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The Great Hope of the Universe  作者: 佐久謙一
第一章 ハローワールド
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1-3



「研究者の間ではこの細菌の事を“エチス”と呼んでいます。二○三二年にアラスカ南部にて発生したと見られています」

 コウキは顔を伏せたまま床に座り込んでいた。そんなコウキに球体が淡々と言葉を投げかけている。

「セアル島では多数の突然変異が観測されました。当初は放射能による影響と考えられていましたが、GHU創設者であるジェリオ博士は早期の段階で細菌によってもたらされた突然変異であることを提唱していました。ですが、各機関や研究者に否定され、思うように対策を講じる事が出来なかったのです」

 コウキは無言のまま球体の説明を聞いていた。頭の中では混乱、恐怖、悲哀と様々な感情が入り乱れていたが、球体の声を聞いている内に、徐々に自分が落ち着きを取り戻しているのを感じていた。

「この細菌の特徴は何と言っても変異促進機能です。近年の研究によりダーウィンの進化論が否定されたのは記憶に新しいと思います。短いポリペプチド鎖の形成でも有用な機能を生み出すのは天文学的な確率とされており、不完全な理論とされているからです。しかしエチスは全ての動植物が持つジャンクDNAに干渉し、他の遺伝子配列を取り込む力を持っていたのです」

「……その、もっと分かりやすく説明してくれないか?」

 コウキは思わず説明を遮った。球体は軽く咳払いをするかのように、コホンと呟いた。

「失礼しました。会話の知能レベルをもう少し下げさせていただきます」

 馬鹿にされたような物言いに、コウキは思わずむっとした表情を浮かべる。そんなコウキに構わず球体は言葉を続ける。

「DNAという言葉はご存じですね? 簡単に言うとあらゆる生物の設計図のようなものです。本来は染色体やゲノム等についても知っておくべきですが、これは講義ではないので割愛させていただきます。そして人間の設計図ですが、実は人体の構成に有用な設計図は三パーセントほどで、残りの九十七パーセントは使用用途が分かっていません。これを日本の生物学者による命名でジャンクDNAと呼んでいます」

「それを、この世界に広まった細菌がどうにかしたってこと?」

「そうです。簡単に言うと突然変異を発現させたのです。それもただの変異ではありません。生命体どころか有機物と無機物すら関係なく、あらゆる物質を設計図の中に取り込んでしまうという極めて乱暴な変異だったのです。それにより私達が知る世界は一変してしまいました。全ての生物は種の壁を越えて異種交配し、自らの意思を持った無機物が動き回る異様な世界が生まれたのです」

「でも、ワクチンは出来たんだろ? それでどうにか出来なかったの?」

「厳密に言うとワクチンは完成していません。エチスの力は想像以上だったのです。従来のワクチンのように弱らせた細菌を体内に取り込み免疫を獲得、といった手順はエチスには通じませんでした。どれだけ弱らせようと何かしらに変異してしまうのです。そこで博士は考えました。ならば元の姿を保つ形で変異をさせてしまえば良いと。しかしこれは不安定かつ、非常に時間のかかるものでした」

「時間……」

 コウキはそう呟き、先程球体から告げられた言葉を思い出した。

「そういえば、僕がここへ来てから四十年経ってるとか言ってなかった?」

「はい。四十四年の歳月が流れています。ちなみにここはあなたが訪れた日本支部ではありません。現在地はアメリカ東部メリーランド州。あなたの身体は冷凍保存されたのち、こちらに輸送されました」

 コウキは慌てた様子で窓に顔を向け、そこに映る自分を凝視する。困惑した顔で見返してくる自分の姿が、かつて見知った若い姿のままであることを確認し、安堵の息を漏らす。

「ご安心を。あなたの肉体年齢は十五歳のままです。元の姿のままに変異させたことでエチスに対する完璧な免疫も持っています。これほどの成功例は非常に珍しいのです。何せ免疫保持者はあなたで二人目なのですから」

 コウキは視線を落とし、球体を見つめる。

「二人?」

 コウキは研究所に訪れた際にいた大量の志望者のことを思い出していた。

「他の人達はどうなったんだ?」

「それは――」

 その時、球体の言葉を遮るように、背後から物音が鳴り響いた。

 それはカフェテリアの扉を開く音だった。蝶番のきしむ音が、まるで獣の歯軋り音のように鳴り響く。コウキはゆっくりと振り返り、扉の方に顔を向け――その顔を一瞬で青ざめさせた。

