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The Great Hope of the Universe  作者: 佐久謙一
第一章 ハローワールド
8/38

1-7

 ジゼラは立ち上がると早歩きで建物に向かった。コウキも無言でその後を追う。

 建物に辿り着いたジゼラは胸ポケットから錆びついた鍵を取り出し、南京錠を開けた。必死な手つきで鎖の封印を解いていく。

 ジゼラは勢いよく扉を開け放ち、中へと入った。コウキもそれに続いていく。扉を開けてすぐに長めのスロープがあり、転ばないよう注意しながらジゼラについていく。建物の中は薄暗く、扉と窓から漏れる微かな光で大まかなシルエットが見えているだけの状態だ。

 コウキはスロープの脇に視線を送り、眉をひそめる。そこにはジゼラが集めたであろう食料品が積み上げられていたのだが、その量はコウキの身長を軽く超すほどのものだった。

 コウキが視線を前に戻すと、建物の中央らしき大きな柱の前でジゼラが止まっていた。コウキも早足でそちらに向かう。

 無数の段ボールや毛布が辺りに散乱し、かつての生活の跡が垣間見える。しかしいくら見渡しても、人の影はおろか、人の死体すら見当たらなかった。

「誰も……いない?」

 コウキはそう呟きながらジゼラに向き直る。ジゼラは無言のまま柱を見つめていた。

「ジゼラさん? ここの人達は一体どこに――」

 そう言ってジゼラに歩み寄ろうと瞬間――コウキは全身に鳥肌が立つのを感じ、小さく身震いした。

 ジゼラの前にそびえたつ柱。それには人の顔があった。一つ二つではない。隙間を埋めるように数えきれないほどの人の顔が敷き詰められていたのだ。笑っている顔。泣いている顔。崩れて顔の形を成していない顔。様々な人間の感情が、そこには刻まれていた。

 コウキは無言のまま柱を視線で辿っていく。その奇怪なオブジェは天井まで続いており、そこに至るまで様々な感情を浮かべた顔をコウキに向けていた。さらに天井一帯には何かが大量に吊り下げられている。目を凝らしてみると、それは人体の一部だった。腕や脚、時には胴体丸ごとが天井からびっしりと生えていたのだ。

 コウキの頭の中に一瞬、樹木を下から見上げた時の記憶が浮かんだ。顔の塊を幹とし、天井の人体を枝葉とした大木。コウキには目の前の光景がそう感じられたのだ。

 コウキは言葉を失い、思わず後ずさる。その時、背後に人の気配を感じて肩越しに振り返った。視線の先、建物の入口にジゼラの仲間達が立ち塞がる様にして立っていた。

 コウキは彼らに助けを求めようと口を開きかけ――すぐにその口を閉じた。彼らのマスクの奥の眼が薄暗い室内で赤く光っていることに気付いたからだ。

「――坊や」

 ジゼラの声に、コウキは肩を震わせる。恐る恐る正面に向き直ると、ジゼラが小さな唸り声をあげながらこちらを見つめていた。彼女も同様に、マスクの眼の奥が赤く光っていた。

「皆は、どこに行ったんだい?」

 ジゼラの声は穏やかだった。ゆっくりと優しく語り掛けるように言葉を発している。

「私の息子はどこだい? 息子はまだ十歳なんだ。まだまだ、目を離せないよ」

「……ジゼラ……さん」

 コウキは絞り出すように言った。

「……言ったはず……です。あれから……何十年も経っていると……。そして……ジゼラさん達も……もう――」

「――坊や」

 その時、ジゼラの口元が文字通りガスマスクごと開かれた。

 吸気口がゆっくりと横に引き裂かれ、その奥から鋭く尖った牙が姿を現した。吸気口の裂け目は耳元まで続いており、牙の奥には爬虫類を思わせる長い舌がぬめぬめと光っていた。

「……ジゼラさん」

 コウキは今にも泣きそうな表情でジゼラの名を呼ぶ。しかしジゼラはそれに答える様子もなく前のめりの姿勢でコウキを睨みつけている。

「坊やぁ……」

 ジゼラの左腕がゆっくりと持ち上げられる。そしてコウキは指差し、唸るようにして言った。

「さぁ、狩りの時間だよ」

 その言葉と同時に、背後から歯車のきしむような音が響いた。コウキは咄嗟に床を蹴って真横に飛んだ。その瞬間、先程までコウキがいた場所に無数の矢が突き立てられた。地面を転がりながら背後を振り返ると、ジゼラの仲間達がコウキに向けてボウガンを構えていた。

「嘘だろ……何で……?」

 コウキが青ざめた顔でそう呟くとホルスターのアミィが淡く光り出す。

「どうやら彼らはジゼラを群れのリーダーとする変異体のコミュニティのようですね。何年も外部で活動している内に変異体となり、かつての行動を繰り返していたと。そして変異の際に衣服が皮膚として取り込まれ、あのような姿になったのですね」

