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The Great Hope of the Universe  作者: 佐久謙一
第一章 ハローワールド
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1-6



 キャンプへの道中、特に会話は無かった。時折遠目に四足歩行の獣の影が見えることはあったが、こちらの人数を見てすぐに姿を消していた。道のりはお世辞にも優しいとは言えず、急な傾斜やぬかるんだ道が続いていたが不思議と息が切れることは無かった。おそらくアミィのいう遺伝子改造の成果だろう。

 ジゼラのキャンプが見えてきたのは、歩き始めておよそ一時間後のことだった。

 それは周りを金網に覆われた十メートルほどの建物だった。丸型の屋根のコンクリート製で、全体の形は体育館に似ていた。建物の手前の広場には無数のテントと土嚢が設置されており、見張りらしき人物がキャンプ中央にある大きな焚火の側に立っていた。

「ようこそ私のキャンプへ」

 ジゼラが背負っていたナップサックを下ろしながら言った。コウキは建物を見上げながら感嘆の息を漏らした。ちゃんとした建物を見るのは研究所以来だった。

「すごいですね。道中は崩れた建物ばかりだったのに」

「あぁ、確かにね。ただ私らがここに避難してきた時はまだ周りもこんなんじゃなかったんだ。全部キリンに喰われちまったのさ」

「キリン?」

 コウキはジゼラを振り返る。

「キリンってあの首の長い?」

「そうだけど? あいつらコンクリートを食べるだろ?」

 ジゼラは当然と言った様子で言葉を続ける。

「しかし息も切らさずに着いてくるなんて、中々やるじゃないか坊や。ほら、ご褒美だよ」

 そう言って、ジゼラはナップサックから缶詰を取り出してコウキに放った。コウキは慌てた様子で缶詰をキャッチする。それは鯖の缶詰だった。

「坊やにはまだ得体の知れない生物の肉には抵抗があるだろうからね。私からの餞別さ」

「あ、ありがとうございます」

「本当はマスクも上げたいんだけど、あいにく予備がもう無くてね」

「いえ、これだけで十分です」

 コウキはぺこりと頭を下げてお礼を言った。ジゼラは楽しそうに鼻を鳴らしながらナップサックを抱えて建物の方に歩き出した。コウキも無言でそれについていく。

 入口に着いたところでコウキは眉をひそめて足を止めた。そこには両開きの扉があったのだが、何故かレバーハンドルには鎖が何重にも巻かれ、大きな南京錠が取り付けられていた。

「……あのジゼラさん。あの扉は?」

「うん?」

 ジゼラは振り返り、コウキの視線を辿って厳重に閉められた扉に顔を向ける。

「あぁ、あれ? 外は危ないから鍵をかけてるんだ。奇妙な生物に襲われるかもしれないし、ウイルスに感染するかもしれない。外開きで中から鍵を掛けられないから、仕方なく外から鍵をかけてる。何、ワクチンが出来るまでの辛抱さ」

 ジゼラはそう言って扉の脇に移動する。そこには小さな小窓があり、ジゼラはナップサックの中身を小窓に次々と放っている。

「外で見つけた食料は中の人達に優先的に回しているんだ。生物の肉は汚染されてるかもしれないから私達が消費するようにする」

「中の人?」

「あぁ。子供や年寄りなんかの戦えない人達だ。中には私の息子もいる」

 食料を入れ終えたジゼラは大きくため息を吐きながら振り返った。

「私らは元々ここから少し離れた小さな町に住んでたんだけどね。ウイルスで狂暴化した動物に襲われて町を追われることになったんだ。そして生き残った住民を連れて移動している内にこの建物を見つけたんだ。武器も物資もほとんど残っていない。そこで私達は二つのチームに分かれることにした。外に出て物資を集めるチームとそれ以外とに。どっかの政府機関が作っているっていうワクチンが完成すればこの事態は収まると信じてね」

 ジゼラは小さく首を振り、再びため息を吐く。

「もう息子には長いこと会ってない。早くこのマスクを取って息子にキスしたいよ」

 話を聞いていたコウキは自身の手に握られた缶詰にそっと視線を落とす。

「……あの、これ貰っても良かったんですか? 貴重な食料なのに」

「ん? あぁ、いいんだよ。今回の遠征は比較的食料がたくさん手に入ったしね。さぁ、食事にしようか」

 コウキは静かに頷き、ジゼラのあとについていった。

 焚火の周りにジゼラの仲間達が集まっていた。グールの肉を太い枝に突き刺し、焚火の炎で焼いている。コウキはそれを遠巻きに眺めながら近くの土嚢に腰を下ろした。缶詰を取り出し、タブを引っ張って蓋を開ける。

