1-8
ジゼラはうずくまった状態で肩を震わせながら泣いていた。手元には何かが落ちており、それを優しく撫でている。
刀が届く距離まであと数センチ。そこでコウキの足が止まった。
ジゼラが撫でている物――それは写真だった。十歳くらいの男の子と、その子を抱きしめる優しい表情を浮かべた女性が写っていた。おそらく切りつけた際に落ちたのだろう。
「コウキ、何をしているのです」
固まっているコウキにアミィが声を掛ける。だがコウキは無言のまま、むせび泣くジゼラの背中を見つめていた。
「――母さん」
コウキは無意識にそう呟いていた。我が子を想い、涙を流すその姿が、記憶の中の母の背中と被って見えたのだ。
「……駄目だ」
コウキは苦々しい表情で首を小さく振り、構えを解いた。
「僕に……僕にこの人は殺せない……」
「コウキ!」
その時、背後から突然ジゼラの仲間が襲い掛かってきた。抵抗する間もなくその場に押し倒され、衝撃で手元からアミィが離れる。
コウキは振り向きざまに相手を押しのけようと腕を払う。しかし相手は怯む様子もなくコウキの胸倉をつかみ、その手に握るナイフを振りかざした。
「――やめな」
突然の言葉に、ジゼラの仲間の動きが一瞬止まる。しかしすぐにまたその腕を振り上げた。
「やめろって言ってるのが分からないのかい!」
怒鳴り声と同時に、ジゼラの仲間の体が吹き飛んだ。激しい音と共に壁に叩きつけられ、獣のような悲鳴を上げた。
コウキは戸惑った表情で上体を起こす。その傍らにはジゼラが立っていた。ジゼラはコウキを労うかのように肩をポンポンと叩く。
「大丈夫だったかい、坊や?」
「ジ、ジゼラさん、正気に戻ったんですか?」
「正気? 正気……ねぇ」
コウキの言葉に、ジゼラは手に持つ写真に目を落とす。その肩はまだ小さく震えていた。
「なぁ、坊や。私はねぇ、ギリギリなんだ。この痛みを噛みしめて何とか自分を抑えている状態なんだ。この場にいる連中を皆殺しにしたい気持ちを必死に抑えているんだよ。だからさ、だから真剣に答えてほしいんだ。私の――私の息子は死んだのかい? もう手遅れなのかい?」
ジゼラの消え入りそうな声に、コウキは思わず言い淀む。
「――その質問には、私が答えます」
二人の足元から声が上がる。視線を落とすと先程落としてしまったアミィが転がっていた。
コウキはアミィを拾い上げる。そしてアミィからジゼラの言葉に対する回答が淡々と発せられた。
世界とコウキを取り巻く現状。未知の細菌エチスに対する見解。研究所内でコウキが受けた説明とほぼ同じ内容を、ジゼラは無言で聞いていた。
「――一度変異をした生物はこの細菌に対して免疫を獲得してしまいます。なので彼らを元に戻すのは現状では不可能です。しかし、この細菌の解析が進めば、元の姿を逆算して再変異させることも可能……かもしれません」
アミィの言葉の語尾は歯切れの悪いものであり、それがジゼラの心情を慮って発せられた言葉なのは明白だった。
「そう――かい」
長い沈黙の後、ジゼラは小さく呟いた。
「彼らは――彼らはあんな姿になっても――生きているんだね?」
「はい」
アミィがはっきりと告げる。その返事に、ジゼラはゆっくりと頭上を見上げた。
「あぁ、良かった。彼らはまだ生きているんだ」
ジゼラの声は震えていたが、それには安堵の感情が混じっていた。