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第10節 メアリと首狩り行脚

 ラニャはラミー親子との同居をすんなりと受け入れた。

 一応は「お互いに隠し事はしないこと!」と条件をつけたが。


 そもそも主教からの命令だ。元シスター見習いの彼女が拒絶できるわけがないし、拒否すれば修道院に戻る希望も断たれてしまうと考えたのだろう。


 懸念していたメアリとの関係も良好に感じる。

 本物のメアリならこうはいかなかっただろうが、わたしならマクラへの悪態の件を謝罪し、お産の手伝いに関しても礼を述べ直すことは容易い。

 ラニャは優しい子だ。謝罪を受け入れて以降はこちらをいたわってくれるし、父から継いだ墓守の技の伝授を惜しむ様子もなかった。


 ……ところで、わたしが操っていたマクラへの侮辱を、わたしが操るメアリが謝るって、独り芝居もいいところじゃないか?


 ひとつ、気になることがある。

 メアリはマクラの墓に祈ることを許されたわけだが、じつの娘がそうしているところをいまだに見たことがないのだ。

 ここのところ、ごたついていて、マリアの衣装ダンスの底に置かれた日記に注意を払うのを忘れていたせいだろう。

 ひょっとしたら、横領の件を知り軽蔑したか、それが自分と双子の姉を育てるための苦肉の策だったことや、両親が教会に対して不満を持っていたことなどがないまぜになって彼女を悩ませているのかもしれない。


 不幸のメアリに成りすます生活は楽じゃなかった。

 マクラは黙って仕事だけこなしていればよかったが、メアリには言い寄る連中が相当数いた。

 本当に多い。侮蔑、憐憫、性欲、まれに友情や善意。

 常に貴族の社交パーティー並みの喧しさに、わたしはすっかりくたくただ。


 先の酒場でのひと幕のように、未亡人となったメアリを娶ろうとする者がいた。

 メアリは二十代後半でまだ肌にも張りがあるし、九人も産んだくせに乳房には魅力がたっぷりと詰まっているし、腹こそは横線だらけだったが、クララを百万ポンドの美女だとすれば、五シリング三ペンスくらいは美人といえた。

