第11節 姦しい、喧しい
とある昼下がり、わたしは突然の来客によって台所に押し込められていた。
「彼女が院を出てから、ずっと来てみたかったのよね。マリアさんって、こんなところで暮らしていらしたのね」
そう言った痩せ女は、修道院でマリアに可愛がられていたシスター・サラだ。
墓守のあばら家を、まるで水晶宮でも見るかのように目を輝かせている。
そのおかげで、目玉ばかりがデカく見えて笑える。
「見てよサラ。素敵なドレスがあるわ。ちょっと着てみてもいいかしら?」
こっちは修道院いち大喰らいで意地汚いシスター・ドロシア。
こいつはまた太ったらしい。マリアのドレスが不憫だからやめろ。
「故人の品にみだりに触れてはいけません。遊びに来たわけではありませんよ」
たしなめたのはシスター・クレイミーだ。
冗談の通じない堅物。まじめが修道服を着て歩いているようなもの。あるいは、マザー・ジェニーンの忠実なるしもべ。
サラやドロシアよりも後輩だが、しっかり者で仕事ぶりもよく、ババアが頓死でもすれば次のマザーを任されるであろう女だ。
今日はこいつがほかのシスターをともなって、元見習い修道女のラニャの慰問にやってきたのだ。
もちろん、わたしもこいつらと同じ釜のパンを食った時期もあったが、今は元修道女のクララではなく、元娼婦のメアリだ。
クレイミーはともかく、ほか二名からは珍獣を見るような目で見られたために、挨拶もそこそこに台所に引っ込み、耳そばだてているというわけだ。
「お姉さまがた、紅茶が入りました」
ラニャが茶を注いで回っている。わたしのところにも通りがけにティーカップを置き、「居づらくさせてごめんね」とフォローを忘れない。おお、我が天使よ。
「あなたの慰問に来たのだから気を遣わなくていいのに」
と、言いつつも、ずぞぞと茶をすする音を添えるサラ。
「でも、お茶を出すくらいには余裕があるみたいで安心だわ。お茶菓子まではないみたいだけど」
てめえが食いたいだけだろうが、ドロシア。
こいつらが来たとなると、今のわたしがクララでないことが惜しまれる。
教会暮らしのころは、飽きるほどにこの姦しい姉妹どもを茶化したものだ。
「シスター・ラニャ、今日はなんでもお話になってね。胃が満ちようとも胸の渇きはそうもいかないでしょう?」
「ありがとうございます、クレイミーお姉さま。でも、私は平気です。メアリさんはよくしてくれますし、クララお姉さまもいらっしゃりますし」
どっちもわたしだけどな。
「シスター・クララのことは負担になってない?」
「平気です。クララお姉さまのお世話は好きですから」
「あなたは生前のシスター・クララを慕っていましたからね」
勝手に殺すな。
わたしは本来の肉体の気配を探り、念じてため息を吐かせてやった。
「ひゃあ! やっぱりクララさん、生きてらっしゃるのね!?」
「しゅ、主教様は、ああああ悪魔の仕業だっておっしゃってたけど……」
細いのと太いのがビビり散らかしている。傑作だ。
「怖がらなくても大丈夫ですよ。眠っていらっしゃるだけですから」
ラニャが言う。
「悪魔を退けたらお目覚めになるって、主教様もおしゃってました。きっと聞こえていらっしゃると信じて、つらいこととか楽しかったことがあったら、お姉さまに告白するようにしてるんです」
マリアの部屋が、しんとなった。
ここからでは見えないが、サラとドロシアは妹分のために鼻の奥を痛めているのだろう。ふたりは単純だが、腹に一物持てない性分は嫌いじゃない。
「こ、こんなに安らかな寝顔なのに、悪魔が憑いていらっしゃるなんてねえ。それにしても、黙っていれば本当に綺麗なかたよね」
なんぞ無礼を宣ったのはサラだ。
「町の人にはあんなににこにこしてたけど、ホントのところは、口だけは悪魔みたいなものだったもんね。あたし、サナダムシでも食べてろだなんて言われたときは、気を失うかと思ったわ」
「ドロシアお姉さま、それはクララお姉さまなりの愛ですよ」
「愛!? サナダムシって、じつは美味しいの?」
