計画に変更する。

 だが、密会を重ねていた恋人シスター・クレイミーに止められ、罪業を悲観した彼女に心中を提案される。


 提案を蹴ったスティーブに不運が廻った。


 クレイミーとは別に関係を持っていたメアリ・アン・ラミーが来訪したのだ。

 彼女は、教会から世話を任されていた寝たきりのクララ・ウェブスターを連れてきていた。

 恐らく、眠れる美女の肉体をスティーブに売りつけるためだったと思われる。

 スティーブは買わなかったようだが、クレイミーやウォルターたちに隠れてメアリに対処する必要が生じた。


 さらにここで事件が重なった。

 メアリとスティーブのあいだに「何らかのトラブル」が生じ、同伴していたメアリの息子コートンを殺害することとなってしまった。

 コートンの頭蓋骨には陥没した痕跡があり、グレンキオーの涙型の酒瓶の底面の形状と一致。これが凶器と思われる。

 メアリもこの際に、心因性のショックで昏倒。

 スティーブは、コートン少年の殺害を殺人鬼の仕業と見せかけるため、頭部を切り離しにかかった。

 仕事の真っ最中、さらに運の悪いことにクレイミーに発見されてしまう。

 スティーブは激昂し、クレイミーをも殺害しようとする。


 しかし、敬虔なる信徒の目を通した神罰が、悪魔に憑りつかれたスティーブの精神を射抜き、彼のたましいは永久に彼岸と此岸の狭間をさまよう救われぬ存在となり果てたのであった……!


 バカバカしい世迷言を垂れ流すなって?

 確かにこれは聞き取りをした警官が、カニンガムの監視の元で書き上げた小説だ。

 だが、真実は超常が絡むうえに、主とは異なる「自称神」が裏で糸を引いているわけだから、教会的にノー・グッドだ。

 どうせ、異を唱える者もいなければ、風評で傷つく者も、もういないのだ、構いやしないだろう。

 カニンガムも、上や警察にこれを提出しなくてはならないしな。


 この事件にはまだ続きがある。ここから先は事実のみだ。


 メアリ・アン・ラミーは、病院のベッドで目を覚ましたのち、医師たちの目を盗んで脱走、川へと身を投げた。

 無論、これを演じさせたのはわたしだ。

 クレイミーの肉体が手に入った以上、メアリの肉体の面倒まではみられないし、何より、彼女の肉体はゆいいつ愛の通い合っていた息子と共に眠るべきだと感じたからだ。

 世間的には娼婦の身投げなんざ珍しくもないだろう。最愛で最後の息子を失ったのなら、なおさら。


 コートンは道通りに大人になれば、悪くない男になるはずだった。

 彼の母親という役が不要になった以上、わたしもラミー家の悲劇から下りさせてもらうことにした。


 メアリの遺体は翌朝には引き揚げられ、目論見通り、息子と永久の眠りについた。彼女はもう、生きるために客を取る必要も、赤子を孕んで手に掛ける必要もない。


 次、スティーブ・ウェスト。

 事件中にぶっ壊れたこいつは、すでにたましいの抜け殻と相違ない状態だったが後日、たましいを刈り入れて始末をしておいた。

 当然、そうしなければわたしの腹は収まらないわけだし、カニンガムからも許可を取った上での実行だ。

 これまでと違い、刈り取った瞬間の手応えが弱かった。

 まるで、たましいの緒はもともと切れかかっていたかのように。

 たましいをちょん切られたヤツの肉体は、呼吸と鼓動以外の活動を停止した。

 数日もすれば、残りの生命活動も勝手に終えることとなるだろう。


 だがこの程度では、わたしのこころは晴れない。

 それは、ヤツのせいで生意気な息子を失い、わざとでないにしろクレイミーを殺すこととなったことだけが原因ではなかった。


 あの腐りきった男のたましいもまた、それなりに光り輝いていたからだ。


 しかし、これで確信できたこともある。

 たましいの「輝き」と「穢れ」は、見たそのままを意味し、カミサマの宣った通りに罪人ならば穢れているというわけではないということだ。


 クレイミーのたましいが何よりの証拠となった。

 わたしは毒瓶にみずから納まった彼女のたましいを手放したくなかった。

 手放すにしても、あの不気味な女神などではなく、父なる神の元へと送りたかった。


『クララ・ウェブスター。おまえは美酒を隠し持っておるな』


 怖気を誘うカミサマの声が聞こえた。

 スティーブのたましいをカニンガムに渡したさい、クレイミーのぶんはなんとかとぼけられないかと出し渋ってみたのだ。

 当然、どこかで「見ている」というカミサマの目は誤魔化せず、そもそものところ事件の証拠品である、たましい入りのストリキニーネの瓶を持ち出すのにカニンガムの力が必須だった以上、無駄なあがきだったのだが。


