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頭の奥で耳鳴りがした。遥か遠くで誰かの悲鳴が聞こえた気がする。
「……こっちの気も知らないで呑気に寝ているな」
聞き覚えの無い声。そして首筋に走る刺されたような痛み。
「この子は拘束室に連れていく。そいつを主任の元まで持っていってくれ」
コウキはうっすらと目を開けた。だがすぐに強烈な睡魔に襲われ、瞼を閉じる。頭痛がする。まるで脳をひもで縛りつけられているような感覚だった。また誰かの悲鳴が聞こえた気がした。
――コウキ。
必死に頭を持ち上げる。自分が起きているのか夢を見ているのか分からない。だが起きなければいけないという強い想いだけが心の中にあった。
――コウキ、起きて。
そしてコウキは目を覚ました。
「…………」
コウキは混乱した頭で自分の状況を確認する。何故か車椅子に座らされていた。手首と足首にはベルトが巻き付き、しっかりと拘束されている。そしていつも肌身離さず付けていたアミィがホルスターごと無くなっていた。
コウキは二坪も無さそうな狭い正方形の部屋にいた。壁や床は真っ白で、窓も無かった。天井には小さな監視カメラが設置されており、目の前には唯一の出入口らしき扉がある。
コン、コン、と扉がノックされる。そして返事を返す間もなく扉が開かれた。
そこから姿を現したのはステラだった。
「やっほ。助けに来たよ」
ステラは笑顔で言った。そしてコウキの背後に回ると車椅子を押して、部屋の扉をくぐった。外は何の変哲もない廊下だった。
「……あの、ステラさん、これは一体? アミィは?」
ステラは何も答えなかった。機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら、廊下を進んでいく。
コウキはまだ自分が夢を見ているのではないかと思った。だが縛られた手首の痛みは本物だった。
「……僕をどうする気ですか?」
コウキは肩越しにステラを見上げながら言った。ステラが歩きながらコウキに視線を下ろす。
「どうするって、教育よ。コウキはこれからこの施設で私の片腕として働くんだから」
「は?」
予想外の答えに、コウキは思わず素っ頓狂な声を上げる。
「一体どういうことですか!?」
「あぁ、言ってなかったけど、実は私、GHUの人間なのよねぇ」
ステラは困ったような笑みを浮かべながら頬をぽりぽりとかく。
「研究所から脱走した被検体の回収。それが私の任務だったって訳。ほら、ちゃんと契約書に書いてあったじゃん。研究に関するあらゆる検査、調査を全て受け入れるものとするってさ。世界は滅んじゃったけど、あの契約まだ有効だから」
「ずっと僕達を騙してたのか?」
「仕方ないでしょ? 大人しく檻に戻って下さいって言っても聞き入れてくれそうな感じじゃなかったし。ここまで誘導するの大変だったわ」
ステラは大げさにため息を吐いてみせる。コウキは険しい顔でステラを睨みつける。
「皆はどこだ!? エマは!?」
「……なんで最初にそのガキの名前が出るかなぁ」
ステラの足が止まる。そして車椅子をくるりとUターンさせると、反対方向へと押していく。
「ま、いいわ。そんなに会いたいなら会わせてあげる。私って優しいからさ」
車椅子が進んでいく。その間に、ステラは現在エマに行われている実験について語った。
「――そんな感じで、あの子の能力で過去を変えられるんじゃないかって検証をしてるのよ。エチス自体が存在しなければ、わざわざ人体実験なんてやる意味ないしね。皆幸せ、ハッピーエンドってね」
車椅子が止まり、九十度回転。廊下に面したドアが自動で開いた。
そこは奥行きのあるシンプルな部屋だった。左手一面が大きな窓になっており、それに向かってビデオカメラが設置されていた。その傍らには研究員らしき人物が立っている。そして窓の向こう側に目的の人物がいた。
「エマ!」
コウキは身を乗り出して叫んだ。
「無駄よ。こっちの声は聞こえないし、マジックミラーだから姿も見えない」
コウキの行動を諫めるようにステラが言った。コウキは歯がゆい思いをしながら窓を見つめる。
エマは疲労困憊といった様子だった。研究員の指示に従って能力を使用し、時折消滅したり二人に増えたりしている。その都度、研究員が何かを呟きながらメモを取っている。
「……いつからやらせてるんだ?」
「さぁ? ここに着いてずっとだから六時間くらい?」
「やめさせろ!」
部屋にコウキの怒鳴り声が響く。ステラはため息を吐きながら肩をすくめた。
「はいはい分かったわよ。という訳で今日の実験は終了~」
そう言って、ステラは研究員に手をパタパタと振った。研究員が頷き、指示用のマイクに何かを呟いた後、その傍らのスイッチを押した。
すると、突然空気の抜けたような音が響き、エマのいる部屋が一瞬で靄に包まれた。異変に気付いたエマが何か声を上げながら、窓に駆け寄った。
「おい、何をした!?」
「あちゃ~、ここまで見せるつもりなかったのになぁ」
声を上げるコウキに、ステラがおどけたように言った。
エマは苦しそうな顔で涙を流していた。咳き込みながら何かを叫び、必死に窓を叩いている。だが、その力も徐々に弱くなり、やがて意識を失い、そのまま崩れ落ちた。
