二つの奇跡
「今年は、ひいおばあちゃんのおうちには行けないわね」
ママがスマホを置いて、菜穂子の頭をなでました。菜穂子はママを見あげて、ブンブンと首をふります。
「でも、今年はハルばぁと会えるかもって、ママいったじゃない!」
ひいおばあちゃんのことを、菜穂子は『ハルばぁ』と呼んでいました。ひいおばあちゃんも、菜穂子のことをとってもかわいがってくれたのです。そんな大好きなハルばぁに会えないなんて――
「でも、わたし、ハルばぁといっしょにおかし作ったりしたい! ハルばぁと会うの、楽しみにしてたのに……」
ママの手をつかんで、菜穂子が目をうるませます。ママはうつむくばかりで、なにも答えてくれません。テレビのニュースでは、悪い病気がまたはやりはじめていると、大人の人たちが難しい顔で話し合っています。
「わたし、元気だもん! 病気じゃないのに、どうして会えないの? ねぇ、ママ、わたし病気になんてならないから、だから、ハルばぁと会いたいよ!」
「菜穂子、ひいおばあちゃんはからだが悪いのよ。もしわたしたちが感染して、それがひいおばあちゃんにうつったら、それこそ大変なことになるわよ」
怖い顔をするママの手を、菜穂子は離しました。今にもハルばぁが病気になって、苦しんでいるような気がして、あとからあとから涙があふれてきました。ママが急いで菜穂子を抱きしめます。
「……あとで、ひいおばあちゃんとお電話しましょうね。お顔は見れないけど、声は聞こえるわ。……大丈夫、ちゃんとひいおばあちゃんとはつながっているから、ね」
ごしごしと目を服のすそでぬぐって、菜穂子はうなずきました。
「……そう、今年は来れないのね。しょうがないわよ、今は病気がはやっているから。大丈夫よ、来年になったら、また、ハルばぁとおかしを作りましょうね」
スマホから、ハルばぁのおっとりとした声が聞こえてきます。ハルばぁに抱きついたときの、なつかしいにおいを思い出して、菜穂子は何度も首をたてにふりました。
「うん、約束だよ。ハルばぁ、絶対に約束だからね!」
「わかったわ。また来年、会えるのを楽しみにしているわよ。……あ、菜穂子ちゃん、ちょっと待って」
ママにスマホを返そうとした菜穂子は、手を止めました。スマホを耳に近づけると、ハルばぁはうふふと笑って、ささやくようにいったのです。
「……菜穂子ちゃんとは会えないけれど、プレゼントを贈るわ。今夜、窓の外を見ていてね」
「えっ?」
「大丈夫よ。会えなくても、ちゃんとハルばぁと菜穂子ちゃんはつながっているから。それじゃあね」
菜穂子は目をぱちくりしました。
――ハルばぁ、プレゼントっていってたけど、なにかしら? でも、贈り物なら、郵便屋さんが届けてくれるんじゃないのかな――
毛布にくるまったまま、菜穂子は窓の外をずっと見あげていました。福岡の町は、明かりが多くて、いつもは星もよく見えません。でも、今日はなんだか夜の闇が濃くて、星の輝きもはっきりと見えます。ハルばぁの住む、種子島で見た空とよく似ていました。
――こんなにきれいなのに、悪い病気がはやっているなんて、そんなのうそだわ。……きれいな夜空、ハルばぁのいるところまで、続いているのかなぁ――
と、空のはしで、なにかがまたたいた気がしました。菜穂子は目をこらします。
――あっ、流れ星――
窓の向こう側、街の明かりにも負けないように、スーッと流れ星が流れていきました。小さいころに種子島で見た、満天の星空をすべる流れ星とよく似ています。
――ハルばぁと、会えますように――
急いで願いごとをする菜穂子でしたが、あわてる必要はありませんでした。なぜなら、流れ星はいくつもいくつも、あとからあとから、とぎれることなくふりそそいできたのですから。驚きに願いごとをするのも忘れて、菜穂子はその星の雨に目を奪われました。
――すごい――
