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コウキは小屋の扉にもたれかかる様にして座っていた。その周りではマイク達が険しい表情をコウキに向けている。
「あれを連れて帰ってくるとか正気か?」
遠巻きに眺めていたダッチが言った。
「あれが黒虫を操っているのを見ただろ? また黒虫が湧き出てきたらどうするつもりだ」
ダッチの言葉に、皆不安な表情を隠しきれないでいる。そんな彼らを、コウキは無言のまま見つめていた。
コウキの背後から水の流れる音、そして衣擦れの音がする。やがてコンコンと扉がノックされた。
「お湯、助かったわ。ずっと身体を洗いたいと思ってたから。あと着替えもね」
扉が開き、そこからあの子供が姿を現した。お湯の入った大きなたらいを両手で抱えるようにして持っている。
「私が行水に使ったお湯、これ捨てても問題ないわよね? 何かに使う?」
「いや――うん、大丈夫だと思う」
コウキは一応周囲に視線を向け、誰も何も言わないことを確認し、頷いた。子供も同様に周囲に視線を向けた後、無言でお湯を捨てた。
「着替え、大丈夫だった?」
コウキの質問に、子供は振り返り、肩をすくめる。見ての通りという事なのだろう。
その子供は大人用のシャツとジャケット、そしてハーフパンツを身に着けていた。どれもサイズが大きく、ワンピースの下にダボダボのズボンをはいたような見た目になっていた。ずり落ちないよう、腰にしっかりとベルトが巻き付いている。腰まで伸びていた髪は肩のあたりで切り揃えられていたが、ナイフか何かで切ったせいか、全体的にボサボサで不格好な髪型となっていた。
「子供用の服をどこかで見つけてほしいわね。あと下着も。今、下に何もはいてないから、非常に違和感を覚えるわ」
「う、うん、分かった。えっと――」
「エマ」
コウキの言葉を遮るように、子供が言った。
「私の名前はエマよ。気軽にエマって呼んで。よろしく」
エマは微笑みを浮かべながらそう言った。見た目は小学生高学年ほどの年齢の少女だが、口調や仕草はとても大人びていた。
「さて、それで質問なんだけど――」
エマは濡れた髪をかき上げながらマイク達を振り返った。一人一人に視線を向けながら小さく首を傾げる。
「どうしてこんなお葬式みたいな空気なのかしら。私があなたの兄弟を一人殺しちゃったから? あれは事故みたいなものよ」
エマがジュンを見ながら言った。ジュンは肩を震わせながらエマを見つめ返している。
「……やっぱり、手前があの虫を操っていたのか?」
ダッチが唸るようにして言った。その言葉を受け、エマは肩をすくめながら首を横に振る。
「違うわ。私は寄生されていただけよ。巣にされていたと言った方が良いかしら。まぁ、彼らは巣を中心に活動を行うから、私の移動についてきていたのは確かだけど」
「巣?」
ダッチが聞き返すと、エマは頷いた。そしておもむろに懐から小さなナイフを取り出した。
突然の行動にダッチは思わず後ずさる。そんなダッチを尻目に、エマはナイフを逆手に持つと――そのまま自分の腕に突き立てた。
「!!」
周囲の驚きを余所に、エマは冷静な顔で傷口を見ていた。赤い鮮血があふれ出し、地面に吸い込まれていく。
「何やってるんだ!」
コウキは叫びながらエマに駆け寄った。出血を止めようと、腕の傷口周辺を強くつかむ。
「落ち着いて。大丈夫よ」
コウキをなだめるようにエマは言った。エマの言葉の意味が分からず、コウキは困惑した顔でエマを見返す。
その時、奇妙なことが起こった。エマの腕の出血が突然止まったのだ。潮が引くように血が引いていき、ナイフで裂かれた肉の繊維が露わになる。そして傷口は独りでに閉じていき、気付くと腕の傷は完全に治っていた。
「……異能体」
コウキがポツリと呟く。エマはにっこりと笑った。
「えぇ、その通り。私はある日、この不思議な能力を身に着けたの。あの時は確か、軽い熱がずっと続いてて大学の寮で休んでいたの。そこに突然大きな化物が現れて襲われたのよ。そして私の体はバラバラに引き裂かれた」
エマは完治した腕を軽く払いながら言葉を続ける。
「でも私は死ななかった。気付くと体が元に戻っていたの。最初は悪い夢でも見てる気分だったけど、現実は容赦なく襲い掛かってきたわ。周りに散らばるルームメイトの死体。そして死体を喰う虫の群れ。非力な女の子はその場から逃れる事が出来ず、虫共の餌食になったのよ。野球ボールほどのサイズがある甲虫の群れが私の体を這いずり回り、肉という肉を貪り食った。でもね――それでも私は死ななかった。喰われたそばから治っていったのよ。さっきのナイフの傷のようにね。それで私がどうなったか分かったでしょ? いくら食べても無くならない最高の餌として虫共に喰われ続けた。体内に卵を産みつけられ、幼体の餌にもされた。そうして私は彼らの巣になったのよ」
エマは遠い目をして言った。その場にいた全員が、沈黙したまま彼女を見つめていた。
