第13節 堕ちた子ら
アマシマク教区、ビグリーフ教会のシスター・クレイミー。
祈りや奉仕に余念がなく、後輩の面倒見もよし、マザー・ジェニーンからの評価も上々。
瞳は栗色、髪は栗鼠色。肌はほの白く、体型は痩せ型。
コイフから覗く顔面はそう悪くなく、クララ・ウェブスターを百万ポンドの美女だとすれば、一ポンド五シリングくらいはあるなかなかの美女だ。
それに、入浴の際によく拝ませてもらったが乳と尻がデカい。
男どもの酔眼慧眼がこれを見逃すはずもなく、参拝者や寄付金ががっぽがっぽ……とは、これまたいかない。
たわわな果実に加えて、背徳掻き立てる敬虔さと一歩引いた物腰があってなお、「聖女」よりも「堅物」の看板を背負うにはワケがある。
ひとこと目にはながーい聖書の引用。ふたこと目には女子修道院の束ね役を引き合いに出して男をノックアウト。
前者は修道女の武器でもあり防具でもあるから珍しくもないが、後者の「マザー・ジェニーンがいけないっておっしゃってました」の枕詞の先がまた長いこと長いこと。
シスター・クレイミーに言い寄るヤツの脳裏には、あの顔面脳味噌女が焼きついて、しなしなに萎えちまうって寸法だ。
その堅物クレイミーに春到来の噂、わたしは物陰からスティーブとクレイミーの逢い引きをうきうきウォッチングというわけだが……。
「……!」
わたしは度肝を抜かれた。
「前髪が出ている……!」
クレイミーのコイフのデコの部分から、栗鼠色のおみぐしがはみ出している。
それのどこが驚愕だって?
修道女の身だしなみとして、女の性を象徴する髪やボディラインは出してはいけないことになっていて、ジェニーンがこれにうるさいのだ。
もちろん、ジェニーンの使い魔である彼女も同じで、わたしもよく「クララさん、前髪が出てますよ」だの、「ウィンプルを巻きこんでますよ」だの、「こら、ロザリオを噛まないの!」だのと注意をされたものだ。
そんなクレイミーが自分の着こなしに油断をするはずがない。
ならば、あの前髪はわざと出しているということ。
前髪が出ているほうが可愛い、あるいは美人に見える。
それは無個性な炭のごとくの修道服への叛逆行為で、ほんのちょっぴり罪の味。若いシスター仲間では常識だ。
わたしはババアが見てないときは髪を百パーセント出していたし、妹分のラニャやアニェにも出してるほうが可愛いと指導をしていた。アニェはまじめで従わなかったが。
とにかく、あのクレイミーが敬愛するジェニーンに背く背徳的おこないをしているというのは、なんともそそる……。
いかん。鼻息が荒くなってしまった。
あのクレイミーが雌になっていると思うとつい、な。
雌だよな。うん。
さて、蒸留所は大きな施設だ。遮蔽物も少なく、ふたりをつけるには大きく距離を空ける必要がある。
ふたりは並んで敷地内を移動中だ。
職人たちの目を気にしているのか、お互いに顔を向け合うこともなく、耳を澄ませても何も話していないように思える。
どこに向かうのかお互いに了解しているようで、立ち止まることもない。
ならば角を曲がって建屋の裏手に回れば、そこでキッスなりくんずほぐれずなり……する様子もない。
うしろをうかがうこともせず、敷地内のはずれにあるウェスト家の住まいに向かっているようだ。
なるほど男の部屋でなら人目を気にせずおっぱじめられる……というわけでもないか。ウォルター・ウェストの説得をするのだろう。
だが、さっきの口ぶりからして、スティーブが説得のためのカードとしてシスタークレイミーを重視しているようには思えない。
花嫁という役のためなら、聖書を焼いたふりでもすれば火山信仰のオヤジを何度も尋ねる必要もないはずだが、どうして難航しているのか。
やはり、堅物修道女が渋っているのだろうか。
「ちょいとご婦人、勝手に入っちゃ困るよ!」
クソ、職人に呼び止められた。
「ここは私有地だよ」
「ちょっとウォルターさんに会いに……」
「アポイントメントもナシだろう? ダメだよ、お身体の具合を悪くされているんだ」
「ええと、お見舞いに」
睨まれてたじろぐ。素のクララならばこの程度は切り抜けられるのだが、メアリであるという自覚が咄嗟の嘘に弱くさせているな。
「最近は若旦那も機嫌が悪いんだから、面倒ごとは勘弁してくれよ」
職人は強引にわたしの腕を取って敷地の外まで連行した。
「ん? このバスケットの酒、うちの酒じゃないか。ひょっとして、くすねたんじゃないだろうな!?」
「ち、ちが、これはスティーブさんにもらったんです」
「酒はみんなで造ってんだ。いくら若旦那でも、それはダメだ」
「ほ、本当ですって!」
わたしは酒瓶を誘拐しようとする野太い腕にしがみついて抵抗する。
追い出されたうえにグレンキオーまで没収されてたまるか。
「いやあんた、必死過ぎるだろ」
