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「えっ、えっ、私、大丈夫? 何ともない?」
「……あの、大丈夫ですか?」
「えっ、私? 私は――」
ステラは胸に手を当て、大きく深呼吸を始めた。何度も肩を上下させた後、ゆっくりとコウキに顔を向けた。
「うん、大丈夫っぽい。私は私」
「ステラ、無事か!?」
その時、建物の奥から声が聞こえてきた。コウキが顔を上げると二人組の若い男がこちらに駆け寄ってきていた。
一人は金髪の白人だった。髪型はオールバック。彫りが深く非常に整った顔立ちをしている。服は灰色のスーツを身に着けていたが、よくよく見るとそれは白いスーツが薄汚れてそうなったものだった。
もう一人はやや浅黒い肌で、太い眉と鋭い目つきが印象的な男だった。長い髪を後ろで束ねている。服は革ジャンにダメージジーンズと、非常にワイルドな恰好をしている。
彼らは変異体の死体の傍らに座り込むステラを見て安堵の息を漏らす。だがコウキとジゼラの存在に気付き、顔を強張らせながら二人を睨みつけた。
「何だ、手前ら!? どっから入り込みやがった!?」
スーツの男が叫ぶ。その反応にジゼラは呆れたように肩をすくめた。
「やれやれ、またこの流れかい」
「あぁ!?」
スーツの男が激高した様子でジゼラを睨みつける。そんな彼を諫めるように、背後から彼の肩に手がかけられる。
「落ち着きなよ、ダッチ。彼らは敵じゃないよ」
いつの間にかスーツの男の背後に、もう一人別の人影が立っていた。ダッチと呼ばれたスーツの男は振り返り、不満そうに唸り声をあげている。
「……え?」
ダッチの背後に立つ人物の顔を見て、コウキは思わず驚きの声を漏らす。コウキの視線に気付き、その人物はにっこりと微笑んだ。
「やあ、コウキくん。君が無事でよかった。ごめんね。中までちゃんと送ってあげられなくて」
「ジュンさん!?」
コウキがその人物の名を叫んだ。目の前にいたのは先程死んだと思っていたジュンだったのだ。
「……驚いた。あの状態からどうやって脱出したんだい。見たところ傷も塞がってるようだし」
ジゼラも驚いた様子で尋ねる。ジゼラの言う通り、目の前のジュンは怪我一つ無い姿だった。
「あぁ、それねぇ。実はやられちゃったのは僕じゃなくてぇ――」
ジュンがのんびりとした口調で話し始める。だがそれを遮るように建物の奥から声がかけられた。
「大変だよ、皆! 黒虫が建物に侵入しようとしている! 急いで!」
皆が一斉に声の方を振り返った。コウキもそれに釣られるように視線を向け――声の主の顔を見て、驚きで目を見開いた。
そこにはもう一人ジュンがいたのだ。目の前のジュンと全く同じ顔をした人物が、慌てた様子で声を上げている。
「よし、急ごう! 俺とジュンとルアンはミュータントの死体を部屋の中央に運べ! ステラ、ダッチ! お前達はありったけの酒を持ってこい!」
マイクが大きな声で指示を飛ばした。コウキとジゼラ以外の全員が同時に頷き、建物の奥へと走っていった。
「……死体はどの辺に積む」
革ジャンの男――ルアンが小さな声で尋ねた。マイクは部屋全体を見渡し、やがて部屋の中央に置かれた台座に視線を向けた。そこには元々何かしらの像が建っていたのだろうが、今は崩れ、人の足らしきものだけがくっついている状態だった。
「ここにしよう」
「分かった。どんどん持ってきてくれ」
ルアンはそう呟き、台座の傍に座り込んだ。マイクは頷いて、コウキとジゼラに視線を向ける。
「いきなりで悪いが、君達も手伝ってくれるか?」
状況に着いていけてなかった二人は呆然とした様子でマイクを見る。その様子を見て、マイクは軽く咳払いすると、台座と建物の入り口を順番に指さした。
「外にいる虫の群れを追い払うのを手伝ってくれ。作戦はこうだ。奴らの餌となる死体を中央に集める。そして餌に群がったところで火をつけて一気に虫共を焼き殺す」
マイクの簡潔な説明を受け、コウキは戸惑いながらも頷く。
「私らを信用するのかい?」
ジゼラがマイクに尋ねる。マイクは小さく頷きながら言った。
「あぁ、ジュンが君らの事を知っているようだしな。それに君達はステラを助けてくれた」
「ジュン……その――あの子は三つ子か何かなのかい?」
「いいや、違う。あれは彼の能力によるものだ」
マイクは建物の奥の廊下を指差しながら言葉を続ける。
「それに関しては、この状況を乗り越えてから話そう。付いてきてくれ」
そう言ってマイクが小走りで移動を始めた。コウキとジゼラもその後に続く。