「違いますよ。本土のほうじゃ、お腹にサナダムシを飼ってダイエットをするのが流行ってるんですって」
「まあ!」
ドロシアがまっかになるのが目に浮かぶようだ。
ほかの三人はくすくすと笑っている。
「本土のほうじゃ、痩せてる女性のほうがモテるって本当かしら。みんな、こーんなキツいコルセットをしていらっしゃるんだとか」
「そんなじゃ、あたしの足にも巻けないわよ。でも、太ってるほうがお好きな男性もいらっしゃるようだわ」
オブライエン牧師とかな。
「コルセットはともかく、社交界のかたの大きなスカートも素敵よねえ」
「本当。私もあんなドレスを着てダンスをしてみたいわ。ねえ、ラニャ?」
「うーん、私はあんまり」
「好かないの? シスター・クララに向こうのお話をよくせがんでたじゃないの」
「悪口ばっかりだったかな……。それに、大きなスカートの話を聞くと、クリノリンに暖炉の火が燃え移って、大変なことになるって話を思い出して」
「脅かしてるだけでしょ?」
「火が点いたら叩いて消せばいいじゃない」
と、言いつつも、サラとドロシアの声は震えている。
クレイミーが「あんなに大きなスカートだと、裾が燃えても手が届かないんじゃないかしら」と言い、悲鳴が上がった。
正解だ。ちなみに、知り合いに炎のダンスを踊ったやつがいる。
おっと訂正。踊ったやつがいた。
「火事はともかく、本土のほうには一度行ってみたいわね。ロンドンには見どころがたくさんあるって話だし。こっちの灰は見飽きたわ」
「女王陛下にもお目通りしてみたいわねえ。この島では一番偉いかたが、くたびれたカニンガム主教なんですもの」
「その次はマザー・ジェニーン!」
ふたりが「うぇーっ!」と声をそろえ、ラニャが笑った。
「マザーは相変わらずお厳しいんですか?」
「この前会ったでしょ? あのまんまよ」
「シスター・クララがいなくなったぶん、余計に意地悪になった気がするわ」
「クララさんの意地悪は笑えたけどねえ。こうやっておしゃべりをしてるだけでも怒鳴られるのよ。もっと手を動かせとか、さっさと寝ろとか」
「私たちはマザーじゃなくって、主にお仕えしてるのだけど。こんな田舎の島よりも、都会の教区に行きたいわ」
「いっそ、生まれ変わりたい。貴族かジェントルマンの娘がいい」
「そうそう。クララさんみたいに。どうして彼女はビグリーフの修道院なんかにいらしたのかしら」
……。
「おふたりとも、少しはしたないわ」
クレイミーが咎める。
「今日はラニャの話を聞きにきたのよ。そもそも、アマシマクはアマシマクで恵まれた土地だともいえます。本土のほうで猛威を振るう疫病と縁が薄いのですから。いくら灰に覆われても、飢えに窮したかたがたが折り重なるようにして亡くなるほどでもありませんし」
それに。
「シスター・クララは現地で惨状を目にしていらっしゃりますし、ご自身の家が奉仕に積極的でなかったことをお嘆きになっていたことも忘れてはいけません。彼女がここにいらしたのは、天の父の思し召しに違いないでしょう」
「はい、シスター・クレイミー」と修道女たちが返事をした。たぶん、十字を切っただろう。
「高潔な心をお持ちだったからこそ、悪魔が狙ったに違いないですね」
サラはもの分かりがいいな。
「あたしも、今度サナダムシを飲み込んでみます」
それはしなくていいぞ。じつは身体に悪いらしいし。
「マザーや主教様も、悪魔が憑いたからって教会から追い出してしまうのはあんまりだと思います」
「そうですよ。ホントなら、あたしたちがクララさんから悪魔を追っぱらわなきゃいけないはずなのに」
「主教様も本土と連絡を取った上でご決定をなさったのです。今、私たちができることは、姉妹のために祈ることだけです」
再びマリアの部屋に静寂が訪れる。
今度は長い沈黙だった。
「ラニャ、あなたたちが教会に戻ってくるのを心待ちにしていますよ」
祈り終えたクレイミーの声は柔らかだ。
クレイミーは、あのババアの使いっぱしりではあるが、あいつと違って口も小綺麗だし、手を上げることも決してしない。
