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The Great Hope of the Universe  作者: 佐久謙一
第四章 亡霊が歌う森
22/38

4-1



「――ジョン・ブラウンの屍は朽ちて墓の中。しかし彼の魂は歩き続ける」

 小気味よい焚火の音が鳴る中、ダッチが妙な歌を歌っている。何かのコマーシャルで聞いたリズムだったが、コウキには思い出せなかった。ダッチの隣にいるマイクが、焚火に薪を放りながら、呆れたように息を吐いた。

「何で今その歌を歌ってるんだ」

「今の俺達にピッタリだと思ってな。グローリー、グローリー、ハレルヤ!」

「いい加減にしろ」

「全くノリ悪いな。この退屈な行軍を楽しくしてやろうと思っただけなのによ」

 ダッチは大きくため息を吐きながら言った。周りから小さく失笑が漏れる。

 出発から八時間ほど経過しただろうか。日が傾きかけてきたところで、マイクが野営を提案した。視界の悪い夜は、特別な理由が無い限り移動は避けるべきということらしい。ちょうどキャンプ地として良さそうな廃ビルも見つけたので、そこで朝まで待つことになった。

 コウキは焚火から少し離れた地面に座っていた。柱によりかかり、ゆらゆらと揺れる炎をぼんやりと見つめる。

 背後からぜいぜいと荒い呼吸音が聞こえてきた。コウキが振り返ると、汗だくになったエマが地面に横たわっていた。手ぶらとはいえ、数時間にわたって歩き続けたせいで、完全にダウンしたようだ。

「大丈夫?」

 コウキがエマの顔を覗き込みながら言った。エマは真っ青な顔をコウキに向ける。

「……あ、あなた達、随分と体力あるのね」

 その言葉を受けて、コウキは改めて周囲の者達を確認する。言われて初めて気付いたが、エマ以外、全員涼しい顔をしていた。

「遺伝子改造の影響かな? それのおかげで体力が強化されてるんだと思う」

「……何それ、ずるくない?」

 エマが上体を起こしながら言った。

「……遺伝子改造。遺伝に基づく疾病治療なんかで研究されてたあれかしら。でもあれ実用まで一世紀はかかるって言われてたような」

 エマは虚空を見つめてブツブツと呟く。やがて大きくため息を吐いた。

「……シャワー浴びたいわ」

「こんなところにシャワーなんて――いや、ひょっとしたら研究所にはあるのかな?」

 そう言って、コウキはアミィに視線を落とす。話を振られたアミィは少しの間沈黙したあと、淡く光りながら言った。

「はい。シャワールームは設置されています。ただし真水は貴重ですので使い放題という訳にはいきませんが」

 アミィの言葉を受け、エマは小さく相槌を打ちながらアミィを見つめる。

「ふーん、そうなんだぁ」

 エマは興味津々と言った表情でホルスターに顔を近付けてくる。道中、それぞれの自己紹介を簡単に済ませたのだが、アミィの説明を受けた際のエマの眼は、まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように爛々と輝いていた。今も眼を輝かせながらコウキを見上げてくる。

