2-5
やがて先程までいた入口のロビーが見えてきた。ロビーの中央の台座には未だにルアンが座り込んでいた。
「……あれ? あの人、死体を運ぶ係じゃ」
コウキが小さな声で呟く。
「あいつはこれから働くんだよ」
ダッチが受付カウンターの上にケースを置きながらコウキに行った。コウキも怪訝な顔を浮かべながらケースを隣に置いた。
その時、何の前触れもなくルアンが静かに立ち上がった。その視線は真っ直ぐに廊下の奥に向けられている。
「ルアン、ここで問題ないか!?」
廊下の奥からマイクの声が聞こえてくる。廊下を覗き込むと、奥の方にマイクとジゼラが立っているのが見えた。その傍らには無数の変異体の死体が転がっていた。
「あぁ、問題ない」
ルアンがポツリと呟いた。おそらくマイクには聞こえていないだろうが、ルアンの意図を理解したらしく頷きながら廊下の奥に姿を消した。
「おい、ガキ。頭引っ込めてな。持ってかれるぞ」
そう言って、ダッチがコウキの襟首を引っ張る。コウキは怪訝な顔を浮かべてダッチを振り返ろうとする。
その瞬間、目の前を恐ろしい速度で変異体の死体が通っていった。
「!!」
コウキは驚きの表情を浮かべて死体を目で追う。それはまるで何かに吹き飛ばされたかのように宙を舞っていた。さらに間髪入れずに次々と死体が目の前を通っていく。
コウキはルアンが指揮者のように両腕を振っていることに気付く。台座の前に仁王立ちした彼は、真剣な表情で右腕を振り上げる。それに応じて死体も宙を舞い、彼に引き寄せられていたのだ。
コウキが唖然とした表情で見守る中、廊下から次々と死体が引き寄せられ、どんどん台座に積み上げられていた。
「ミュータントの死体はこれで全部だ!」
廊下の奥からマイクの声が響く。その声を聞いて、ルアンは息を吐きながら両腕を下ろした。彼が振り返ると、そこには文字通り死体の山が出来上がっていた。
「さてさて、次は私達の番だね」
ステラが明るい声で言いながら、酒瓶を一本手に取る。そして死体の山に向かって振りかぶったところで、その腕をダッチがつかんだ。
「おいコラ。その酒がどれだけの上物か分かってんのか?」
「は?」
ステラが眉をひそめてダッチを見る。ダッチはステラから酒瓶を取り上げると、栓を抜いてぐびぐびと飲み始めた。
「ちょっと、何飲んでんの!?」
「うるせえ糞ビッチ! この酒は全部俺が必死に集めたもんだ! だから俺に一本一本別れを告げさせろ!」
ダッチはそう言うなり、さらに酒をあおる。やがて半分ほど無くなったところで、名残惜しそうな表情を浮かべながら、死体の山に酒瓶を放り投げた。そして再び新しい酒瓶を手に取って飲んでいく。
「……あぁ、この三十年物のスコッチ、良い味してるぜ。畜生、こんな上等のウォッカをこんな雑な飲み方する羽目になるなんてなぁ……。ウォッカ・マティーニ、混ぜずにシェイクって言いながら決めたかったぜ」
ダッチは一本一本感想を述べながら酒をあおり、そして放り投げるという動作を繰り返していく。その様子をコウキとステラは呆れた顔で見つめていた。
「あー、ダッチの奴また勝手に酒飲んでる」
背後からジュンの声が聞こえてきた。コウキが振り返るとジュンがにこやかな笑顔を浮かべながら死体を運んでいた。
「またマイクに怒られるぞー」
もう一人のジュンが言った。彼らは二人がかりで死体を運んでいた。
「それにしても、毎日飲んでたのに、まだそんなに残ってたんだ」
その背後からさらにもう一人のジュンが顔を覗かせる。
「いったいどこから集めてきたのやら」
その隣の、また別のジュンが呆れたように首を振る。
「…………」
コウキは目の前の光景に、完全に言葉を失っていた。そこには全く同じ顔をした人間が四人もいたのだ。さらに彼らが運んでいる死体に目を向けて、思わず小さな悲鳴が口から漏れる。
その死体もジュンと同じ顔をしていたのだ。
「……そいつも混ぜるのか?」
ルアンがジュンの死体を見下ろしながら尋ねる。自分と同じ顔をした死体を運んでいたジュンはにこやかな笑みを浮かべたまま頷いた。
「うん。燃料は多い方がいいでしょ?」
「……まぁ、お前がいいと言うなら」
ルアンは戸惑った表情を浮かべつつ、ジュンの死体を指差し、振り上げる動作をする。その瞬間、ジュンの死体がふわりと浮かび上がり、背後の死体の山へと放られた。