そして菜穂子は、ようやく気付いたのです。ハルばぁのプレゼントとは、きっとこのことだったのだろうと。窓の外から、流れ星の落ちる音が聞こえてきそうです。……そして、ハルばぁのあのおっとりした声も――
――雅人さん、ありがとう……。わたしも、もうすぐ行くから、そしたら一緒に菜穂子ちゃんに、流れ星を届けましょう――
遠い昔、戦闘機に乗って旅立っていった夫のことを思い出して、ハルは目をうるませました。しわくちゃになったその手には、さらに古ぼけた手紙がにぎられています。けれども、思い出だけは鮮明に、今もはっきりとまぶたの裏に焼きついています。
『沖縄が米兵の手に落ちたら、種子島もすぐに攻め落とされる。そうなったら、おっかぁもお前も、ひどい目にあわされて最後には殺されてしまうだろう。おら、そんなのはいやだ』
『だけども、特攻隊になったら、マサさんは二度と帰ってこれないんだよ! わたし、そんなのいやだ!』
『ハル……。泣かんでくれ。おら、みんなを守るために、お前を守るために行くんだ。だから、泣かんでくれ。……大丈夫だ、たとえおらが死んでも、お前を守る。……飛行機乗りは、戦で死んだら星になるんだ。だから、おらが帰って来なくても、空を見てくれや。そしたらおら、お前のために、いくらでも流れ星を届けてやる』
『……本当?』
『あぁ。だから泣かんでくれ。おらがみんなを守る。死んでも、星になって守ってやるから』
『マサさん……』
沖縄はアメリカ軍の占領下におかれました。種子島は爆撃こそ受けましたが、アメリカ軍に上陸されることはありませんでした。一縷の望みを抱いて、ハルさんは雅人さんの帰りを待っていましたが、最後まで雅人さんが帰ってくることはありませんでした。ハルさんのお腹に、子供を残したまま、雅人さんは星になったのです。
雅人さんは、約束を守りました。焼け野が原となったあと、赤ん坊を抱えて生きるハルさんは、いくつもの幸運に恵まれました。どんなにつらくとも、ひもじくとも、空を見れば流れ星が落ちて、そして不思議な縁を導いてくれたのです。雅人さんが星となって見守っていてくれる……。ハルさんは夜空を見あげて、毎日祈りをささげるのでした。
――わたしがここまで生きてこれたのは、そして、たくさんの家族に、人に恵まれたのは、マサさんのおかげよ。……でも、もういいの。わたしを守るために、マサさんがたくさん星を流してくれた。今度はわたしが、マサさんといっしょに、菜穂子ちゃんのために星を流しましょう。……だけど、これが最後だから、どうか願いをかなえて――
翌年、テレビであれほど報道されていた悪い病気は、ほとんど聞かなくなりました。ワクチンができたから、特効薬が認可されたから、国民の感染予防意識が高まったから……。ニュースではいろいろな意見が飛び交っていましたが、菜穂子にはそんなもの関係ありませんでした。きっとハルばぁが、あのたくさんの流れ星に祈りをささげてくれたのだろう。菜穂子はそう信じていました。
ハルさんは、菜穂子の寝顔を見ながら、テレビの電源を切りました。再び流行の兆しが現れるかもしれないと、コメンテーターが不吉なことをいっていましたが、ハルさんはそうはならないとわかっていました。雅人さんはこれまで、一度たりとも約束を破ったことはありませんでした。……そして今度は、雅人さんだけでなく、ハルさんも星を流すのです。菜穂子のために、雅人さんが守りたかった、この島のために……。
その年の夏に、ハルさんは息を引き取りました。お通夜の夜、空にはいくつもの流れ星が流れていきました。そしてそのときを境に、菜穂子はつらいとき、悲しいときに、夜空に祈りをささげるようになりました。そしてそのたびにいつも、夜空から流れ星が二つ、落ちていくのでした。
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