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The Great Hope of the Universe  作者: 佐久謙一
第三章 黒虫の女王
20/38

3-4



 コウキは小屋の扉にもたれかかる様にして座っていた。その周りではマイク達が険しい表情をコウキに向けている。

「あれを連れて帰ってくるとか正気か?」

 遠巻きに眺めていたダッチが言った。

「あれが黒虫を操っているのを見ただろ? また黒虫が湧き出てきたらどうするつもりだ」

 ダッチの言葉に、皆不安な表情を隠しきれないでいる。そんな彼らを、コウキは無言のまま見つめていた。

 コウキの背後から水の流れる音、そして衣擦れの音がする。やがてコンコンと扉がノックされた。

「お湯、助かったわ。ずっと身体を洗いたいと思ってたから。あと着替えもね」

 扉が開き、そこからあの子供が姿を現した。お湯の入った大きなたらいを両手で抱えるようにして持っている。

「私が行水に使ったお湯、これ捨てても問題ないわよね? 何かに使う?」

「いや――うん、大丈夫だと思う」

 コウキは一応周囲に視線を向け、誰も何も言わないことを確認し、頷いた。子供も同様に周囲に視線を向けた後、無言でお湯を捨てた。

「着替え、大丈夫だった?」

 コウキの質問に、子供は振り返り、肩をすくめる。見ての通りという事なのだろう。

 その子供は大人用のシャツとジャケット、そしてハーフパンツを身に着けていた。どれもサイズが大きく、ワンピースの下にダボダボのズボンをはいたような見た目になっていた。ずり落ちないよう、腰にしっかりとベルトが巻き付いている。腰まで伸びていた髪は肩のあたりで切り揃えられていたが、ナイフか何かで切ったせいか、全体的にボサボサで不格好な髪型となっていた。

「子供用の服をどこかで見つけてほしいわね。あと下着も。今、下に何もはいてないから、非常に違和感を覚えるわ」

「う、うん、分かった。えっと――」

「エマ」

 コウキの言葉を遮るように、子供が言った。

「私の名前はエマよ。気軽にエマって呼んで。よろしく」

 エマは微笑みを浮かべながらそう言った。見た目は小学生高学年ほどの年齢の少女だが、口調や仕草はとても大人びていた。

「さて、それで質問なんだけど――」

 エマは濡れた髪をかき上げながらマイク達を振り返った。一人一人に視線を向けながら小さく首を傾げる。

「どうしてこんなお葬式みたいな空気なのかしら。私があなたの兄弟を一人殺しちゃったから? あれは事故みたいなものよ」

 エマがジュンを見ながら言った。ジュンは肩を震わせながらエマを見つめ返している。

「……やっぱり、手前があの虫を操っていたのか?」

 ダッチが唸るようにして言った。その言葉を受け、エマは肩をすくめながら首を横に振る。

「違うわ。私は寄生されていただけよ。巣にされていたと言った方が良いかしら。まぁ、彼らは巣を中心に活動を行うから、私の移動についてきていたのは確かだけど」

「巣?」

 ダッチが聞き返すと、エマは頷いた。そしておもむろに懐から小さなナイフを取り出した。

 突然の行動にダッチは思わず後ずさる。そんなダッチを尻目に、エマはナイフを逆手に持つと――そのまま自分の腕に突き立てた。

「!!」

 周囲の驚きを余所に、エマは冷静な顔で傷口を見ていた。赤い鮮血があふれ出し、地面に吸い込まれていく。

「何やってるんだ!」

 コウキは叫びながらエマに駆け寄った。出血を止めようと、腕の傷口周辺を強くつかむ。

「落ち着いて。大丈夫よ」

 コウキをなだめるようにエマは言った。エマの言葉の意味が分からず、コウキは困惑した顔でエマを見返す。

 その時、奇妙なことが起こった。エマの腕の出血が突然止まったのだ。潮が引くように血が引いていき、ナイフで裂かれた肉の繊維が露わになる。そして傷口は独りでに閉じていき、気付くと腕の傷は完全に治っていた。

「……異能体」

 コウキがポツリと呟く。エマはにっこりと笑った。

「えぇ、その通り。私はある日、この不思議な能力を身に着けたの。あの時は確か、軽い熱がずっと続いてて大学の寮で休んでいたの。そこに突然大きな化物が現れて襲われたのよ。そして私の体はバラバラに引き裂かれた」

 エマは完治した腕を軽く払いながら言葉を続ける。

「でも私は死ななかった。気付くと体が元に戻っていたの。最初は悪い夢でも見てる気分だったけど、現実は容赦なく襲い掛かってきたわ。周りに散らばるルームメイトの死体。そして死体を喰う虫の群れ。非力な女の子はその場から逃れる事が出来ず、虫共の餌食になったのよ。野球ボールほどのサイズがある甲虫の群れが私の体を這いずり回り、肉という肉を貪り食った。でもね――それでも私は死ななかった。喰われたそばから治っていったのよ。さっきのナイフの傷のようにね。それで私がどうなったか分かったでしょ? いくら食べても無くならない最高の餌として虫共に喰われ続けた。体内に卵を産みつけられ、幼体の餌にもされた。そうして私は彼らの巣になったのよ」

