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The Great Hope of the Universe  作者: 佐久謙一
第五章 始まりの場所
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5-10



 コウキは無我夢中で廊下を走っていた。後ろを振り返らず、前だけを見ていた。

「コウキ、次を右です」

 ジェリオ博士までの道のりはアミィが案内してくれていた。何故場所を知っているかについては聞かなかった。もうそんな些細なことはどうでも良くなっていた。

「次を左。その先にエレベーターの扉があります。そこに入って下さい。今開きます」

 アミィの指示通り、廊下の先にエレベーターの入口が見えた。コウキが近付くと、まるでタイミングを見計らったかのように扉が開いた。コウキは倒れこむようにして中に入る。

「コウキ、ここまで来れば安全です。このエレベーターは彼らの権限では入れませんから」

 コウキは息を整えながら階層表示を見る。エレベーターはどんどん上へと昇っていく。

「みんな死んだよ」

 やがてコウキはポツリと呟いた。

「みんな死んだ。知り合った人はみんな。みんな、みんな、みんな!」

 コウキは顔を掌で覆い、肩を揺らして笑い出した。両目からはボロボロと涙が零れ落ちている。

「ジゼラさん……初めてこの世界で親切にしてくれた。マイクさん……知らないことをいっぱい教えてくれた。ジュンさん……いつも明るくて場を和ませてくれた。ルアンさん……無口だけど仲間想いの良い人だった。ダッチさん……すごく頼りになって勇気をくれた。ステラさん……正直怖い人だった……でも、僕の事を好きだと言ってくれた」

 一度溢れた感情は抑えきれなかった。コウキは大声で泣いた。

「……エマ……エマ……君に会いたいよ!!」

 エレベーターの到着音が鳴り響いた。扉が開かれ、ぼんやりと薄暗い空間が広がった。

「……コウキ、行きましょう」

 アミィがそっと呟いた。コウキは涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。

「……アミィ、君は何者なんだい?」

 コウキは視線を下ろし、そう呟いた。そして自嘲するような笑みを浮かべる。

「きっと君は答えてくれないんだろう?」

「……はい」

「でも、なんとなく分かるんだ」

 コウキは扉の先を見つめた。

「きっとこの先に答えがあるんだろうって」

 そう言って、コウキは闇の中に踏み出した。

 そこはまるで高級ホテルの一室の様だった。毛足の長い絨毯が敷き詰められ、正面は壁一面が大きな窓になっていた。窓際中央にはセミダブルのベッドが置かれており、それを囲うようにたくさんの電子機器が設置されている。

「――通信エラーが起きてるわ。また娘のいたずらかしら」

 暗闇の中から声が聞こえてきた。目を凝らすと、ベッドの背もたれにもたれかかっている人影が見えた。コウキは無言でベッドに近付く。

「ちょっと待っててもらっていいかしら。最終調整を終えてしまうから」

 コウキの存在に気付いた人影は、落ち着いた声で言った。微かにキーボードのタイピング音が響く。

「これでいいわ。照明をつけるわね」

 タンッとキーボードが叩かれると同時に、部屋の照明が点灯された。部屋が明るくなると共に、声の主の姿も照らし出される。

 そこにいたのは老婆だった。白っぽいワンピースを身に着け、下半身は布団の中に収められている。真っ白な髪は肩まで伸びており、よく手入れされているのが見て取れた。顔立ちはとてもしっかりしていて、肌は皺まみれながらも、目の輝きは若々しく輝いていた。

「この姿勢のままで失礼するわ。もう起き上がるのも辛くて」

 老婆は目を細めて優しく微笑んだ。

 コウキは呆然とした顔で立ち尽くしていた。目を見開き、唇がわなわなと震えている。真っ直ぐ見つめてくるコウキの姿に、老婆はますます笑みを深める。

「私がGHUの創設者。皆からはジェリオ博士と呼ばれているわ。やっと会えたわね。あなたに会えるのをずっと楽しみにしていたの。本当はもっと早くあなたに会いたかったのだけれど――」

「違う。君は――」

 コウキは老婆の言葉を遮り、首を横に振った。そして老婆に向かって震える手を伸ばした。

「君は――その青い瞳は――」

 コウキの手が老婆の頬に触れる。老婆はコウキの手をそっと優しく包み込んだ。

「……コウキ。気付いてくれたのね」


「君は――エマ!!」


 コウキの言葉に、老婆は目を閉じ、小さく頷いた。頬を一筋の涙が伝う。

「えぇ。私の本当の名前はエマ。あなたがあの実験室から逃がしてくれた女の子。ジェリオは母の名前なの」

「どうして……どうしてこんな姿に……」

 コウキの言葉に、エマは悲哀に満ちた表情を浮かべる。

「結論から言うわ。私は過去を変える事が出来なかった。いえ、元からそんなこと不可能だったのよ」

 エマは首を振りながら言葉を続ける。

「私はあの時、過去に飛んだ。二○三二年五月十九日。エチスの始まりと言われるセアル島。でもね、そこで私は絶望的な光景を見たわ。そこには数えきれないほどの私がいたのよ。私の年齢はバラバラ。大人の姿になってる私もいたわ。思えば当然よね。私はコップの実験の時に、それに気付くべきだった。コップを落とすのを過去に飛んで阻止する実験。その時、私は未来から来た私がコップの落下を阻止するのを観測した。それで私は過去は変えられるものだと誤解した。本当は逆よ。私が観測したのは私の過去の行いが既に組み込まれた結果だけ。その結果を観測した後に、それとは違う結果を発生させる行動を私は一度も観測できていなかった。私は一度たりとも過去を変えられていなかったのよ」