「ねぇ、コウキ。お願いがあるんだけど――」

「ダメです」

 エマが言い終わる前に、アミィが答えた。

「私を調べさせろと言うつもりなのでしょう? 私の情報はGHUの機密情報でもあるので一般市民であるあなたの調査は許可できません」

 アミィの言葉を受けて、エマは不満そうに唇を尖らせている。

「ちょっとくらい良いじゃない。ケチ臭い組織ね」

「ダメです」

「ねぇ、コウキお願い。せめてお話しするだけでも」

 エマがウインクしながらおねだりしてくる。子供扱いするなと言っていた割に、こういう時はしっかりと子供らしさを活用するようだ。

「アミィ。話すくらいならいいじゃないか」

 コウキはアミィをホルスターから取り出しながら言った。アミィからの返事は無かったが、もし表情があるのなら呆れた顔を浮かべていただろう。

「やった! 私、本格的な人工知能と会話してみたかったの!」

 エマが笑顔で言った。初めて見た、年相応の笑顔だった。

「やっほー、何か盛り上がってるねぇ」

 エマとアミィのやり取りを眺めていると背後から声が掛けられた。振り返るとステラがこちらに歩いてきていた。両手に湯気の立つ、ステンレスのカップを持っている。

「なんでそんな露骨に嫌な顔するかねぇ。せっかくココア持ってきてあげたのに。甘味は貴重なんだぞ」

 ステラが苦い顔で言った。無意識にそんな表情を浮かべていたらしい。

「いや、別にそんなつもりじゃ」

「あんたも結構根に持つタイプ? こんな状況なんだしさ。ドライで楽しく行こうよ」

 ステラはコウキの隣に腰掛け、ココアの入ったカップを手渡してくる。コウキは黙ったままそのカップを受け取った。ココアの甘い香りが鼻腔をくすぐった。

「こう見てると、やっぱ子供だねぇ」

 ステラがココアをすすりながら言った。

「僕?」

「そっち。まぁ、あんたもだけど」

 ステラがエマの方を指差す。エマはアミィを両手で持ち、満面の笑みを浮かべていた。

「――えぇ、アラスカがエチスの発生源という仮説は早計だと思うわ。確かにエチスによる変異が最初に確認されたのはセアル島だけど。あぁ、進化論否定の話は知っているわ。人間と猿の中間種が見つからないということで生まれた仮説よね。地球上に存在する生命種の九割がある決まった時期に突然生まれたんだっけ。宗教的な絡みのある学説だから、私は眉唾物だと思ってるけど、ある時期に突然今の生物の原形が生まれたというのは面白い発見だと思うわ。それって今の状況にすごく似てるんですもの。だから私はこう考えるわ。エチスは元々地球上に存在していて、セアル島の何かがエチスの活性化の引き金になったのよ」

 エマがとてつもない早口でアミィと会話を続けている。コウキは呆れたように唸りながらココアを一口すすった。

「コウキってさ。小さい子が好きなの?」

 ステラから突然変な話を振られ、コウキはココアを吹き出しそうになる。

「えっ、何がっ?」

「何かやたらあの子に構ってあげてるじゃない」

 ステラが顎でエマを指す。

「私って人を見る目はある方なんだよね。何か庇護欲ってのとは違う感情を感じるのよね」

 ステラの言葉にコウキはドキっとした。まるでこちらの全てを見透かされているような気分だった。

「話したくないなら別にいいけど」

「……妹がいたんだ」

 コウキはポツリと呟いた。ステラがコウキの顔を覗き込む。

「いた?」

「事故で死んだんだ」

「……そう」

 ステラは遠くに目をやる。

「それで死んだ妹を重ね合わせてたって訳?」

「確かにそうかもしれない。けど――」

 それだけじゃない。そう言おうとした瞬間、ステラは大きく息を吸い込んだ。

「ま、害意は無いんだし、別に良いんじゃない? あの子もあんたに懐いてるみたいだし。それに年上が嫌いって訳じゃないんだよね?」

 そう言ってステラは口元に笑みを浮かべ、じっとコウキを見つめてくる。その視線に熱がこもっていることに気付き、コウキは警戒した様子でその瞳を見返す。

「んふふ、学習してるねぇ」

 その反応に満足するように、ステラはニヤニヤと笑いながらココアをすする。

「この世界は騙し騙されだからねぇ。何事も信用しすぎちゃダメだぞぉ」

「……そうですね」

「でも、そこまであからさまに警戒されるとちょっと傷付くな」

 ステラが距離を詰めて座り直す。

「私さ、こんな性格だから何でも冗談っぽく言っちゃうんだけど――君と仲良くなりたいってのは本心だよ」

 コウキは気まずそうに唸りながら横目でステラを見る。その顔から本心は読み取れなかった。

「なんかさ、君を初めて見た時から、特別な何かを感じたんだよねぇ。他の人とは違う――私にとって特別な何かというか――その顔は信じてないな?」

 ステラが目をすっと細める。そして首を傾け、コウキの顔を覗き込んでくる。

「私ってそんなに信用できないかなぁ? それじゃあマイクがキミに何か言ったら信用する? ダッチは? ルアンは? ジュンは?」

 ステラがまくしたてるように言った。コウキは気まずくなり、顔を背けようとするが、ステラが両手でコウキの顔をつかみ、自分の方に向けさせる。

「ほら、逃げんな。私の質問に答えな」

 ステラの青い瞳がコウキに真っ直ぐに向けられる。焚火の炎が映し出され、妖艶な光を宿していた。

「僕は――」

 コウキは目を逸らす事が出来ずポツリポツリと話し始めた。

「僕は――マイクさんとジュンのことは信用しています。他の人達はまだあんまり話したことが無いので、何とも言えないんですが」

「ジュンはともかくマイクも? どの辺が?」

「……だって彼はリーダーとして皆を引っ張ってくれてるし、治験に参加したのも病気の母の為って言ってたし。すごく立派な人だと思うから」

「ふーん、子供だねぇ。あいつがそんなに立派な人間に見える?」

 コウキが困惑した顔を浮かべると、ステラは憐れむような目でコウキを見る。

「そんなに母親思いならさ。母親を心配する言葉を何か一言でも吐くものじゃない? 世界がこんな状況ならなおさらさ。私は聞いたことないわ」

 ステラに言われて気付いた。確かに彼が家族について話しているのを見たことがなかった。

「何でか教えてあげよっか? あいつ母親の事が嫌いだったのよ。おそらく母親と二人暮らし。そしてよくある介護疲れって奴かな? 足を怪我してるからまともな仕事にもつけず、母親を介護施設に入れる金もなく それで仕方なく治験に応募したって感じね。母親から解放され、そして新たな肉体を得た今、彼はまるで自分がヒーローにでもなったような気分でしょうね。だからリーダー気取りで指揮を執りたがり、やたら高尚な言葉で説教をしたがる。でも根は小心者だから不測の事態が起こると、何も出来ずに固まってしまう。とんだピエロだわ。何で分かるかって?」