「皆、準備は出来たか!?」
マイクが声を上げながら姿を現す。そしてダッチが酒をあおっているのを発見し、一瞬で顔をしかめる。
「ダッチ! 何をやっている! もう虫共が建物に入ってきているんだぞ!」
マイクはそう言うなり、酒瓶のケースをつかんで死体の山に放り投げた。派手な音を立てて酒がぶちまけられる。
「手前、この筋肉ダルマ! 何てことしやがる!」
「お前は死にたいのか!? さっさとやるべきことをやれ!!」
マイクがダッチの胸倉をつかみながら言った。その有無を言わさぬ迫力に、ダッチもバツの悪そうな顔で小さく頷いた。
「本当ですか? もう虫が入ってきてるって」
マイクの後ろからコウキが尋ねる。マイクは頷きながら廊下の方を顎で示す。
「ジュンの死体に数匹群がっていた。仕留めようとしたが、何匹か外に逃げられてしまった。今頃外の仲間に餌があったことを知らせているはずだ」
「知らせる?」
「あぁ。アリみたいなものだ。奴らは餌を見つけると仲間に知らせに戻り、その後集団で食事に来るのさ」
廊下の奥からガサガサと耳障りな音が聞こえてくる。マイクは睨みつけるように廊下を見た。
「だが集団と言っても精々数十匹。こんなに大軍で押し寄せてくるなんて初めてのことなんだ」
話している内に、廊下の奥から大量の黒虫が押し寄せてきた。その勢いはまるで洪水のようだった。
「さあ、急いで天井に避難しよう」
マイクの言葉を受け、コウキは天井を見上げる。天井には大きな穴が開いており、星空が覗いていた。しかし天井までの高さは五メートル近くあり、ハシゴやロープも見当たらない為、どうやって昇るのか見当もつかなかった。
「ルアン!」
その答えをマイクが叫んだ。ルアンは小さく頷くと、右手を大きく上げた。そして手首を捻り、自分自身に指を向ける。
「……さあて、上手くいくかな?」
ルアンはそう呟き、大きく息を吸い込む。そして意を決したように息を吐くと、指を勢いよく天井に向けた。
ルアンの身体が勢いよく浮き上がった。そのまま天井の穴を超え、奥の方へと消えていく。
「ルアン、無事か!?」
マイクが天井に向かって叫ぶ。しばらくして穴からルアンが顔を覗かせ、小さく頷いた。
「引き寄せるぞ。動くなよ」
ルアンが呟き、両手を広げてそれぞれの指をコウキ達に向けた。その瞬間、コウキは自身の身体に薄いベールのようなものが纏わりつく感覚を覚えた。そのまま宙に釣りあげられるように体が浮き、天井の穴へと引き寄せられていった。
天井に着地すると同時に奇妙な感覚も消える。コウキが辺りを見渡すと、他の者達も次々と天井に着地していた。
コウキは天井の穴から階下を覗き込む。先程までいたフロアは、既に床一面が黒虫の群れに埋め尽くされていた。虫の群れが死体の山を下からじわりじわりと飲み込んでいく様に、コウキの背中に冷たい物が走る。
「さて、仕上げは俺の仕事だ」
コウキが顔を横に向けると、同様に階下を覗き込むダッチが立っていた。コウキの視線に気付いたダッチは、ニヤリと笑うと、ポケットから一枚のハンカチを取り出す。そしてそれを空中でクルクルと回しだした。
コウキは怪訝な顔を浮かべてその行為を見守る。すると何の前触れもなく、突然ハンカチが勢いよく燃え出した。
「俺の事をミスター・ファーレンハイトって呼んでもいいんだぜ?」
コウキの驚いた顔を見ながら、ダッチが言った。ダッチの顔は、炎に包まれたハンカチを素手で持っていると思えないほど涼しい表情をしていた。
「ダッチ、遊ぶな」
マイクが呆れたように息を吐きながらダッチの隣に立った。
「火はまだ落とすなよ。もっと虫を引き付けてからだ」
「分かってるよ。言われなくてもさ」
マイクの言葉を聞いて、ダッチはハンカチを両手で包み込んだ。すると先程まで激しく燃えていた火が一瞬で消えた。
「…………」
コウキは無意識に額に手を当て、大きくため息を吐いていた。ジュンから異能体のことは聞いていたが、次から次に見せられる彼らの超能力への理解が追い付かず、軽いめまいを起こしていたのだ。
コウキはふとホルスターに目をやる。そしてこの建物に入ってからアミィがずっと無言であることに気付いた。
コウキは無言のままアミィを軽く小突く。返事をするようにアミィが淡く発光する。しかし言葉は何も返ってこなかった。