 隙間なく詰められた魚肉を見た瞬間、コウキは猛烈な空腹感に襲われた。今すぐ獣のように貪りつきたい衝動を抑えるように大きく息を吐くと、鯖の一切れをつまみ上げ、口に放った。

「……うま」

 思わず口から漏れた言葉はそれだけだった。その後は無言のまま食事を続けた。そして最後の一滴まで汁を飲み干した時、コウキは何とも言えない満足感に満たされていた。

「……誰の台詞だっけ。人が一番生を感じるのは物を食べてる時だって」

 コウキは空になった缶詰を眺めながらポツリと呟く。

「ずっと前から自分を捨ててしまおうと考えてたけど、自分を繋ぎとめる食事は止められなかった。結局生きることを捨てるなんて出来なかったんだ」

「――それが正常な人間ですよ。異常であることを誇るのは愚か者の所業です」

 コウキは缶を脇に置いてアミィに顔を向ける。アミィは小さな声で言葉を続ける。

「食事は済みましたか? それでは彼らとは別れて生存者の捜索に向かいましょう。長居は禁物です」

 アミィの言葉に、コウキは怪訝な表情を浮かべる。

「……アミィ、ずっと気になってたんだけど――どうして彼らのグループとそんなに離れたがっているの? 食事をくれたり良い人達じゃないか」

「……コウキ、彼女の話をちゃんと聞いていましたか?」

「うん? ジゼラさんの事? 戦えない人達を避難させて、危険を顧みずに仲間と一緒に物資を集めて――」

「本当に彼女の話の違和感に気付きませんでしたか?」

「……どういうこと?」

 コウキは眉をひそめて尋ねる。アミィは一呼吸間を置いて、言葉を続ける。

「エチスによる騒動が世界規模で発生し、初めて国民に細菌の存在が認知されたのは二○三三年です。GHUによる緊急声明を覚えていますか? その後、ワクチン開発が間に合わず、人間への感染、変異が次々と発生し、世界は終焉を迎えたのです」

「あぁ、知ってるよ。テレビで大々的に報道されて、僕もその放送を見てワクチンの臨床試験に応募して――」

 そこまで言って、コウキは言葉を止めて視線を前方に向ける。視線の先には焚火の傍に座り込んでいるジゼラの背中があった。

 コウキは無言で立ち上がり、ジゼラに向かって歩き始めた。コウキの気配に気付き、ジゼラが肩越しに振り返る。

「おや、食事は終わったのかい? 悪いけど御代わりは無いよ。何ならこの肉、試しに食ってみるかい?」

 ジゼラがそう言って、手に持つ肉を軽く振りながら言った。ジゼラはガスマスクを付けたままだった。にもかかわらず、その肉には噛み千切られた跡があった。

「……あの、ジゼラさん。質問があるんですけど――」

「……コウキ!」

 アミィが低い声でコウキの名を呼ぶが、コウキはそれを振り払うようにホルスターを掌で覆った。

「うん? 何だい?」

 ジゼラが咀嚼音をさせながら言った。コウキは決心したように息を吐くとゆっくりと口を開いた。

「その……ここに逃げてきてどれくらい経ったか覚えていますか?」

「どれくらいって――」

 ジゼラは首を傾げながら答えた。

「さぁ、どれくらいかねぇ。ここには時計もカレンダーも無いしねぇ」

「テレビでワクチン開発の臨床試験を募集していたのは覚えていますか?」

「あぁ、それなら覚えているよ。世界の希望だとかいう胡散臭そうな企業ね」

「僕はその臨床試験に応募したんです。それで僕はここまで連れてこられたんです」

「へぇ、そうだったのかい。それで結果はどうなったんだい? ワクチンは出来たのかい?」

「四十四年前の話です」

「うん?」

 コウキははっきりとした口調で告げた。

「ワクチンを開発するとテレビで発表したのは四十四年前の話です。ジゼラさん、その放送を見たことがあるんですよね?」

「……へい、ちょっと待ちな」

 ジゼラは手を振ってコウキの言葉を遮る。

「あの放送から四十年以上経ってるって?」

「はい」

「それじゃあ坊やはいくつなんだい? とても四十歳以上には見えないね」

「僕はあの研究所で冷凍保存されていたんです。信じられないかもしれませんが」

「あの研究所って?」

「僕がいた建物です。気付いてませんでしたか? あれがワクチンの開発を行っていたGHUの研究所です」

「あの廃墟が……?」

 ジゼラは小さく首を振った。

「とても信じられないね。もしその話が本当だったとしたらワクチン開発は失敗したってことだし、私はヨボヨボのお婆ちゃんになってるはずだし――」

 ジゼラはコウキの背後にある建物に顔を向ける。

「私の――息子は――」

 ジゼラの声は震えていた。

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