 無論、わたしは連中に肘鉄を喰らわせ続けた。

 中には、メアリの「本当の商売」にうっすらと気づいていたと思われるごろつきもいたのには肝を冷やしたが。


 だが、お陰でメアリという人間の輪郭が見えてきていた。

 彼女はコートンを孕んだときには酒場のウェイトレスをしていて、貿易会社経営のジェントルマンの寵愛を受けていたらしい。

 いずれは結婚する予定だったのが、相手が死んだか手を切ったかしたせいで、花売りになったようだ。

 女はやけっぱちになると、あっという間に転がり落ちる。


 ほかに厄介だったのは、メアリのツケを回収しにやってくる連中だ。

 酒代だの飯代だの、衣装の仕立て代だのを溜め込んでいたらしい。

 メアリのツケなんて、このクララに覚えがあるはずないのだが、大抵は支払ってやった。

 カネはあるのだ。教会からの正式な給与、これはメアリとラニャのふたりぶん、それからコートンの稼ぎがあり、さらにハロルドの埋葬共済から下りた保険金だ。

 反則めいているが、ハロルドは「忌まわしい死」をしたために教会が遺体を預かって清めることになり、こちらから埋葬に出資をする必要がない。

 にも関わらず、すんなりと保険金が下りたのには少し首をかしげるし、それこそ保険金殺人を噂されるんじゃないかと心配になったが……貰えるものは貰っておくことにした。

 これらのカネを返済に充てることをラニャに相談すると、「償って綺麗になろう」と快諾してくれた。


 カネのにおい、というものはあるらしく、ツケを主張するヤツの中には不審な輩も少なくなかった。

 この手の連中には、不幸のメアリを理解してない脳たりんも多くて、「コンドーム代」や「コートンの親権」などの主張を口にした。

 そんなボケどもは「刈り入れリスト」に記帳しておいた。


 あとは、贔屓の客を追っぱらうのが面倒だ。

 メアリは表向き、「悔い改めて娼婦から足を洗い、主と死者のための従僕となった」ということになっている。

 だが、そんな話は誰も信じようとしないし、いちいちカニンガムの名前の世話になる必要があって邪魔くさくて仕方がない。

 まったく、男の性欲というものは恐ろしいものだ。

 中には、島の統治者ともいえる主教の名を聞いても、メアリの腿に指を這わせるのをやめない男がいたくらいだ。

 そいつは「特殊」なヤツだった。

 メアリは孕んでは殺しを繰り返していたため、乳がよく出る。これを商売の目玉にしていたらしく、このオヤジは「最後の不幸」のぶんのミルクをせがんできたってわけだ。


「可哀想なメアリママの赤ちゃんになりたいでちゅ~」


 ついうっかりグーで殴ってしまった。

 メアリの足だろうが乳だろうが、感じるのはこのクララなんだぞ。ぶち殺すぞ。


 女は女でうざったい。同業者は普段は客を取り合うクセに、メアリが教会から仕事を得たと知るや否や、「いい客を譲るよ」と、引きずり戻そうとする。

 酷いものだとラニャを実子と勘違いして「後継ぎにさせようよ」とそそのかそうとしてきやがった。そいつは「リスト入り」だ。


 正直なところ、わたしだって客を取ることに興味がないわけじゃない。

 だって、お得だろう? 自分の肉体を汚すことなく性交渉を体験できるのだからな。

 これを主教サマにぽろりと漏らしたら、「たましいが穢れるわ、アホ」と言われた。ごもっとも。

 クララに戻ったら、素直に男を漁ってみるのもいいかもしれない。

 わたしのお眼鏡に合うレベルのジェントルマンがいれば、の話だが。

 好色なつもりはない。わたしの肉体は二十を過ぎてもいまだに処女だが、それは貞操そのものが鋼なのではなく、鉄の鎖で屈辱と結びついているせいだ。


 ……わたしの話はいい。

 あと、ほかに寄ってくるといえば、ビラ配りか。

 深夜の会合運動。娼婦救済活動家の連中だ。

 都会がメインの活動場所だったはずだが、こんなクソ田舎の離島まで御足労ありがとうございますだ。

 もっとも、ロンドンじゃ女に石を投げればメイドか娼婦に当たる有様だし、成果が目に見えやすいこっちのほうが、熱心になれるのかもしれないが。


 熱心といえば、コートンもじつに熱心で感心な少年だと思う。

 今の生活になっても朝早くから起きて港に走り日銭を稼いでくるし、メアリと共に墓守の仕事までも学んだ。

 彼には紳士の素質もあるらしく、家ではラニャをあるじとして立てたし、ラニャの聖域であるクララの介護については口に出すことすらしない。

 いっぽうで、妙な輩がメアリやラニャにふっかけると、牙をむき出しにする。がるる、わんわん! グリムは残念だったが、代わりの忠犬が来たようだ。

 夜はラニャと一緒に聖書を広げて勉強に余念がない。

 母親の転職のおかげか、日曜学校や礼拝にも顔を出せるようになったようだ。

 メアリが夜の仕事から足を洗ったことにも喜んでいる様子で、彼は港でそのことを伝えて回っているようだ。


 確かに、こんないい息子を持てば、おのれの身を削ってでも育てたくなる。

 だからといって、弟や妹を産んでは砒素漬けにするのは理解ができないが。

 貧しさというのは、知る余地や考える余地を奪うのだろうな。

 健康な肉体さえあればどうにでもなると思える人間は幸せ者だ。


 メアリはおろかだったが、幸せ者だったのかもしれない。

 コートン少年は、本当によくできた子だ。


「このくらい当然さ。なんでも遠慮なく言ってよ。おれももう十二だし、大人さ」

 最近の彼の口癖だ。可愛いやつめ。

「母さんに苦労はさせないよ。もちろん、ラニャもお嫁にしてちゃんと養うさ。クララさんまで一緒って言われたら、ちょっと困るけど」


 殺すぞ。


 ちなみに、ラニャはコートンの軽口をすべて冗談として流している。

 彼女はやはりマリアの日記を読み込んでいたようだった。