 コウキは最初、そこに人が立っているのかと錯覚した。しかしその眼は真っ赤に充血し、耳まで裂けた口からは肉食獣を思わせる牙が覗いていた。腕は肩から足元まで伸びており、手には無数の鉤爪が生えている。体毛らしきものは無く、身体全体が爬虫類を思わせるざらざらとした皮膚で覆われていた。

 突然現れた謎の化物は、赤い眼をコウキにまっすぐ向けている。口から漏れる涎と唸り声が、決して友好的ではないことを物語っていた。

「……何だよあれ」

「あれが――他の被検体の末路です」

 球体は淡々と告げた。

「エチスの突然変異により元の姿でいられなくなった変異体。姿に多少の差異はあれど、大半の人間はあの姿に変異します。欲望のままに肉を貪る化物――あれを私達はアラビア伝承の怪物になぞらえてグールと呼んでいます」

 コウキの口から声にならない恐怖の呻き声が漏れる。目の前の怪物――グールは口元から蛇の様な長い舌を覗かせ、舌なめずりしている。

「――コウキ!」

 球体が声を上げる。それを合図にするかのようにグールは、音も無くコウキに向かって突進してきた。

「私を手に取って!」

 その瞬間、コウキの身体が文字通り勝手に動いた。まるで早撃ちのガンマンのように素早くホルスターから球体を手に取り、目の前のグールに向かって突き出す。

「認証完了! 刀を形成します!」

 球体がそう告げると同時に、光を放つ。次の瞬間、球体が棒状に伸びたかと思うと、その形状が一瞬で刀剣のような形に変化していた。刃長六十センチ程の片刃の剣――いわゆる日本刀の形状だった。

 コウキは無言のまま刀を両手で持ち、剣先を後ろに下げて構える。右足を引いて左半身を相手に向け、落ち着いた様子で息を吐いた。目の前のグールが奇声を上げながら長い腕を振り上げる。そしてそれをコウキに向かって力任せに振り下ろした。

 次の瞬間、コウキは大きく踏み込むと同時にグールの胴体を思いっきり切り払った。肉と骨が切断される確かな手ごたえと共に、コウキはグールの脇を通り抜ける。

 束の間の静寂――それを破るようにグールは血と臓物をまき散らしながら崩れ落ちた。

「…………」

 コウキは呆然とした顔でグールと刀を交互に見る。自分の手首が動き、刀に付着した血を振り払う。

「……何なんだよ、これ」

 そう呟くと同時に、刀が一瞬光り――再び元の球体へと戻った。コウキはそれを当然のように慣れた手つきでホルスターに仕舞った。

「見事な剣さばきでした、コウキ」

 球体は淡々と言葉を続ける。

「これが私の力です。私はあなたの意思を読み取り、あらゆる形状の武器に変化する事が出来ます。刀だけでなく盾や銃にも変化する事が出来――」

「そういうことを聞いてるんじゃない!」

 コウキは声を荒げて叫ぶ。そして険しい表情で球体を睨みつけた。

「何で僕はこの武器の使い方を知ってるんだ!? 何で僕は今、当然のように刀を扱えたんだ!? 僕は剣道すらやったことないんだぞ!」

「それは――」

 球体が一瞬言い淀む。そしてまるでため息を吐くかのように小さく唸ると、ゆっくりと言葉を続けた。

「隠すつもりはありません。私はあなたの設計図を書き換えました」

 その言葉にコウキは眉をひそめる。

「設計図?」

「はい。あなたにエチスへの免疫を持たせる際に遺伝子を書き換え、私を使用するうえで必要な知識と身体能力を組み込みました。他にも多数の言語を使用する能力や、格闘能力など。イメージとしてはあなたの記憶をあなたそっくりの別の肉体に移し替えた――といった感じでしょうか」

「そんな……勝手な……」

「確かに勝手な行いです。ですがあなたはここに自分を捨てに来たのでしょう?」

 球体の言葉にコウキはその場に座り込んだ。返す言葉が何も思い浮かばなかった。

「大丈夫ですか? コウキ」

 球体が心配そうに声を掛ける。コウキは頭を振りながら大きくため息を吐いた。

「……ちょっと、少し休ませてくれ。色んな事が起きすぎて頭が付いていかない」

「いいでしょう。しかしここは休憩場所としてあまり良い場所ではありません。グールは群れを形成する生き物です。一匹見かけたら近くに仲間がいると思っていいでしょう」

 コウキはぞっとした表情で振り返り、グールの死骸に目を向ける。

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