コウキは怒りの形相でステラを振り返った。その視線を受け、ステラは困った表情でため息を吐く。
「あれは毒ガスよ。実験中以外はあの子には死んでてもらうの。勝手に時間転移して逃げられても困るしね。四十年虫の餌やってたんだから、あれくらいどうってことないでしょ?」
「……ふ、ふざけるな」
コウキは絞り出すようにして言った。ここまで誰かに対して怒りを覚えたのは初めてだった。
「……もっと面白いもの見せてあげよっか?」
ステラの顔にいたずらっぽい笑みが浮かぶ。そして車椅子を回転させ、早歩きで部屋を出た。
「ふざけるなっ! エマを今すぐ解放しろ!」
コウキは拘束を解こうと暴れながら叫ぶ。しかしいくら暴れても車椅子が若干軋むだけで外れる気配は無かった。
やがてコウキは広々とした部屋に通された。そこは薄暗く、壁一面に水槽のようなものが等間隔で設置されていた。水槽の中は透明な液体で満たされており、何かがぎゅうぎゅうに押し込められている。
「ほ~ら、お友達だよ~」
ステラがそう言いながら、水槽の近くに車椅子を押していく。ツンと鼻をつく刺激臭がした。
コウキは最初、目の前の物体が何なのか分からず怪訝な顔を浮かべていた。だがステラの言葉が脳内で反芻され、徐々にその言葉の意味を理解した。
それはホルマリン漬けにされたマイクの首だった。生気を失ったうつろな目が虚空を見つめていた。さらにその隣の水槽にも見覚えのある顔が浮かんでいた。ジュンだ。
コウキは体を震わせながら、他の水槽に目を向ける。どの水槽もバラバラに切り刻まれた人体、そして人間の首が浮かんでいた。中には変異体らしき生物の死体も保管されていた。
コウキは言葉を失っていた。先程まであった怒りの感情を塗りつぶしてしまうほどに、恐怖が体中を駆け巡っていた。
「本当はね――」
ステラがコウキの耳元にそっと口を近付ける。
「コウキもここに入る予定だったんだよ? でも私が止めたんだ。あなたはここの職員として――私の片腕として教育するからって言ってね。私言ったよね? キミを守れるのは私だけだって。感謝しなさいよね?」
ステラの吐息がコウキの頬を撫でる。
「……何で……僕を殺さないんだ?」
コウキは震える唇で言った。ステラは小さく笑い、コウキの頬にキスをする。
「言ったでしょ? 私はキミが好きだって。だから殺さないの。もう余計なことは考えなくていいんだよ。コウキは私の言った通りにしてればいいの。私をがっかりさせないでよね?」
ステラの言葉はコウキの心にねっとりと絡みついた。恐怖で委縮してしまったコウキに抗う術はなかった。
「……彼らが何をしたって言うんだ……何で……何でこんなひどいことが出来るんだよ」
コウキは細い声で言った。今にも感情が溢れてしまいそうな声だった。
「……あのさぁ、人を殺人鬼みたいに言うのやめてくれない?」
ステラがため息混じりに言った。そして車椅子を押して部屋を出た。
着いた先は廊下の窓だった。壁一面が窓となっており、荒廃した世界が否が応にも視界に飛び込んでくる。
「見なよ、コウキ。この世界を」
ステラはコウキの正面に移動し、膝を曲げて視線を合わせた。
「私らはね。世界を救うためにやってるんだ。その為には非情にならなきゃいけないんだよ。実験体にいちいち同情してたら何の成果も得られないんだよ」
そう言って、ステラは自嘲気味に笑う。
「私だってそうだよ? 私も生まれながらの実験体。いや、ママにとってはこの世のありとあらゆるものが実験体か」
「……ママ?」
コウキは思わず聞き返す。ステラは小さく頷いた。
「そう、私のママ。皆からはジェリオ博士って言われてる」
その言葉にコウキは驚きで目を見開く。
「驚いた? 実は私、ジェリオ博士の一人娘なの。そしてGHU代表の跡継ぎでもあるのよ。つまりGHUで二番目に偉いってこと。まぁ、今の人手不足っぷり考えると序列なんて大して意味を持たないけど」
ステラは肩をすくめながら言葉を続ける。
「ママは厳しかったわ。そして恐ろしかった。あらゆる座学に戦闘訓練をやらされ、エチスの投与実験も容赦なく行われた。私がこうして生きてるのはある意味奇跡ね」
ステラはふっと悲しそうな表情を浮かべる。
「初めはね。何とかママに認めてもらえるように必死に頑張ってたわ。何もかも完璧にこなしたら、きっとママは褒めてくれるだろうって。でもママは私に娘としての愛情なんて一欠片も持ってなかったのよ。私を作ったのは跡継ぎ用のコピーが欲しかっただけ。私には父親がいないわ。コピーが欲しいと思った時に、ママはどこから持ってきたのかも分からない凍結保存された精子で私を作ったから」
ステラはコウキをそっと抱きしめた。
「コウキを初めて見たときね。感じたの。あぁ、この人なら私を分かってくれるって。私を支えてくれるって。ねぇ、コウキもそうだよね?」
ステラがコウキの顔を覗き込んでくる。その吸い込まれそうな青い瞳には有無を言わさぬ力強さがあった。
コウキは無意識に頷いていた。それを受けてステラは満面の笑みを浮かべる。
「良かった。両想いで。そうだ。くたばる前にママにも紹介しなきゃ。私のボーイフレンドだよって」
そう言って、ステラはコウキの唇に優しく口づけをした。