 冷静な分析を呟くアミィに、コウキは苛立たし気な表情を向ける。

「アミィは気付いていたのか? 彼らが変異体だって?」

「確証は得ていませんでした。あれほどきちんと会話のできる変異体は初めて見ましたから。話の違和感を読み取れなければ、私も彼らが生存者だと疑わなかったでしょう」

 歯車のきしむ音が鳴る。コウキが視線を上げると、ジゼラの仲間達がボウガンに次弾を装填していた。

「コウキ!」

「分かってる!」

 アミィの言葉にコウキは小さく頷き、アミィを目の前に突き出す。それとほぼ同時に、ジゼラの仲間達が矢を発射した。

「認証完了! 盾を形成します!」

 その言葉と共に、アミィが変形し、コウキの身体全体を隠すほどの巨大な盾へと変形した。放たれた矢はその盾に次々と弾かれていく。

「面白いねぇ! そんなことも出来るのかい!」

 ジゼラはコウキに向かって突撃し、振り上げた拳を放つ。

 それを盾で受け止めたコウキの体が吹き飛んだ。そのまま壁に叩きつけられ息を詰まらせる。

 さらにジゼラが飛び掛かってくる。コウキは床を転がり、それを回避する。ジゼラの拳が地面に叩きこまれ、床板を貫いた。

「ジゼラさん、やめてください!」

 コウキは必死に叫ぶ。

「何をやめるんだい?」

 ジゼラが聞き返す。

「僕達が殺し合う必要はないはずだ!」

「何言ってるんだい」

 ジゼラが拳を引き抜きながら言葉を続ける。

「こうなったのは坊やのせいだろ? 坊やが変なこと言うから――坊やが扉を開けさせるようなことを言うから――皆消えちまったんだ。だから……だから坊やを殺して元に戻すのさ! 扉を閉めて全てを元通りにするんだよ!」

 ジゼラが腰を落とし、再び襲い掛かってくる。コウキはジゼラの突進を盾で受けつつ、身体を捻り、力を受け流そうとする。ジゼラは前のめりになりながらその場で踏ん張り、盾の端をつかんだ。そのまま盾を引きはがそうと力を込めた瞬間、コウキはアミィを元の形状に戻し、後退する。

「コウキ、何故戦わないのですか?」

 アミィが静かな声で言った。

「彼女はこちらに敵意を持っています。速やかに排除するべきです」

「排除って……出来るわけないだろ! ついさっきまで普通に会話してた人だぞ!」

「グールは排除出来ていたではないですか」

「それとこれとは話が違うだろ! 僕はジゼラさんがまだ人間だと思ってる!」

 ジゼラが左手を掲げる。それと同時に入口で待機していた仲間達が一斉に矢を放った。コウキは再び盾を形成し、それを受ける。

 コウキの動きが止まったのを見計らって、ジゼラはコウキに突進する。かわしきれず、まともに体当たりを受けたコウキはそのまま壁に叩きつけられた。とてつもない衝撃に、胃の中身が吐き出される。

「このまま殺されるつもりですか? あなたにはやるべき使命があるのですよ」

「使命って……知らないよ、そんなこと。それにどうせ僕は元々――」

 ジゼラの手がコウキの首をつかみ、ジワジワと力を込めていく。コウキは唸るような声を上げ、暴れるがジゼラの腕はピクリともしない。

 呼吸の出来ない苦しみが、徐々に体を蝕んでいく。自分の名を呼ぶアミィの声がどんどん遠くなっていくのが分かる。

 ――死。

 コウキの中に初めてその言葉が重くのしかかった。

 これまで漠然とイメージし、半ば心の中で渇望していたものだったが、直に与えられる苦しみによって、初めて恐怖を覚えたのだ。

 ――嫌だ。

 コウキは歯を食いしばりながらアミィを強く握りしめる。

「ふざ……け……」

 コウキは絞り出すようにして言った。それに反応するようにアミィが淡く光り出す。

「ふざけんなっ!」

 コウキが叫ぶと同時に、アミィが刀形態に変形した。そして形成された刀をジゼラの腕に向かってがむしゃらに叩きつけた。

「ぐっ!」

 ジゼラの腕から鮮血が迸り、苦痛の声が漏れる。さらにコウキはジゼラの体に向かって刀を斜めに振り下ろした。

 ジゼラの悲鳴と共に再び鮮血が舞った。コウキの首からジゼラの手が離れる。

「……ふざけんな……畜生……死んで……死んでたまるか……!」

 コウキは咳き込みながら、力強く叫んだ。刀を構え、目の前のジゼラを睨みつける。

「……あああぁぁ、い、痛いぃ……!」

 ジゼラは悲痛な声をあげながら後方によろめき、そのまま崩れ落ちるようにして膝をついた。傷口からあふれた血が衣服を真っ赤に染め上げている。出血は多いが、腕の力だけで叩きつけたせいか、腕と胴体の傷はどちらも致命傷とは言えなかった。

 コウキは腰を落とし、呼吸を整える。

「確実に……殺す……首を……はねるんだ……」

 自分に言い聞かせるように呟きながら、刀を構えた。

「コウキ。彼女の動きが止まりました。今のうちに確実に仕留めるべきです」

「……あぁ、分かってるさ」

 アミィの言葉に、コウキはゆっくりと頷きながらジゼラの背後に回り、じりじりと近付く。

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