いつだったか、わたしもババアに頬をひっぱたかれたことがあるが、危なかった。思わず枯れ枝のような腕をへし折ってやりそうになった。
「お姉さまに憑いた悪魔が去って、メアリさんにお父様の仕事を伝え終えたら教会に戻ります」
半分は本音だろう。だが、今の神に見放されたにも等しい境遇のままだと、ラニャが聖書を開かなくなる日もそう遠くはない。
「メアリさんはしっかりやっていらっしゃる?」
「はい。仕事の憶えもよくって。最近はお姉さまのお世話も手伝ってもらっています」
「そう。酒場や港町への出入りも控えていらっしゃるかしら?」
遠巻きに「本当に売春から足を洗ったのか」と聞いているのだろう。
ラニャは特にかばうことなく、「行っています」と、正直に答えた。
主教に咎められるまでは、刈り入れのために深夜に出歩くことも多かった。
それも港どころか、その裏通り、落人どもの集落をだ。
今でも酒場には足繁く通っている。
罪人や殺人鬼の情報収集のために。あとはまあ……酒が旨くてしょうがない。
「怖いわ。男の人をとっかえひっかえだなんて」
「ラニャは絶対、真似してはダメよ」
妹分を心配してのことだろうが、台所にまで届く声量で言うな。
わたしはメアリの身体に客を取らせてはないし、ラニャやコートンが目覚めるまでにはベッドを温めるようにもしている。
「メアリさんは前のお仕事はもうやっていないと思います」
「人が好過ぎるよ。娼婦は一度堕ちたら、死ぬまで娼婦なんて言うもの」
「そうよ。あの人こそ悪魔に気をつけなきゃ」
ラニャがぴしゃりという。「メアリさんに聞こえちゃう」
「私は、メアリさんを信じてる。それに、コートンも母さんは前とは別人になったみたいだって言ってたし」
別人なんだがな。
「まあ、ラニャがそこまで言うなら……。で、コートンくんは実際どうなの?」
「そうよ。どうなの? ひとつ同じ屋根の下なんでしょう?」
舌の根も乾かぬうちに。
サラはこの手の噂が大好きだ。
こいつに限らず、修道院では町の色恋沙汰は定番の議題だが。
「どうって、まじめに働いてるし、勉強もよくやってるけど」
「そうじゃなくって、手をつないだり、将来を約束したりとかよ」
「将来? ないない。コートンはよく、私をお嫁さんにするなんて言ってるけど」
「どうして? 働きものだし、父親は分からなくても、顔は結構ハンサムでしょう? 勉強もしてるんだから、将来は立派なブルジョワジーかもしれないわよ」
ラニャは鼻で笑った。「足が短いから無理」
「足!? 足なんてついてりゃそれでいいじゃない!」
ドロシアが笑った。
「だって、なんだかかっこ悪いんだもの。手だって短いし、そのぶん早く動かなきゃいけなくて、それで忙しそうに見えるのがイヤ」
「イヤって。相手を選べるわけでもないのに」
「選べる時代がそのうち来るって、クララお姉さまは言ってたよ」
「ふうん、来るもんかねえ。でも、そんならあたしも貴族と結婚したいね」
「だったら、私はアメリカの鉄道王がいいわ。一緒に旅をして回るの」
「油田持ちや金鉱山持ちも捨てがたいわねえ。ゴール・ドラッシュ! ねえ、シスター・クレイミーはどんな人が好み?」
叱られるぞ。
……と思ったが、返事がない。
クララに薄目を開けさせて様子をうかがうと、クレイミーはぼんやりと天井を見上げている。
「クレイミーお姉さま、お身体の調子が?」
「あ、いえ。少し考えごとを。ラニャ、仲良くなさるのは結構ですけど、ちゃんとした契りを結ぶまでは純潔でいてくださいね」
「そうそう。知らない男の子どもなんて産んじゃダメだからね」
「もう、ドロシアお姉さま! メアリとコートンに謝って!」
「ごめんごめん。最近は修道院も息苦しくって、つい調子に乗ったわ」
「そうなの?」
「そうよ。食も進まないわ」
ウソつけ。
「ドロシアの言う通り、こうやって堂々とおしゃべりができたのも久しぶりなのよ」
「やっぱり、マザー……あのババアが?」
「ババ……マザーもだけど、ほら、あの……」
