1-5
「――私に触れるのはやめておいた方が賢明ですよ。コウキ以外の人間が触れると、その手を切り刻んでもいいようプログラムされてますから」
アミィが冷たい声で言い放つ。その発言を受け、ガスマスクの人物は伸ばす手を止めた。
「ほぉ、驚いた。この刀も喋るのかい。いや――」
ガスマスクの人物はゆっくりと首を振りながらコウキに向き直った。
「今や物が喋るのなんて珍しくもなかったね。ウチのキャンプにもね。いるんだよ。喋る石ころが。ただ最近喋らなくなっちまってね。死んじまったのかな? それともただの石になっちまったのか」
そう言ってガスマスクの人物はボウガンを肩に担ぎ、左手を上げて何かのサインを送った。それに合わせて周囲から無数の足音が鳴り響いた。
コウキが辺りを見回すと、目の前の人物同様にガスマスクを付けた作業服の集団がこちらに近付いてきていた。
コウキは咄嗟に身構える。しかし彼らはコウキを一瞥することなくコウキに覆いかぶさっていたグールの死体を数人がかりで押しのけてくれた。
「…………」
死体から解放されたコウキは困惑した表情でガスマスクの集団に視線を向ける。
「驚かせて悪かったね。まともな人間を見たのは久しぶりだからさ」
そんなコウキに最初に話しかけてきたガスマスクの人物が言った。
「見たところアジア系? 英語は分かるかい? あー、ハロー? ニーハオ? コンニチワ?」
「あ、はい。言ってることは分かります」
コウキは頷きながら答えた。ガスマスクの人物はゆっくりと頷きながら、コウキにそっと手を差し伸べた。
「あぁ、良かった。英語は分かるのかい。綺麗な発音だね。生まれはこっちの方なのかい?」
コウキは無言のまま差し出された手を取って立ち上がった。どうやら自分は無意識に英語を喋っていたらしい。
「いえ、生まれは日本です。こっちに来たのは――その、つい最近の事で」
「最近? 旅行か何かで来た時に感染騒動に巻き込まれたのかい? 難儀なものだね」
ガスマスクの人物は肩をすくめながら言った。
「まぁ、こうして会ったのも何かの縁だ。良かったらウチのキャンプに寄っていきなよ。物資はあまり無いけど、お茶くらいなら出せるよ」
立ち上がったコウキの肩をポンポンと叩きながらガスマスクの人物は言った。
「そういえばまだ名乗ってなかったね。私はジゼラ。ドイツ系アメリカ人だ。坊やの名前は?」
「えっと、僕はコウキって言います」
「オーケーコウキ。それでそっちの刀ちゃんの名前は?」
ガスマスクの人物――ジゼラはそう言ってアミィに顔を向ける。アミィは無言のままだった。
「どうやら嫌われちまったみたいだね」
ジゼラは肩をすくめながら言った。コウキは愛想笑いを浮かべながらアミィを球体に戻すと腰のホルスターに収めた。
「ほぉ、形を変えられるのかい。便利だねぇ」
ジゼラは感心したように呟くと、コウキに背を向け、周囲の仲間たちに視線を向けた。それに釣られるようにコウキも周囲に目を向ける。
その瞬間、コウキは顔を強張らせた。ジゼラの仲間たちがナイフでグールの死体を解体していたからだ。切り裂いた腹部から慣れた手つきで内臓を掻き出し、切り取った四肢をロープで束ねている。
「……あの、何をしているんですか?」
コウキは思わずそう尋ねる。
「ん? 何って肉の解体作業さ。仕留めた獲物はさっさと解体しないと痛んじまうし、血の臭いで動物を寄せ付けちまうからキャンプで解体するわけにもいかないからね」
ジゼラは当然と言った様子で答える。その言葉にコウキは驚いた顔でジゼラを見る。
「もしかして……あれを食べるんですか?」
「うん? そうだよ。貴重なタンパク源さ。正直臭くてあまり美味くは無いんだけどね」
「ちょっと待ってください。あれ――」
――人間ですよ。
そう言いかけたコウキは言葉を飲み込んだ。襲われた弾みとはいえ、グールを何匹も手にかけたのを思い出したからだ。
「まぁ、坊やの言わんとしてることは分かるよ。でも周りを見てみな。まともな食料なんて望めない世界さ。テレビでやってたワクチンをさっさと完成させてくれるまでは、こうして食い繋ぐしかないのさ」
ジゼラはそう言って、左手を掲げる。それを合図にするように周囲の仲間たちが解体した肉を抱えて立ち上がった。
「さぁ、キャンプに戻ろうか。坊やはどうする? 無理にとは言わないけど」
ジゼラの言葉にコウキは無言で俯いた。暗い表情のまま視線をさまよわせる。
「……コウキ、彼らのグループとはすぐに別れるべきです」
アミィが小さな声で呟いた。コウキはアミィにそっと触れ、小さく首を横に振った。
「あの、ジゼラさん。ついていってもいいですか?」
コウキは顔を上げてそう言った。この世界で出会った人間とすぐに別れたくないという思いがあった。
「――あぁ、いいよ。ちょっと距離あるから覚悟しておきなよ」
ジゼラは楽しそうな口調でそう返した。
コウキは振り返り、自分が先程までいた研究所を見上げた。灰で覆われた看板にはうっすらと建物の名前が刻まれている。
『The Great Hope of the Universe』
かつて世界の希望とうたわれたその研究所は、なんとか建物の形を保っているだけの廃墟と化していた。