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The Great Hope of the Universe  作者: 佐久謙一
第五章 始まりの場所
27/38

5-1



 辿り着いた研究所は、これまで訪れたどの研究所よりも一際大きかった。白を基調とした、装飾の一切ない壁。その壁を取り囲むように有刺鉄線が張られている。有刺鉄線が時折火花を散らしていることから、電気が流れているのは明白だった。さらにその周囲は溝が深く掘られている。一か所だけ、橋というにはお粗末な鉄の板がかけられており、建物の入口らしき場所まで伸びていた。

 コウキ達はその橋の手前で立ち尽くしていた。全員、荒い呼吸を繰り返しながら橋の向こうを睨むようにして見つめている。何故なら橋の向かい側に三つの人影が立っていたからだ。

 その三人は上下紺色の背広のような服を着ており、その上から防弾チョッキを着こんでいる。顔にはガスマスクを付けており、さらに全員自動小銃で武装していた。

「……ここまで来て、撃たれて終わりってオチじゃねえだろうな」

 ダッチが小さく笑いながら呟く。冗談のつもりだったのだろうが、その言葉によって言いようのない不安が掻き立てられ、全員険しい顔で押し黙る。

 その時、向かいに立つ三人組の内、中央に立っていた人物が、こちらにゆっくりと歩み寄ってきた。銃はベルトで肩にかけていたが、両手を上げて敵意が無いことをアピールしている。

「君達を出迎えるつもりで待っていたんだが、逆に怖がらせてしまったかな?」

 そう言って、その人物はガスマスクを取り外した。マスクの下から出てきた顔は女性だった。

 その人物はかなり年が行っているように見えた。顔には皺が深く刻まれており、髪も半分以上が白髪になっている。しかし猛禽類のような鋭い目つきは彼女がただ者ではないことを臭わせていた。

 彼女は両手を上げたまま橋を渡り切り、コウキ達の目の前に降り立つと、にこっと笑った。

「私は警備主任のケイリー。見ての通り、橋は安全だ。さぁ、渡りたまえ、被験者諸君」

 そう言ってケイリーはくるりと踵を返し、再び橋の上を歩き始めた。コウキ達は無言で互いに顔を見合わせるも、ケイリーに促されるまま、その後ろをついていくことにした。

「美味しいサンドイッチが用意してあるぞ。それに紅茶もある。残念ながらコーヒーは切らしていてね。コーヒー党の人はご愁傷様。ちなみに私は紅茶党だ。イギリス暮らしが長かったからかな? トーストはきっちり両面焼くがね」

 ケイリーがケラケラと肩を揺らして笑う。その笑い声はまるで魔女の笑い声のように不気味に響いた。

「僕達が来るのを知っていたんですか?」

 コウキはケイリーの背中に尋ねる。

「勿論だとも」

 ケイリーは前を向いたまま答える。

「第五研究所からこちらにアクセスしていただろう。こちらとしても驚いたよ。まさかこの世界にまだコミュニケーションの取れる生命体が残っていたとはね。人類ってのは中々にしぶとい。本当は迎えの車でも出してやりたかったが、あいにく燃料は貴重でね。精々出迎えるくらいしか出来なかったのだよ」

 橋を渡り終え、研究所の入口へと歩いていく。入口は開かれており、扉の左右には銃を持った警備兵がそれぞれ立っていた。

「さぁ、ここをまっすぐ進めばカフェテリアだ」

 そう言ってケイリーが廊下を進んでいく。コウキは周囲を見渡しながらケイリーの背中に質問を投げかける。

「あの、ここにはどれくらい人がいるんですか?」

 ケイリーは肩越しにコウキに視線を送り、すぐに前に顔を向けた。

「警備が十人。研究者が五人といったところかね。慢性的な人手不足だよ」

「他にも稼働している研究所はあるんですか?」

「さあてねぇ。今のところどこからも連絡は来ないねぇ。衛星は生きているから通信は出来るはずなんだが」

 コウキは少し間を置いて、再び口を開く。

「ここの人達はみんな変異してるんですか?」

「君は質問が多いな」

 ケイリーが振り返り、コウキに体ごと向き直る。

「あっ、すみません」

 コウキは思わず頭を下げる。ケイリーはしばらくの間、無表情でコウキを見つめていたが、やがてにこっと笑った。

「さぁ、カフェに着いたぞ。お腹がすいてるだろう? たくさん食べたまえ」

 そう言って、ケイリーはカフェの中央を指差した。そこには十人は座れそうな大きなテーブルが置いてあり、テーブルの上には山盛りのサンドイッチが乗った皿が置かれていた。

 コウキは思わず喉をごくりと鳴らす。ここ数日、食事は缶詰ばかりで、大した量も食べられていなかった為、猛烈な飢餓感に襲われたのだ。

 コウキはチラリと他の面々の顔を見る。数日過ごしただけのコウキですらこうなのだ。この世界で数ヶ月過ごした彼らにはひとたまりもないだろう。皆、警戒した表情を浮かべながらも、吸い寄せられるようにテーブルについた。