 エマはコウキの手を強く握りしめた。

「その疑念を振り払うように、私は何度も時間転移を繰り返した。でも無理だった。私が過去で行う事全てが、既に現在に組み込まれているというのを何度も再確認させられただけだった。やがて私は過去を変えるのを諦めたわ。そして未来を創ることにしたの。それがこの会社GHUの始まりよ」

「The Great Hope of the Universe」

「えぇ。『大いなる希望』。そして『世界』。子供染みたネーミングね。でもそれが私の心の支えだった」

 エマは自虐的に笑った。

「未来を創る為に私は何でもやった。非合法だろうと、非人道的だろうと、私には関係なかったわ。ただ、娘の事は……勝手なことをして本当に申し訳ないと思ってるわ」

「どうして……どうしてそんなにしてまで……」

「逃げたくなかったから。そしてあなたに――未来を届けたかった」

 エマはコウキを見つめて言った。コウキは無言でエマを抱きしめた。エマの体はとても細く、少し力を入れただけで折れてしまいそうだった。

「……でも、私にはもう時間が残されていないわ」

 コウキの腕の中でエマが言った。

「私は今日死ぬ。分かるの。だってこの日より先の未来に私は飛ぶ事が出来なかったから。ここから先は私も知らない未知の世界」

「そんな……せっかく君に会えたのに」

「……大丈夫よ、コウキ。約束したじゃない。次に会ったらあなたの傍を離れないって」

 エマはそう言うと、ベッドの傍にある機材の一つに手を伸ばし、ボタンを押した。すると小さなブザー音と共に、機材の上部が開かれた。

 コウキは驚きで目を見開いた。機材の中から現れた野球ボールほどの大きさの球状の物体。それには見覚えがあった。

「アミィ!」

 コウキは思わず叫ぶ。それはコウキの持っているアミィと同じ物だった。

「アミィ。そう名付けているのね」

 エマは機材の中からそっと新しいアミィを取り出した。

「実はこの子の人工知能は私の人格をベースに作成したの。そして私のこれまでの記憶も全て受け継がせているわ。いわば私の分身といった感じね」

「……ずっと黙っていてごめんなさい、コウキ。過去を変えられないことは理解していたけども、変に干渉してあなたと出会うこの時間を無くしたくなかったの」

 コウキのアミィが淡く点滅しながら言った。エマは申し訳なさそうに息を吐く。

「私の寿命的にあなたをこれ以上眠らせておくのは限界だったの。でもこんな世界にあなたを一人で放り込むのも危険だった。だからあなたを守るために私はこの子を作ったのよ」

 コウキはアミィと初めて会った時の事を思い出していた。

「でも、一体どうやってあの場所に――」

「それはね――」

 エマは微笑みを浮かべる。その瞬間、ベッドの脇に人型の光が現れた。それは見る見る像を結んでいき、やがて一人の人物へと姿を変えた。それは白衣に身を包んだ女性だった。

「時間通りね」

 エマが呟く。コウキは現れた白衣の女性に顔を向け、言葉を失った。

「コウキ、また会ったね」

 白衣の女性が笑みを浮かべる。それは忘れもしない。治験を受けた際にコウキの担当として現れた女性だった。

 白衣の女性はエマからアミィを受け取ると、再び光に包まれた。そして瞬く間に消滅した。

「……今のはもしかして」

「えぇ、私よ」

 エマが小さく頷いた。

「彼女は今から過去に飛んでコウキを起こしにいくわ。そしてアミィをあなたに授けるの」

 エマの言葉を聞いて、コウキは乾いた笑いが漏れる。

「……そうか、僕は今までずっとエマに守られていたんだな」

「違うわ。あなたが私を守ってくれたから、今の私があるの」

 エマが優しく微笑んだ。

「さぁ、コウキ。もっとお話ししたかったけど、そろそろお別れの時間よ」

 エマの言葉に、コウキは表情を曇らせる。

「悲しい顔をしないで、コウキ。私はアミィとして生き続ける。私の肉体は死んでも、あなたを守り続けるわ」

「……エマ」

「コウキ、最期にお願い」

 エマは小さな声で告げた。

「私をもう一度抱きしめて」

 コウキは頷き、エマを抱きしめた。頬を伝う感触から自分が泣いていることに気付いた。腕の中のエマも泣いていた。

 そしてエマは――眠るように息を引き取った。



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