サラが言い淀んだ。猫がいなけりゃネズミが遊ぶ、というわけでもないらしい。
「殺人鬼に関する心配の相談や告白が増えているの」
クレイミーが代わりに答える。
「本当に悪魔なのは、あいつ。汝の敵を愛せよとはいっても、私にはできない」
アニェのことは無念だった。ここにいる誰もが、双子の片割れを愛していた。
「でも、私たちもいつまでも泣いていられない。火山が噴火してから、島はどんどんと荒んでいくわ。こんなときこそ、主とのつながりを大切にしましょう」
一同がみたび祈りの時間を作る。
わたしも陰ながら祈祷に加わらせてもらった。
「……お姉さまがた。ひとつ、告白を聞いてもらってもいいですか?」
ラニャが沈黙を破った。
「何でもおっしゃって」
答えるクレイミー。
しばらくして、何か重みのあるものが置かれる音が聞こえた。
それから、ページをめくる音。
「お父様とお母様は、教会に隠れて罪深いおこないをしていたんです」
「これは……確かに罪だけれど、あなたに非はないわ。あなたがマクラさんとマリアさんから受けた愛を疑う必要はありません」
「そうでしょうか。でも、なんだか最近、罰せられてるんじゃないかって気がして」
「そんなことはありません。これは涙の道を歩むようなもの。進めばやがて通り過ぎるでしょう。誰かを救い愛し耐え忍ぶのです。すでにあなたも実践していることですよ」
ラニャは返事をしない。
ドロシアやサラも彼女を励ますようなことを言ったが、あばら屋の隙間から虚しく外へと流れ出た。
「もしも、これが罰じゃないのだとしたら、きっと神様は私を見放されたのよ」
いよいよ出た父への疑い。
ラニャからこぼれていたのは、懺悔や悲しみの涙ではなく、憤怒を孕んだ熱い吐息に思えた。
シスターたちも非難や反論を忘れ、固唾を飲んでいた。
「……今の告白は、ここだけに留めておくことにしましょう」
さしものクレイミーも答えを出せなかったようだ。
彼女は連れ合いのふたりにマザーやカニンガムへの告げ口を禁じた。
「とにかく、教会はいつでもあなたに門戸を開いています。姉妹としても、迷える羊としても。何かあったら、遠慮なく私たちに言って。できる限りのことはしますから」
椅子の引きずられる音が続く。
友人たちの来訪にラニャが少しでも明るくなることを望んでいたが、そう簡単にはいかなかったようだ。
シスターたちが去ろうとすると、コートン少年が仕事を終えて帰ってきた。
彼は暗澹とした空気に気づくことなく、帽子を取って恭しく挨拶をすると、新しくありついた仕事のことをわたしに話し始めた。
「木工屋のウイリアム・ウッドさんのところなんだ。いつもの手伝いじゃなくって、本物の職人にしてくれるって!」
コートンは母にまくし立てるように報告し、ラニャへと胸を張って見せた。
お決まりの「おれが養ってやるから」をくっつけるのも忘れない。
シスターズは顔を見合わせ、くすくすと笑った。
「では、私たちはおいとましますね」
「あ、シスター・クレイミー。少し待ってもらえませんか?」
コートンが呼び止めた。
「今日は蒸留所で樽を組み立てる手伝いをしてたんだけど、そこのオヤジさんと息子さんが大喧嘩を始めてさ。神様がいるとかいないとかで大モメしてるんだ。最近、そういうことが増えたらしくって、親方も困ってるんだ。だからここはひとつ、シスターにお説教をしてもらいたくって」
「どうして、シスター・クレイミーに? お説教ならオブライエンさんのほうがいいでしょう?」
ドロシアがあるのかないのか分からない首をかしげると、コートンは「あの牧師さんは頼りないんだもの」と言った。
「それはそ……うじゃなくって、筋が通らないわ。牧師様にお願いして……」
サラの言葉がさえぎられた。「私が行くわ」
頼まれた当人、シスター・クレイミーだ。
買って出た彼女だったが、どういうわけだが浮かない顔をしていた。
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