「最初は恐怖と痛みで気が狂いそうになったわ。でも人って慣れる生き物なのね。しばらくすると思考する余裕も生まれて、さらに虫を纏ったまま動くことも出来るようになったの。あなた達を見つけた時は嬉しかったわ。やっとこの虫を皆殺しにしてくれそうな人達が見つかったから」
「それであんなに大量の虫が押し寄せてきたって訳か。ふざけやがって。手前のせいで死にかけたんだぞ」
ダッチが苛立ちを隠さずに言った。エマは涼しい表情でダッチを見据える。
「仕方がないじゃない。私だって必死だったんだもの」
ダッチが舌打ちをしながらエマを睨む。しかしエマの境遇について思うこともあったのか、それ以上は何も言わなかった。
「――話の途中ですまない。君は大学の寮と言ったのか?」
話の間に入るように、マイクが尋ねた。エマはマイクに顔を向け、頷いた。
「それが何?」
「いや、まさかと思ったが、君はあの天才少女エマか? 僅か十歳でメリーランド大学に入学したと話題になった」
「そうよ。サインでも欲しい?」
興奮気味に話すマイクとは対照的に、エマは冷静な態度で肩をすくめた。
「小さい頃から何度も言われてるけど、私は天才って言葉が自分に相応しいとは思ってないわ。ただ集中力と好奇心が人一倍強かっただけよ」
エマはため息を吐きながら言った。マイクはすっと目を細める。
「……一つ聞きたいんだが、君が変異体に襲われたのはいつの話だい?」
「いつって――」
エマは頭をポリポリとかきながら言った。
「日付は覚えてないけど、八月だったのは覚えてるわ。その日は暑かったし、GHUって機関の治験が世界中で話題になってた」
「治験……」
マイクは険しい表情を浮かべた。
「君は今が西暦何年か分かっているのかい?」
「二○三三年?」
エマが答える。しばらくしてマイクの反応から何かを察したように頷く。
「違うのね?」
「二○七七年だ」
マイクの答えに対するエマの反応は静かなものだった。小さく相槌を打ちながら何度も頷いている。
「なるほど、そういうことね」
「なるほど?」
マイクが聞き返すや否や、エマが再び自分の腕にナイフを突き立てた。さらにナイフを引き抜き、自分の髪を切り始めた。
「おい、やめろ!」
マイクが咄嗟にエマからナイフを取り上げる。エマは微笑みを浮かべながら、切り落とした髪をばらまきつつ、治っていく腕の傷を眺めている。
「落ち着くんだ! いくらその治癒能力のせいで辛い目にあったからと言って――」
「大丈夫、錯乱した訳じゃないわ。私は冷静よ。むしろ私の中にあった疑問が解けて嬉しい気分だわ」
「疑問?」
「何故私の体が当時のままなのかという疑問よ」
エマは腰に手を当てて言葉を続ける。
「まず第一に、私の能力は治癒能力ではないわ。能力の発動により、たまたま治癒という結果を生み出しただけだったって訳ね。何十年もの時が流れているのに、何故私の体は成長していないのか? 何故爪も髪も伸びていなかったのか? その答えがこれよ」
エマの変化はすぐに見て取れた。腕の傷が治っていくのと同時に、先程切り落とした髪がどんどん伸びていき、あっという間に元に戻ったのだ。
「時間干渉。それが私の能力の正体。傷が治っているんじゃない。私の体が健康体だった頃の体に巻き戻っていた訳ね」
そう言うなり、エマの手からボキリと鈍い音が響いた。エマが自分の指をあらぬ方向に捻じ曲げたのだ。
「一体どの程度の傷から発動するのかしら。病気に対する発動は? 任意に発動は可能? 切り離した肉体はどうなる? 干渉できるのは私の肉体のみ? あぁ、もっと色々試してみたいわ。この能力、ケアレストラベラーとでも名付けようかしら。それにしても確証バイアスというのは厄介なものね。私自身もずっと治癒能力だと思ってたし、体が貧相なのは栄養失調からだと思ってたわ。良かった。私もこれから成長できる余地はあるのね」
そう言っている間にも、エマは指をへし折り、手の肉を食いちぎり、次々と自分の体を痛めつけている。突然の奇行に、マイクは呆気にとられた様子で立ち尽くしていた。
「そうね。まずは肉体を切り離しての観察。虫達の空腹を満たせていたから消滅はしないはず。頭を半分に切ったら一体どっちが再生するのかしら。そして他の物質への干渉。タイムトラベルは可能か――」
「やめろ!!」
気付くとコウキは怒鳴っていた。エマの両腕をつかみ、力強く握りしめた。
「これ以上自分を傷つけるな!」
コウキは再び叫ぶ。エマは肩を震わせながら、困惑した表情をコウキに向けている。
「……あら、どうして? 私の体はすぐに元に戻るのよ」
「痛みは消えてないはずだ! 痛みの記憶もずっと残っているはずだ! 平気なふりをするのはやめろ!」
コウキの怒鳴り声に、エマはむっとした顔を向ける。
「……あなたには関係ないじゃない」
「頼むから――」
コウキは泣きそうな顔になって言った。
「――君が傷付く姿を見たくないんだ」
今にも消え入りそうな声だった。頬を何かが伝う感触から、コウキは自分が泣いていることに気付いた。
エマは驚いた顔でコウキを見つめ、やがて視線を逸らすように俯いた。
「……分かったわよ」
エマの返事は小さく素っ気ないものだった。