 色ボケのページもずいぶんとあったはずだが、感化された様子はない。

 教会の手伝いは続けているが、自宅で祈る回数が明らかに減っていた。


 さて、刈り入れのリストアップをする生活がひと月ほど経過したとき、メアリとラニャのあいだにようやく信頼関係が結ばれた。

 ラニャが父にも許さなかったクララの肉体の世話を、メアリに任せることがでてきたのだ。

 一抹の寂しさを感じるとともに、わたしはこれを機にクララを車いすに乗せて散歩をする習慣を作った。


 灰さえ降っていなければ、日の当たる地域を散歩した。

 これはなかなか、気分のいいものだ。

 老若男女から注がれるクララへの視線は、悪魔憑きの噂すら突き抜けて、住人たちの芸術への審美眼を鍛えていると実感できたからだ。


 どういうことかって? わたしはやっぱり世界一の美女だということだ。


 車いすを押していると、夜を楽しめないのだけが減点だ。

 酒は出してもらえないし、「病人の世話は大変ですね」だなんて言いながら、窮屈そうにそばを通り抜ける輩に気を遣わなきゃならんし。


 それは置いて、散歩を始めた本目的は刈り入れ……いや、狩りだ。

 たましいの緒の切れたクララに入り込んで鎌を操るのには、「言い難いたましいの疲労感」がともなう。ちょっと手足を動かすだけでも集中力が要るのだ。

 だから、肉体を別の人間の手で対象の前まで持っていく必要があった。


 クララを連れ出す大義名分は得た。

 これまで目をつけるだけつけて手をこまねいていた獲物の収穫祭が始まる。


「罰されても性根までは直らんようだな」


 クララ(わたし)は車いすから立ち上がり、大鎌を振り下ろす。

 凍った炎のやいばが、薄汚い男の首をさっと撫ぜる。

 男は口の端から唾液を垂らしながらゴミ溜めの中に崩れ落ちた。


 これで裏通りも少しは綺麗になっただろう。

 わたしは足繁く出掛け、港の裏通りや落人集落の近辺を徘徊した。


 アマシマク島は流刑地だ。贖罪のための労働に勤しむ連中が大勢いる。

 それでいて収容所の管理が粗雑――というか逃げてもらったほうがスペースが空くし、処刑の理由にもなって楽だから――で、脱獄も多く放置されている。

 落人集落に巣食う犯罪組織は、脱獄者の男で構成されている。

 港の裏通りでひと様の財布や男の袖を引っぱるのは、女の脱獄者だ。


 カスどもの、カスどもによるカスどものための世界。

 暴行、窃盗、強奪、レイプ。これらが息をするようにおこなわれている。

 ここに本土の貴族連中を放り込んだらどんな反応をするだろうか?

 反吐の出る世界だったが、じめじめした墓場をうろつくよりは万倍楽しい。


 そんな世界を寝たきりの美女と娼婦が歩けば、どうなると思う?

 雄猿どもは当然のように、「誘惑している」と宣い、三本目の足をおっ立てながら実行に移してきた。


 島の女神の代行者であるわたしは、クズどもを遠慮なく刈り入れた。

 収穫、収穫、収穫。

 たましいを失った外道の抜け殻を残して、わたしたちは現場を立ち去る。


 眠れる聖女に淫猥な欲望をいだく咎人どもなど、わたしの教義に照らし合わせる必要すらない。

 こいつらのたましいが穢れていないはずがないからな。


 ……もちろん、実際に穢れていた。そう、穢れていたのだ。

 

 たましいの炎の色味や輝きは、個人個人で違うらしい。

 光が弱々しいもの激しいもの、見るからに薄汚れたもの、そんな炎を肉体から切り離し、瓶へと封じ込め続けたわけだが……。


 やはり妙だ。

 マクラやメアリに比べて、落人どものたましいは圧倒的に輝きが足りない。


 不足を裏付けるように、いくらたましいを捧げても、カミサマは一向にわたしのたましいとクララの肉体を結び直すそぶりを見せなかった。

 カニンガムはぶつぶつ言っているが、こっちには口を利きすらもしない。


 何が違う? どうすれば、わたしの罪は償える?

 焦りも手伝い、わたしはごろつきや脱獄者を求めて島をさまよった。

 一晩に複数人ぶんの刈り入れをしたこともある。


 そしてとうとう、カニンガム主教から「やり過ぎだ、バカ」と警告を受け、お散歩をやめることになってしまった。


 わたしの鎌は、たましいこそは刈れど、肉体的な死は呼び寄せない。

 消えたも同然な者ばかりとはいえ、短期間に廃人を量産すれば噂にもなる。


「落人集落で奇病が流行っている」

「罪人どもが天罰を受けている」


 それはまだいい。


「大鎌を持った死神が島をうろついている」


 刈り入れの現場は見られないように細心の注意を払っていたつもりだが、どうやら目撃されたらしい。

 だが、今のところはクララと結びつけられてはいない。

 もしそうなら、「死神」ではなく、「美女」や「女神」と呼ばれるはずだからな。


 ところで、「大鎌」は当然、首狩りの殺人鬼を連想させる。

 幸運なことに、世間は噂をヤツの目撃情報として解釈してくれたようだ。

 あちらはあちらで、仕事熱心な様子だ。

 ハロルド・マグレガー以降、たったひと月のあいだに三人の首が転がった。

 その中にジェイコブの頭は見当たらなかった。

 被害者の選考基準は分からない。老若男女、職や身分の貴賤を問わず。

 下手人は男性ということ以外は詳細不明。

 のべつ幕なくただ殺しと快楽を繰り返すヤツのたましいを捧げてやれば、カミサマも満足するだろうか。


 ヤツは必ず胴体を持ち去り、生首には自身の体液を残すという作法を守り続けている。きっとそれは、ヤツなりのドグマに従っての行動だ。


 大胆不敵で曲げぬ信念。嫌いじゃない。

 同じ狩人同士、いずれどこかで会うだろう。


***

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