 ケイリーが笑顔でそれぞれのグラスに紅茶を注いでいく。湯気と共に、心地よい香りがコウキ達を包み込んだ。もう限界だった。

 みんな無言のまま、それぞれサンドイッチに手を伸ばした。ふわふわのパン生地にかぶりつくと、コショウの効いた卵の味が口一杯に広がった。それがさらに食欲をそそり、食べきる前に次のサンドイッチに手が伸びる。

 彼らは夢中でサンドイッチを貪り食った。先程まで感じていた警戒心など完全に忘れていた。

「いやぁ、良い食べっぷりだねぇ。みんな若いねぇ」

 その時、突然声が掛けられた。コウキが食事の手を止めて顔を上げると、いつの間にかケイリーの隣に見知らぬ老人が立っていた。

 その老人は一瞬骸骨かと見間違えるほどにガリガリに痩せていた。白衣を着ており、レンズの分厚い眼鏡を付けている。老眼鏡なのか、レンズ越しに見える老人の目は異様に大きかった。

「食事の邪魔をして失礼。私はメルヒオール。この研究所の主任研究員だ。一応挨拶をと思ってね。さあさあ、私に構わず食事を続けてくれ」

 メルヒオールは微笑みを浮かべながら言った。ケイリーと並んで笑みを浮かべる二人に、コウキは言いようのない不気味さを感じていた。

「あの、一ついいですか?」

 コウキは小さく手を上げながら言った。ケイリーが笑顔をコウキに向けてくる。

「また質問かい?」

「はい、えっと――」

 コウキは一瞬目を逸らしながらも言葉を続ける。

「何でこんなに歓迎してくれるんですか?」

 コウキの言葉に、一同の食事の手が止まる。全員頭の隅で考えていたことだった。

「それはだね――」

 コウキの質問に、メルヒオールは笑みを浮かべたまま答えた。

「社長に言われているからだよ。君達を丁重に扱うようにとね。私もこの意見に賛成だ。君達はこの世界に適応した新人類。大事にしなければ」

「社長?」

「あぁ。君達も名前くらいは知っているだろう? GHU創設者、偉大なるジェリオ博士のことを。彼女もここにいるのだよ」

 メルヒオールの言葉に、一同の口から驚きの声が漏れる。コウキもアミィからその人物の名前は聞いていた。

 一同の反応に、メルヒオールはますます笑みを深めた。

「彼女は本物の天才だよ。エチスの存在に誰よりも早く気付き、その対策に心血を注いできた。この世界で一番エチスを理解しているのは彼女だろう。人類がエチスを克服するのもそれほど遠い未来ではない。現にエチスへの免疫を持った小麦や家畜の製造に成功しているのだ。サンドイッチ美味しかっただろう?」

「はぁ、まぁ……」

 コウキは戸惑った顔でサンドイッチを見る。遺伝子組み換えで作られたサンドイッチと聞いて何とも微妙な気分になった。

「ま、確かに美味かったな」

 ダッチは満足そうに息を吐きながら言った。

「味が良くて腹が膨れれば十分だ」

「素晴らしい考えだ」

 メルヒオールはダッチを指差し、何度も頷く。そしておもむろに手をパンと叩いた。

「さて、色々とお喋りしたいところだが、君達も疲れているだろう。それぞれ部屋を用意してあるから、今日はゆっくり休むんだ。明日の朝、また色々と話そう。君達に頼みたい仕事もあるからね」

「仕事?」

 コウキが聞き返すと、メルヒオールはゆっくりと頷いた。

「当然だ。働かざる者食うべからず。聖書にだって書いてあるぞ。何せ人手不足なものでね。さぁ、詳しいことは明日だ。ケイリー、彼らを部屋まで案内してやってくれ」

 ケイリーが頷きながら一歩前に出る。

「では被験者諸君。再び私に付いてきてくれたまえ。トイレやシャワールームの場所も教えよう」

 そう言ってケイリーが歩き始めたので、その後をコウキ達がついていく。少し歩いたところで、ステラとエマが付いてきていないことに気付いた。二人はカフェテリアでメルヒオールと何やら話し込んでいる。

「あぁ、女子はまた別の部屋だ」

 コウキの疑問に先回りするようにケイリーが答えた。

「研究所内に避妊具は無いから変なことを企むんじゃないぞ?」

「し、しませんよっ!」

 コウキは慌てた様子で言った。ケイリーとダッチが声を合わせてゲラゲラと笑っている。

 ケイリーの説明を受けながら廊下を進んでいく。やがて目的の部屋が見えてきた。廊下に面する形で複数の扉が並んでいる。

「部屋割りは君達で適当に決めたまえ。それじゃあ私はこれで」

「あぁ、ちょっと待ってくれ」

 去りかけたケイリーの背中にダッチが声を掛ける。

「この研究所には酒はあるのか?」

「……ダッチと言ったか。強欲な奴だ」

 ケイリーは呆れたように息を吐くと、通ってきた廊下の奥を指差す。

「まぁ、少しくらいなら飲ませてやろう。後でカフェに来な」

 ケイリーの言葉を受けて、ダッチは歓喜の声を上げながら部屋に入っていった。

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