 エマは遠い目をして言った。その場にいた全員が、沈黙したまま彼女を見つめていた。

「最初は恐怖と痛みで気が狂いそうになったわ。でも人って慣れる生き物なのね。しばらくすると思考する余裕も生まれて、さらに虫を纏ったまま動くことも出来るようになったの。あなた達を見つけた時は嬉しかったわ。やっとこの虫を皆殺しにしてくれそうな人達が見つかったから」

「それであんなに大量の虫が押し寄せてきたって訳か。ふざけやがって。手前のせいで死にかけたんだぞ」

 ダッチが苛立ちを隠さずに言った。エマは涼しい表情でダッチを見据える。

「仕方がないじゃない。私だって必死だったんだもの」

 ダッチが舌打ちをしながらエマを睨む。しかしエマの境遇について思うこともあったのか、それ以上は何も言わなかった。

「――話の途中ですまない。君は大学の寮と言ったのか?」

 話の間に入るように、マイクが尋ねた。エマはマイクに顔を向け、頷いた。

「それが何?」

「いや、まさかと思ったが、君はあの天才少女エマか? 僅か十歳でメリーランド大学に入学したと話題になった」

「そうよ。サインでも欲しい?」

 興奮気味に話すマイクとは対照的に、エマは冷静な態度で肩をすくめた。

「小さい頃から何度も言われてるけど、私は天才って言葉が自分に相応しいとは思ってないわ。ただ集中力と好奇心が人一倍強かっただけよ」

 エマはため息を吐きながら言った。マイクはすっと目を細める。

「……一つ聞きたいんだが、君が変異体に襲われたのはいつの話だい?」

「いつって――」

 エマは頭をポリポリとかきながら言った。

「日付は覚えてないけど、八月だったのは覚えてるわ。その日は暑かったし、GHUって機関の治験が世界中で話題になってた」

「治験……」

 マイクは険しい表情を浮かべた。

「君は今が西暦何年か分かっているのかい?」

「二○三三年?」

 エマが答える。しばらくしてマイクの反応から何かを察したように頷く。

「違うのね?」

「二○七七年だ」

 マイクの答えに対するエマの反応は静かなものだった。小さく相槌を打ちながら何度も頷いている。

「なるほど、そういうことね」

「なるほど?」

 マイクが聞き返すや否や、エマが再び自分の腕にナイフを突き立てた。さらにナイフを引き抜き、自分の髪を切り始めた。

「おい、やめろ!」

 マイクが咄嗟にエマからナイフを取り上げる。エマは微笑みを浮かべながら、切り落とした髪をばらまきつつ、治っていく腕の傷を眺めている。

「落ち着くんだ! いくらその治癒能力のせいで辛い目にあったからと言って――」

「大丈夫、錯乱した訳じゃないわ。私は冷静よ。むしろ私の中にあった疑問が解けて嬉しい気分だわ」

「疑問?」

「何故私の体が当時のままなのかという疑問よ」

 エマは腰に手を当てて言葉を続ける。

「まず第一に、私の能力は治癒能力ではないわ。能力の発動により、たまたま治癒という結果を生み出しただけだったって訳ね。何十年もの時が流れているのに、何故私の体は成長していないのか? 何故爪も髪も伸びていなかったのか? その答えがこれよ」

 エマの変化はすぐに見て取れた。腕の傷が治っていくのと同時に、先程切り落とした髪がどんどん伸びていき、あっという間に元に戻ったのだ。

「時間干渉。それが私の能力の正体。傷が治っているんじゃない。私の体が健康体だった頃の体に巻き戻っていた訳ね」

 そう言うなり、エマの手からボキリと鈍い音が響いた。エマが自分の指をあらぬ方向に捻じ曲げたのだ。

「一体どの程度の傷から発動するのかしら。病気に対する発動は? 任意に発動は可能? 切り離した肉体はどうなる? 干渉できるのは私の肉体のみ? あぁ、もっと色々試してみたいわ。この能力、ケアレストラベラーとでも名付けようかしら。それにしても確証バイアスというのは厄介なものね。私自身もずっと治癒能力だと思ってたし、体が貧相なのは栄養失調からだと思ってたわ。良かった。私もこれから成長できる余地はあるのね」

 そう言っている間にも、エマは指をへし折り、手の肉を食いちぎり、次々と自分の体を痛めつけている。突然の奇行に、マイクは呆気にとられた様子で立ち尽くしていた。

「そうね。まずは肉体を切り離しての観察。虫達の空腹を満たせていたから消滅はしないはず。頭を半分に切ったら一体どっちが再生するのかしら。そして他の物質への干渉。タイムトラベルは可能か――」

「やめろ!!」

 気付くとコウキは怒鳴っていた。エマの両腕をつかみ、力強く握りしめた。

「これ以上自分を傷つけるな!」

 コウキは再び叫ぶ。エマは肩を震わせながら、困惑した表情をコウキに向けている。

「……あら、どうして? 私の体はすぐに元に戻るのよ」

「痛みは消えてないはずだ! 痛みの記憶もずっと残っているはずだ! 平気なふりをするのはやめろ!」

 コウキの怒鳴り声に、エマはむっとした顔を向ける。

「……あなたには関係ないじゃない」

「頼むから――」

 コウキは泣きそうな顔になって言った。

「――君が傷付く姿を見たくないんだ」

 今にも消え入りそうな声だった。頬を何かが伝う感触から、コウキは自分が泣いていることに気付いた。

 エマは驚いた顔でコウキを見つめ、やがて視線を逸らすように俯いた。

「……分かったわよ」

 エマの返事は小さく素っ気ないものだった。



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