 マクラ、メアリ、クレイミー、そしてスティーブ。


 彼らのたましいはどれもが美しかった。

 社交界で飽きるほど見たドレスよりも、カネ持ちの飴玉たる宝石よりも遥かに。

 このたましいを至宝たらしめているものは、いったい何か。


 共通するもので思い当たるのは「愛」だ。


 古代ギリシャ人は、愛には八つの種類があると考えていたという。


 無償の愛アガペ、戯れの愛ルダス、永久に変わらぬ愛プラグマ、自己愛フィラウティア、家族愛ストルゲ、友愛たるフィリア、それから偏執のマニアに、情熱と肉欲のエロス。


 これら「愛」を強く持つもののたましいは美しく輝き、火山の女神の餌としても好まれるということだ。

 これなら、貧民窟(スラム)に類する集落に住む連中のたましいが輝かなかったのにも納得がいく。その日暮らしの連中に「愛」を持つ余裕はないだろう。

 特に、わたしが狩りの対象としていたのは、女の色香につられてやってくる下種どもばかりだった。こんな連中が持てるのは、贋物のエロスが限界だろう。


 さて、死者で築かれた橋はここで終わりではない。

 毒酒の川に架かる最後の橋、ウォルター・ウェスト。

 グレンキオー生みの親である彼は、息子の謀略により砒素中毒で苦しんだ末に死去……。


 とはいかなかった。


 彼には快復の兆しがあった。医者の腕がよかったのか、悪運が強かったのか。

 だが少なくとも、彼の信奉していた火山の女神様の加護はなかった。

 砒素からは逃れられたものの、カニンガムがウォルターの殺害を命じたのだ。

 正確には、カミサマがウォルターのたましいを喰らいたがったために、わざわざ主教を通してわたしに指示してきたということだ。


 刈り入れに向かうわたしの足取りは、鉛のようだった。


 あの美味いウイスキーの歴史が断絶してしまうのを考えると無理もない。

 ウォルターは本物の火山信者だ。クレイミーに不利な行動をしないのであれば、利用できる手駒として放っておくつもりだった。

 しかし、これはあくまでわたしの意見であり、カミの意志ではなかった。


 まあ、美味いもののためにウォルターを利用しようという点では共通していたのだが。


 ところが、車いすを押してやっとのことで霧深き谷を再訪したものの、そこで更なる厄介ごとに遭遇したのだ。


 ウォルター・ウェストはすでに死んでいた。

 殺されていたのだ。


 召使いが朝の世話をしようとウェスト邸を訪ねると、あるじの部屋は凄惨な有様になっていた。

 ベッドのシーツ、床、壁、果ては天井やランプシェードすらも血に濡れていた。


 ベッドの上にいるはずだったウォルターは、頭だけの姿となって、裏手の彼の砒素入りウイスキー樽の上にて発見された。

 例によって、頭部以外は行方不明。

 アマシマクを騒がせる連続殺人犯の手口だ。


 ……なぜまた、このタイミングで?


 考え過ぎだろうか? 偶然にしては出来過ぎている気がする。

 メアリがマクラを射殺した晩から明朝に掛けても、メアリが間借りしていたパブのマスターが首だけとなっている。

 ウォルターが殺されたのは蒸留所の事件より一週間後ではあるものの……。


 本土からやってきた実業家兼医師の顔がちらつく。


 前回同様、ジェイコブは被害者と絡んでいた。

 今回は、砒素中毒のウォルターが選び直した主治医としてだ。

 彼はウォルターが殺害された前日にもウェスト邸に来診している。


 彼は現在、火砕流に呑まれたテューレの村の避難民集落で奉仕活動をしているというが……。


「姉さま……! クレイミーお姉さま!」


 揺さぶられた。


「あの、大切なお祈りのお邪魔をしてごめんなさい。でも、そろそろ部屋を出ないと……」


 ラニャが言い終える前に、わたしたちの寝室の扉が勢いよく開いた。

 同時に、ラニャはクララのベッドを隠すように身構えた。


「クレイミーお姉さま、おっはよーございまーす!」

 元気のいいガキンチョの声。

 背丈の小さな修道女が現れる。

 それもあれだ、扉を蹴り開けたポーズのままでだ。


 彼女の脇には同じく修道服を着た童女が二匹いて、こちらを覗き込んでいる。


「シスター・クレイミー、おはようございます」

 その片割れが挨拶をした。

 一匹目よりも丁寧な挨拶だが、彼女はわたしの同居人を見ると「あと見習いの人もおはよう」と、ブタのクソ入りのポリッジを食べているような表情で付け加えた。

 残りの一匹は、何も言わずに顔を引っ込めて隠れた。


 わたしは今、女子修道院の二番手であるシスター・クレイミーだ。

 そして、目の前に現れた三人の小娘どもは修道女見習いで……わたしたちにとっての新たな頭痛の種なのだった。


***

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