「本当に貰ったんだって! それに、こんな旨い酒を手放すなんてイヤだ!」
メアリの口からというよりは、まさしくクララのたましいからの叫びだった。
やはり美女聖女のたましいというものは徳があるらしく、職人は力を緩めた。
「ま、まあ。そんなに言うんだったら信じてやるけどよ。……まったく。若旦那も勝手が過ぎるよ。ボスの機嫌を取らないで商談は進めるし、ボスの嫌いな修道女なんて連れ込むし。まだ跡を継いだわけでもないってのにさ。とにかく、大人しく帰ってくれよな」
職人は愚痴を残し、背を向けて去っていった。
面倒なことに、通りがかりに樽に火を当てている連中に声を掛け、こちらを指差す様子が見て取れた。
無策に堂々とやり過ぎたらしい。
クレイミーのあとをつけるのだったら、クララから修道服を引っぺがしてくればよかったか。まあ、ラニャが見つけたらパニックになるが。
不完全燃焼のまま帰宅することとなったわたしだったが、帰宅するとラニャもコートンもいないことに気づき、口の端を釣り上げた。
干し草は太陽が出ているうちに作れ。
戸棚からグラスを取り出すと、マリアの部屋で眠る自分の肉体の元へと急いだ。
それから、サイドテーブルにグラスとボトルをセットし、クララの目隠しと轡を取り去り、対悪魔を装う祈り手の拘束もほどく。
意識を集中すれば、クララの瞼が開き、夢見心地ながらも肉体が感じるものを共有し始める。
やはり、自分の身体のはずなのに動かすのにひと苦労。
まるで自分を見下ろすような離人感。
それでも、どうしてもクララの肉体でやりたいことがあった。
我が肉体に神の雫を湛えたボトルを開けさせ、とくとくとグラスへと注ぐ。
それから美女の指先は琥珀たゆたうクリスタルをつかみ、至宝のごとき我が花弁へと生命の水を流し込んだ。
舌先に痺れるような感覚を受けたのち、かすかな甘みと共に花の香りが口腔内に広がり、リッチなコクがあとから追いかける。
コクは、強いていうなれば最近はやりのチョコレートにも似ているだろう。
飲みくだしたのちには焚かれたチップの風味が口腔に漂い、舌の上の樽香と甘味の余韻が次のひと口をせがませている。
「ほうっ……」と、わたしは我ながら蠱惑的に息をついた。
なるほど。クララの舌でも美酒は美酒だ。
感覚に違和感があるとはいえ、メアリで味わうより上質に感じる。
肉体によって味覚にも差があるらしいのは知っていた。
マクラはタバコの吸い過ぎで、何を飲み食いしても味がボケていたのだ。
「よし、もうひと口」と思ったところに、メアリが腹の上に倒れ込んできた。
クララに集中し過ぎたせいだ。
わたしはメアリの身体をベッドの下へと落っことすと、酒の続きを味わった。
飲むにつれて味への理解は高まるものの、アルコールが回ってきたらしく、ぼやけた感覚がいっそう酷くなった。
制約のある肉体を動かしていることも手伝ってか、クララの身体では二杯目を注ぐために腕を伸ばす気力すらなくなってしまった。
もう限界か。立ち上がって鎌を振り下ろすだけでも重労働なのだしな。
諦めて床に転がるメアリのほうに気をやれば、額が痛むことに気づいた。
ぶつけてコブになっている。
肉体が変われば当然、酔いも味の余韻もさっぱり消えてしまい、今度はメアリで呑み直すかと思案する。
だが、そろそろラニャが戻ってくる頃合いだ。
ラニャはシスターたちにはメアリへの信用を口にしていたが、じっさい何も注意を払っていないわけではない。
外での行動までは監視をしないものの、うちでは強い酒は絶対に許してくれないのだ。
自分でも飲めるようなうっすい葡萄酒くらいだ。
酔いが情事をいざなうとでも思っているのだろう。
それに、いくら三人で稼いでいるとはいえ、高い酒を買う余裕もないし、こんなものを持っているのを知られたら不審がられてしまう。
晴れてクララ・ウェブスターに還ったときにこの至高の一本で祝いたければ、今呑むことよりも、この美酒の隠し場所を考えることに注力すべきだろう。
「あっ」
メアリの手から酒瓶が消えた。
振り返れば、我らが家主様の姿。
「メアリさん。このお酒、どうしたの?」
柳眉逆立てるラニャ様。いやあ、怒っている顔も可愛いな。
「しかも、クララお姉さまのお世話の最中に呑んでたわけ!?」
「こ、これは頂き物で、クララさんのお世話が終わってから呑もうかと……」
「嘘ばっかり! グラスの底が濡れてるし、そもそもすっごいにおいだよ!」
ラニャは酒瓶に栓をすると、それを持ったままぷりぷり怒って出て行ってしまった。
わたしは未練がましくクララの舌上に意識をやって余韻を味わい、ふたつの肉体にそろってため息をつかせたのだった。
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