廊下をある程度進んだところでカフェテリアのような広い空間に出た。そこはコウキがいた第三研究所のものとほぼ同じ作りをしていた。部屋の中央には大型のテーブルが置いてあり、キッチンには物資が入っているだろう段ボールが積み上げられている。壁一面を覆う窓は外側から瓦礫が積み上げられ、完全に塞がっていた。
「はーい、新入りさん。こっちこっち」
キッチンの方から声が聞こえてくる。コウキが振り向くと、ステラがこちらに手招きしていた。血を洗い流したのか、全身がびっしょりと濡れていた。
「それでは酒の運搬を頼んだぞ」
マイクが足を止め、コウキとジゼラを振り返る。ジゼラは一瞬ステラの方を見た後、マイクに向き直った。
「三人もいれば十分だろ? 私は死体運びのほうを手伝うよ。これでも力仕事は得意なんだ」
「そうか。助かるよ」
マイクが微笑む。ジゼラはコウキを振り返った。
「坊やもそれでいいかい?」
コウキは頷きながら、ステラの元に向かった。
「やっほー、少年。さっきはありがとね」
ステラは濡れた髪をかき上げながら言った。年齢は二十代前半ほどだろうか。肩まで伸びた栗色の髪と、濃い青の瞳が印象的だった。服は黒のパーカーとグレーのスウェットパンツを身に着けている。
そして何故か水の入ったボトルを脇に抱えていた。
「それじゃあ服脱ごっか」
ステラが満面の笑みで言った。突然の発言にコウキの表情が固まる。
「……え、何ですか?」
「ほら、早く全部脱いで。それとも脱がせてほしいのかな?」
ステラがいたずらっぽく笑いながら言った。手を伸ばし、コウキのシャツの裾をペロリとめくる。
「ちょっ、やめてください!」
「あはは、照れちゃってかわいい~」
慌てて後ずさるコウキを見て、ステラがケラケラと笑いながら距離を詰めてくる。
「遠慮しなくてもいいんだよ? 君は命の恩人なんだから何かお礼したいし。それとも私じゃダメかな?」
ステラが顔を近付け、上目遣いに見つめてくる。やや愁いを帯びた眼に見つめられ、コウキの心臓がドクンと大きく脈打った。
「……えっ、あの、いや、僕は……」
コウキはしどろもどろになりながら、ステラの眼を見つめる。その海の底を映し出したような青い瞳から目を離す事が出来なくなっていた。
ステラがさらに顔を近付けてくる。互いの吐息が感じられるほどの距離に、心臓の高鳴りがさらに激しくなる。
「何やってんだガキィ。いつまで血まみれでいるつもりだ」
その時、突然背後から声を掛けられ、コウキは肩を震わせる。慌てて振り返ると、そこには酒瓶のケースを抱えたダッチが、険しい表情を浮かべて立っていた。
「虫は血の臭いに寄ってくんだよ。とっとと服脱いで全身洗いやがれ!」
「……えっ、あ……」
ダッチの言葉を受けて、コウキはやっとステラの言葉の意味を理解した。顔を正面に戻すと、ステラがお腹を抱えて大笑いしていた。
「あははははは! ゴメンゴメン、期待させちゃった? 言っとくけど、私そんな軽い女じゃないから!」
からかわれていたと知り、コウキは顔を紅潮させて小さく唸る。背後のダッチが呆れたように息を吐いている。
「手前も手前だ、腐れビッチ。今の状況分かってんのか? 呑気にガキで遊んでんじゃねえぞ」
「緊張ほぐそうとしてあげたんじゃん? 気を張り詰めすぎると、この世界生き残れないぞってね。ほら、少年脱いだ脱いだ」
ステラは悪びれた様子もなく、そう言った。コウキは再び小さく唸りながらも、ホルスターを外し、血の付いた服を床に脱ぎ捨てた。幸い下着は無事だったため、裸にされずに済んだ。
ステラが持っていた水のボトルで血を洗い流したコウキは、新しく用意された着替えを手に取った。それは黒のシャツに緑のジャケット、そして紺のカーゴパンツと、マイクが来ていた物と似た物だった。ややサイズは大きかったが、着れないほどではなかった。
「さっさと運ぶぞ、ガキ」
コウキが着替え終わるのを待って、ダッチが歩き始めた。コウキも酒瓶のケースを抱え、ダッチの後についていく。
「ところで、その腰に付けてるのはなんだ? でかいスーパーボールか?」
先頭を歩くダッチが肩越しに振り返りながら尋ねてくる。答えようと口を開きかけると、コウキの後ろからステラがひょこっと顔を出した。
「これすごいんだよ。いきなりニンジャソードに変形すんの」
「なんじゃそりゃ。お前、そういう能力なのか?」
「いえ、僕は能力者じゃないんですが――」
「あん? てことは無能力者なのか?」
「マジ? 私と一緒じゃん! 仲良くしようよ!」
ダッチの言葉を聞いて、ステラが嬉しそうな声を上げる。コウキは引きつった笑みを浮かべて小さく唸った。