 ステラがにっこりと微笑む。

「私もママのこと嫌いだから。機会があれば殺してやりたいと思ってるわ」

 ステラが顔を近付けてくる。ステラの瞳に、コウキの戸惑った顔が映し出される。

「他の連中も似たようなものよ。やたらジョークを言ったり、へらへらしたりしてるのは不安な証拠。ダッチとジュンがそうね。今にも泣きべそかきたいくらい怖いくせに、なけなしのプライドが弱みを見せないようにしてるの。ルアンの奴は一番のゴミね。信念も何もない、その日暮らしの指示待ち人間。だからマイクに良いように使われるのよ。私、あいつら全員嫌いよ」

 ステラの腕がコウキの首に絡まってくる。コウキは無言でされるがままになっていた。

「でも私、コウキの事は好きだよ? コウキって変に自分を取り繕ったりしてないし。それにコウキもママのこと嫌いだよね? やった。私ら似た者同士じゃん」

「……何で、こんな話を僕に聞かせたんだ?」

 コウキは絞り出すようにして言った。ステラの笑みがますます大きくなる。

「知っておいてほしかったから。私はコウキの事が好き。だからいざって時にキミを守れるのは私だけだよってね」

 ステラの言葉と表情は、これまでの冗談めいたものとは違うものだった。

 コウキとステラは互いに無言のまま見つめ合った。目の前にステラの顔がある。しかし彼女の豹変ぶりから、研究所であった甘い心臓の高鳴りなどは微塵も感じていなかった。

 どれだけの時が流れただろうか。やがてステラが表情を崩してにっこりと笑った。

「ちょっと本気にしないでよ。ただのジョークよ。全く子供だなぁ」

 ステラは肩をすくめながら言った。

「冗談冗談。何かキミが私に冷たいから、ちょっとからかっただけだよ」

 ステラはいつもの調子で笑っている。しかしコウキは変わらず困惑した表情でステラを見ていた。

 ステラの目が一瞬細められる。そして気付いた時、彼女の唇がコウキの頬に触れていた。

「なっ!!」

 コウキは慌ててステラを引き離そうとする。だがそれよりも早く、ステラは自分から体を離した。慌てるコウキの顔を見ながら、ステラは満足そうにウインクした。

「どこまで冗談かは教えてあげないけど」

 そう言ってステラは立ち上がり、鼻歌を歌いながらコウキに背中を向けた。そのまま遠ざかっていく彼女の背中をコウキは呆然と眺める。

 コウキは口づけされた頬をそっと撫でる。女性からキスをされたのは初めてだった。しかしコウキの中に高揚感は一切なく、疑念と困惑の入り混じった感情が渦巻いていた。

「コウキ」

 アミィから突然名前を呼ばれ、コウキはビクッと肩を跳ねさせた。慌てて振り返ると、床に寝転がったエマの姿が視界に入った。仰向けで小さく寝息を立てている。

「疲れて眠ってしまったようです。毛布などはありますか?」

「あぁ、うん。ちょっと貰ってくるよ」

 コウキは立ち上がり、ココアを一気に飲み干す。そしてマイクから毛布を受け取り、エマにかけてやった。

「随分話が盛り上がってたね。やっぱり頭のいい人との会話は楽しい?」

 コウキはアミィを拾い上げながらエマの傍らに座る。

「えぇ、まぁ」

 アミィの返事は素っ気ないものだった。

「そちらの方も何やら盛り上がっていたようですが?」

「……あぁ、うん」

 アミィに言われ、コウキは気まずい顔でチラリとステラに視線を向ける。ステラはダッチの隣に座り、楽し気な表情で会話をしていた。

「アミィ。僕、あの人の事がよく分からないよ」

 コウキは疲れたように息を吐いた。

「……その点に関しては私も同感です」

 アミィは淡く光りながらそう呟いた。

「それよりコウキ。明日も早いのです。私達も休みましょう」

「そうだね」

 コウキは頷き、マイクの元に毛布を取りにいった。コウキはマイクの隣で横になり、廃ビルの天井を眺める。歩き続けた疲れからか、眠りに落ちるまでにそう時間はかからなかった。



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