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「こんな化物がまだいるっていうの?」
「グールに限らず――ほぼ全ての生き物が、こういった変異体になったと見ていいでしょう」
コウキの首が窓に向く。
かつて見知った世界とは完全に変わってしまった光景。まるで突然趣味の悪い異世界に放り込まれたような錯覚。
「こんな……」
コウキは絞り出すようにして言った。
「こんな世界で……何をどうしろって言うんだ。いっそのこと僕も化物の仲間入りをしていたほうが良かったんじゃないのか!?」
「――コウキ」
今にも泣きだしそうな表情のコウキに、球体は力強い声で言った。
「私があなたを守ります。例え何があろうと、私はあなたの味方です」
コウキは視線を落とし球体を見つめる。そして手を動かし、そっと球体の表面に触れた。
「…………」
不思議な感覚だった。先程まで決壊しかけていた自分の感情が嘘のように静まり返っていた。コウキは感触を確かめるように、ぎゅっと球体を握り締めた。
「君は――」
コウキは球体をホルスターから取り出し、顔の前まで持ち上げる。
「君の名前は何て言うの?」
「名前――ですか?」
球体は一瞬沈黙し、やがて静かな口調で言った。
「私に名前はありません。武器としてはまだ試作段階であり制式名称も決められていません。なので、好きに呼んでもらって構いません」
その言葉を受け、コウキは球体を見つめたまま顎に手をやる。
「それじゃあAIだからアイでいい?」
コウキはおどけた様子で言った。
「……その、もう少しちゃんと考えた名前を付けてくれませんか?」
球体が不満そうに言った。
「いきなり好きに呼べって言われてもさ」
コウキは困った表情で微笑む。
「……せめてもう少し……アイ……イム……アイムミー……」
球体が不満そうにブツブツと呟いている。その仕草がとても人間臭く感じられ、コウキは思わず吹き出す。
「コホン。失礼しました」
球体が咳払いするかのように呟き、言葉を続ける。
「それでは今後私の事はアミィと呼んでくれませんか?」
「アミィ?」
「はい。コウキから貰ったアイと私の――いえ、何でもありません。とにかく私は今、自分をアミィと命名しました」
球体――アミィは慌てた様子でそう言った。その様子にコウキは眉をひそめて顔を近付ける。
「……君って本当に人工知能なの? すごく人間臭いんだけど」
「人間臭いのは当然です。私には人格が――人と同じ感情があります。人間のように考え、怒り、恐怖を感じる人工知能なのです」
「そう、なんだ」
「どうしました?」
「いや――」
コウキは小さく首を振りながら自嘲気味に笑う。
「何だか――すごく久しぶりに人と会話した気分だったから。かつていた世界はもっと人が一杯いたはずなのにさ」
「四十年以上経過しているのですから当然でしょう」
「……いや、そういうことじゃなくて」
人工知能の割にちょっと天然だなとコウキが考えていると、アミィが小さな声で呟いた。
「どうやらお喋りの時間は終わりのようです」
アミィの声と共に、床を踏みしめる音と小さな唸り声が聞こえてきた。コウキがはっとした表情で顔を上げると、カフェテリアの入口に人影が二つ見えた。手足が異様に伸びたシルエットから人間でないのは明白だ。
「まだ気付かれてはいないようです。コウキ、急いで身を隠して」
アミィの言葉に、コウキは慌ててカウンター脇に身を隠した。それと同時にすぐ隣をグールが通過していった。
高鳴る心臓の鼓動を押さえるようにコウキは胸を手で押さえる。二匹のグールはコウキに気付いた様子はなく。仲間の死体に顔を近付け臭いをかいでいる。
「彼らは目の前の餌にご執心の様です。今のうちに外へ出ましょう。あの二匹が入ってきた入口を抜けて廊下を右へ。五十メートルほど進めば外へ出られます」
コウキは頷きながら、静かに移動を始めた。屈んだグール達から聞こえる不快な咀嚼音に顔をしかめながら、彼らが入ってきた入口に向かう。入口の先は廊下がトの字に伸びており、正面奥は瓦礫に埋もれていた。
入口まで辿り着いたところでコウキは肩越しに二体のグールを確認する。彼らがまだ死体に夢中なのを確認すると、安心したように息を吐きながら正面に向き直る。
その瞬間、廊下の右手から一匹のグールが姿を現した。コウキとグールの目が合い、互いの姿を認識する。
グールが赤い眼を見開きながら、大きく口を開ける――と同時に、その首が宙を舞った。コウキが意識する間もなく刀を形成し、グールの首を跳ねたからだ。
グールの倒れる音と、背後から上がるグールの声。それを合図にするかのようにコウキは一目散に廊下をかけ出した。
出口はすぐに見えた。元々は自動ドアがあったのだろうが、今はガラスが割れ、何もない真四角の空間がぽっかりと空いている。
外に出たコウキは淀んだ空気とむせ返るような悪臭に思わず口元を押さえた。足元がふらつき、前のめりによろける。
「コウキ!」
アミィが叫ぶ。コウキが振り返ると、目前までグールが迫ってきていた。
コウキは刀を構え、向かってきたグールの喉に向かって刀を突き出した。グールの勢いもあって、刀は一気に根元まで飲み込まれ、鮮血が迸った。どす黒い血が噴水のように湧き出て、コウキの顔を赤く染める。
グールの力がガクンと抜け、コウキに覆いかぶさる形で倒れこむ。コウキはグールの体重を支え切れず、そのまま死体と共に倒れた。
「クソッ! 死体がっ!」
その背後からもう一匹のグールが近付いてくるのが視界に入り、コウキは死体をどかそうと必死にもがく。しかし死体は砂袋のようにズシリと重く、とても動かせそうになかった。
グールが雄叫びを上げながら腕を振り上げる。コウキは恐怖で顔を強張らせ、息を呑んだ。
その時、どこからともなく風を切るような音が鳴り響き、一拍遅れて一本の矢がグールの胸に突き立てられた。グールが唸り声をあげながらよろめいている。
続けて無数の風切り音。それと共に次々とグールの体に矢が撃ち込まれていった。
コウキは呆然とした顔でグールを見つめていた。何本もの矢を打ち込まれたグールは苦しそうな表情で呻いていた。両手で体を必死にかばっている様を見て、何だか哀れなように見えた。
「撃ち方止め!」
頭の方向から声が聞こえてきた。コウキが顔をそちらに向けると、こちらに歩み寄ってくる人物が見えた。
まずコウキの目に止まったのは、顔に取り付けられたガスマスクだった。頭全体を覆う構造でその表情は見えない。服は枯草色の作業服を身に着けており、厚手の手袋に革のロングブーツと、肌を一切露出していなかった。背中には大きなナップサックを背負っている。
ガスマスクの人物はコウキのそばで足を止めると、グールの死体とコウキに交互に顔を向け――その手に持つボウガンをコウキに向けた。
「え、ちょっと待って! 撃たないで!」
コウキは慌てて叫んだ。
「ほぉ、喋った」
その反応に満足するかのように、ガスマスクの人物は呟いた。くぐもった声だったが女性の声だった。
「お前さんがあの建物から出てくるのを見ていたよ。随分と変わった刀剣を使っているね。ちょっと見てもいいかな?」
ガスマスクの人物はグールの喉を貫いた刀に顔を向け、そっと手を伸ばす。